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古の神は、陶然とさせる微笑みを消して静かに目を伏せると、わずかに声をひそめた。
「まずは、あの忌々しい召喚陣を排除することだ。あれには神力が刻み付けられている。人の力で破壊するのは容易でないが、貴女の力ならたやすいだろう。そして、解放された神力を即座に迎え入れろ。そうすれば、滓も少しはマシになる」
その『滓』ってのは、今の私のこと? それともその解放された神力のこと? なんとなく、腹が立つー!
「その神力は、貴女の息子さんかしら?」
「否。傀儡の力だ。なぜ傀儡の現身たちが刈られたか。それは、あの召喚者が傀儡の力を必要としたからだ」
「では、女神の力を集めるために、次々と魔女たちは狩られたと……?それを女神は気づかなかったの?」
「――だから傀儡と言った。あれはな、人を救うことしか教えられていないのだ。だから、せっせと魔女を創り続けた。それ以外のことは、神が考えるべきことだからな。そして、神がそれに気づいた時は、己が造った傀儡が消滅した後だった。ククッ」
堪えきれないといった態で、彼は笑い出した。先ほどの神々しさは消え失せ、歪み切った鬱屈が戻った。
それは気分の良い笑いじゃなかった。なんとも不愉快で。
「アレはとんだ愚か者だった。神だなんだと崇め奉られて、この世界に混じることの叶わぬ腐った異端を呼び出し、その神の威光に己の愛する傀儡を狩られて……。挙句に己がその異端に喰われ、父から奪い取った世界を崩壊へと向かわせている」
「その愚か者を生んだのは、貴方でしょう?」
「否。あれは私を生んだ未知なる存在が、私の後継として創った未熟者だ。神とはな、創造した世界の管理者に過ぎない。《神》などという言葉は、いったい誰が創ったものやら」
ああ、これ以上は聞いていられない。これは単なる彼の愚痴だ! 父親が、己を顧みない身勝手で未熟な息子に主導権を奪われ、悔しさに垂れ流す愚痴だわ。
「それで? 召喚陣を破壊して力を吸収し、それから?」
「ああ……次に勇者の剣とやらを折れ。そして、愚か者が呼び込んだ異端者を滅せよ。あの汚物の具現である鞘と共にな」
やはり、そこなのねぇ。私にできるのかしら……。神を吸収した外道でしょう?
「滓がマシになった程度で、あの外道を殺せるの?」
「安心しろ。そのために、その称号を与えたのだ。神を喰らったとはいえその一部は鞘に、そして召喚陣に使われた。すでに全能ではない。ただし、異端を倒してから鞘を破壊しろ。それを違えれば、異端に力を与えてしまうぞ」
「神の力で造られた召喚陣……それはすでに破壊されてるはず」
「あれは異端の仕業ではない。もっと別な、奇妙な者の仕業だ」
ほうと安堵の溜息が漏れた。
これで始めることができる。成功するかは分からないけれど、還れないなら、この世界を崩壊させるわけにはいかない。あー、まるで正義の味方よね? 私。
「最後にお尋ねしたいのですが、妖精族がア・コール大陸を女神の大陸と呼ぶのはなぜですか?」
「あの大陸は、傀儡のために愚か者が創った箱庭だ。私が創った世界には、人族なぞ存在しなかった。あの愚か者は、己を崇める者欲しさに別の世界を真似て、あんな者たちを創ったのだ」
「では、崩壊しても構わないのでは?」
「私の創り上げたものまで壊されるのは不愉快だ。まぁ、あの大陸から海以外の外へは出られないようにしてある。今は、それでいい」
「今は――?」
なんだか聞き捨てならないことを聞いたような?
私の視線に、彼はふっと苦笑した。
「貴方には無関係だ。事が終われば、貴方は帰還するのだろう? 完全な称号の下、その力を使ってな」
その一言は、とてつもなく魅力的な誘惑だった。還ることは無理なんだと、半ば諦めていたんだからね。
でも、無関係だからと目を逸らすことは、今更できない。
「私にも大事な人たちがいます。私がここを去ったとしても、彼らの幸せが壊されることは許せない」
「ククッ……貴方を選んで良かった。あの傀儡とはまったく違う。案ずるな。貴女の家族という者たちは、私が許容する中に入っている。魔物も私が創ったもの。それに――あの紅い瞳の者たちもだ」
「え……?人族は、許容されないのでは?」
「あれは、人族ではない。あの異端が塗り替えた者たちだ!」
人族じゃないって……でも、ステータスには人族と。じゃあ、本当に魔族だと?
「では、彼らはなんだと?」
声が上ずり、喉が渇く。こめかみの辺りで鼓動と血流がドクドク大きな音を上げている。
ああ、煩い! ちゃんと聞かないといけないのにっ。
「あれは半神半妖族。私が私の力と妖精族とを掛け合わせて最後に創った、この大陸に住まうはずの種族だったのだ。それを、あの愚か者は!」
神と妖精族の……。この世界でいきるはずだった、もうひとつの真の生命。
「これを持ってゆけ。そして貴女の弟子に与えろ。さすれば、己が何者であるか理解する」
ポーンと輝く何かを投げ与えられた。それは、今の私じゃなく眠ったまま微動だにしない私の肉体に向かって弧を描いて落ちていった。
あ、見失う! と焦った気持ちに思わず手を伸ばした時、私の意識は身体に戻って、輝く何かを受け止めていた。
辺りに闇はなく、古の神の気配すら消えた。
私は石の扉の外側に立ち、一面に広がる黄土色の地を見つめていた。
拳の中に、一粒の小さな種。それは紅い光を放っていた。




