烏の話
到着した時とはうって変わって、会場の人間は皆巨大な狼の姿に無関心のようであった。
避けられているような素振りさえなく、獣の歩む先の人垣が自然と割れる。
悠々と進む狼の後ろを、歩幅ゆえに小走りでフドウはついて進んだ。
広い会場を横切り、ある所でするりと、漆黒の毛皮が束ねられたカーテンの裏へと消えた。
慌てて、フドウも続く。
搬入路のような狭い空間に、会場から明らかにはみ出したような印象を受ける数脚の椅子と小さなテーブル。
突き当たりには無機質な扉。
申し訳程度に飾られた額縁と花瓶を見、フドウは思わず「おにいさま」に声をかけた。
「あの、ヴァーナ、さん? ここ明らかに関係者以外立ち入り禁止的なとこじゃ……」
「天使」
唐突に。
今の今まで黙りを決め込んでいた狼が言葉を発した。
「おとうさま」とは違う、地の底から響く唸り声を思わせるくぐもった低音。
多少ききとりづらいそれを受け、フドウは顔を上げる。
と、いつの間に現れたのか、奥へと続く扉の横に置かれた花瓶の縁に、一羽の烏がその羽を休めていた。
「……天使?」
「なるほど、貴方方もいらっしゃいましたか」
呟くと、応えてその烏が流暢に人の言葉を発した。
あまりに自然過ぎて、反射的にフドウが周りを見回してしまうような、完全な人の言葉。
相手の反応には構わず、烏は言葉を続けた。
「丁度良い。この際共同作業とはいかないものでしょうか? 貴方方も、人間の多いこの場で悪戯に私達と敵対するのは得策ではない筈……」
「……」
話の、筋が見えない。
その意を込めて「おにいさま」の横につき、顔を覗き込むと、彼はそれを見返して億劫そうに口を開いた。
「や」
「…………あの、もうちょっと喋ってください……」
思わず突っ込むと、「おにいさま」再度じっと、フドウを見詰める。
「あ」とか「う」とか、二三言。
もごもごと口を動かして、不意に彼はその場でくるりと身を翻した。
視界を覆う、漆黒と金。
巨大な体積が、見る間に人の形に収束して。
「あああ喋りにくいなあ! もう!!」
姿を現したのは、いつもの「おとうさま」ーーヴァーナだ。
「魔物と天使で共同作業? はっ、ちゃんちゃら可笑しいね。ケイメイから聞いてるよ。それあんたが言ったらいっちばん顰蹙買う台詞なんじゃあないの? 第一さ、共同戦線ってのは互いの立場が対等って意識があって初めて成立するもんなの。……あんた、んな事毛ほども思ってないでしょ?」
人型になった途端に、まるで立て板に水である。
あれかな、同個体の魔物でも脳とか喉の構造とか色々形態別に制限があるもんなのかな。
つらつらとそんな事をフドウが考えていると、言葉を切ったヴァーナが唐突に裏拳でフドウの胸を叩いた。
……穴は空かなかった。
しかし結構な衝撃にフドウが咳き込むと、続けて上から声が降ってくる。
「……アレに、馬鹿正直に説明を求めなかったことは褒めてやるよ」
ーー保健室で、「天使長」と相対した時と同じ声色。
何よりもそれで、フドウは目の前にいるモノが天使であることを認識した。
「……状況を聞いても?」
「……魔王の意向で、平和的に人間に干渉することを、魔物は制限されていない」
目の前の烏から視線は外さず、ヴァーナは答えた。
「平和に慎ましく、周囲に溶け込んで静かに暮らしている魔物が行方不明になる事件が、最近多発している」
「そう、同じく、天使までもが消息を断つ事例が続いている」
「黙ってなよ」
「おお、怖い」
ぎ、と。
前を見据える左の紅眼から冷気が漏れた。
烏が、大仰に翼を広げ、人間でいう肩を竦めるそぶりを見せる。
「不明者の魔力の航跡を追ったらここに辿り着いた。……サーシャが来ると知って驚いたが、逆にそれならばと思ってね」
「なるほど」
となると、さっきの美女と老紳士も大方魔物で、強引な流れで渡されたチケットは、サーシャをひとところに釘付けにする為の口実と言うところか。
「で、俺には手伝えと」
「やましいことはない、と機関に証言してくれる第三者なんて、君くらいのものさ」
「わー照れますねー」
棒読みで軽口を返し、改めてフドウは烏を見返した。
ーー鳥は相変わらず、当然といった風でそこにいる。
「……今の所あれ、嘘はついてないように思いますけど」
毛嫌いしますね。
言外にフドウが呟くと、ヴァーナは一瞬だけ視線を寄越してきた。
そして。
「言わないだろうね」
言う。
確信に満ちた口調だった。
ーー奴らは、本当のことだけで人を騙す。
言葉を聞いた瞬間、フドウの背筋を悪寒が駆け上った。
冷や汗が出る。
呼吸が、自然と早くなる。
不可解な身体の反応にフドウが戸惑っていると、不意にヴァーナが再び身を翻した。
青年の姿が消え、代わりに現れた狼が会場とこの場を仕切る幕の方へと首を向ける。
「あ、こんなとこにいた! もーすぐ居なくなるんだから!」
フドウと同じ年頃であろう少年が幕を割って入ってきたのは、ちょうどその時だった。
整えられた黒髪に、仕立ての良さそうな礼服。
一見しただけで、何処ぞのお偉いさんの子息と思われるその少年が、フドウと「おにいさま」を見遣り思わずといった風で驚いた顔を見せた。
「あ、君たち会場に居ないと思ったらこんなトコに居たんだ。ブリーダーが何人かその子に声掛けたそうなこと言いながら探してたよ?」
そして、次の瞬間には人懐っこそうな笑顔を浮かべ、少年はフドウへと声をかけてきた。
言いながら、二人の横をすり抜けて少年は烏をそっと捕まえる。
「その制服、ヨッド・エロヒム学園のだよね。ここへは実習で?」
「……まあ。……その鳥」
「あ、この子? うちで飼ってる幻獣のカー君。長生きなだけで特に何にもできないんだけどね!」
屈託のない笑顔だ。
フドウの問いに口数多く返し、少年は手の中の烏を掲げて見せる。
「僕はリョウエ・ヤーヴェルスカ。……君は?」
「……フドウ・ビー」
「フドウ君か、以後、お見知りおきを。……品評会もうすぐ始まるよ。じゃあ、また舞台の裏でね」
言うだけ言って、少年はふいと幕の隙間から出て行く。
途端、緊張が解けてフドウはその場にへたり込んだ。
「……ヤーヴェルスカ、かあ」
独りごちるフドウに、「おにいさま」が顔を寄せた。
「なに」
姿にそぐわぬ、たどたどしい口調が問う。
ぐいと額に手を当てて、フドウは顔を上向かせた。
「歴代の法王を結構な数輩出してる名家だった筈です。あの子が、あの烏が天使だって知ってるかどうかはともかく」
「……今、は」
「ま、邪魔にならないなら関係無いですね」
短く結論付けて、フドウは立ち上がった。
「おにいさま」を伴い、奥の扉へと足を向ける。
当然のように鍵のかかっていたその扉を、フドウは思い切りよく強引に蹴破った。
そろそろ重くなってくる予定。
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