三人と食堂にて針のムシロ
早速、リシェルを品定めしたい、と言ったヒルデルカを連れて、俺は宿に戻る。一階がレンガ、二階が木でできた安宿だ。入り口のドアは開け放たれていて、中からワインとチーズの匂いと、男達のざわめきが聞こえてくる。
「まだ、この宿にいたんだねぇ」
「そう簡単に、宿は変えられないんだよ。まだ、前払い金が残ってるしな」
勇者試験の前日、ヒルデルカもこの宿の泊まっていた。正確には、俺が泊まらせたんだ。流石に、体一つで外壁の外に野宿しようとする馬鹿を見過ごせなかった。
宿と言っても、そんなに大したところじゃない。部屋は小さく、ドアは蹴られただけで破れてしまう程薄い。リネンはいつ洗濯されたのか分からない位汚く、廊下には骨やパン屑、痰なんかがへばりついている。
行商人の借りる普通の安宿だが、それでも野宿よりはマシだ。
「なら、あたいの部屋も残ってるのかい?」
「そんなわけないだろう。勇者試験が終わってから、音沙汰がなかったんだ。とっくに他の奴が使ってるぞ」
俺達は元々、勇者試験の間と言う条件で借りていたんだ。勇者試験の後、音沙汰がなかったら、他の奴に部屋を貸して当然。ここは王都、外壁の内側に入りたい商人は山ほどいる。
損した気分だねぇ、とぼやくヒルデルカを引っ張って、俺は宿に入った。
宿の一階は広間になっていて、大きなテーブルが一つと椅子が五、六脚ある以外は、伽藍としている。部屋も借りれない駆け出しは、この広間で身体を丸めて寝る。
テーブル前で、ゆったりとしたローブの腰を赤い布で絞った行商人がワイン片手に談笑している。多分、持ってきた商品の売り手が決まっているのか、もしくは日の入り後しか扱えない御禁制を扱っているんだろう。
お、あの銀髪は。
行商人達の後ろに銀色の髪が見えた。俺は少し首を伸ばして、行商人達の後ろを覗き込む。
テーブルの奥まった場所で木製のコップを揺らして遊ぶリシェルがいた。ふっくらとした唇を開閉し、対面に座る男になにやら話しかけていた。
誰だ、あの銀髪の男? 兄弟にしては似てないよな。
男はリシェルと同じ銀髪で、くすんだピンク色の瞳をしてた。一瞬、兄弟か、と思ったが、それにしては人相が違いすぎる。痩せこけた頬から顎に流れるラインは鋭く縦長で、糸の様に細い眉毛の下にある目は小さく、油の様にぎらついていた。人殺しが仕事です、と言われたら、無条件で信じる。
そんぐらい、怖い。
「どうしたんだい、カール?」
急に立ち止まった俺の肩を、ヒルデルカが叩いた。
「あ、ああ、知り合いがいたんだけど」
「あ、カールッ!」
リシェルの声が広間に響いた。商人達視線が俺に集まるが、右手で頬を掻いて手の甲に彫られた紋章を見せると、興味をなくしたように談笑に戻った。
俺は何食わぬ顔でリシェル前に向かう。ヒルデルカの足音が俺を後ろから追いかけてきた。
「早いな、もう、来てたのか」
「ま、ねー」
笑顔で頷いたリシェルが、不機嫌そうに顔をゆがめる。
ん、何かあったのか?
「で、その女、何?」
半眼になったリシェルが、顎で俺の後ろを指す。
あっれー? あんた、何してますの、リシェルさん? 何で初っ端から喧嘩売っての、ねぇ?
いや、まだ大丈夫だ。気にする状態じゃない。
ヒルデルカは基本姉御肌だ。こんかいは仲間からの紹介でもあるし、これ位は笑って許してくれるだろう。
な、ヒルデルカ。
「あぁ、なんだいこのチビジャリは?」
ヒルデルカさーん、なんで、メンチ切ってるんですか? 年長者としての余裕とか、度量とか、そういう人間関係を潤滑にする代物はどこに消えたんですか?
にらみ合うリシェルとヒルデルカの間で、火花が散ったように見えた。
やばい、何が悪いのか知らんが、この二人、致命的なまでに仲が悪い。勇者と魔族、本能的に嫌い合う性質があるのかもしれない。
俺が冷たい汗を流しながら、リシェルとヒルデルカを見守っていると、二人は一斉に俺を睨みつけてきた。
「カール、まさかこれが、知り合いかい?」
「カール、まさかそれが、伝手?」
鬼のような形相をしたリシェルとヒルデルカに、俺は恐る恐る頷いた。
チッ
どちらかともなく、舌打ちが聞こえ、二人はまた睨みあう。
「あんた、人様をそれ呼ばわりとは、年上に対する敬意がないんじゃないかい?」
「はぁ? 年以外、自慢できるものがない人が何言ってるんだか」
「確かに、子供と胸や腰を比べても、仕様がないねぇ」
「知性や性格が出てこない辺り、自分を知ってるわね、お・ね・え・さん」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴと、大気を揺るがす音が聞こえてきそうだ。
うん、逃げよう。こんな所にいたら、寿命が幾らあっても足りやしない。
俺は隠れるように中腰で、銀髪の男、リシェルが話しかけていた男、の隣に座る。
男は俺に気付いていないのか、黙々とパンをワインに浸して口に運んでいる。パンには溶けたチーズがかけられていて、食欲を誘う匂いを辺りに漂わせている。
俺の腹が小さく鳴った。
男がパンから顔を上げて、俺を見た。ギラついた目は、くすんだピンク色をしているにもかかわらず、どこまでも暗い闇を感じさせる。
「初めまして、俺、カールです」
「グリン、リシェル様の部下だ」
俺が明るく挨拶すると、男は嫌そうに眉を歪めて、ぶっきらぼうに言った。重低音で暗い調子の声が耳に響く。
こえぇぇぇぇぇぇ。
絶対、何人か殺してるだろ、こいつ。でなきゃ、あそこまでドスの効いた声は出せないって。
俺が恐れ慄いていると、グリンは未だ言い争っているリシェルとヒルデルカを指差す。
「あっちを何とかしろ。飯がまずくなる」
「いや、無理」
「良いから何とかしろ。お前が原因だろう」
えー、何それ? 俺はヒルデルカをリシェルの前に連れてきただけだぞ。
「……なんだ、文句でもあるのか?」
男、グリンのぎらついた目で睨まれ、俺は慌てて首を横に振った。
チラリと横目で、言い争う二人を見る。
あ、竜とドラゴンが見えた。
うん、無理。あんなやばい空気を出しまくってる所に突っ込んだら、殺される。
しかし、グリンがきつい視線が浴びせて、さっさと行けと、俺をせっつく。
畜生、なんで俺が……と愚痴も言いたくなるが、無視は出来ない。魔族と勇者に喧嘩なんてされた日には、こんな安宿、瞬きしている間に消え去る。そうなれば……
俺は広間の端で、身を小さくしている行商人達を見る。リシェルとヒルデルカの闘気に当てられて、顔を真っ青にして震えている。
そうなれば、あの行商人達は大怪我するだろうし、宿の親父さん達は監督責任を取って王都の外、外壁行きになるに違いない。大した蓄えのない行商人じゃあ、まともな医者にはかかれない。外壁行きになれば、魔物や野生動物、夜盗から自衛しなくちゃいけないが、あの太った中年夫婦じゃ無理だろう。どちらにも致命傷になってしまう。
「やるしかないか」
覚悟を決めた俺は二人を仲裁する為に立ち上がり、腹に力を込める。
「二人とも、言い争いはやめろっ!」
「「あ゛ぁ?」」
とても年頃の娘さんから出たとは思えない野獣のような声に、膝が笑う。このまま、愛想笑いを浮かべて座ってしまいたいが、それは駄目だ。
「リシェル、お前から仕事の斡旋を頼んだんだろ。いきなり喧嘩腰はないだろう」
「うっ」
リシェルが呻く。
「ヒルデルカも、落ち着いてくれ。ここでお前が暴れたら、周りがどうなるか考えろ」
「あー」
ヒルデルカが気まずそうにそっぽ向く。
二人の間にあった全てを吹き飛ばしかねない空気が弱まる。まだ、山賊同士の仲間割れレベルの空気の悪さだが、さっきに比べれば、大分ましだ。
ふぅ、これで危機はさったか。それにしても、
「なにが原因か知らないけど、もうちょっと周りを見ろよなぁ」
「「「お前が言うなっ!」」」
何故か、リシェルとヒルデルカ、そしてグリンから罵声を頂きました。
あっるぅぇー、何か俺おかしな事言った?
俺が目を白黒させていると、ヒルデルカが呆れたように深々とため息を吐く。
「まぁ、カールの鈍さは今に始まったことじゃないしね」
「ああ、やっぱり。苦労してるのね」
「ふん、大した事じゃないさ。カールと仲間のあたいには時間が十分あるからね」
「それは正しくないんじゃない? 今日からわたし達も仲間になるんだから、わたしにも時間は十分あるわ」
「仲間になれるとでも?」
「あれ、その為に来たんじゃないの?」
リシェルとヒルデルカが笑いあう。
狼とか、鷹のような、非常に獰猛な笑みで、すっごく肉食系です。お互いの喉笛や目玉を取り合いそうな、緊張感がこっちにまで伝わってくる。
「ふん、外へでな」
ヒルデルカが、入り口を指す。
「へぇ、やるの?」
リシェルの目に好戦的な色が見えた。
もー、やだー、この二人。喧嘩止めてから、まだ数回言葉を交わしただけなのに、さっきより状況が悪くなってね。
俺は助けを求めるように、隣を見る。隣りに座るグリンは、我関せず、と言った様子で、黙々とパンを口に運んでいた。
ぎゃー、こいつ、無視する気だ。
どうする? もう一回止めるか。いや、駄目だ。さっきと同じ手は使えない。仕事云々言っても、その仕事が取れるか不透明になった今、リシェルは止まらないだろう。ヒルデルカも、外でやるなら問題ない、と考えてるんだろう。
勇者と魔族の喧嘩なんて、本気で洒落にならない。
どうする?
どうする?
どうする?
「勘違いしないでよ。あんたらが足手まといにならないか、テストしてやるだけさ。ついでに、その性根も叩きなおさせてもらうけどね」
あ、詰んだ。これじゃあ、止められないわ。
「成る程ね。そっちこそ、その鼻っ柱叩き折ってあげるわ。グリン、行くわよ」
リシェルもやる気まんまんだな。予想通り、グリンは止めようとしやがらねー。
もう、被害を最小限に食い止めるしかないか。後は、二人に熱くならないように言って、言って……言って意味あるのかなぁ?
俺は、さてどうするか、と頭を抱えながら、三人の後を追った。