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その自由を求めて逃走計画準備万端! ってところで大扉が開いて、フィール王子が険しい顔で戻って来た。出て行った人数より多い黒ローブと騎士を連れ、手には誓約書らしき物を携えていた。
「待たせた。これこの通り、そなたの安全を保障する誓約書だ。陛下の印璽も押されている」
王子様が、判決速報の手持幡みたいに上下を持って、契約書を私に見せつけた。
紙ではない何か厚い物に、確かに私の安全保障を約束する文言と違約した場合の罰則に関する文言が書き連ねてあり、最後に王子と国王のサインと印璽があった。
一通しかないこととなぜか見知らぬ文字が解読できることを訝しみながらも顔に出さず、腕組みを解いて日本式に腰を曲げて頭を下げた。
「ご配慮していただき、ありがとうございます。お手数をおかけしました。それはその場に置いて、皆様は壁の方へ下がっていただけますか。私が署名を終えるまで、絶対に近づかないよう願います」
誓約書を地面にそっと置いた王子は、後ろに控えた家来を後ろ手で押すような仕草を取りながら、部下たちと共に壁際へと下がった。
それを見届けた私は、素早い動きで(スウェット上下でよかった!)石舞台の際へ飛び降り、誓約書を拾い上げ――。
「きゃーーーーっ! いやーーーー‼」
突如、私の背後に漆黒の半円が現れ、私は物凄い勢いで引きずり込まれ始めた。いきなり起こった現象に、腹の底から悲鳴を上げる。
「なっ、なんだ!」
「これは!」
一斉に王子一行がパニックを起こすが、その場に固まって立ち往生しているだけで、近づいて救助するような行動に出て来ない。魔法の一つくらいは飛んでくるかと思っていたが、それさえもなかった。
私の全身が、するすると黒い半円に飲み込まれ、完全に私の姿が消えると半円は、またふっと音も無く消滅した。
「一体、何事だ? 女はどこへ!」
「殿下! 近づいてはなりません! 確認は我々がっ!」
「誰が魔法を! いや、魔術か⁉」
「魔力の残滓を追うことは、この部屋では無理でございます!」
騒げー! 混乱しろー! うはは。
黒ローブが数人で、漆黒の半円があった辺りをいざって調べている。
でも、見つからないよ? 無理だよ? 私はもうそこにはいないからね~。
「魔術師長! 探知の魔道具を持て! 早くしろ! 後の兵は、聖女様の部屋の前へ向かえっ。女を襲った者が聖女様をも狙う可能性がある! 急げ!」
「はっ!」
大扉が乱暴に開け放たれ、慌てふためく魔術師長と兵士達が駆け出して行く。召喚の間で探索と警護をする兵を残して、他はすぐに上階へと走り出していた。
その後ろを、私もついて行かせてもらいます。
今の私の姿は【偽装】で黒ローブの一人に装っていて、聖女様に危機が迫っているかも知れないと焦る彼らの気持ちを利用して紛れ込んだ。聖女様の控える部屋へ一直線な使命感は、後ろを走る同僚の顔や人数を冷静に確認できるような余裕なんて持たせてくれないだろう。
地下から地上一階へ到着したところで私はまたもや【擬態】を使って集団を離れ、庭でも裏口でもいいから外に通じる出入り口を探し出して城から抜け出すと、【認識阻害】を展開しつつ【飛翔】した。
上手く成功した逃亡計画にしめしめとニヤけつつ、高揚した気分のまま【飛翔】したまでは良かったんですが。
うわーい! たかーい!
こーわーいーーっ!
いくら魔法を使っているとは言え、単身で空を飛ぶってのは力以外にコントロールって動作も必要でして、自力で飛んでる以上はコントロールも自分でしなくっちゃならない訳だ。
けれど、私は前世界ですら他力(飛行機など)でしか飛んだことないんだから、当然の結果としてフラフラぐるんぐるんとアクロバット飛行になってしまっていた。
ひーーーーーーっ!
身体を水平にしてスーパーマン姿勢なんて頭では分かっているけど、基本的に生活も仕事もインドアで身体能力なんて底辺だし、三半規管も弱いんだよっ。
それに、初めての経験は恐怖が先に立って、こわばった体がいうことを聞かない! だって自力で飛んでるってことは、自力が切れると自然の摂理で墜落するんだよ? 命綱なんてないんだから、怖いのなんて当たり前でしょ! もう! 魔法のホウキでも絨毯でもいいから、誰か助けてーーーっ!
涙目で内心絶叫しながらどうにかこうにか城から遠ざかり、建物の密集地帯から少し離れた小さな林の中へ飛び込んだ。
いや、墜落したと言った方が正しいのかも知れない。
「うがっ!」
それも、他人様の上に。
アクロバット飛行で起こった眩暈も治まり、ハァと溜息をついてこわばった全身から力を抜いた。
無理な筋肉の酷使以外これといった痛みがないことを確認し、そこでやけに尻の下が柔らかいことに気づいた。
「はや、く……どいてくれっ」
「うわっ! ご、ごめんなさいっ」
どうにか無事に不時着したと思ってたら、なんと木陰で昼寝をしてた男性をクッションにしてしまっていたらしい。
男の呻き声に慌てて飛び退り、私の腰を助けてくれた強靭な体の持ち主に目をやった。
どうして気づかなかったんだって? 仕方ないじゃない。慣れない空中飛行に目を回しながらも、どうにか森らしいところを見つけ覚悟を決めて突っ込んだのだ。少しでも木の葉が緩衝材になるようにって、こんもり生い茂った木をめがけてね。
まさかその木の根元で誰かが昼寝してるなんて、まったくこれっぽっちも頭になかったし、ぐるぐるする気持ち悪さに感覚が麻痺してたのだ。避難場所がみつからなかったら、飛びながらマーライオンしてたかもしれないくらい切羽詰まっていたんだよ。
「あのっ、どこか痛めてません?」
「ああ……大丈夫だ」
ぐったりとしている彼のお腹の周辺に手を彷徨わせ、でも見知らぬ赤の他人の男性に触れるなんてできないから、そっとかるーく【回復】をかけてみた。痛いの痛いの飛んでけ~くらいの気持ちで。
それにしても、大きな男性だった。
長身でがっしりとした逞しい体躯に、仕立ての良い白いシャツと薄い革のチュニックを身に着け、ぶっといベルトにダークグレーのボトムと革のごっついロングブーツ。そして、腰のそばに無骨な長剣が鞘に収まって飾り紐のついた剣帯とともに置かれていた。
フィール王子も均整の取れたスタイルだったけど、彼の場合は管理された上位者としてのバランスって感じだった。でも、目の前に横たわる男性は、生活のために鍛え上げた――いわゆる肉体労働者の体躯だ。たとえば、騎士や兵士って感じかな?
魔法はともかく、剣といい王子様といい間違いなく異世界だ。
あー、こんな時代背景の世界なのね。
魔法はともかく、日常から剣を腰に佩いた人がいる世界。
「あの……」
「あんたは、どこから落ちて来たんだ? この木の上に人がいる気配は、まったくなかったはずなんだが?」
日に焼けたのか手入れが悪いのか、煤けた銀髪の髪を掻き上げながら上体を起こした彼は、前髪の間から露わになった鋭い視線を私にとめた。
「空を飛んで」と口に出しかけて、私が魔法を使って空を飛べることは黙っていたほうがいいかもとすぐに思いなおした。
だって、剣と魔法がある世界なのは理解ったが、だれがどの程度の魔法が使えるのかまでは知らない。下手に『空を飛べる魔法が使える』なんて言って、それがある種の脅威だったりしたら大変だ。せっかく逃げ出してきたのに、また逆戻りなんてこともありうる。
「とっ、とにかく眠くって寝てました」
「気配を消して……か?」
「ええ。女ひとりの行動なので、そのあたりのスキルは……」
それはそれで怪しいでしょうね。
現代日本ですら、気配を消すなんて言うのは隠れて行う仕事や作戦についてる人たちだけだろうし。
男は露骨に私を見まわすと、最後は大きな溜息にもらして緊張をといた。
「何をやってるのか知らんが、もっと気をつけろ」
「はい。ご忠告痛みいります」
眩暈も消えてそろそろと立ち上がり、いまだ横になっている彼に一言礼を言うと、私はさっさとその場を後にした。
下手に走ったりするのは怪しんでくれと言っているようで拙く思い、なるたけ急ぎ足で林の外へと足を向けた。
いつまでも背中に彼の視線を感じていた。
でも、振りかえらない。