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宿はさすがに商業の国の都だけあって、ほとんどの泊り客が商人だった。それだけに宿の従業員のサービスは徹底しているし、心地よく安心して泊まることができた。
次の日、早朝の食堂は商人たちが溢れていて、私たちは朝食を部屋で取らせて貰うことにした。
その朝食に付いてましたよ! フォマージがっ! うすーく切られて、バターが塗ってあるパンに乗せられていたよ。間違いなくチーズだった。
「あーこれで、ちょっとだけ焼き目がついてたらなぁ」
と呟いてみて、でも速攻自己解決。自分で魔法を使ってさっと炙ればいいだけだった。
『これは! バターとはまた違う旨さ!!』
黒い子猫がとろりと柔らかくなったフォマージにかぶりつき、恍惚としている。
どうしよう。ルードまで私並みの食いしん坊になりそうな予感がする。
「美味しいねぇこれ、私のいた世界ではエメンタールって名で、煮溶かして色々な食べ物に絡めて食べたりもするんだよ。通称穴あきチーズって言うの」
薄く切られたフォマージには大きな穴がポコポコ開いている。それを火で炙って穴を塞いでチーズトーストだ。
フォマージを無心でパクつくルードを見下ろし、当初購入予定だった量を考え直さないとならないなぁなんて幸せな悩みにひたった。
バターもフォマージも、本日訪ねるお店に置かれている。私の持つインベントリは、時間が停止した空間だ。どれだけ入れてもどれだけ時間が過ぎても、まったく腐ることはない。その上に無尽蔵な収納量だ。
だからって、入れっぱなしもなぁ。
さて、朝食を終えてゆっくり食後のお茶を楽しんだ後は、朝市と観光、それにフォマージを購入だ。
宿の受付で朝市の立つ通りを教えてもらい、ルードと共に向かう。通りを折れたその先には、ありとあらゆる色と匂いと形が溢れ返っていた。
ルードがまたバッグに避難して、鼻を押さえながらもきょろきょろしているのに笑った。神獣様だった頃は、私と同じように長年巣に引き篭もっていたらしい。そして、ときおり訪れる他の魔獣や鳥たちが、世界情勢を教えてくれたりしてたようだ。
私よりは物知りだけど、実際に自分で経験するのは刺激的だろう。
「あれなんだ?」「これは何?」と二人であちこちの露店へ突撃しては値切ったりおまけを付けてもらったりと買い物を楽しんで、ホッと一段落着いたその目に何とも言えないイヤーな光景が目に入った。
小さな露店を傭兵崩れ風体の男たち数人が囲み、商品を乗せた木箱を蹴ったり、売り主らしき小柄な青年を小突いたりしていた。青年は身を伏せて必死に商品を庇い、声を荒げることも逃げ出すこともせずに堪えている様子だった。
気づけば私はそこへ歩み寄り、男たちの後ろからそっと低い殺気を篭めた声をかけていた。
「あんたたちは、何をしてるの?」
指先を回し、無言で魔力を彼らの腰のあたりに飛ばす。
「なんでぇ? ネェチャン、なんの―――うわぁっ!!」
男たちのズボンが一斉に腰から落ちた。並んだ汚い尻の見本市。
ズボンのベルトを剣帯に代用してるバカもいたせいか、ガシャガシャと武器や財布袋も一緒に落ちて耳障りな音をたてた。
泡を食ってズボンを引き上げたり落とし物を拾ってコケたりと忙しい連中を、朝市に来ていた客たちが観客と化して大爆笑の嵐だった。
「く、くそぅ! 覚えてろよ!」
「何を? 私は何もしてないんで、早く忘れるわ」
切れたベルトを押さえて、捨て台詞を残して走り去って行くバカに応えて、また周りがどっと沸いた。どこの世界も捨て台詞が同じって……チンピラのテンプレは異世界共通なの?
「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございました」
「そんなつもりじゃなかったのよ。ただ、商品が気になったから、ちょっとどいてもらっただけなの」
あら? この子も紅い瞳持ちかぁ。
差別や虐待されるって聞いてはいたけれど、本当に大変だな。
どんなに国がそれを禁止事項にしても、末端で行われる違反は消えない。それが善悪からきているのではなく、心理的なものからうまれているから。
それにしても……箱の上の商品が、私の目を捉えて離さない。
「これ……」
「ああ、これはココの種を干したものです。削って粉にして薬として飲みます」
「薬?」
「はい、眠気覚ましや疲れ取りなどの効果があります」
この世界じゃ、『ココ』って名前なのね。
私の目が確かなら、それはどうみてもコーヒー豆だ。
それも焙煎前の生豆。陰干しじゃなく天日干しにしてあるからなのか、少しだけ皺が寄っている。薬としての効果も、コーヒーのそれだ。あちらの世界でも、始めは薬として使われていた歴史があるし。
「ねぇ、干してない生のココってある?」
「あ、はい。ありますが、ここには持って来てないんです……。それにしても何に?」
私の顔が、すごく真剣だったんだろう。店主の青年は、あからさまな困惑顔で見返して来た。
「飲み物を作るため!」
「え? ……干す以外の方法で、お茶にできるんですか!?」
「うん。ちょっと癖があるけれど、香りはとってもいいのよ」
「あの! できたら、その方法を教えてください! 里に帰れば生の種はたくさんあります!」
「では、あなたの里へお邪魔するわ。私は旅の魔導士アズ。あなたは?」
「僕はリュースです」
薄い紫の髪の青年が、期待に頬を染めて微笑んでくれた。紅色の双眸が、朝日にキラキラと輝いていた。まるでガーネットの様な美しさだった。
さっきの騒ぎもあってか、露店には近づかないけれど、私たちを遠巻きに眺めている人々。連れに耳打ちをしながら、さっと視線を逸らして人込みへ消える人や、興味と憐れみの混じった苦笑を浮かべて見ている別の露店主。
そんな嫌な視線は、彼の笑顔で帳消しになった。
もう店仕舞いして帰ると言う彼と門の案内所で待ち合わせることにして、私は最大の目的だったフォマージを入手に向かった。
お店はドミさんご紹介だけあって広くて清潔感があり、店員も親切丁寧な営業をする気持ちの良いお店だった。そこで、やはり丸い大きなフォマージを三つとバターと生クリームを一瓶買った。買い物の間バッグの中のルードが鼻を引くつかせていたのには参り、しまいに味見用の小さな塊りをいくつか頂いてしまった。
満足そうなルードに、店員さんたちが「カワイイ」の合唱。こしゃくな奴め!
あいにくと支店はないそうで、申し訳なさそうな女将さんに手を振って、また来ることを約束して店を出た。
観光はいつかねーって言うか、チーズにコーヒーと来たら、もう観光なんてどうでもよくなる。途中で、昼食用に屋台の焼き串とパンの肉詰めを購入して、ホクホク顔でリュースの待つ案内所へ足早に向かった。
「あれ? リュース!」
彼はまた男たちに囲まれていた。今度は門の衛兵だ。
なんで? 兵隊さんまで差別? 罰金発生するんじゃなかった。
「――違います!だから、ちゃんと薬だと!」
「薬とは聞いた!!だが怪しい薬だ――」
「リュース、どうしたの? 何事!?」
案内所の前で門兵三人がリュースを囲み、その中の一人が彼の胸倉を掴んで怒鳴っていた。他の二人もリュースの逃亡を阻止するために、剣の柄に手をおいて左右を固めている。
「アズさん……」
「なんだ? お前も関係者か!?」
「ちょっと待ってよ。一体何があったの?」
「こいつは前に怪しい薬を売りつけたんだ。今日も売っていたと報告があって尋問している所だ」
怪しい薬って、コーヒーのことかな?
「前に売ったって、その時、効能をちゃんと説明したんでしょう?」
顔色を失って震えるリュースに、前回の商売に関して確認する。
「はい、しました! 眠気覚ましや疲れが回復すると!」
私の問いかけに、リュースは胸倉を掴まれながらも正直に話してくれた。それを聞いた門兵達が顔に怒気を滲ませた。
「眠気が覚めるどころか、その日一日眠れなくなったんだぞ! そんな薬は怪しいに決まっている!」
「……バカじゃないの? お茶やお菓子じゃないのよ? ココはね、薬なの。ポーションや回復薬と同じように、人それぞれ効きの違いがあるのよ。少し血の巡りを良くして気持ちを高ぶらせて、眠気覚ましや疲れを回復する効果があるの。慣れてない人は、効果が少し長めに続いたりするの! 一日続くくらいは通常効果よ。それとも、あなたはまだ効果が続いてるとでも?」
「いや……言った通り、その一日だったが。お前は薬師か?」
私が胸を張って自信満々に効能の説明(ちょっと嘘含み)を、立て板に水のごとく喋ったことで、男たちは一気に怯んだ。
……なんで、リュースまで一緒に!
「魔導士よ。もちろん薬も扱うわ! さ、離してちょうだい。私の大事な弟子を!」
『おいおい。弟子とは……』
『うっさい! ちょっとした白い嘘よ』
いまだにリュースの襟を掴んでいた門兵の手を勢いよく払いのけ、リュースを引いて私の後ろへ庇った。睨みつけながら、軽い【威圧】を放ってやる。
「わっ、分かった。だが、もう街で売るのは禁止だ。今度見つけたら、罰金を取るからな!」
門兵たちは舌打ちして自棄気味に警告すると、詰所へ足早に戻って行った。
みるみるリュースの肩が下がり、顔色も血の気が失せて行く。商売人だけに、品物を売るなと言われるのは厳しい沙汰だろう。
「そんな……。この先どうやって生活を……」
「大丈夫よ。私に任せて。だから、ここは引きましょ?」
「は……い……」
「さて、生の種の所へ案内して」
悄然として丸まった薄い背中を、励ますように叩いた。
私より少しだけ高い身長なのに、この薄さは彼を小さく見せた。
色が薄いために白く見える睫毛の影が、さっきは綺麗に輝いていた紅の眼に昏く落とした。




