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「それでね、まだ精査していない残りなんだけど……」


 ラグの編み目を見つめながら、重たい口を開いた。美味しいはずのリンゴ酒で喉を潤したはずなのに、味も香りも感じられない。飲んでも飲んでも、その先から喉が渇く。

 そして、どうしても視線があげられずに、テーブルの木目を睨んだ。


「あのね、リュー……」

「僕はちゃんと最後まで見るよ。これから起こることじゃない。すべて過去に起こったことだ。同じ《赤目の民》である僕が知らないで……誰が彼らを弔ってあげるの?」


 ああ、やはり見当がついてるんだな。最初に整理したのはリュースだし、先ほどの私の考察を聞いていれば、相当な馬鹿じゃないかぎりはおおよその見当くらいつきそうなものだ。

 そろっと顔をあげると、力強くいい切ったリュースの頭をアレクが乱暴な手つきで撫でまわしていた。それを迷惑そうでもあり嬉しそうでもある複雑な表情で払いのけ、また撫でられをくり返して構われている。

 これなら大丈夫だと、リュースの目をしっかりと見つめ返して頷いた。


「分かったわ。最後までちゃんと調べましょう?」

「うん!」


 さて、明日の方針は決まった。

 次はと、足元の毛玉に顔を向けた。

 神獣カーバンクルは、ルードと一緒にアレクの手土産を注いだ小ぶりのボウルに顔を突っ込んで舌鼓を打ち、鼻先をほんのり赤く染めていた。

 額の宝石と鼻先が同じような色に染まって、とっても笑える。


「お爺ちゃん、聞きたいことがあるんだけどいい?」

『ああ、儂の知っておることなら話そう』

「まず、パレストの聖人は知ってた?」

『うむ……ありゃぁのう、本物の邪悪じゃ』


 神獣が、酔いの混じったのっそりとした口調で話し出した。

 出だしから、聖人を邪悪と言い放つだけあって、ろくでもない目にあわされたんだろう。


 神獣カーバンクルは、今のパレストと隣りの小国ルビン王国の国境にあたるトレビル山の中腹にある雫の森と呼ばれる場所で、森の主を長年やっていた。

 それだけに、人族の世界を長い間見つめてきた。

 聖人を初めて知ったのは、ヤツが巡行でトレビル山の麓の村に訪れた時だった。

 小物たちの話しでは穏やかで優しげな顔立ちの人族で、村民の話しを聞いては怪我人や病人を癒して回ったという。それなら森に入って来て魔物退治などしないだろうと思っていたら、その日の真夜中に黒衣の魔術師たちを伴って山中へ現れたのだそうだ。


『儂はすぐに小物どもと隠れてのぅ。何をしに来たんじゃか分からんかったが、あちこちで魔物を捕まえ、木々を倒して帰っていきおった。昼と夜の顔があまりにも違っておったんで、仲間の大半は別人じゃと思っておったようじゃが、儂の目は誤魔化されんかった』


 それきり来なくなった聖人に安堵したが、なんだか胸騒ぎがして独立して森を去った若い衆のことが気になり訪ねて行ってみた。が、そこはすでに荒らされた後で、高位魔獣だった群れの長が生け捕りにされたと聞いて戦慄した。そんな話を、あちこちから聞いていたからだ。


『それから少し経って、今度は魔女を探しておると噂が流れて来おった。儂らは安堵したが、女神様の遣いを探して何をする気じゃと心配しとった。じゃが、これで儂らは狙われんと安心しておったのが仇になった。武神と呼ばれる得体の知れん人族が、禍々しい剣を持って現れてのぅ……儂は瀕死の状態で囚われてしもうた』

「禍々しい剣!?」

『そうじゃ、人の血と魔力を啜ってできておる狂気の剣じゃった』


 パレスト王城の地下には、たくさんの高位魔獣が檻に囚われていた。一匹づつ隣りの広間へと運ばれ、それきり戻って来ない。ああ、殺されているのだと分かり絶望した。死の順を待つ間に、魔術師たちが話すことを聞いていたが、あまりにも非道で魔獣の己が助かる訳はないと思っていたそうだ。


『しかし、儂には女神様が授けて下さった宝珠があった。これが儂の寿命を延ばしてくれてのぅ。彼奴らは魔獣や人から魔力を絞り出して、魔術の試しに使っておったのじゃ。じゃが、この宝珠が魔力を溜めて放出するすべを持っておると知った彼奴等は、儂を生きたまま飼うことにしたんじゃ。その時に、儂は宝珠を授かって神獣と成ったことを知った。神獣は人々に畏れ敬われる。が、聖人は捕らえたことを、試しに使えることを喜んでおった……』

「それからずっと、地下に捕らえられていたのね……」


 お酒を飲み、一つ深い溜息を吐くと遠い目をして話しを続けた。


『儂が魔女ディシリアと会うたのはな、彼女が儂を助けに来てくれたのが最初で最後じゃった。魔女を狩るためにと儂を連れて北の大樹海に向かった彼奴等の前にディシリアは現れ、女神様のご命令じゃと儂を救おうとしおった。じゃが、武神の持つ魔剣が儂から魔力を吸い取り、その狂気の剣にディシリアは倒され、まだ息のあったディシリアから魔力を抜き取り儂の宝珠に……』


「その禍々しい剣とは、こいつのことか……?」


 凍ったように静まりかえった空気を破ったのは、低くざらついたアレクの声だった。

 彼はおもむろに立ち上がると肩口に逆手をやり、何もない背後からあの大剣を抜き出した。

 両手剣なのに軽々と片手で掲げて見せているけれど、それでも肉厚で巨大だ。

 部屋の灯りにギラリと銀色に光る刀身を見上げ、神獣の目が大きく見開かれた。

 垂れた耳が背に向かって伏せ、尾が膨れ震えた。


『おお、おおっ! まさに、それじゃ!! 柄頭に巨大な、鍔に大小いくつもの魔晶石が埋め込まれておる……。鞘には他者の命を喰らう術が編み込まれ――』

「こいつには鞘はない。ロンベルト国王より初代勇者に下賜された時から、こいつは抜身の剣だったそうだ」

『じゃが、鞘がなければ……』


 アレクが何をするわけじゃないと知っていても、その剣の恐ろしさを見て味わってしまっている神獣にとっては恐怖でしかない。

 震え慄く神獣に、アレクは昏く苦笑うと勇者の剣をまた肩口に戻して消した。

 そして、また座り込むとわだかまりを払うようにグラスを一気に干した。

 こうして、なんの罪も犯してはいないのに、罪悪感と苦悩に突き落される人たちが増えてゆく。

 その腹立たしさに、私は眉をひそめた。 


「聖人――大魔導師にとって、その剣がいつまでも邪悪な魔剣じゃ困るのよ。だって、代々の勇者が持つ剣よ? 邪獣を断つ前に、他者の命を啜っては外聞が悪いわ。それに――」


 多分……いや、確実に鞘を手にしているのは、不老不死の大魔導師だ。

 魔女を倒し切ったけど、この先も絶対に現れないとは保証できなかったんだろう。だから、魔女の棲み処がある樹海を危険視し、その国に勇者召喚の陣を進呈した。

 そして、剣だ。


「鞘ありで使われた剣の威力は、作った本人すら脅威と感じた。そんな剣に自分の命を狙われたら?」

「なるほど……それなら、鞘だけは誰にも渡さないな……」


 顔を寄せて声を潜め、アレクに問うと彼は私同様に眉間を寄せて応えた。

 そう、だから抜身の剣をロンベルドに渡したのだ。

 うんうん正解と頷いてみせる。


「だが、それなら剣自体を渡さなければよかったんじゃ?」

「そうは行かなかったのよ。すでに剣はロンベルドの兵達の前で猛威を振るって見せたし、それに剣には勇者の手に渡るように術が仕込まれていた。そうでしょ? アレク」

「あ! そうだ。新たな勇者が召喚されたと同時に、剣はその手に現れる。俺もそうだった……」


 アレクの手にある剣は、確かに通常の剣とは違う魔剣だったけれど、お爺ちゃんの話すような禍々しさは感じられない。

 そんな剣を振り回していたなら、樹海で初めて対面した時にすぐに気づいただろう。それ以前に、ここへは入れなかったはずだ。

 でも、それは《勇者の剣》なのだ。


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