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かぎろひの立つ(旧版)  作者: ジョシュア
第一章 温羅
8/8

温羅ノ三

 京士郎は部屋で一人、悩んでいた。夕食は済ませて、精山も志乃も部屋に帰っている。

 志乃の言葉は、京士郎を揺さぶった。


『私と共に、鬼を退治しに行きませんか?』


 彼女の誘いに、京士郎は答えなかった。答えることはできない。京士郎は精山の最期を看取ると決めているのだから。

 世捨て人でありながら、村のほとんどの人々に蔑まれていた京士郎を育てた人物。彼には恩義がある。孤独な彼を理解できるのは自分だけだとも思っている。

 しかし、志乃の言葉は京士郎が今まで目を向けていなかった部分を刺激した。

 志乃が自分に疑問を持った。「そういうものだ」と片付けていたものを、そうではないと言ったのだ。

 なぜ助けたのか――求められたからだ。

 なぜ手伝わないのか――求められていないからだ。

 ただそれだけ。自分の抱いた感情はそれだけであった。鬼を討ったのも、崩れた家屋の撤去を手伝わなかったのも。

 だが自分は……一方で、鬼を許せないという感情を抱いた。それは何故なのだろうか。被害を広めないためか。それとも単純に、彼らを斬り伏せたかったのか。

 随神道について、京士郎は知識を持っている。天と大地の意志に従うこと。あるがままの姿であり、最後は空気と一体になり、身を任せること。そのためには無意味な殺生はしてはならないなど、いくつかの戒律がある。

 そういうものだと、思っていた。守らなければいけないものがあって、それを守るのは当然だと。

 求められたからする、そうでないからしない。それの何が疑問を持たせたのか。京士郎にはわからなかった。

 そんな思考をしていると、足音が聞こえた。廊下を誰かが歩いてくる。その歩幅から、京士郎はその音の主が誰だかわかった。


「京士郎様」


 やって来たのは志乃だった。どういうわけか、部屋には入らず、廊下に座っている。


「どうされましたか?」

「帰り時の不躾な問いかけを、お許ししてもらいたく思いまして」

「何だ、そんなことですか」


 京士郎がそう言うと、志乃は少しむくれた。


「そんなこと、ではありません」

「大したことないです」


 京士郎はそう言い切る。彼女の言葉で傷ついたわけではない。

 ただただ、揺さぶられたのだ。

 精山の道を邪魔しにきた存在であるはずの彼女を、最初は自分も疎ましく思ったこともあった。もちろん、精山がかつての剣豪牧野道哉に戻るとは思っていない。


「むしろ問いたい、貴女はどうしてあのようなことを聞いたのか」


 京士郎の興味はそれに傾いている。なぜ、自分に問いかけたのか。志乃の用事を考えるならば、何もあのような質問などしなくてよかったはずなのに。

 志乃が必要としているのは腕の良い剣士だ。鬼を討つための存在だろう。確かに、自分はその位置に相応しいのかもしれない。随神の道を歩んでいるわけでもなく、無傷で鬼を三体も倒してみせた。


「それは……」


 志乃は言葉に困ったようだが、すぐに答えた。


「気になったからです」

「気になる?」

「はい、村人に貴方は疎まれているとお聞きしました。その力は確かに、多くの者からすれば脅威となるでしょう。今日の光景を見ればわかります。確かに鬼は脅威ですが……彼らの認識では、自分たちの内側に鬼を超えているものを持っていることになります」


 そして、と志乃はさらに続ける。


「けれども、それはあくまで彼らのもの。貴方は違います。そこで気になったのです。貴方はどうして、彼らを助けたのかと」

「助けてはならないと?」

「そうではありません。それは道を外れたものですから」


 京士郎はいよいよわからない。志乃は何を言おうとしているのか。

 同時に知りたいとも思う。志乃は果たして、何を見て言葉を紡いでいるのか。だから京士郎は、続く言葉を待った。


「何故なのですか? それは言えないことですか? 私は貴方が求める答えを持ってません」


 志乃はあくまで、京士郎の言葉を待った。

 京士郎は言葉に窮した。なぜ、なぜなのだろうか。自分の足りない頭で、必死に言葉をひねり出そうとする。


「……それが、俺に求められたことだからです」


 結局出た答えは、最初からずっと持っているものだった。志乃はちょっとだけ首を傾げた。


「求められたから……」

「そうです」


 何か考え込むように、志乃は黙った。京士郎もまた、何かを言うことはない。

 結局、何なのだろう。志乃は答えを持っていないという。だが京士郎は、志乃は絶対に理解していると思った。それは直感であったが、確信だった。

 そして志乃は少し頷くと、同じ言葉を発した。


「京士郎様、どうか共に鬼を討ってくださいませんか?」

「だから、どうして……」

「きっと貴方が求めている答えは、その先にあるからです」


 その言葉に、京士郎は。

 どうしようもないほどに、自分の決意すら揺るがす程の衝撃を覚えたのだった。




   *   *   *




 翌朝になる。この地域は朝でも比較的温かいのだが、今日は曇っているためか肌寒く感じた。風も冷たく、この時間は出ないのが吉だろう。

 そんな中、京士郎は木刀を手に取り素振りを繰り返す。

 円双寺の裏にある池。そのほとりで京士郎は日々の習慣である素振りをしていた。剣術の型をいくつか確認し、それから何度も木刀を振り上げては下ろす動作を繰り返す。

 ほぼ毎日のように繰り返し、手に馴染んだ感覚ではあるが、今日はどうも感覚が違っていた。それが昨日の志乃との会話のせいであることは明白だった。

 あの会話で、自分の中に引っ掛かっているものがさらに大きくなった。自分の疑問に対して、明確な答えがないことの辛さを感じている。

 求められたから応えるのは、いけないことなのだろうか。それが在り方であるのは、いけないことなのだろうか。

 京士郎は今まで、そうして生きてきた。

 物の怪に憑かれている。あやかしが人の形を為した者。

 村の者からはそう呼ばれたが、一方で彼らが自分の力を必要としてきたのも事実だ。猪や猿が畑を荒らせば木刀の一本で追い払った。感謝はされたが、それはあくまで京士郎の手綱を持つ精山に向けてのものだった。

 京士郎はそれに何も思わない。それは”求められた”からだ。志乃はそれに言葉を投げかけた。正しいことなのかと。


「……くそ」


 京士郎は悪態をつく。つい、木刀の動きも雑になってしまった。

 よくない傾向だ。まったく集中ができていない。しばらくすれば元通りになるだろうか。


「どうした、そんななまくらでは何も斬れんぞ?」


 突然聞こえた声に、京士郎は驚く。振り向けば精山がそこにいた。

 考え事をしていて、その気配に気づく事ができなかった。これがもし獣であれば、怪我を負うことは避けられなかっただろう。


「……何だ、急に。今までろくに剣の面倒を見なかったろう」


 京士郎は険のある目つきで精山を見る。精山は最初に剣術のいくつかを教え、ときどき指南をする程度でしか面倒を見なかった。ここ二年はまったくと言っていいほど面倒を見ていない。

 京士郎は、それでも精山に習ったものだからと大切にしてきたが、精山がやってくる度にわざとこう言っていた。


「何、晩の様子が気になってな。それで見に来てみれば……そんな情けない剣を振るっている」


 精山が言った。普段は他人に見せない、京士郎の養父として、そして師としての顔と言葉。いつもの穏やかな笑みを持つ精山ではなかった。

 京士郎は木刀を下ろし、正面から精山を見る。精山はつうと目を細めた。


「お前はいささか、素直すぎる。感情がすぐ動きに出る」

「…………」

「そして言葉は少ない」


 精山はそう言って笑った。

 そんなことはわかっている。だからこそ京士郎は言い返すことはできない。


「だから、何だ」

「ふむ」


 そう言うと精山は、いつの間にか取り出していた木刀を構えていた。

 それを見て京士郎は目を見張る。彼が最後に剣を握ったのはいつだったろうか。記憶の限りでは、初めて京士郎が刀を握ったとき以来である。

 どういう風回しか、と聞きたいが、精山はにこにこと笑ったままだった。京士郎は諦めて、木刀を青眼に構えた。

 切っ先はまっすぐ精山を向いている。だが京士郎にはこの木刀が精山に届くことを想像できなかった。どのような手に出ても、上手く躱され、あるいはなされてしまうような気がしてしまう。

 本当にしばらく刀を手放していた人間なのかと疑ってしまいそうだった。膂力でいくら京士郎が勝っていようと、技の練度が違う。そしてその立ち姿からは一部の隙も見つけることができない。


「ほれ、来ないのか?」

「くっ……」


 京士郎が打ち込めない理由を知っているはずの精山は、そう言って挑発をしてくる。京士郎はわずかに歩を進めて、距離を詰めるが、それこそが焦りを示している。

 しばらく焦れる時間が続くが、京士郎は思い切って打ち込んだ。容赦はしない。自分の持つ力で以て、強引に隙を作ろうとした。

 自分では会心の一撃、しかし精山は鋭くした目で確かに剣筋を追っている。

 しまった、と思うも遅かった。京士郎が放った一撃は精山に簡単に去なされる。横から軽く触れられただけで木刀の軌道は精山を外れ、空を切った。


「ほれ」


 柄の底で、精山は京士郎の額を打った。自分から突っ込んだ形になった京士郎は、痛みよりも驚きと羞恥が勝り、言葉も出なかった。

 額を押さえて数歩引く。精山を睨みつけるが、彼に動じた様子はなかった。その余裕が京士郎を苛立たせる。


「なあ、京士郎、お前は何を見てきた?」

「何を……?」


 京士郎はその質問の意図がわからなかった。だが、精山が無意味な問いをするとは思えない。京士郎は少し考えて答えた。


「貴方の背中だ、師よ」


 ふむ、と精山は顎をさすった。


「ならば答えが出ないのも道理だろう。お前が何について悩んでいるのかはわかっている。だが悩みがわかったところで答えまではわからん。そしてその答えは私にはわからないものだ。お前が見つけなければいかんのだよ」


 そう言われたとして、京士郎に納得できるわけがない。

 今まで精山の言う事を聞いてきて間違ったことはないと言うのに、いま自分は突っかかってしまっている。どうすればいいのかわからない。

 精山はそれさえも見抜いているのか、カカッと笑った。


「京士郎、お前は若い。お前が見てきた狭い世界では答えなんて出るものではないさ。だからもっと多くを見るがいい。それが若いということだ」


 その言葉に込められた意を、理解できない京士郎ではない。どうしてか身体が軽くなったような感覚がした。


「ふむ、まずは……そうだな、私の刀を持っていった理由でも探すのがいいだろうな」


 それだけ言うと、精山は背を向け去って行く。その背中に京士郎は果てしない距離を感じたが、寂しさを感じる事はなかった。

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