美少女転校生×襲来
一歩、階を昇る。
天鵞絨の、とろりとした光沢を持った、華奢な靴。
その踵の立てるかつんという微かな音が、静まり返った大広間に波紋のように拡がった。
また一歩、昇る。
天幕越しの照明の光に、夜空の色のドレスに施された、金の刺繍が星の川の如く煌めく。
段を昇りきり、振り返った。
結い上げられた、正絹を思わせる射干玉の黒髪が揺れる。
はあ、と。
薄く紅を差した唇から、少女は吐息を漏らした。
左手には、十二の翼を持つ漆黒の堕天使。
右手には、黄金色の鬣を持つ巨大な氷の狼。
左右の巨大な力が傅くのに導かれて、細い体が、音も無く黒曜石の玉座に収まる。
瞬間。
弾けたように。
待ちわびたように。
列座した異形のもの達は、轟音のような歓声を上げた。
「あー、えっと、じゃあ、順番に校内案内するから」
短く、申し訳程度に整えられた茶髪をガシガシを搔きながら。
幼さの残る垂れ目の視線をあちこちに彷徨わせながらの、しどろもどろとした調子は、むしろ自然であることと言えた。
直視するのを躊躇う程の、およそ理解の範囲を越えた生物に、少年は初めて直面しているのだ。
言葉が出ない。
無理もない。
彼の名は、フドウ・ビー。
いかに物怖じしないことで知られる当人とは言っても、まだまだ彼は16の小僧っ子であった。
怖ろしい訳ではない。
ただ、どうしていいかわからない。
悶々としているうちに、「どうしたの」と。
鈴の音を思わせる可憐な声色に促され、フドウはようやっと顔を上げた。
目に入る。
思わず、息が詰まる。
目の前にいるソレは、『美少女』としか言いようがなかった。
まず目を引くのは、整い過ぎた顔立ち。
にも関わらず、造詣が与える印象とは対照的な柔和な表情が、見る者に不思議な印象を与える。
清純の香が薫る、とでも言うのだろうか。
すらりと伸びた手脚、滑らかな肌は初々しい生命力に満ち満ち、大きな丸い瞳は凛として輝いていた。
ハーフアップにした黒髪に、白いリボンがよく似合う。
転校生。
目の前の、少女の肩書きはそれであった。
彼女が現れた瞬間、同じ場に居合わせた全員が、思わず息を呑んだのが分かった。
見慣れぬ者を前にした少年少女にありがちな、沸き立ち、囃し立てるような素振りを、誰一人として見せることはなかった。
彼女が一通りの挨拶を終えた後、担任教諭が「日直だから」と言う理由で彼女を自分に押し付けた時ですらそれだ。
……多分、皆自分と同じく少女の美貌に呆気に取られていたのではないかとフドウは思う。
「え、と。……サーシャ、だっけ?」
「そうよ」
気合を入れて発した自身の声に、涼やかな声が応じた。
それだけで、無闇に感動するのは彼女の容姿が成せる技か。
明らかに段取りの悪い自分にも気を悪くすることなく、にこにこと答える少女ーーサーシャ・ルナエルに幾分安堵して、フドウは話を進めた。
「時期外れ、と言うか、この学校に転校生なんて初めて聞いたんだけど、俺」
「そうなの?」
応える表情は屈託が無いものだ。
もしかして何も知らないのか、いやまさか。
思いながら、フドウは初めてまじまじと彼女の顔を覗き見た。
この学校は、世界有数の魔法教育機関として知られている。
学生の大半を幼少時から英才教育を受けられる各国の特権階級が占め、残りが故郷の期待を背負い、補助金の助けを借りて赴いた地方の秀才、更に少ない割合で多額の奨学金を受ける特待生がそこに籍を置いていた。
修学期間は三年間。
カリキュラムの性質上、欠員が出ても補充される事は考えにくい。
しかも、いかに一年生といっても、入学して殆ど丸一年が過ぎようかという冬の終わりの時分だ。
軽く説明すると、サーシャはこくん、と小首を傾げた。
「私、ずっと勉強は家でしていたの。でも、どうしても学校に通ってみたくて、おとうさまとおじいさまに相談したら、ここが良いって」
「へえ、珍しい。最近先進国はどこも学校教育に熱心だってのに」
「田舎だったの。周りに、うち以外何もなかったわ」
「あ、そうなんだ。俺の実家も地方だよ。すっげー雪降る」
出自に共感するものを感じ、その台詞は先程より幾分滑らかに出た。
その様にか言葉にか、サーシャは嬉しそうに微笑んだ。
「お揃いね」
笑う顔が、花のようだとフドウは思った。
可愛い。
しかも、自分の話題に喜んでくれる。
ならば、俄然やる気が出ると言うものである。
今日の授業は午前まで。
そしてその午前も、サーシャの案内に使ってもいいと言うお墨付きをフドウは得ていた。
まず、整備された運動場と中庭の庭園。
次に、惜しげも無く硝子が建材として使用された、幾何学的なデザインの本校舎。
教室から3つある屋内運動場までのショートカットの方法を伝授して。
図書館の自習室の使い方を説明して。
お偉方の子息向けなのか、メニューには気取った料理しかない学食で、安い賄いを出してもらう方法を教えてみたり。
広大な敷地を一通り周り終わる頃には、興奮からか疲れからかサーシャの頬は紅潮していた。
「食堂のカレーとシチューが美味しかったわ! おじいさまとおとうさまに食べさせてあげたいくらい!」
余程気に入ったらしい、興奮した様子で語るサーシャに、フドウは達成感で自然と顔がにやける。
「そりゃ良かった。えっと、あと行ってないところは……」
「ここがまだだわ。特科棟」
「あー」
目の前の、コンクリートが打ちっ放しの、いかにも頑丈そうな建物を指差しうきうきと言うサーシャの言葉に、フドウは一転して困ったように頭をかいた。
「特科かあ、特科はなあ……」
「何かあるの?」
「特科は選択授業で、少人数制だから案内が難しいんだよ」
しかも分野が数学、生物、物理、理化学、経済、農学、文学、法律、その他諸々と多岐に渡り、基礎、応用と言ったところでも細かくクラスが分けられている。
行ったことが無い部屋も多い。
一概に「案内」しようにも、何をどう説明したものかフドウには見当もつかなかった。
かと言って、自分を例にあげてみようにも、
「ビーちゃんは何科なの?」
「……『フドウ』でいいよ?」
「……恥ずかしいわ」
「……そういうもん?」
「ええ」
「……」
唐突に漂う微妙な空気に、フドウはぐうと喉の奥で唸った。
サーシャの何気無い質問を、あからさまにかわしてしまった自覚はある。
しかしフドウの所属する科は、一見の者には説明し辛いものだった。
なんせ。
「あら戦闘科じゃないの」
実によく通る女の声が、フドウの思考に混ざり込んだのはその瞬間だった。
振り返ると、修道女姿の、しかしとてもそうとは思えない雰囲気の女が一人。
厄介なのに見つかった。
そうは思いながらも、おくびには出さず、フドウはすいと自分の陰にサーシャを隠して挨拶を返した。
「ごきげんよう、シスター・ニルヴァーナ。すみません、直ぐ退きますね」
「後ろのそれが噂の転校生? 何故戦闘科が連れ回しているの?」
「日直なもんで」
「あなた、戦闘科なんかと付き合っては野蛮と粗野が移るわよ? 見所がありそうだわ、選択は、是非神学科にいらっしゃいよ。一緒に神に仕えましょう?」
「退きますね!!」
どこまでも噛み合わない会話に耐えかね、フドウは一声そう叫ぶとサーシャの手を引いて駆け出した。
ひと気の無い方へ、無い方へ。
特科棟の屋上まで一気に駆け上がって、フドウはようやくその足を止める。
「ごめん」
咄嗟に出た言葉に、サーシャは目を真ん丸にしてフドウを見返した。
凛とした声が、毅然として告げる。
「今は、あなたが謝る場面では無いわ」
「いや、でもさあ。転校早々アレに絡まれるのは可哀想だよ。しかもよりによって、戦闘科と一緒の所をさ」
繋いでいた手を離し、平屋根をぐるりと囲う柵に全力で凭れかかりながら、フドウはふうと溜息を漏らした。
胸がむかむかする。
『敬虔な』聖職者の有難い話を聞くと、いつもこうだ。
辟易するフドウの、そのすぐ横に、怖ずとサーシャは手をかけた。
形の良い、白い華奢な指が無骨な鉄柵を握る。
フドウの顔を覗き込み、目線を合わせてサーシャは問うた。
「ビーちゃんは、『戦闘科』なの?」
「……フドウで良いって」
その返答には、サーシャはきゅ、と唇を結んで応えなかった。
観念して、フドウは言葉を続ける。
「……うん、まあね。この学校自体が15年前に創立した、比較的新しい教育機関なんだけどさ。戦闘科はそんなかでも一際新しいんだ。作られて、まだ丸2年経ってない」
『魔法』を『戦闘』に使うという概念が生まれた事を受けて編成された、いわば実験的な科。
それまでは須く『神』のものであった『魔法』が、決定的にヒトの下へと堕ちたと公言した存在。
ふうと息を吐き、フドウは一気に告げた。
「魔法って基本本来はさあ、割と最近まで生産的な事にしか使えなかったらしいじゃん。水綺麗にしたり、風で風車回したり、百歩譲って魔物を退治したりとかさ」
神を讃える者のみが使うことができる。
更に、いかに熱心な信奉者であっても、欠片の『破壊』の意図が介入しただけで、一切発動しない。
特に『火』に関して言えば、ほんの小さなものであっても操れるのは教会上層部の者のみ。
魔法に関してのそれらの事象を、人は『神の威光』と言った。
その原則が、17年前にわかに崩れた。
「制限が消えた。理論とコツさえ理解すりゃ、魔法は誰でも扱える『技術』になった。……まあ、常識を覆すにはそれなりの時間が掛かったから戦闘科の立ち上げは最近になったわけだけど。とにかくそれが、信心深い聖職者には気に入らないってわけよ」
「神は死んだ」
数年前、説法の壇上でそう叫んだのは、穏やかなことで知られた大司教だった。
あり得ない事に錯乱し、心を病んだ神職は多かったと聞く。
フドウが、サーシャに対し戦闘科であることを言い淀んだ理由もこれだった。
「無制限便利だと思うんだけどなー。あらゆる分野がその恩恵にあずかってるのに、戦闘科だけなっかなか理解されなくてさあ」
戦闘科に所属して一年。
魔法を戦闘に使うという『非常識』に対する厳しい風当たりを身にしみて感じてきたフドウである。
と、不意にふく、と息を吐く音がフドウの耳に届いた。
見ると、堪え切れなかったようにサーシャが笑っている。
目を眩しそうに細め、いかにもおかしそうに彼女は声を上げた。
「『技術』になった『魔法』が好きなのね」
「……今の話、笑うとこあったっけ?」
「あ、ううんビーちゃんを笑ったんじゃないのよ! ただ、好きなんだなあ、頑張ってるんだなあと思って、私もそんな学校に通えるのが嬉しくなっちゃって……」
「…………まあ、いいけど」
こうも邪気無く賞賛されたとあっては、いつまでも不貞腐れていてもただ滑稽なだけだと判断したフドウであった。
図らずも、今の一件で学校案内も一頻り終わり。
語るうちに発散できたのか、いつの間にか、胸のつかえは取れていた。
……名残惜しい、気はするが。
じゃあ、帰ろうか。
サーシャに向かってそう言いかけた矢先、階下に通じる扉が音を立てて開いた。
何気無くそちらを見やり、フドウはギョッとする。
「……シスター・ニルヴァーナ?」
かろうじて、それだけは分かった。
しかし、それだけだった。
目は虚ろ、頭巾がずれて乱れた髪が覗き、頭も前にだらりと下がっている。
明らかに尋常でない様子に、フドウはサーシャを背に隠し、一歩踏み出した。
再度、呼び掛ける。
途端、シスターはがくんと糸繰人形のような動作で頭を上げ、目を見開いて叫び声を上げた。
「見つけた。見つけた! よくも抜け抜けと姿を現せたもの!」
声と同時に、トゥニカから湧き出すように異形が現れた。
異形。
それでも一見して分かるほどに焼け爛れた顔に、欠損した四肢。
シスターの身体に瘤のように取り付いたそれが、折れ曲がった翼を広げ、無数の魔法の火球を生み出し。
「魔王! 覚悟!」
異形が叫んだ瞬間、火球が二人に向かって殺到する。
状況は、さっぱり分からない。
だが、頭が何かを考え出す前に、フドウの身体は前に飛び出していた。
よろしくお願いします。