小魔の話
破った扉を申し訳程度に立て掛けて体裁を繕い、薄暗い通路を「おにいさま」に先導されてフドウは進んだ。
今の時間から、恐らく表の警備も人の目も品評会へと集中する。
ーー会場外だ。
制服だ。
見つかれば、多分結構な問題になる。
それでも迷い無く、フドウは歩を進めた。
情報は断片的だった。
しかし、フドウには既に、魔物は「困っているなら助けるべきモノ」として認識されている。
「……ま、勢いに任せてってのもあるけど……」
独り言ちるその声を知ってかしらずか、不意に前を行く「おにいさま」の足が止まった。
獣の顔が横を向く。
金色の鬣が、途端にぶわりと逆立ち。
「が」
喉を鳴らしただけ。
それだけで、黒い鼻の前の壁に幾何学模様の模様が入り、突如として「扉」がその姿を現した。
「……魔法機構でガッチガチにした隠し扉でしょうに……」
「脆、弱」
フドウは気づきもしなかったそれらの仕掛けを軽く解呪した「おにいさま」が一言そう呟き、ついで困ったように首を傾げて、扉の前に座り込んだ。
赤の視線が、フドウに注がれて。
「開け、て」
「ああ、ドアノブですもんね。はいはい」
意図を察して、フドウはノブに手を掛けた。
扉の中を伺い、人の気配が無いことを確認し、それでも極力音を殺してノブを回す。
油切れとは無縁と思われる蝶番が滑るように回り、さっと二人は部屋の中へと入り込んだ。
そこは、物置のような部屋だった。
天井いっぱいに積み上げられたコンテナが埃臭い、こもった空気の中に立ち並んでいる。
「……なにここ」
誰もいない事を確認しフドウは声あげた。
人どころか、生物の気配さえ無い。
話の流れから「行方不明」になった魔物がここに囚われているのかと予想していただけに、その事実が意外だった。
試しにコンテナの一つを開けて覗いてみても、空になったガラスの瓶が多数並んでいるのみである。
こんなところに、わざわざなんで。
「ね、ヴァーナさ……」
黒の狼に意見を伺おうとして上がりかけた声は、そのまま虚空へと消えた。
瞬間的に広がった刺すような冷気に、フドウは息を飲む。
いつの間にか、狼は再び王子様然とした青年の形をとっている。
上等な生地であろうに、微塵も頓着せず埃まみれの床に膝をついたヴァーナが、徐に下に手をやった。
労わるように、床を撫でる。
撫でた掌をゆっくりと持ち上げる。
と、そこにくっつくように煙が湧き出し、それがやがて小さな異形の形をとった。
根元近くから切り取られた昆虫の羽根に、半分欠けた四肢と頭。
傷ついた、絵本に出てくる「妖精」を思わせる容貌を持ったそれが、ヴァーナを見上げて僅かに残った目を見開いた。
「……大狼、さま」
切れ切れの声だ。
微動だにせず、ヴァーナが返す。
「……聞いても?」
「はい、……ああ、ああ、貴方ほどのお方が、来て、くださるなんて」
ほとほとと、空の眼窩から雫が滴った。
言葉が出ない。
動けもしないフドウとは対照的に、落ち着き払ってヴァーナは「それ」に先を促す。
「何が、あった?」
「……人間は、『作る』と言っていました」
抽象的な答えだ。
フドウのその考えを読んだかのように、「それ」は言葉を継ぎ足す。
「『繋ぎ合わせ』て『作る』と。幾人も、裂かれて、それで、わたしも、動けなくて、捨てられて、誰かに……必死で」
「……わかった。……よく、ここまで生きていてくれた」
喉の奥で、半ば唸るように。
それでも、『優しい』と感じる声音でヴァーナが呟くと、「それ」は口の端で、微かに微笑んだ。
途端、ざあ、と。
波のような音とともに、「それ」の姿が砂へと変わり、崩れ落ちる。
空気の中に、氷晶が混じった。
「……これだから、人間は……」
憎々しげに。
しかし表情だけは凍りついたような無表情で呟いて、徐にヴァーナはフドウを手招いた。
「……あの……」
普段のフドウなら何かしら今後の相談やら意見やらの言葉を発したろう。
しかしヴァーナの顔を見ると、どうしてもそんな気持ちにはならなかった。
ただ逆らわず、招かれるままに氷晶が渦巻く中心に寄る。
しゃがみこみ視線を合わせると、ヴァーナは再び床に手をついた。
と。
「……悪いね、頭が回らないや。気も回らないと思うから、自分の面倒は自分で見てね」
不意打ちのように柔らかく微笑んで、次の瞬間ヴァーナは床を破壊していた。
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