第二話
異世界トリップチート。
それは、上位存在である我々が、箱庭の住人である人間、特に比較的発達した文明に存在する人間を輪廻から引き上げ別世界に送ることを言う。
特性としては、俗にチートと呼ばれる特典のことだろうか。
上位存在、俗に神とされる我々が箱庭の住人に直接力を与えることである。
それによって、本来ならば非常に低確率、または有り得ないであろう力を持ちながら生を受けることが可能となる。
そうして、生まれながらに神に愛されたことになる転生者は大概の場合勇者として祭り上げられるのだとか。
それ故に、異世界トリップチート勇者。
さて、この異世界トリップチート勇者だが――
あ―、実に長ったらしい名称だ。一々繰り返すのがバカバカしく感じてしまう。
とにかく、ろくでもないことだけは確かだ。
本来の理である輪廻から外し、勝手に別世界に送り込む。
それだけでも秩序を乱す行為だというのに、さらに生前の記憶すらも保持したまま転生させるというのだ。
生みの親となった両親には、さぞ不気味がられるだろうし、そもそもそれは転生した本人のためにならない。
苦しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、悲喜交々した世界であるからこそ意味があり、それ故に人間は互いに互いを高めあっていくことが可能となる。
そうして成長していけば、いずれは次の次元へと旅立つこともできるだろう。
魂の徳は、死した後も消えない。
確かに人間の魂は揺れやすいが、今までに為したことは、その魂に染み付き決して消えはしない。
記憶だけを消すのは、やり直すためだ。
前回の人生で足りなかったこと、後悔したこと。
それらを、もう一度成し遂げるために。
そしてそれは、限られた時間と場所の中でこそ価値がある。
一度真っ白にして、全力が生き続ける。
そうしなければ、魂の進歩は成し得ない。
……そういった前提で、私は世界を構築した。
長い時を、それこそ人間という文明が崩れかねない程の時間を、いやそれ以上の時間をかけてでも私はそうすべきだと判断した。それが、正しいと信じて。
だが、私のその前提を根底から覆すのが異世界トリップチート勇者である。
私の発想を根こそぎ剥ぎ取るそれは、極めて享楽的で進歩のない行為だ。
遅々とした、しかしそれでも確かな歩みを否定し、肥大したエゴをもって世界を脅かす、極めて危険な因子だ。
はっきり言おう。
異世界トリップチート勇者、これはナンセンスである。
話にならない。
混乱と暴力が支配する、修羅の世界を呼び込むものだ。
そう、私は確信している。
確信しているのだが……
「じゃあ、頼んだわよ。私の管轄する世界とは繋げたままにしておくから、しっかりやりなさい。……サボっていたら、潰すわよ」
「……うむ、心得た」
私が自分なりの理想を持っていようといまいと、圧倒的な力はその全てを否定する。私が管轄する世界で幾多の小国が苦渋を舐めたように、私もまた甘んじて受け入れるしか方法がない。
彼女が潰すといった以上、本当に潰すだろう。
仮にも管理者とはいえ、彼女程の存在に至れば、私を屠るのは容易い。
魂自体を即座に消し去り、事象に干渉した挙句代理の者を連れてくるくらいのことはやってのけるだろう。
そうなれば、この世界も彼女の思いのままだ。
私が何十億という年月をかけて生んだ世界が、極めて限定的とはいえ互いに手を取り合っていこうとしている世界が混沌に戻ってしまう。
それだけは、避けねばならない。
ならば、どうするか。
「……やるしか、あるまい」
私は、深くため息をついた。
せめて、志のある人間を導きたいものである。
◇
さて、異世界トリップチート勇者のために、まずは選定をせねばならない。
彼女が思春期の少年を選んだ理由は分からないが、取り敢えずはしっかりとした人格の人物を選出したいところだ。
彼女の世界に送るとはいえ、私の理念は変わらない。
別に何かの条件付けがあるわけではないのだ、私の好きなように人物の選定は行おう。
私は千里眼を用いて、地球に住む人々を観察し始める。
世界の人口は凡そ60億人。その中の一人とはいえ、輪廻から外すのは心苦しい。嘗ての聖者のように、悟った果てになら兎も角、私が無理やりに引き上げるのだ、それには申し訳なさを感じてしまう。
……だが、仕方ないと割り切った。
そうしなければ、全てが終わってしまう。
物理法則という、厳密にすぎる規則をもって構成した世界が、魔術や魔王などと言った科学に喧嘩を売るような魑魅魍魎が跋扈する世界になるのを防ぐためにも。
選定した結果、一人の人物に私は行き着いた。
名は権三郎某。
人々に極東の島国と呼ばれている国で、大企業を一大で成し遂げた大物企業家である。
その性格は温厚でありながら、企業家としては冷徹で打算的。
部下からの信頼が厚く、上と下の信頼関係が強かったからこそ成長した会社の代表取締である。
老いてなおその明晰な頭脳は健在で、脳卒中で倒れる直前まで会社のトップにあり続けている。
現代人らしく、宗教には無関心。
神よりも、目の前の人を助けろ。
そういった人物である。
少なくとも、私にはそう見えた。
……こういう人物ならば、私利私欲に走らず世界の人々のために行動してくれるだろう。たとえ私が超人的な力を与えたとしても、それを正しい方向へ生かしてくれるのではないだろうか。
最初期においては、老成した人格だからこそ混乱し、苦労するだろうが、かれならば大丈夫かもしれない。
そう思い、私は彼が死亡すると同時に引き上げた。
◇
そうして、その男は私の前に立っている。
享年は74ということだが、その風貌は厳しく、実年齢より10は若く見せているだろう。
険しい眼光に皺の浮き出た顔。真っ白な髪が不思議と良く似合う。
「……ここは」
権三郎は不思議そうな表情をした。
「確かに私は死んだはずだ。ならばここはあの世……?しかし、なぜこれほどに白いのだ?」
「それは、ここが輪廻の外だからだ」
ふっと、私は姿を顕した。
別にこのようなことをしなくてもいいが、相手の虚をつくのは大事だろう」
「……あんたは?」
「私か?この世界の管理者だ。まあ、俗に言う神といったところか」
権三郎は微動だにしなかった。
虚をつくつもりが、私の方が驚いてしまう。
流石に大企業を率いた男ともなるものが違うのだろうか。
「……神?随分大げさなことを言う奴だな。俺の周りにも神だの救済だの言って、富をふんだくろうとする連中は多かったが、お前のその類か?」
権三郎は硬質な感のある、それでいて嘲笑うような笑みを浮かべる。
自身の身内には優しいが、敵には厳しかったという男だ。
恐らく私も敵という扱いなのだろう。
……ちょっと、残念だ。
「インチキな新興宗教と同列に扱われるのは遺憾だな。私は一星系を管理する存在であり、私の管理する唯一の知的生命体存在惑星、地球の管轄者だ。仮にも私の箱庭にいたのだから、もう少し敬意を示したらどうだね?」
そう言うと、権三郎は呆れたような笑みを浮かべる。
「で?自称神様。俺になんのようだい?」
……全く敬意を表そうとしない。
全く、いくら宗教的な理念が薄い民族とはいえ、これはどうなのだ。
仮にも神にその態度とは。
「……お前はその生涯で大企業を作り上げ、多大な利益をもたらした。その功績は立派なものだ。今まで長く苦労をしてきたのだ、少しは労ってやろうと思ってな。どうだ、別世界に記憶を保持したまま転生してみる気はないか?特別な力も持たせてやろう。決して、悪い話しではあるまい?」
ぽかん、といった顔を権三郎はした。
何を言っているんだお前は、という顔だ。
「どこぞの三流宗教家みたいなこと言うなあんたは。オ○ムだってもう少しまともな事言ってたぜ?そんな戯言に、誰が飛びつくっていうんだ?人生に失敗した挙句自殺したような奴だけだろうさ。そんな闇金みたいな甘い誘い文句についていくような野郎は」
「……この輪廻の外に私がおり、お前もまたいる。それが何よりの証明だとは思わんか?」
「はぁっはっは!何言ってやがるあんた!」
権三郎は嘲笑するような高笑いをする。
私は黙ってその様を見つめた。
「仮にそれが事実だとして、俺があんたに従うことになんの意味がある?転生?特別な力?笑わせんなよ。誰がそんなものに乗るかよ。自分でやるから意味があるんだろうが。おい自称神様よぉ」
権三郎はゴミを見るような目で私を見た。
「あんた、胡散臭いんだよ」
……私には、何もいう言葉はなかった。
◇
盛大に貶された挙句、私の話しに乗る気はないようなので権三郎は輪廻の輪へと戻すことにした。
しばらくは霊界で暮らした後、いずれはまた転生するだろう。
一つの生命として。
「……むう」
権三郎は兎も角、私にとっては残念な結果である。
第二の生を断られただけでなく、散々に貶されたのだから。
しかし、これはある意味嬉しい事実でもある。
私は記憶の保持し、さらには何かしらの特典を与えて他世界に転生させるなど安易で危険な発想だと考えているからだ。
そして、権三郎氏は私の誘惑に屈さず一つの生命として在るべき姿を選んだのである。
これは、私の作った箱庭に暮らす命が良い方向に向かっている証と言える。
楽に走ることなく、粛々と試練に向かい、次なる地平へと向かっていることの証左であろう。
極めて遅々としたものであることは否定できないが、確かに人類は成長している。この事実は、それを確かに示すものだろう。
そう考えれば、決して悪いことでは――――
「……で、貶されて喜んでいるドMな神様?あなたは一体何をしたいのかしら」
……前言撤回である。
今に至っては事情が異なる。
彼女をどうにかするためにも、私は異世界トリップチート勇者を作らねばならぬのだ。
「……突然現れないで欲しい。些か驚く」
「驚くようにしてるのよ。あのね、神が人間なんかに言い負かされてどうするの。しかも、相手の言いなりになって。恥ずかしくないの?……はあ、いいからさっさと次を見つけること、いいわね?」
そういうと、あっさりと彼女は姿を消した。
すぐに消えるのならば、始めから現れないでいただきたいものだ。
「馬鹿なこと考えてない!」
突如再び姿を顕した彼女は、そう言って私を睨みつけた。
「……ぬうん」
どうやら、私にはぷらいばしーというものはないらしい。
残念なことである。