理想の街 四日目の夜
その夜、パパはスケッチブックを使って新たな絵の準備を始めた。雨降りの街にするそうだ。絵のまんなかにいるのは、またあのスーツ姿の二人だ。
「昼間と話していることが違う。夜だし。」
パパは勿体ぶっていうけど、私には同じような絵が昼なのか夜なのか、川べりか路地かの違いだけに見える。
「もっとクマとウサギが話をしているとか、そういうの出来ないの。」
「いや、もっと近しいものが描きたいんだ。と、いうか会社の仕事をしている人が好きなんだね。この右の人はそれなりに年をとって、ある程度、人生を経験したあとなのさ。昔、自分には才能があると思ってたとか、もう一度あの感覚がほしいとかって、言っているんだ。隣の若者はたいして面白くもないのに、その話をなぜか聞いている。でも、頭の中では全く別のことを想像しているんだ、理想の世界で活躍する男のことをね。」
「そんなの絶対、絵を見た人は分かんないよ。」
「でも今はね、それがパパの向き合いたいことだから、しかたないさ。」
その夜、パパはフローリングとキッチンのドアを閉めて、キッチン側で絵を描く作業をした。私は先に布団に入ったけれど、なんだか寝むれなくて布団の中でずっと考えていた。自分はどうしたらいいのかって。パパがおばあちゃんと話していた悩みは、私の悩みとずいぶんと重さが違う。なんだか自分の悩みを考えるのがつまらなくも思えるけど、だからといって私が悩まなくて済むわけではなかった。それにしても、いったい私は何に向き合ったらいいんだろう。
キッチンの方でパパが絵を描き続けている気配がする。今日は調子がいいって言っていたし、遅くまで続けるみたいだ。寝返りをした時にふと思った。私は自分の悩みは解決できなくても、誰かの悩みを解決できる時はあるんじゃないかって。おばあちゃんの悩み、本当は図書館にないアリジゴクの絵本を、見つけられたらいいんだ。あれ、でも、それなら私にも出来るかもしれない。私に出来ること、何かしてあげられる誰かの悩み。百人悩んでいる人がいれば、そのうちの一人くらいは私が助けられるのかもしれない。
いっぱいある悩みの中で私が解決できるのは一つだけ。それが自分の悩みだったらいいんだろうけど。私に解決できない私の悩みを考えるより、私が解決できるかもしれない誰かの悩みの方が、ずっと大事なんじゃないかって。そういえばパパは言っていた。しっかり自分の頭の中で作り上げておけばいいって、私はそれを布団の中でやってみることにした。