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全身が硬直し、立ったままの姿勢で失神している私。
頭の隅で別の意識が「器用だなぁ」と、呑気な感想を抱いていた。その意識が、失神している私を俯瞰で眺めているのだ。
あれ? アズの身体は目覚めてはいないのに、その身体を見つめながら思考している私は誰だ?
暗闇の中、どこにも光源はないのに、なぜ私の姿が見えているのか。
不意に召喚時の不快な闇が蘇り、私は酷く戸惑った。
私は、どこからコレを見てるの?
闇に浮くアズの全身に視線を巡らせ、やはり死体のように動かず瞼を閉じていることを確認した。
私の姿を見ている“目”は、どこに? この闇の中で、どうやって?
「今のAZは、意識体なのだよ。思考するだけの――実体から離れた意識だけの存在だな。だから闇の中でも視えているし、実体を観察できる」
自分の置かれた状況が理解できずに混乱しかけたその時、どこからともなく声がした。
若々しい男の美声だ。でも、若さに似合わない憂いと鬱屈が混じっている。
「意識体って……霊体みたいなものでしょうか?」
私は、その不審な声の持ち主のことより、とにかく自分の現状が気になって仕方なかった。
だって、身体から意識が離れると言われて思い浮かぶのは、死んで魂が遺体から離れる状況しか……。
「間違うな。魂はまだその肉体に宿っているから安心しろ。AZは、その肉体の中で生まれた意識の一つだ。」
「ひとつ……一つってことは、他に幾つか意識が入ってるんですか!? 私の中に?」
なんだか奇妙なことを言われたぞ? 私は多重人格者なのか?
いや、確かにそう言えるかも。
「入っているだろう? 《英》と《魔女》。そして今のAZの三つが。ああ……魔女はもうほとんど消滅しかけているようだがね」
腰に来るようなハスキーバスの声なのに、まったく色気もそっけもない投げやりな口調が惜しい。
その残念さに興味を引かれて、声のする方へと“目”を向けた。
魔性の男がいた。
絹糸のように煌く白銀の長い髪と金色の瞳にアラバスターの美貌を持ち、鋼のような鍛えられた肉体に黄ばんだトーガを纏った偉丈夫が、石の寝台に長々と横たわっていた。
妖精族のそれとは違う種類の美しさ。でも、声と同じくその美貌には、熟し切った後の崩れとでもいうか、完成後の崩壊の始まり――廃退――が見えた。
「私を知っている貴方は、いったい何者?」
ニィッと薄く大き目の唇が吊り上がり、金に彩られた眸が細められた。
うっとりしそうな美貌なのに、背中がそそけ立つ。
「私は、神。古の昔、ここに打ち捨てられた神だ」
「え? でも、神様はもうこの世界から去ったんじゃ……いや、消滅した?」
「ああ、それは私の後継者だ。……クククッ」
なんだって? 神にも子供がいるの!?
古の神と名乗る男は、声を殺して笑う。
「元々は、私がこの世界を創った。云わば創造神だ。しかし後継者に奪われ、ここに幽閉されている。まぁ、アレは世界より、私の神力の方を欲していたんだがね。奪えないと理解したら幽閉ときた」
「女神様も、貴方のお子さん?」
「否。あれはアレの創り上げた傀儡だ。清浄で美しく善良なだけの……女の姿を模した傀儡人形だ」
それは、私の求めていた答えの一つだった。
意識だけなのに、血の気が引いた。失望ではない、落胆と納得だ。
私の中の素は、なんてことない神の造ったお人形だったなんて。だから、せっせと分身を作る流れ作業をしてた訳だ。なんて残念な……。
「では、私の中の魔女たちは、傀儡の欠片の寄せ集めですか?」
「そんなに良いものではない。欠片ではなく、削りカスだな。だからAZは称号に見合った状態ではないのだ」
来た!
私個人の核心的重要事項だ。やはり欠陥称号だったんだー。くそぅ! 調子に乗って、自己紹介しちゃった自分が恥ずかしくなる。
「酷いですね。カス……ですか?」
「是、しかしその称号を与えたのは私だ。墜ちて来る《英》を見つけ、良い機会だと思ったのでね」
「でも、不完全なんですよね? 使えない称号を与えられても……ねぇ」
「それを完全にするのは、AZの仕事だ。己の大事なんだから精進することだ」
「その方法が分からないんですよ!」
段々と腹が立ってきた。
勝手に連れてきて、勝手に魔女にして、勝手に使えない称号を押し付けて、その上に完璧になる努力は自分でしろって!?
今のままでも十分だと思っているわよ! 別に『森羅万象』なんて力が欲しい訳じゃない! このまま、知らん顔で暮らしてやろうかなぁ。
「そのままでいても構わんが、それでは世界が崩壊するぞ? 色々と狂いが生じ始めているはずだ」
「え? 貴方が創ったんでしょう? なぜ崩壊が……」
「私はここに幽閉されて、管理権はアレに奪われたと言ったはずだが? ここに幽閉されている限り、私は世界を維持することはできない。そして、今のAZ―――いや、今の魔女アズでは、私を救うことはできない」
「では私が完璧な『森羅万象の魔女』になれたら、貴方を救い出せる?」
「ああ、確実に」
「では、急ぎその方法を教えてください」
古に神は、とても美しい微笑を浮かべた。先ほどまでの彼とは違う、神々しいまでの笑みだった。




