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「帰ろう…リュース」


 拳を握って立つリュースの背から、怒りと無念の思いが魔力となって湧き上がるのが見えた。この光景の端から端まで焼き付けるかのように、紅い双眼が巡らされる。

 彼の顎先からしたたり落ちた雫が、乾き切った地面にぽつぽつと黒いシミを作ってはすぐに染み込んでゆく。


「全部終わったら、ここを浄化しに来よう。あの忌まわしい赤錆を滅して、綺麗なお墓を作ってあげようよ。ね?」


 ふっと力が抜けて逆巻く魔力の流れも止まり、泣き顔のリュースが頷いた。


 家に戻ったその夜から、リュースは高熱を発して寝込んだ。


 ルードが戻ったのは、それから数日たった真夜中だった。

 居間の暖炉前に蹲るように座っている私の姿に驚き、私を含めて家の中の雰囲気がいつもと違うのに気づいたのか、黒猫の姿で翠色の目を細めて小さな頭を私の背中に擦りつけて来た。


「お帰り。首尾は?」

『なにがあった? お前さんもだが、リュースの気が震えている』

「……今はまだ、許して。リューが元に戻ったら話すから。だから、リューを黙って慰撫してあげて」

『ああ。……悲しい涙の気配が流れて来る」


 少し雨の匂いがする黒い毛並みを撫で、酒のつまみに用意していたチーズを一切れ分けた。


「それで、なにか聞けた?」

『――パレストの王城奥に、神獣が囚われている。そいつがあの辺りで一番の長生きだそうだ。俺よりも長い間、視ていた者らしい』

「なら、助けなくっちゃね。どんな神獣なの?」

『やつはカーバンクル。奇跡の宝玉を額に持つ陸竜だ』


 私は眉間に指を押し付けて、魔女の記憶をさらった。

 カーバンクルって宝石の名前だよね? 向こうの世界では、ガーネットの一種で別名がザクロ石って言われる濃紅色の宝石だったはず。もしかして、その宝石が額に埋まってる神獣?――駄目だ、記憶にも知識にもない。

 しかし、面白いものね。あちらとこちらで同じ単語があるなんて。一方は神獣の名で、もう一方は宝石の名。無関係かと思えば、そうでもなさそう……。


「竜って……。そんな大きな魔獣をあのお城で?」

『いや、ジャバウォックなどより小さいぞ。俺と正反対に、本性は俺ほどの大きさで小振りにも巨大にもなれる。全身が白い体毛に覆われていて、神々しいまでに美しいそうだ』


 ジャバウォックと言われて頭の中に浮かぶのは、『龍』に似た胴体の長い竜だ。頭に反った長い角を生やし、背に羽を持つ。

 しっかし、ジャバウォックの知識はあるのに、なぜカーバンクルの情報がないんだっ! 昔の魔女たちよ! 君たちと同時期に存在してた神獣だぞ。それも神々しい美しさだと。もっふもふなんだぞ。

 よし! もっふもふを優先決定!


 ルードの添い寝が効果あってか、リュースは数日で復活した。

 発熱はショックからくる知恵熱みたいなものだったようで、一晩ゆっくりと眠ったら下がった。

 ただ、精神的な疵がそう簡単に消えてなくなったりしないのは、私も身を以って経験している。ぼんやり思いに耽っている時間が長く、私が声をかけると縋るような祈るような眼差しを向けて来た。

 早く真実が知りたいのだろう。自らが受けた仕打ちじゃないけれど、あの光景は生き残った者にとっては死ぬより辛い。


「なぜか、気づくと自責の念に駆られるのよね……」


 生き残っている自分を、死んだ者たちは羨んでいるんじゃないかとか、逃げたんじゃないかとか。すべての元凶は、加害者である相手なのに、だ。

 だから、早く知りたくなる。

 何が悪くて、何が起こったのか。


 神獣カーバンクルを救助する計画を練っている最中に、酒瓶を片手にアレクが訪れた。

 本人は土産と言い張るが、ほとんど自分のお腹に納まってしまう物を土産というバカの言い分は無視して、私とリュースはコーヒーを飲みながらアレクの向かいへと腰を下ろした。

 王様のごとく三人用のソファを陣取って盃片手に私たちを見回すと、いつもとは違うとてもシビアな表情で話し出した。


「この国とフェルンベルト王国にある召喚陣は、大昔パレストの魔術師が授けてくれたって話だ。なんでも、そのまた昔、魔女退治をする際に両国が兵を出してくれた礼だってな。フェルンベルトは魔の災いに。うちは邪獣の害に困り果てていたからな」

「パレストの魔術師って……」


 パレストの魔術師といわれると、リュースが話してくれた《赤目の一族》に伝わる聖人の逸話の中に出てきた、あの嫉妬深い殺人犯を思い出す。


「パレストの連中が、不老不死の大魔導士と呼んでいたらしい。国王二代に仕えてたって話しだが、どう見ても20才に足りない容姿だったと機密文書に書いてあったそうだ」

「ふ~ん。不老不死の大魔導士ねぇ……」


 嫉妬のあまり《赤目の》従者を殺すような小物なヤツと、不老不死なんて大した能力持ちのすごい大魔導士とじゃ、人物像がまったく重ならない。

 それに、なんだろう……話を聞いた途端、頭の隅がしびれるように痛みだした。チリチリとした刺すような痺れは、こめかみを通って背中を滑り落ちて行った。

 恐怖? 恐れ? ――怒り?

 私の? 魔女たちの?

 大魔導士なら、私の仮の職業も同じだぞ。でも、それを見てもなんともないのに……。


『どうした? アズ』

「よく分からないけど、魔女の記憶に障りがあるみたい。嫌な気分になったの」

「大魔導士のこと、覚えているとか?」

「――思い出そうとしても、思い浮かばないの。知識にも……ただ、物凄い嫌悪感……憎悪……」


 勝手に走り出す鼓動に、胸を押さえて深呼吸を繰り返した。

 たぶん、不老不死の大魔導士に関するなにかを覚えているんだ。私には分からないけれど、私の中に混じっている欠片が。


 ――アズ、大魔導士なら知っているよ。


 お家君の声が、不意に響いた。

 いつもの朗らかさは消え、抑揚のない声だ。


「ええ!? ここに来たの?」


 ――魔女がいない時に、僕を壊しに来た。


「それで? どんなやつだった?」


 ――僕の結界の中は【神域】だからね。この地上では、どんな攻撃も傷ひとつつけられないよ。彼は、無言で攻撃してきたよ。長い時間を費やしてたけど、最後は諦めて去って行った。彼の姿は、薄い茶色の髪と黒い目……年の頃はリューと同じくらいに見えた。


「ああ……」


 そいつなら知っている。パレストの聖堂に貼りついていた。

 ステンドグラスなのに、穢れなき慈愛の微笑みを浮かべた聖人様は美しかった。

 でも、あれは嘘の顔。あの顔は仮面だ。

 私の脳裏で大魔導士と聖人が繋がった瞬間、まるで縛った鎖が飛び散るみたいに真っ黒だった記憶映像が鮮明に蘇った。


 焼け付くような痛みが脳内を走り、一連の記憶映像を呼び起こした。テーブルに伏したまま、落ち着くまでの間を必死に歯を食いしばって耐える。無垢材の天板に無意識に爪を立て、どこかへ連れ去られそうな気持ちに抗う。痛みが去っても、息が詰まって確かな呼吸ができない。


「アズ!!」

「だい、大丈夫っ……少しま、待って」


 食い縛った歯の間から、呻き混じりに応える。生理的な涙と乱れた呼吸に、開いた口角から唾が流れるけれど、それを拭う余裕なんてない。

 こんなのは平気。あの時の魔女の絶望を知った――あの激痛よりも耐えられる。


『もう、現れないでよねぇ。僕はゆっくり眠りたいんだからぁ。でも、また現れたら容赦しないからねぇ。僕は寝起きがサイコーに悪いんだからぁ。覚えておいてぇ』


 痛い痛い痛い苦しい苦しい泣きたい泣きたい泣きたい痛い痛い痛い。

 女神様(フェルディナ)、ごめんなさい……。


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