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「ええ、魔女。この世界で最後の魔女。アンナちゃんと同様に、好きでなった訳じゃないけれどね」
「魔女は……災厄を呼ぶとか、大虐殺をしたって……」
彼女は零れそうに揺れるカップを置くと、震える唇をどうにか動かした。
アレクは聞かされてないのに、聖女様は聞かされたのか。あの忌々しい噂話を。
なにもしてないのになー。そこまで怖がるかー。
「噂ではそんなふうに言われてるわねぇ。でも私はやったことないわよ?ただしー、これからは分からない」
「え?それって……どういう意味……」
「ねぇ、アンナちゃん。あなた、あっちの世界に還りたい?」
恐怖の次は、大きな飴を出してあげよう。甘いか辛いかは、あなたの事情によるけれどね。
私も両肘を付いて顎を乗せ、じっと彼女を見つめて問いかけた。
「か、還れるんですか!? あ……でも、殿下も魔術師長も還れないと言ってました」
飛びついたと思ったら、いきなり冷静になったな。まぁ、王子が彼女の希望をさっさとへし折ったんだろうと想像はつく。
ころころ表情が変わって可愛いけど、やっぱり悲しい顔はさせたくないなぁ。
「還る方法を見つけたの。ちょっと物騒なことを終えないとならないのが難点なんだけれど、神様から直でお聞きしました」
「神様……女神様じゃなく?」
「アンナちゃん、女神様に会ったの?」
「いいえ、会ってません。ただ、聖女は女神様がって聞いたし……」
私と違って聖女召喚だから、もしかしたら幻にでも会ったのかと思ったら違ったか。
こんな少女に与太話をして信じ込ませて……やっぱり魔が溢れてくるのはこの国の責任じゃないの?
「で、どうする? 還る? ここに残る?」
「あ、あの、すぐに決めないとだめですか?」
「還れるのはもう少し先になるけれどさ、考えないと答えられないってことは、柵ができちゃったってことよね? フィール王子に求婚された?」
アンナちゃんの顔に、ちらっと朱が走った。隠したつもりが隠せないのが色恋だね。
やはりかぁ。清純な女子高校生なんて、チョロいだろうなぁ。
「ちょっとだけ、それっぽいことを……でも、まだお仕事が残ってるし……」
仕方ない。隠されていることを教えておこうか。
「帰還できないと王子から教えてもらったのよね? それ以外は?」
「……それ以外って?」
やはり隠されてるか。フィール王子は王太子だ。このまま行っても結婚は無理。嫁げても他の王族にだよ。だって、子供ができないんだから。
「フィール王子は王太子様よね?」
「はい。もう決まってるって言ってました。だから……」
「あのね、私達召喚者はどんなに頑張っても子供ができないの。これは、グランバトロ王国の勇者だった人に聞いたから確かなことよ。だから、跡継ぎが必要な王太子様とは結婚は無理。他の王族なら分かるけれどね」
またもやアンナちゃんの顔色が変わった。
あーあ、女の子の夢を潰しちゃってごめんねー。
「じゃ、じゃあ、私は騙されてるんですか!?」
「王子が好きなら、その恋心を見透かされて利用されてるんじゃないかな? だって、王子のために頑張って浄化の旅に行ってるんでしょ?」
「そ、そそ……そうですけどっ」
「まぁ。もしかしたら本当に結婚してくれるかも知れないし。で、どっち? 還る? 残る?」
あー、いい加減に苛立ってきたわ。こりゃーダメかな? 嫌なら嫌でいいの。別に私は無理に連れ帰ろうとは思っていない。ただ、本人がどうしたいかを問いかけてるだけだ。
と、その時ノックと共に女官さんが声をかけてきた。朝食のためのお着換えだな。
「時間切れだわ。じゃ、還らないってことでいいわねっ」
「か! 還る! 還ります!!」
「ほい。では、これから起こることと私のことは、知らぬ存ぜぬで通してね。じゃ、また来るわ」
急いで立ち上がってお茶セットをしまって結界を解除し、次の目的の場所に飛ぶ準備に入った。去り際に、ダメ押ししておこう。
「私のことを話したら、還れないと肝に銘じててね?」
扉が開けられた瞬間、私は姿を消した。
あの香ばしい香りを、女官さんは気づくかしら?アンナちゃんが責められなきゃいいけれど。
さあ、次はあの忌々しい召喚陣を破壊しだ!
【転移】で辿り着いた先は、あの大扉の前。幸い警備兵も巡回兵もいない。必要がなけりゃ、こんな場所に警備兵はおかないだろう。
大扉から少しだけ距離を置き、ぽつぽつと設置された魔道具の灯りに照らされた鉄製の大扉をを睨む。
「行け!【暴風の鉾】」
仁王立ちで拳を前方へ突き出す。すると突如吹き上がった強風が、槍のように先を尖らせて錐揉み状に大扉へと突っ込んでいった。
凄まじい轟音を響かせ、大扉は壁から外れて室内に向かい吹っ飛ぶ。ぶ厚い鉄の扉が一塊の鉄球になって、正面にあった召喚用の石舞台の側面に衝突して止まった。
ぱらぱらと石壁の破片と埃が舞う中を進み、真っ暗な召喚の間へ入る。
「【反射障壁】――逆巻け!【煉獄の蛇王】」
破壊されて大穴の開いた出入口に後ろ手で障壁を張り、部屋の中に灯りと迎撃要員として業火でできた蛇を天井に待機させた。
ごうごうと燃え盛る火炎を靡かせた大蛇が、高い天井付近で渦を巻く。放射される高熱で、天井の石がわずかに溶け出すのが見えた。
マントとフードをかぶった完全防備の上に結界を張った私には、何の害にもならないけどね~。
城中に響いただろう破壊の音と振動に、衛兵たちが細い石廊下になだれ込んできた。障壁に立ちはだかれて、大声で怒鳴り散らしながら必死で攻撃してくる。
剣は同じ力で持ち主の手を痛め、攻撃魔法には同じ魔法が返される。薄暗く細い石廊下は、今や大混乱の極みだった。
「来たれ! 千の暴虐 万の加虐 我に与えよ! 【巨獣の鉄槌】」
あの石舞台を睨み据えながら、蛇王の炎に炙られゆらゆらと立ち昇りだした神の残滓を討ち取るために詠唱する。
私の魔力に反応して、舞台に刻まれた召喚陣から防御の方陣が浮き上がる。この陣もろとも舞台を破壊できるのは、最上級魔法しかない。
指先を舞台に向けて、思い切り魔力を篭めた。
それは、見えない巨人がハンマーを振り下ろしたような衝撃だった。稲光を放ちながら、舞台の中央が陥没し、次の瞬間に轟音とともに石舞台の角が四散した。
フードを深くかぶって防御していた顔を上げ、粉塵舞う空間を【看破】で眺める。
召喚陣は完全に破壊され、再構築できないほど粉々になっていた。天井も壁も、多少傷はついたが、崩れるほどの被害はなかった。
天井で待機していた炎の蛇が、鎌首を伸ばして兵士達を威嚇していた。その間に、陥没した舞台跡に、ぼんやりと浮かぶ異質な力の流れへ足早に近づいた。
「あ、これね?」
掌を近づけ、吸い取るイメージで自分の魔力を使って引き寄せた。その力は、何の抵抗も感じることなく私の中へと流れ込んで来た。暖かく清らかで無垢な力。
「大蛇よ、障壁に突っ込んで共に消えなさい。怪我人を出すんじゃないわよ?【転移】」
姿が消える寸前、業火の渦が障壁へと向かって行った。




