26
キラキラと美しい光を大聖堂の床に注ぐステンドガラスが嵌めこまれた窓。色とりどりのガラスは、大半は女神様の姿を描いてあるが、いちばん端には何人かの聖人がいた。
私は目を凝らして、クリス君の指の先にあるステンドガラスを見上げた。
濃い茶色の短い髪に乳白色の肌……黒に近い眼。
だめだ、人種を判別できるほどの特徴はない。ただ、こんな大聖堂を思いつくのは、やはり欧州かな? でも、日本人でも教会は知ってるし、建築学科の学生なら図面を引いたかもしれない。
まぁ、いいか。どこの国の人間でも。あちらから来たのは間違いない。
「聖人様のお名前などは、公表されておいでなのですか?」
「真名となりますので、永久に封印されております」
「あら、それは聖女様や勇者様方とは違いますのね」
「はい」
それを最後の質問にして、後は廊下越しに施設を案内されて終わった。
さて、欠けたピースを回収に行くとしますか。
働きものの蜘蛛たちが頑張って広げてくれた王城内&教会内の平面図は、今も着々と更新されている。必要な情報はすでに記されているから、焦りはないけどね。
真夜中、自分に聖域結界を張り、迷彩マントを羽織って書庫の前へ。開錠して入って行くと、そこはまだ何の警備策はない。問題は、奥にある禁書庫だ。
鍵じゃなく封印と結界の罠。大司教以上の聖職者しか入れない、その扉すら見ることはできない部屋。
【森羅万象の理よ 我が声を聞け 我が眼に応えよ 我が肉を通せ】
【開 門】
人のなせる業など魔女の前には塵芥も同然。私は森羅万象を視て・知って・遣う者。
私の詠唱に応えるように、秘匿された封印と結界の前に黒々とした穴がぽっかりを口を開けた。
人ならざる者しか使えない門。
リュースの隣りに、なぜか黒猫ルードがちょこんと座っていた。いや、隣りとは違うか。リュースの斜め前のテーブルの上に、だ。
ごく日常なら説教するのだけど、二客しかない椅子を私が座ればルードが使えないのだし、仕方ないかと見ない振りをした。紅色の双眼と翠色の双眼が、同じ高さで揃って私を見つめている。
「用心棒なの?」
ここは王都の借り家の一室で、リュースから転移して来たと王城の私宛に伝文が届いたので、急いで来てみた。丁度、【転移】付与した腕輪を渡そうと思っていた所だったからタイミングが良かった。
魔女の遺産の中に入っていた腕輪が、見た目地味だが有能な魔道具だと気づき、それをリュースが使えば煩わしいことも減るだろうなんて考えで出してみた。
一度腕に嵌めたら本人にしか外すことはできず、魔力を流せば勝手に認識阻害が働いて目立たなくなる。それに、他の術も付与するために、新たな魔石をセットする窪みが飾り彫りの体をして用意されているんだ。その一つに【反射障壁】を付与しておいた。
それにしても、ルードだ。
「帝国はともかく、パレスト行きは気が乗らない風だったじゃない?」
『あれは、馬車で行くのが嫌だっただけだ。小型に変化しても馬どもは勘が鋭いから荒れる』
「なるほどね。で、用心棒なの?」
『それも兼ねてだが――――ふんっ』
要領の得ない返事に視線をリュースに向けると、彼は肩を竦めて苦笑した。
「断言はできないらしいんだけど、なんだか神獣が窮地に陥ってるみたい……だって」
これまた意外な答えに、再度ルードに目を向けた。
小さな頭をあちこち向けて、まるで犬が残された匂いを嗅ぎ分けているような素振りを繰り返している。艶々の濡羽色の被毛も心なしか逆立って、髭が全開で四方へ立っている。
『どうも良く分からん!確かに神獣の気配だが、小型に変化してるらしい上に人の気配も混じっていて判断がつかん』
投げやりな口調で言い放つと、床に降りていきなり巨大化し、目を閉じた。狭い部屋だけに、リュースに顔を向けると、背景が真っ黒なもふもふになる。淡い色合いのリュースだけに際立って、まるで高級な毛皮のソファに寄りかかっている様に見えた。
似合うー。どこかのお貴族様の子息だ。むっさい騎士野郎ばかりを見ていたせいで、リュースの儚い美青年風情が目に嬉しい。眼福なり。
「面白いわねぇ。神獣なのか分からないのに、窮地に陥ってると感じるなんて」
『神獣の魔力は特別な波動を持っていてな、それの揺れ具合で神獣同士は色々と通じ合っている。俺がお前さんに助けを求めて大樹海へ向かったのも、俺の揺らぎを感じた海の神獣の助言があったからだ』
「海の神獣……会ってみたいわー」
『レヴィアタンは気性が荒くて獰猛だぞ。竜族だが、陸や空の竜より難しい相手だ。なにしろ人族嫌いだ』
え? 海にも竜がいるの? ……あれ? 魔女の知識に、そんな名の神獣はいないんだけど。あーそう言えばルードのことも知らなかったなぁ。
私って『森羅万象の魔女』なんだよね? なら、あらゆる事を知ってるはずなんじゃないのか? おっかしーなぁ。
「……怖いなら、無理に会わなくてもいいや。なにが切っ掛けで喧嘩になるか分からないしね」
『賢明だ』
「まぁ、なにかあったら呼んで? 手助けできるなら手を貸すから」
『その時は、頼む』
私とルードが話し込んでる間に、リュースがお茶の用意をして待っていてくれていた。街へ買い物には行ったらしく、変わったお菓子なんかを出してくれた。それを堪能しながら、腕輪をリュースに差し出した。
「これは【転移】と【反射障壁】が付与されているんだけど、【転移】はリューの魔力の量だと短い距離しか移動できないの。だから【反射障壁】を有効利用しながらの緊急避難や、門の外からこの家までの移動くらいに使って。ただし連続使用はしないでね。魔力枯渇で倒れるから」
「うん。ありがとう。【偽装】も常時使ってるから、魔力量には十分気をつけるよ」
大事そうに腕輪を撫でるリュースに、思わず微笑む。ルードもいるなら、大丈夫だろう。
「ところで、どうだった? 聖人様の情報は」
「見つけたけれど、精査はまだこれから。表向きの説明は筋が通って聞こえるんだけどさ、それだけに切り取って隠されてる部分が見え隠れしてて、お話を聞きながら遠慮なく突っ込みたい気持ちを隠すのが大変だったわよ。その分、夜中の探索は思い切りやったから、色々集まったわよ~。大量過ぎて精査は家に帰ってからね」
昨夜の侵入で入手した物は、あまりにも膨大過ぎた。抱えきれないほどの巻物や書物に、欲しい情報が散らばっていたのだ。片っ端から写し取る作業だけで夜が明けた。眠い……。
でも、この作業で【範囲転写】を覚えたから苦労の甲斐があった。これなら北の国での情報収集が捗るわ。
しかし本当に、森羅万象の魔女って名乗るのが恥ずかしくなる体たらくだわ…凹み。
その日は、リュース達と今後の打ち合わせをして城へと帰った。城内や教会施設の探索は、もう蜘蛛たちに任せて表の日程をこなすことにした。
パレスト側は外出に関しては全く干渉して来ず、野郎どもが夜の街へ繰り出して深夜帰城するのにも目をつぶってくれた。まぁ、アレクは半分が護衛のようなもので、公式には外交官たちが主役だからグレンとチャイルスが城にいてくれれば構わないのだろう。
私とリアンは、思い切り二人で観光と買い物三昧で過ごし、目新しい物にキャッキャウフフしといた。
どうせこれから当分は、殺伐とした日々が続くんだ。
五日の予定をこなし、今度は真っすぐ帰路を辿る。
野郎だけの旅だったなら、アレクになんとか理由を作ってもらって王都で別れたんだけれど、女の子のリアンを一人残すのは絶対に許せなかった。
だって、グランバトロに着いたら、アレクの十番目になってました~なんて許せる訳ないじゃない?護衛の騎士君たちは、それぞれ婚約者や恋人がいるらしいし……。
馬車に揺られて、えっちらおっちら帰りました。




