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理想の街 四日目(二)

 坂道をすこし歩いた先にある家、玄関にあるインターフォンを押すと、男の人の声がした。聞き覚えがある声だと思ったら、家の中から出てきたのはパパだった。一人でまたこの家に遊びに来たみたいだ。お年寄りと仲良くするというのも『人生における大事な小ワザ』の一つなのだろうか。

「やあ、ハナちゃん。本はあったかい。」

「ううん。なかった。」

 パパは今日もすでに魔法にかかっているのかもしれない、と私は思った。

「ハナちゃんも来たの。」

「あら、いらっしゃい。」

 奥から、美沙子さんとおばあちゃんの声がする。

「こんにちは。」

 パパと一緒に部屋に入ると、二人とも笑顔で迎えてくれた。私はすぐにテーブルのところにパパの絵が置いてあるのに気づく。昨日完成したばかりの絵、どこかの一本道を男の人が二人で歩いているやつだ。

「お父さんから絵をもらったわ。母も気に入ったから飾ろうかと思って。」

 美沙子さんは私の分のお茶を出してくれる。美沙子さんはこの近くに住んでいて、毎日、おばあちゃんの様子を見に来てるって、そういえば昨日言っていた。

「小学生の時によく一緒に絵本をつくったわよね。その時から絵が上手だった。」

「え、そうだったかな。」

「そうよ。その時の私たちの落書きも母は長いこと大事にしていたわ。」

「ふうん。」

 パパと美沙子さんはすっかり友達に戻ったみたいな感じだ。

「そうだ。この前の和菓子があったわ。」

 美沙子さんが部屋からいなくなると、パパは私の顔をちらっと見た。それからパパはあらたまった風に、おばあちゃんに静かに話し始めた。

「最近思うんですよ。もう自分の人生も半分を越しているんだって。今だから分かることもありますけど、長い時間をかけて得た結論というのはなかなか納得しがたく、たいして面白い内容じゃないなってね。

 人生は何かを失ってそのかわりに何かを得ていくものなのか。何かを背負い続けて荷物ばかりが増えていくものなのか。それとも磨かれ続けて丸まっていくだけなのか。まあ、生きていく意味だとか。」

 部屋の中はパパの声だけだ。おばあちゃんはただ頷いていた。

「自分は若い時、うぬぼれていまして、極端な話、誰にでも合わせられる柔軟な人間だと思っていました。そういう人間になろうと自分なりに努力したこともあります。でもね、結局は難しいんですよ。出来ると思っているのに、じつは自分にはその力がないんだと気づく。」

 これはパパの悩み相談だって私には分かった。その場にいない方がいいんじゃないかと思ったけど、出ていくタイミングがなくて、私はただ黙っていた。

「私にはすでに生きてきた意味があった。子供が生まれたこと。自分の技術が何かに活かされること。それは会社での成果だ。それにあと一つくらいなんですが、どうも私はそれをうまく見つけられない。何かのためになりたくて、でも、その実感が全然得られていない。」

 パパがしゃべり終わったところで、ちょうど美沙子さんがお菓子をトレーに載せて戻ってきた。

「難しい話はそれくらいにしたら。ハナちゃん、どうぞ。」

 私は美沙子さんからお菓子を受け取る。おばあちゃんはお茶をゆっくりと飲んでから、パパに言った。

「あなたは人生をやり直したいの?」

「え? ・・やり直したい、とは思わないかもしれないな。」

「じゃあ、あなたは大丈夫。今までの人生に愛着があるのよ。それがあればね。この先もずっと大丈夫。」

 パパに話しかけるおばあちゃんは、まるで子供の相手をしている感じだ。

「長くかかってくことは大事なのよ。とってもね。」

「そうかもしれません。私はね、誰かに救ってほしいのかもしれない。本当の自分はそうじゃないって誰かに言ってもらって、そうしたら、またスタートできる、なんとか環境を変えようと、そんなことにも向かっていける。

 小さい頃も、よく話を聞いてもらいましたよね。なんとなく覚えているんです。気づいたのは昨日だけど、思ったんです。ひょっとしてまた話を聞いてもらいたくて、この街を選んだんじゃないかって。まあ、子供の頃と悩みの内容はずいぶんと違いますがね。」

 パパはなんで悩みをおばあちゃんに相談したんだろう。それが私には分からなかった。

「また、いつでもアリジゴクを見にいらっしゃい。」

「はい、ありがとうございます。やっぱり今日もきちんと話を聞いてくれて。」

 そこで美沙子さんがパパに軽い感じで声をかけた。

「小さい頃のあなたの悩みは、大人ぶって背伸びしているみたいだったわよ。」

 美沙子さんの一言で、雰囲気がちょっとだけ明るくなる。パパは照れ笑いをしながらお菓子に手をのばした。


 それにしても、大人の悩みというはどうも分かりづらい。きっと私はパパのことも助けないといけない、そこまではなんとなく分かった。この街に来てから、私は人助けばかり気になっている。それなのに、私に出来ることはなんて少ないんだろう。今、私に出来ることはせいぜい図書館に通うことしか見つかっていない。

「ところでご本はあった?」

 パパがお菓子を食べ始めたので、おばあちゃんは私に向かって話しかけてくれた。

「ううん、なかった。でもね、明日も私が聞いてくるよ。」

 急におばあちゃんに話しかけられて、私は図書館の人との作戦をうまく言えなかった。というか、その時は明日もおばあちゃんのために図書館に行ってあげたい気持ちになっていた。

「ありがとう。じゃあ、外のベンチで待っていようかしら。」

「何時くらい?」

 私は慌てて時間を確認した。でないと、図書館で今日みたいにずっと待たなきゃいけなくなる。

「じゃあお昼、一時でいい?」

「うん、分かった。」



 それからしばらくして私とパパはおばあちゃんの家を出た。パパの悩みとおばあちゃんの答え、私にはなんにも分からなかった。ただ下り坂をパパと一緒にゆっくり歩く。パパは私の知らない歌を口ずさんだ。陽気な歌だ。きっとパパは楽しい気分じゃなかったと思う。楽しい時にじゃなくて、悲しい時に楽しい歌ってすごいな、となんだか私は思った。そしたら、パパがまた道でつまずいた。

「また、やった。」

 それで変な雰囲気がすこし薄くなった。

「この前、言われてから自分でも考えたんだ。」

 歌のせいか、パパのしゃべり方は、だいぶいつもの調子に戻っている。

「なにを?」

「つまずくこと。なんでパパがつまずくか、それは考える必要があるからなんだ。」

「ふうん。」

「たぶんさ、ハナちゃんがつまずかなくて、パパもつまずかないと、なんの変化もなかったろう。でも、小学生のハナちゃんがつまずいて、パパがつまずかなかったら、きっといい靴を用意しようと思う。」

「じゃあ、二人ともつまずいたら?」

「道が間違っているんじゃないかって思うんだ。」

「ふうん。」

「何かがあって、その原因を自分が悪いと思うところから始めるのか、相手や環境が原因じゃないかって思うか、誰も悪くないと思うのか。どれにしたって理由はきっとあるんだよ。」

 学校のあの人たちにも理由があるんだろうか。パパとママが仲良くないとか。誰かにいじめられていたとか。なんで理解できないことをするのかなんて、考えたことなかった。でも、それを考えたって、学校が好きにならないだろうし、そんなに簡単じゃないことに思えた。

「よく分かんないけど。ねえ、そんなことより、なんであんな相談したの。」

「大人は時間をかけるんだ。それは全然素晴らしいことではなくて、あきらめるためにね。大人の悩みってのはそういうもんさ。」

 それが質問の答えなんだろうか。パパの言ってることがよく分からないから、私は質問を変えてみる。

「なんで、おばあちゃんなの。」

「パパだって誰か他人にする話ではないと思った。だいたいがさ、この年で悩みを話すなんて恰好悪いじゃないか。だけどおばあちゃんならいいかなって。」

「だいたいって私好きじゃない。」

 さんすう病が働いてしまい、つい私は言った。パパは聞こえないふりをして話を続ける。

「今見えていて分かっていることだけで考えたら、世の中は複雑なだけでつまらなく見えるかもしれない。だけど実際はまだ見えないけど関係しているものが多いんだよ。だから、足りないものを無理に足そうとしない方がいいんじゃないかな。じゃないと悩みが病気みたいになっちゃうからさ。

 そうだ『人生における大事な小ワザ』の一つを教えてあげよう。誰かが悩んでいたら、集中させ過ぎたらダメだ。特にしっかり向き合ってない人にはね。得られる情報が極端に少なくなる。だから、そこから気を散らしてあげるといいんだ。」

 坂道を下りながら私は空を見ていた。夕焼けがそろそろ始まっている。薄いオレンジ色と黄色が混じったような空、建物の背中の形が分かってくる。この坂道からの眺めを私は好きになっていた。

「悩みが病気にならないように、ハナちゃんに気をつけてほしいのはそれなんだ。一回、二回なら忘れたり何かのせいにしたり出来るけど、それが何度も続くといいかげんうんざりして、こんなことが分からなくなってしまうから。」

 なんでパパの悩みの話から私の話になるのか、よく分からない。なのにパパは、あ、それからさ、と言って話を続ける。

「相手の心を読んで無難にやり過ごしてもいいさ。だいたいの人はそれで好感を持ってくれるかもしない。でもね、分かる人には見透かされているからね。」

「見透かされるって、どういうこと?」

「分かるってことさ。何を思って行動しているか。」

「ふうん。」

 相変わらず景色は夕焼け色だ。その色でいる間に私とパパは坂道を下り終えた。


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