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「ただいま!」
『おお、帰ったか。アレクと――』
「アズ!! 貴様!!」
三者三様の声が一斉に私に注がれたけれど、即座にそのひとつを発した奴は結界の外へと放り出された。
当たり前だ。【神域結界】は、この家に住む者に敵意を向けた瞬間に弾き出される仕様になっている。そんな中に殺気立ったまま転移をしてくれば、出現した瞬間に強制排除されるに決まってる。
知らないわけないのに、相変わらずの脳筋ぶりに嗤う。
まぁね、それを見越して家に転移したんだけどさ。
【洗浄】を足元にかけてブーツを脱ぎ、凝り固まった身体をおもいきり伸ばす。
『なんか知らんが、どうした?』
「あー、聖女と勇者の召喚陣をぶっ壊してきたのよ。おほほほ」
掌を口元に寄せてしなを作り、わざとらしく淑女を真似て笑って答えた。
ルードが慌ててデッキから立ち上がり、呆然と私を見詰める。吊り上がった猫目が真ん丸になって、牙の見える口が半開きにして。
『そ、それでアレクが……殺気立ってるのか!?』
「じゃないかなー?」
『お前さんと言うやつは――まぁ、壊してしまった物は仕方ないが……』
ぽつりと呟くと、ルードはまたぐったりとデッキに寝そべった。
どこの爺ちゃんだ。その、孫が大切な物を壊した後みたいな台詞は!
でも、確かにそうなので、反省も後悔もしない!
着がえもせずに疲れた体を引きずってダイニングへ入ると、インベントリに入れっぱなしの食料をテーブルの上に並べる。なんだか料理を作る気分じゃないし、でもお腹が減って気力が沸かない。
アンナちゃんと一緒に飲んだコーヒーの残りと携帯用に作ったサンドイッチを出し、もそもそと食べだす。味はするけれど、食が進まないのは食欲がないからなのか。
「ところで、リューは?」
いつも家の中を忙しそうに動き回っているはずのリュースの姿が見えず、なんだか急に心細くなった。
パンを咥えて、落ち着きなく見回す。あ、迷子の子供みたいだ…と、自分で自分を客観的に考察する。
私が帰宅すれば、忙しくしてても必ず顔を見せる。手が離せなくても声だけはかけてくれる。そんな存在が消えている。
あー、サラリーマンのお父さんだな。この寂しさは。
『お前さんと話したかったようだが、居なかったからな。なにやらエンデと話してたと思ったら、妖精族の大陸へ行ったぞ』
「そうかぁ。ちょっと気になってたんだけれど、大丈夫みたいね。リュー、何か変わってた?」
『……ああ、そういえば、おかしなことを言っていたな。古の神の声が聞こえるとか……』
「やっぱり記録媒体だったんだ…」
丁度いいからと、食事を進めながらここ数日の出来事をルードに語って聞かせた。
古の神の話しになり、交わした会話を詳しく伝えると、またもやあんぐりと口を開けて放心している。
わかるよ? その気持ち。神や女神なんて、存在すると理解していても所詮は天上の存在だもんね。私が女神の欠片で出来てると説明したって、それを実感することなんてなかっただろうし。
なのに、実は同じ世界の地上に(あの空間は地上じゃないけど)居るというのはすぐには飲み込めないだろう。その上に監禁されてるって、なんだ!? だよね?
話し終えると、ルードは目を閉じたきり何も言わなくなった。
私も黙って食事の後始末をし、玄関から外に出た。
案の定、まだ頭の血が降り切っていないアレクが、何事か喚きながら結界相手に肉弾戦を挑んでいた。剣を出さないだけ、すこしは頭が冷えたかな?
「まーだ、冷静になってないの?」
結界のこちらから声をかけてみた。
「説明しろって言ってる! 何も言わずに逃げることはねぇだろうが!!」
「じゃ、すこし落ち着きなさいよ! あ、それより、いいの? 私が放った地下の魔物を退治しなくて」
軽薄な嗤いを浮かべながらアレクに告げると、怖い顔がもっと凶悪になる。
「別にかまわん! それよりちゃんと話せ!」
「話してあげてもいいけれど、その代りに条件があるわ」
「なんだ!? 早く言え!」
「そう怒鳴らないでよ……あのね、勇者の剣を折って始末して」
その時のアレクの表情は、それはそれは悲壮感たっぷりだった。先ほどまでの闘気が見事に消し飛んで、空気の抜けきった風船のような萎えっぷりだった。
結界の前で、闘争心を漲らせていた拳をだらりと落とし、巨躯が一回り小さくなった錯覚に陥った。
「――多分、そうなるだろうことは、予想していた……」
「うん……」
「召喚されて以降ずっと使ってきた俺ですら、あの話を聞いて手にするのが胸糞悪くなる始末だ」
「怖くなったの?」
「それはない。こいつは魔剣だ。何かしらの曰くがあって当然だからな。だが――」
魔剣。
そのほとんどは、負の力を溜めこんで作られたり出来たりしている。
魔獣の胎内で長い時を過ごしたり、上位魔獣の血や骨が使われたり、人や魔獣の怨念が取り付いたり……。使う者達にとっては求めてやまない武器だけれど、そこには魔剣との命の駆け引きがある。
強力な力を持つ魔剣ほど、その所有者を選び試す。選ばれた者は、真の所有者になるべく魔剣を使役する。
そして、力と共に所有者に満足感と優越感をもたらす。
でも、『勇者の剣』はそれらとは違う。
いや、同じなんだけれど度を越した物だ。あちらの世界のことわざにもあるように『過ぎたるは猶及ばざるが如し』だわ。
「で、どうする? アレクの好きにしていいわよ?」
「俺が……たとえば拒否したらどうする?」
赤く走った宝石眼が、ギラギラと昏い光を放って私を睨み据えた。
「かまわない。それなら私は事情を話さないし、その時点からあんたは敵になるだけよ。あの外道に味方する者と認識するだけ」
1か0かをきっぱりと告げておく。
あの話を聞いて、魔剣をどうにかしなければならないと思案して、その上で否と言うことはそういう意味だ。
違う、味方をするつもりはないなんてどんなに否定しても、その魔剣の存続を願うのはそれだけで協力していると同義だ。
「一度――俺と一度だけ戦ってくれ。この剣と。それで負けたなら、目の前で叩き折ってかまわん」
英雄は勇者に戻って、最後の魔女に戦いを挑んできた。
やっぱり漢だねぇ。脳筋だけど。




