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理想の街 一日目(二)

 なんだか耳とか目が急にやる気をなくしたみたいで、ひどくぼんやりする。脳みその動きもゆっくりになったみたいだ。それは不思議な、今までにない感覚だった。これって魔法かなあ、そう思うくらいしか頭は働かない。

「あなたたちにいいものを見せてあげるわ。」

「アリジゴク?」

 パパはぼんやりとそう言う。パパも同じ魔法にかかっているみたいだ。

「ユカシタにいるの。昔は近所の子たちが見に来たわ。あの子たちはどこへ行ったのかしら。アリジゴクのある家だとよく言っていたわ。」

 アリジゴク、なんて恐ろしい言葉だろう。それに私はユカシタという場所も知らない。その時の私の脳みその中では、アリジゴクとユカシタはひどく恐ろしくて、それでいて見てみたいものとして記録された。

「ジゴクって・・」

 私のぼんやりした脳みその中では、巨大な蟻が噛みつこうと人間を追いまわす薄暗い世界が広がっていく。その人は何かを察したようだ。

「あなたも見たいんじゃないの。」

「・・・はい。」

 私はなんとなく、はいと言わなくてはいけない気になっていた。

「家はあの山へ登る途中にあるわ。白い壁で三階が全部ベランダの家なの。ぜひ、いらっしゃい。」

 そう言うと、それからその人はパパの方を見た。

「どうかしら?」

「行っていいの?」

 パパはまるで友達に答えるように返事をした。やっぱりぼんやりした感じは変わっていない。

「ええ、そうしてちょうだい。」

 その人はそう言うと、ゆっくり私たちに背中を向けた。それから静かに大通りの方へ歩いていく。パパと私は黙ったまま、その背中が角を曲がっていくのを見ていた。なんだか夢の中にいるみたい、それほどフワフワした曖昧な感じだからだ。おばあちゃんの背中が見えなくなった後、パパも私も、そのおばあちゃんのことを話さずに逆の方向へ歩き出す。


 公園のすぐ先にクリーム色をした建物が見えた。

「この図書館は変わらないか。ずいぶんと立派で古い。」

 パパのその言葉が魔法の解ける合図だった。確かにその図書館の外見は角ばった感じで、すこし変わっている。昔の映画に出てきそうだ。その建物を見上げていたら、だんだんと自分が戻ってきた。昔の映画の中だと思ったら現実の世界だった、そんな感じだ。


 パパと私が図書館の中を一周して外に出ると、やっと、ぼんやりした感じが全部なくなった。パパは街の案内板を見つけて私に説明をし始める。

「図書館がこれだろ。この公園はずいぶんと細長いんだな。ほら、逆側にも続いている。川沿いまで出られるよ。」

「えー、まだ歩くの。」

「まあ、そろそろ日が暮れるしね。」

 それからパパと私は、夕ごはんに何を食べるかという、ひどく現実的な相談をした。



 パパはその街で家具つきのマンションを予約していた。日数を決めて借りられるマンションがあるのを私は初めて知った。この街に着いてすぐに散歩を始めたので、部屋でくつろぐことが出来たのは夜になってからだ。


 部屋のフローリングに荷物を広げて落ち着いた後に、パパと私は理想の街について話した。理想の街ってどのあたりまでか聞くと、駅二つ隣りまでとえらく自信ありげな答えが返ってきた。川があることも理想の街の条件だと、パパは根拠なくつけ加える。私にとっての理想の街を聞かれたので、お店や図書館が揃っていることだって答えると、パパはすこし不満足げだった。


 最初の夜、部屋に慣れていないせいか、なかなか眠くならない。ママなら、そろそろ寝なさいとか、いいかげんにしなさいとか言う時間だ。本でも持ってくれば良かったかなと思いながらも、私はタブレットをいじって時間を過ごす。パパは私より先にさっさと寝ていた。

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