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かぎろひの立つ(旧版)  作者: ジョシュア
序章 小桃
1/8

序章ノ一

 月明かりが夜の寂しさを紛らわしていた。風に揺れる稲穂が擦れて大きな音をたてる。それがまた風情であるようにも思えた。

 丘の上にはこの里、そしてこの里のある赤紗せきしゃの国を治める守が住む大きな屋敷があった。小桃ことという名前の女性はその守の娘だった。

 小桃は夜が嫌いだった。夜になると自然と自分の周りから人はいなくなり、寂しさを感じるからだ。

 数ヶ月前に赤紗の国に移ってからはその寂しさは夜が訪れるごとに増していくように思えた。かつての友人たちとは手紙でしかやり取りはできない。まだ来たばかりの頃は目新しいものばかりだったが、次第に目新しいものも少なくなり、小桃の好奇心を満足させるものはなかった。


「はあ……」


 思わず、小桃は溜め息を吐く。自分の中に溜まっていたものを吐き出したはずなのに、それは自分の周りにまとわりついているように感じられ、寂しさがより大きくなった風に思えた。

 何も、ずっとここにいるわけではない。数年もすれば京へ帰るだろう。だが先はどうなるかわからない。その数年がどれだけ先になることか。もしかすると赤紗の国の豪農と結婚するかもしれず、そうなるとずっとこの里で過ごさなければならなくなるだろう。

 その未来は、例え父のためだったとしても、今の自分からすれば辛いものでしかなかった。

 こうしたことを後ろ向きに考えてしまうのも、夜だからだろう。

 小桃は月が照らす縁側に出る。明るくなっているその場所は、不思議と温かさを感じた。それでいて風は心地いい。空を見上げれば雲が流れているのが見える。

 この空の向こうに友がいる……昔から物語で言われている慰めだが、それは物語の中だけであり、実際には自分はとても寂しい思いをしている。空は自分に触れてくれるどころか話しかけてもくれない。ただそこに在るだけであった。

 星々の輝きも、浮かんでいる月でさえも、優しく髪を撫でる風でさえも、自分の孤独を攫うことはできないのだと。

 この心細さを慰めるものはなかった。小桃はそれをわかってるから、一人で悲しむことしかできない。


「こんばんは」


 知らない声がした。それは男の声で、透き通って頭に入ってくるようだった。

 驚いた小桃は慌てて部屋の中に入る。周りには衛兵がいるはずなので、ここに人がいるはずがないのだ。

 見れば、閉まってる簾の向こうに人影があった。男であることはなんとなくわかる。この男が声の主だろう。

 しかし、小桃にはこの男がどうしてか怪しい人間に思えなかった。それは彼のたった一言の挨拶の声音が清く澄んでいるせいだろうか。


「貴方は……?」

「三輪と申す者です」


 小桃はその名前に覚えがなかった。少なくとも知り合いではなく、京で暮らしていた頃でも聞いたことはなかった。


「心配しなくても、怪しい者ではないよ」


 普通ならば、そう言われるほどに信じることはできない。小桃は自分の身を守るために、少しだけ部屋の中に身を引いた。

 そして恐る恐る、訪ねる。


「……どのようなご用件でいらしたのですか?」

「噂でここに美姫がいると聞いてやってきたんだ。すると、月が傾いたら綺麗な顔が見えてね。気になったんだ」

「まあ、お上手ですね」


 そんな気障な台詞も、三輪の声だと妙に様になっていて、小桃は思わず顔を赤くした。男の顔は見えないが、小桃が頭の中で描いた顔は絶世の美男子だった。

 これだけの口説き文句を吐ける人間は貴族か、あるいは有力な地位の者だろう。小桃はこの男は悪党ではないだろうと判断する。


「このような田舎まで、私に会いにわざわざ来られたので?」

「いやいや、私は元からここに住んでいる身でね」

「え……」


 小桃はますますわからなくなる。近くに居るならば、噂を聞かないはずはない。顔はわからないが、この声と言葉だけでも噂が立つには十分なように思える。

 ましてや、三輪は”ここ”と言った。もし本当に屋敷の近くに住んでいるならば、尚更知らないわけがない。赤紗の国に移ってきたときに、この地域の有力者は顔を見せたのだから。

 不思議に小桃は思いながらも、三輪は気にすることなく続ける。


「どうやら退屈しているように見えたけど、どうかな、私に話相手を任せてくれないか?」


 その提案に、小桃はぐらりと揺れた。まさか、顔を外に覗かせた一瞬でそこまで見破られたのか。あるいは前からずっと見られていたとでも言うのか。小桃の混乱は絶頂に達した。

 そして、その提案はとても甘美なものだった。渇いた心に水滴を垂らされたかのようだった。求めていたものを、わずかばかり与えられたら、さらに欲しくなるのは道理とも言える。小桃はその誘惑に屈した。

 目の前の男は一般的な見地からして怪しい。三輪と恋仲でなくても関係を持てば、父は自分を怒るだろうことは小桃には想像が難しくなかった。


「……はい。実は京から来てからこの頃、暇を持て余しておりまして。ここには語る友もおりません。よろしければ、私の話相手になってくださいませんか?」

「こちらから提案させてもらったことだけれど……いいよ。数日に一度、こうして会いに来よう」

「数日に、ですか?」


 できれば毎日会いにきてほしい、とは言えない。会ったばかりであるし、何より()()()()()女だとは思われたくなかったからだ。

 しかし、それを黙っていられるほど大人ではない。暗に自分の考えを伝えてしまった自分の幼さが恥ずかしかった。顔が熱くなっているのがわかる。

 それが簾越しにもわかったのだろう。向こうにいる美声の男はクスリと笑った。それが小桃の恥ずかしさを助長させた。


「毎日は来れないんだ。でも、貴女のために話を考えておくよ」

「〜っ!」


 小桃は三輪の言葉に、さらに顔が真っ赤になった。顔から湯気が出ているのではないかと思ったほどだ。

 けれども、自分のために何かしてくれると言うのが嬉しかったのは事実だ。


「……受け取ってばかりでは申し訳ありません。何かお返しをさせてもらえませんか?」


 決して小桃は恥知らずな女ではないし、そうならないように努めている。受け取った分は返すのが道理だと思っているし、それを信じて疑っていない。

 簾の向こうからは、溜め息が聞こえた。三輪は苦笑しているのだろう。

 けれども、ここだけは譲るつもりはなかった。


「ああ、貴女は本当に純粋なんだね」


 その言葉に小桃はムッとした。上から見られているような気がしたからだ。そしてそんな幼稚な見栄がまた、小桃を恥ずかしくさせた。


「実を言うとね」


 三輪はそこで区切って少し黙った。それは恥ずかしさを隠しているように小桃には思えた。


「私も、寂しかったんだ」


 その声を聞いて。

 小桃は三輪に対し、自分ではどうしようもない感情を抱いているのだと自覚し、そしてそれはとても簡単なものだと思った。

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