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二話目。
私の名は、神無月 英。『英』と書いて『あずさ』と読む。
母のお腹の中で産科の先生に男児と間違えられて、『英』って名前を用意されてた女児が私。せっかくだからと、『あずさ』と読んで出生届を出された。
職業は、某企業の商品開発部所属の研究員で、御年三十一歳の独身。
祖母から譲り受けた私名義の一軒家で、一人生活を楽しんでいる。親戚は存在するけど他人より遠い縁のため、なんちゃって天涯孤独。
私の家は名のある資産家で、父は本家当主だった。私はそこに一人娘として生まれ、両親と少し離れたところに住む祖母に蝶よ花よと育てられた。
そんな生活も、大学受験の合格発表の日に終わりを告げた。
母とともに合否を確認し、キャンパスまで迎えに来た父の運転する車で合格祝いのためにレストランに向かう途中だった。
両親と私が乗る車の上に、強風に煽られた大型クレーンが倒れてきた。両親は即死だったが、私は重傷を負いながらも九死に一生を得た。
渋滞の列の中、なぜ我が家の車だったのか……。
この時ほど、運命を恨んだことはなかった。その後に起こった家督争い。この時ほど、神様を憎んだことはなかった。
加えて、自分の心の弱さを呪った。
残された私のために祖母と顧問弁護士は頑張ってくれたが、ショックと過労がたたって倒れた祖母が亡くなった途端に、叔父が未成年後見人という立場を振りかざしてすべてを奪い取っていった。
長い闘病生活をおえた私に残されていたものは、祖母が住んでいた別邸と両親名義の預貯金や保険。事故の賠償金と保険金。
そして、新たに手に入れたのは、トラウマじみた人間不信と野生の勘並みに働く警戒心。
血の繋がりなんて他人以上にあてにならないことを知って世の無常を覚え、私は大事な思い出以外のほとんどを切り捨てた。
煩い親なんていないからお買い得よ? と宣伝したいけど、私本人はまったくその気はない。煩わしい柵もなく、好きな道を歩みながらゆったりと暮らしてゆくだけの家も貯えもある現在が、案外一番幸せなのかも。
休日にスウェットの上下に着古したジャケットを羽織っただけの格好で、夕食用の揚げたてコロッケが入った大型のエコバッグを肩に抱えなおした。
もうすぐ見えてくる我が家に向かって急ぎ足で帰る気ままな生活は、今はもう手離せない小さな幸せだったりした。
そんな気分は、大通りから住宅地に伸びる生活道路を歩き出すまでだったけれどね。
夕暮れ時の閑散とした住宅街の小道は、妙に人通りがなかった。
私の前方に、母校である女子高の制服とコートの背中が目に入った。不意に現れた人の気配に女子高校生は顔をこわばらせて振り返り、私を見てホッと安堵した様子がうかがえた。
夕日に照らされて見えた横顔は、これじゃ防衛本能が働いても仕方ないねってくらいの美しいお嬢さんだった。
大丈夫。後ろはお姉さんが見守ってるよー。なんて内心で呟きながら、美少女の後ろ姿にほのぼのしてたその時の私は、あまりにも無防備だった。
主に、足元付近に対して。
でも、ほんの数秒前にはなかった落とし穴になんて、誰だって注意をむけられるはずはない。それも、いきなり足下に現れた穴になんて。
◇◆◇
穴の先には、悪の組織みたいな黒いローブの集団と煌びやかな王子様がいて、私と一緒に召喚された美貌の後輩は『聖女様』と甘い声で呼ばれている。
そして、私だ。
ただ今視界一杯に展開中の、他人様には見えないらしいタブレットに映し出されている文字の羅列に圧倒されながらも、必死で理解しようと努力している最中だ。
とは言え、あまりにも馴染みのない数々の文言は、とにかく私を混乱させた。
ひとつひとつ詳細をポップアップさせて読み込み、コレが私に与えられた魔法という能力だと頭に刻み込む作業に必死に取り組んだ。
ことに『スキル』と書かれた項目の、枝分かれした部分が物凄い勢いで変化中なのにはまいった。それが止まらないことには、何が何やらだ。
それ以上に目をくぎづけにしてやまないのが、『称号』と『年齢』の欄ですよ。
称号の欄には異世界転移者と書いてあるが、その隣に角括弧で区切られた内容が意味不明だ。それも、他の文字よりいくぶん薄い色なのが気になる。
[森羅万象の魔女]
って、何者? 誰? 私?
そして『年齢』が556才って‼ もうね、いくら何でも上にサバの読み過ぎでしょう! それもさ、サバを読んでるのが私自身じゃないってのが、凄くイヤ!
「アズか。して、そなたは何者だ?」
「殿下! 危のうございます! もう少しお下がりを!」
フィール王子の問いかけと被るように割り込んだ注意勧告の叫びに、私はハッと我に返って王子に視線を戻した。
「何者と訊かれても……人間としか。気づいたら彼女と一緒にここにいましたが、何をされたんですか?」
いやに冷たい碧の眼が、得体の知れない物を見るように私の全身を睨め回してきた。
なんだっつーの! その目はっ。
聖女様と私を見る目が、まったく違うのは何故だ。私だってか弱い女性だぞ。
とはいえ、まぁ確かにフィール王子やアンナちゃんよりずっと年上だろうし、彼女と比べたら平べったい地味顔だしぃ? 休日の買い物だったから、うっすいメイクしかしてないしねぇ。
王太子なんて立場の人から見たら、私なんてアンナちゃんと同族なのはわかってもらえても同じ身分の人間とは思えないかもねぇ。その上、私の身につけてる衣装が、あの清楚な制服とは対照的なグレーのスウェット上下にやはり地味なカーキ色のジャケットだもん。平民と比べても男が着るような衣装の私は、とってもおかしな身なりをしている女に見えるだろうね。
この世界に召喚される聖女様ってのがどんな女性なのかは知らないが、私とアンナちゃんのどちらが聖女かと問われれば、誰もがアンナちゃんを選ぶだろう。
それにしても「危ない」ってなんだよ。アブナイのは、あんた達だろうが! 人を勝手に攫ってきておきながら、危険物みたいに言うな。
私は内心の憤りを隠し、目に力をこめてじっとフィール王子の眼を睨み返していた。
私の眼力があまりにも強かったからか、フィール王子は睨みあいに負けてわずかに視線を逸らした。
「これは聖女様の召喚儀式だ。我が国のために魔を払う、異世界の聖女様が必要だったのだ」
やはり憶測通り『聖女召喚』だった。
しっかし「我が国の」ってのは何? この国だけ魔に侵されてるの? それは、こんなことしてるからじゃないの? 異世界から女の子を誘拐するなんて、まさに女神さまの罰があたっても不思議じゃないと思うけど?
「では、私も聖女なのでしょうか?」
「いや、召喚される聖女はただ一人。聖女の称号も一人しか持てん。そして、代々の聖女は幼子だ。そなたではありえん。一度の召喚術に、二人も異世界人が召喚されたことも前代未聞だ」
おおー。きっぱり否定されましたよ。違うのはすでに承知してますが、女子高校生を幼子ってどーゆーことかしら?
確かに我々日本人、ことに女性は成人していても海外の人の眼にはハイティーンやローティーンに誤認されたりするとはよく聞く。でもって、どう見ても私よりアンナちゃんのほうが若く見えるだろう。事実だしね。
でも、彼らの言う幼子ってのは、いったい何歳くらいの子を指すんだろうか……。
幼い聖女をご希望って、ロリ……じゃないよね!?