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「初代勇者って…」
まぎれもなく、魔女狩りの原点だ。
やはり、事実上の初代勇者は別の場所――パレスト王城地下――で召喚されていた。彼は日本人じゃなく、別の国か別の異世界の人族だった。
大魔導士は彼を《武神》と呼び、表向きは召喚した勇者の力を試すために、裏では魔女の魔力を奪うために、魔女狩りを強行した。
その頃から、魔女探索と同時に魔女に関する『偽りの噂』を流し始め、その噂の証拠作りのために町や村に裏の者を送りこんで、人的災害を起こして回っている。その災害を収めるために魔女が現れる。そこを、待ち構えた大魔導士と勇者が追い詰める。
そんなことが何度も繰り返され、とうとう初代の魔女は倒れた。
この直後、とても精密な勇者の解析報告がなされている。
単独での魔女退治は、まだ無理と。
この辺りから、表面で活動していた聖人の名が出て来なくなり、ある日唐突に天に還ったと王が宣言する。この後、不老不死の大魔導士が表に出て、王に仕える。
以降、不老不死の大魔導師の独壇場が続いている……。
「はぁ~……疲れた」
凝った首や肩を回しながら冷め切ったコーヒーを一気に飲み干して、盛大に溜息を吐いた。
胸の奥底がしんと冷え、凍り付いてるかのような錯覚に陥った。まだ欠片の悲しみが疼いているけれど、私自身の心にそれはもう響かない。
涙も切なさもどこかへ消え、代わりに湧いたのは同情心だけ。
「女神様って――体、なに?」
あんなに焦がれた相手に、今《魔女アズ》は不信感を覚えている。
否、前からじわりじわりと湧いていたんだ。思慕する欠片たちとは乖離した心の隅で、まだ《英》だった私はとても冷静に理不尽な思いを抱えていた。
ただ、召喚や聖人のことがあったり、《赤目の民》のショックがあったりと、押しに押されて隅で燻っているだけになっていた。
それが今、この情報の山の精査をして、改めて不信感が蘇った。
だって、自分の分身である魔女が次々と殺されてるのに、なぜに助けない? 地上に手が出せないなら、殺される前に次の魔女を応援に送り込めばいいだけでしょう? なんたって相手は召喚者が2人だ。複数がだめなら、家に引き籠らせておきゃー良かったのよ。
初代魔女以外は、本当に短期間で追われ殺されていた。救ったはずの民にまで追われる魔女を……。それを見ていたはずの女神様は、一体何を考えていたのか。
「これじゃ、あの外道と女神様の根競べに、魔女や勇者が……たくさんの人たちが巻き込まれただけじゃないっ! 馬鹿らしい!」
涙が、また頬を伝った。これは女神様に捧げる悲しみじゃない。あの忌まわしい封印の向こうに囚われた、紅い目の人々への悔し涙だ。
……どうしようか。この先をリュースに伝えてよいものか。
重い頭を振って涙を拭い、目の前に散らかった紙の束をそっと纏めて積み上げるとツリーハウスを出た。外はすでに暗くなり、母屋に灯りが灯っているのが見えた。ツリーハウスの灯りも、気づかない内に点いていた。きっとお家君が気を聞かせてくれたんだなぁと、少しだけホッとした。
母屋へ戻るとリュースの笑顔が迎えてくれた。食卓には夕ご飯の用意がされていて、なんとリリアが幼児用の椅子に座って食事を取っていた。
いつの間に、こんな気の利いた物が作られていたんだ。
「ごめーん、遅くなった」
「ああ、いいよ。ルードに頼んで呼びに行ってもらったんだけど、アズはまだ終われないだろうって聞いたから」
私の食事を用意してくれると、待っててくれたらしいリュースも食卓についた。
うおっ! なんとグラタンですよ! グラタン!! でっかいパイ皿に豪勢に具を入れたヤツ!
「リリア~美味しい?」
「うん! あのね、あのねーお芋がねっ」
口の周りにホワイトソースをぺっとり付けたリリアが、盛大に頷いて説明を始めた。マカロニなんてまだ作ってないから、板パスタを細長く切った物が入っている。
料理上手な男子バンザイ! さすがは薬師見習いだわ。手先の器用さと要領の良さがいい風にでたな。
リリアと二人でフォークの先に芋を刺して互いににっこり。そして口へ運んだ。
「色々、分かって来た?」
「うん……分かったこともあるけど、その分の謎が新しく増えて来た……」
コンソメに近い透き通ったスープを一口。ほう~。マジで空腹だったことに、お腹の方が先に気づいたって感じ。
「食後に、皆の前でまとめたとこまで報告するわ。神獣様の話しも聞かなきゃならないし」
「うん。ちょうどアレクも来るそうだから」
「じゃ、アレク待ちで」
遅れ気味になっているリリアの食事を助けて食べさせ終えると、後かたずけは私が承った。その間に、リュースとリリアにお風呂を勧め、食器洗いとお酒のお供をちょいっと作る。ピクルスやディップを皿に盛って、パンを薄く切ってラスクに。
とたとたと可愛い足音を立てて、湯上りほかほかリリアが居間へ駆け込んで行く。リュースがコーヒーを届ける際に購入してきた女児服が、また素敵で可愛いのなんの。
なのにだ、眠る時はリュースのお下がりの寝着じゃないとぐずるのが、また皆の心をキューンとさせる。それを見て困った顔で苦笑いするリュースに、お姉さんは再度キューンするんだがな。ほほほ。
いつの間にか居間の家具の配置が変えられ、暖炉前を中心にクッションとソファが囲んであった。つまみと果実酒をラグの上に運んだ頃には、リリスはベッドへ移されてぐっすり眠りへ落ちていた。そっと掛け布を直してやり、防音機能付きの結界を張ってやる。
そこへ、やっぱり酒瓶土産のアレクが訪れた。
「では、今日のまとめ分をお話ししましょ」
箇条書きした紙をアレクとリュースに渡して、話し始めた。
パレスト王国が聖人を召喚したところから、表では聖人として国中を慰問巡幸し、裏では大魔導士として召喚術の実験を行っていたこと。それが、《赤目の民》にも関わる非人道的な実験で、最後には仕組みを解明し、別の召喚陣を作り出したこと。
そして、《武神》と呼ぶ初代勇者をパレスト王城地下で召喚し、魔女狩りを始めたこと。初代魔女が武神と大魔導士に魔力を奪われて殺され、その時に勇者の力は魔女に劣ると評価されたこと。
「……初代の勇者は、パレスト産か……」
「真っ当な勇者は、アレクたち三人だけよ」
南部のお伽噺のもとになった召喚者だけど、神が遣わせた救世主じゃない。
あれは、狂人の《武神》だ。




