第五話
「頭ぁ!この辺りはもういい女いませんぜ!あらかた食い尽くしちまった!」
下卑た顔という表現を、そのまま形容したとしか思えぬ笑みを浮かべて禿げた男は言った。
「ああ?オメーらがやりたい放題やってっからだろ?……ったく、しょうがねえ奴らだぜ」
そういいながらも、頭と呼ばれた青年は邪悪に笑みを浮かべた。
……うむ、間違いない。随分と姿形は変わったが、間違いなく私が送った男だ。私という存在が介入したために、その魂は否応なく目立ってしまう。例えるならば、ひよこの群れの中に、一匹だけ緑色のカラースプレーを吹きかけられているようなもの。見間違いようがないものなのだ。
しかし――と、私はまじまじと青年の顔を見つめた。
別に、顔が変わったことに大した驚きはない。誰かしらの女の胎内から生まれてきているのだから、そう言った要素が絡んでくるのは当然だ。以前とは顔形が別人であるというのは道理である。
そのため、私が驚いたのはその顔つきであった。
海外などで働いていたという彼の純朴そうな表情は溶け消え、強欲そうな、如何にも悪人といった面構えをしている。どうしようもなく荒みきっている顔だ、あれは。
以前の、言ってしまえばどこにでもいそうな普通の顔ではなく、すっきりと整った彫像のような顔立ちをしている分余計に目立つ。透き通るような白い肌、濡れ羽のように艶やかな黒髪、すっきりと伸びた鼻梁。美醜の価値観は相対的なものであり、時代によっても変化するものであるが、彼の美しさは時代を通して一貫したものではないだろうか。少なくとも、私にはそう見える。
私の管理する世界において、かつて美人の最低条件は二重あごであるという時代があった。つまり、極度の肥満が美人というものである。現代においてはそのようなことはないだろうが、栄養が不足しがちな時代では、肥満も一種の栄誉みたいなものだったのかもしれない。
……そういえば、東の大国では、足を幼い頃から紐を使ってきつく縛り、成人した後にまともに歩けなくするという風習があった。これは貴族の女性に対して行われたもので、そうすることによって神性というか、一種の気品とでもいうものを生み出していたらしい。西の島国では腹部を極端に圧縮して小さく見せることが美しさに必須とされたこともあったし、皆がカツラを被り、天井に当たるのではというほどに髪の毛を盛り上げた時代もあった。枯れ枝のように細い身体が魅力的とされた時代もあり、やはり美しさとは相対的なものであろう。
とはいえ、生命として身体能力が高いことは本能的に魅力的に感じるであろうし、母性本能をくすぐるような存在ならば、やはり魅力的に感じる者はいるだろう。いつの時代でも、本能というものは抗いがたい。
まあそれは兎も角、問題は彼の行動である。
一体どういった経緯で彼があのような姿になったのか、調べる必要があるだろう。
頭と呼ばれた権三郎は、そう言われたとおり隊の長をしているらしい。規模は約50人。異世界の文明が発達していない状況を考えれば、かなりの大所帯と言えるだろう。
村……であったのだろう残骸を歓声をあげながら通り過ぎ、粗末な街道を我が物顔に突き走る。
深夜だというのに随分と騒がしいことだ。付近の住人のことも考えてしかるべきだろうに。私の世界では軍隊が夜間に航空機演習を禁じられ、さらに賠償命令が出される国すらあるのだ。それに比べれば小さなものであろうが、やはり良くはあるまい。
我が物顔で街道を突き進む姿は壮観とは程遠く、ひたすらに邪なものを感じさせる。トボトボと歩いていた旅人らしき者を切り捨てていったこともそれを頷けよう。目の前を横切ったからという理由で人間を殺すとは、私には理解に苦しむ行動だ。
夜が明ける頃に、粗末な街道から幅広で、しっかりとした石が敷き詰められた道へと変わる。しっかりと整備が施されているのだろう石畳を進んでいくと、その先にあるのは巨大な城壁に囲まれた都市。丁度小高い丘となっている権三郎達のいる場所からは、その内部が一望できる。
中央にそびえ立つ巨大な城。それを中心に建物が広がっている。富を表しているのか、内側であればあるほど建物ごとの間隔は広く、反対に城壁間際は密集している。壁の外側には畑が広がり、幾つか建っている小さな小屋からは煙が上っている。恐らくは食事の支度でもしているのだろう。
「いやー、それにしても今回も楽しかったっすねえ頭」
「はっ、だから言ったろう。俺についてくればいい思いさせてやるって」
権三郎は、私の覚えている姿とは程遠い口調でいう。
「さて、それじゃあ糞つまらん騎士様の仕事に戻るかねえ」
「うす!そうしましょうか!」
ぞろぞろと、彼らは城壁へと向かう。
中から兵士達が門を開けた。
権三郎は、小さな袋を城門の兵士の一人に手渡した。
その男は、ゲスのような笑みを浮かべていた。
◇
結論から言おう。
私の選択は失敗に終わった。
権三郎――今は、ジャックと名乗っている彼は、その才能を遺憾なく発揮した。己の歪んだ欲望を満たすために。
私が彼に与えた力は、理解力、学習能力の向上を促すものだ。
向上――といっても、ただ理解が早いというものではない。その程度ならば野良でもいくらでもいるし、そもそも私が干渉する必要もない。
彼の得た能力とは、言ってしまえば瞬間記憶能力と並列化。
あらゆる事象を瞬時に理解し、己のものにすることができ、それらを有機的に組み合わせて考えることのできる力だ。
書物を読めば瞬時にその内容を理解し、一字一句を記憶することができる。優れた剣士の技も、一度見てしまえば容易く再現が可能だ。言語能力にしても、相手の様子と知識を組み合わせ、容易く本質を見抜くことができる。言語の違いによって誤解を招くことがないのだ。
圧倒的な才により大いなる力を得、それにより生じるであろうカリスマ。そこに誤解のない会話能力があれば、平和への礎となるだろう。そう考え、私は権三郎を異世界へと転生させた。
だがそれらは、全て己の欲得に任せた使い方と化していた。
人々が誤解なく理解する架け橋となるように祈った力は、抜け目なく他者から利益を掠め取り、狡猾な性を成長させる贄へと化した。
どうやら権三郎は、騎士としての身分を保持しながら近隣の村々へ略奪を働いているようだ。奪った物資は売り払い、気に入った女は陵辱し、やりたい放題しているらしい。しかも頭が良く、その剣の腕も凄まじいために誰も手を出せない状態になっている。
これではいけない。
私の与えた力がなんの意味もなくなっている。
優れた力は優れた人間の下にあるべきだというのに、邪なことに使われては世界は澱んでいくばかりだ。
理不尽に満ちた世界は荒廃し、人々の心は摩耗する。争いは容易く起きるようになり、自分以外はどうなろうと構わないという殺伐とした者達が闊歩する。
止めねばならない。
一刻も早く、権三郎――いやジャックの悪行を止めるのだ。
◇
深夜。
乱痴気騒ぎを終えたジャックは眠りについた後、私は彼の枕元に立ち、彼の意識の中へと入った。
感じてくるのは独善的な思考の波。自信の才能に酔い、膨れ上がった傲慢さが流れ出てくる。
「ジャック。何故このようなことをする」
「……ん?なんだあんた。てかここどこだ?」
私のことも忘れているか。
「お前に力を与えたものだ。記憶は残っているのだから、覚えていないとは言わせぬぞ」
「ん……ああ、あの時の神様か。なんだよ今更」
面倒くさげな、煩わしいとでもいうようにジャックは言った。
「なんだではない。お前に与えた力は、私利私欲のために与えたものではないと言ったはずだ。だというのに、何故このようなことをする」
「今更何いってんだあんた」
「何?」
ジャックは馬鹿にしたような目つきで私を見据えた。
「だから、何いまさら言い出してんだって。二十年以上ほったらかして、今頃神様面してでしゃばってくんなよ。俺は今楽しく生きてんだ。前の国じゃ絶対にできないようなことをしてな」
「お前は……」
「感謝してるぜ。この力のお陰で、何の苦労もせずに俺は楽しく過ごせる。娯楽は少ないが、その分やりたい放題できるんだ。文句はねえさ」
「お前の力はそのような……」
「あー、うるせえな。そんな綺麗事いらねえよ。元の世界なら兎も角、この世界は強い奴が偉いんだ。俺には間抜けな王族どもも手出しできねえ。なにせ国の軍隊は俺が抑えているからな。貴族どもも俺からうまい利益を得ている、何の問題もねえよ。周りが俺を容認しているんだ。だから、お前はもお関係ねえ。俺は俺の意志で生きる。邪魔すんじゃねえよ」
◇
「まあ、大体予想はできてたけどねえ。人間だもの」
私の後ろにいた彼女が当然のように呟いた。
「二十年ねえ。私達にとっては一瞬だけど、彼らにとっては生まれてから大人になり、人によっては次の子供を生むまでの時。人格形成には最も重要な時でもあるわ」
「……」
「その大事な時をほったらかしておいて、いきなりお前は何をやっているのだなんて。彼にしてみたら、怒っても当然よ。そんな昔の話しなんて、どうでもいい過去の出来事になるに決まっているわ」
「過ちは、認めよう」
今回は、私に問題があった。それは認めよう。
私が放任しなかったために、このようなことになってしまった。ならば、初めから手を貸せばいい。間違いなく世界のために尽くしてくれるよう、自分の存在意義を教え込めばいい。
「次は、間違えんよ」
「ふーん、そう」
笑みを浮かべて彼女は言った。
あいも変わらず意地の悪い笑みだったが、今の私には関係のないことだ。
今度こそ、正しい世界へと導いてみせる。
そう思い、私は次の選定へと取り掛かった。
◇
「次は間違えない……ねぇ」
笑みを浮かべながら、彼女は呟く。
未だものを知らない、赤子を見据えるような微笑み。
「一体、何が間違いなのかしら、ねぇ……」
そう呟く彼女の言葉は、誰に届くこともなかった。