放課後、そして。
気が付けば授業はとうに終わっており、校舎の中には人気がなくなっていた。
はじめと同じように二人連れ立って廊下を歩く。
サーシャと始めて顔を合わせた、今は無人の自教室の扉を開けフドウは置きっ放しの鞄を回収するべく自席に向かった。
窓際の、一番後ろの座席。
その横に、真新しい机が一揃い、置かれていた。
おそらく二人の留守の間に担任か、友人の誰かが用意してくれたものであろう。
その上にちょこんと鎮座する自身の鞄をうやうやしく抱え上げて胸に抱き込み、サーシャは顔を綻ばせた。
そしてそろ、とそれに見惚れるフドウを見上げ、言う。
「……いきなり正体がばれちゃうとは思わなかったわ」
「……人気だったね……」
「でも、シスターさんは無事で良かったわ」
「屋上に放置だから風邪はひくかもだけどね。まああの人めんどくさいからそれが正解だけど」
「定時まで寝てるようだったら適当に回収するって、ヨルムおにいさまが言ってたわ」
「……優しいよね」
魔物なのに。
言外に含まれたその言葉を、サーシャはフドウの顔から察したらしかった。
どこか悲しげに、少女は微笑む。
「配下達が言うの。『私達魔物は、いまだ殆どの人間に良く思われていません』って。それが、『たまに寂しい』って。私が、人間の学校に通ってみたいと思ったのも、そのイメージを払拭する良い手を探る為なの」
言って、少女は床に目を落とした。
目を伏せると、けぶるような睫毛がフドウの視界からよく見える。
物憂げに、艶やかな唇が言葉を続けた。
「でも、やっぱり難しいわ。周りの人をあんな風に危ない目に合わせちゃ、ダメよね」
そう告げて、サーシャは顔を上げた。
確かな意思を感じる、きらきらした瞳。
出会った時から一度も揺らがないそれが、やけに遠く見えて。
「じゃあね、フドウちゃん。今日は本当にありがとう」
短い別れの言葉の後、サーシャは踵を返した。
迷いの無い足取りにはっとして。
殆ど反射的に、フドウは声を上げた。
「サーシャ、また明日」
ぱち、と。
音がしたのかと、フドウは思った。
返された言葉に振り返り、それほどはっきりと、サーシャは長い睫毛を揺らし、目を瞬かせる。
「明日?」
「来ないの?」
「……来たいわ」
「……正直」
がりがりと、フドウは頭をかいた。
もう来ない気だ。
言葉の端々からそう判断して咄嗟に引き止めてしまったものの、それは勢いだけの行動だった。
自分でも、理由を探しながら。
反射的な行動に、フドウは無理矢理言葉を捻り出した。
「ヨルムせんせーの説明は図解含めてすっごい抽象的だったし、天使の言うことは断片的だったしでよくわかんないけどさ。……なんか聞いてた限りじゃ『天使』も『魔物』も、『人間』には手を出せないっぽいじゃん。じゃあ、とりあえず俺がサーシャにくっついてたら学園の平和は守れるんじゃないかと思うんだ」
一気に言って、フドウはサーシャをひたと見つめた。
言葉を待つ。
ややあって、少女はぽつりと声を発した。
「私のやりたいこと、手伝ってくれるの?」
「乗りかかった船だし」
「私、魔王よ?」
「偏見なんて無いよ。生まれた時から神が居ない世代だぜ?」
「……優しいのね、フドウちゃん」
「……だって」
校内を案内してた時、楽しそうだったから。
その顔が、もっと見たいと思ったから。
そう口に出しかけて、フドウははたと思いとどまった。
……これ、多分、引かれる。
今日初対面でこの発言は絶対引かれる。
あと『おとうさま』からの視線も怖いことになる気がする。
「……」
自身の思考に戸惑うフドウの沈黙を、どう受け取ったのか。
不意に、花が咲きこぼれるかのように、サーシャが笑んだ。
一転して晴れやかに。
澄んだ声が、放課の教室に響いた。
「ありがとう。・・・・・・また明日ね、フドウちゃん」
―――――――――――――――――――――――
「気に入らない」
冷め切った紅茶を一口口に含み、何度目かそう呟いて、青年は紅の左目をぎらつかせた。
途端、足元から這い上がるように冷気が湧き上がる。
すりすりと掌をこすり合わせ白い息を吐きながら、ヨルムは兄の不機嫌にうんうんと相槌を打ち、そして続けた。
「……遅かれ早かれ天使が寄ってくるのは覚悟してのことだったじゃないですか」
「にしたって初日だ。こっちは、人間と対等な条件で同盟関係を結ぶのに何年も掛けたってのに」
ぎり、と、憎憎しげに奥歯がなる。
苛立ちを隠さぬまま、彼は言葉を続けた。
「それより何よりあのガキ、サーシャの手握ってた」
「…………そのくらい勘弁しましょうよお嬢だってもうお年頃なんですから」
「うるさい」
短く返され、打つ手なしとヨルムは諸手を挙げた。
そこでふと、気づく。
「……個人的には、一番気になるのは別の所ですが」
「何」
「彼、お嬢に名前を『呼ばれ』て平気だったんです。どさくさ紛れはどさくさ紛れでしたけど」
「……」
『おとうさま』は動かない。
構わず、ヨルムは言葉を続けた。
「神話、魔王級の者が名を呼んでも、相手が支配されず無事人格を保てる場合は限られてるでしょう? 一つは、彼がお嬢と『同格以上』の存在である場合」
「ありえない」
即座に、『おとうさま』が声を上げる。
ありえない。
確かにそうだ。
神はもういない。
現時点で、『魔王』は至高の存在である。
「ですよね」と。
その意見を軽く流し、ヨルムは次の可能性を示唆した。
「現実的なのはこっちですかね、彼がお嬢の『夫』になる資格及び可能性がある場合」
「認めない」
これに対する、『おとうさま』の返答も早かった。
瞬間応急処置した窓一面に霜が下り、パキパキと氷の育つ音が辺りに響く。
慌てて、ヨルムは上着の前をかき合わせた。
「ちょ、兄さん。ベッド濡れる! あと眠くなる! 冬眠しちゃうから!」
「……」
騒いだ途端、冷気が和らぐ。
サーシャについても、直ぐに「登校をやめさせる」と言わない辺り、我が兄ながら甘いよな、とかめんどくさいよなと感慨深くヨルムは思う。
紙と布ものに纏わり付いた氷を払いながら、彼はとりあえずと纏めの一言を口にした。
「まあちょっと様子みましょうよ。お嬢、楽しそうだったじゃないですか」
一日目のお話でした。
おとうさまのもふもふ形態をもっと出したい・・・。
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