勇者に小屋で依頼
翌朝、俺は一の鐘が鳴ると同時に宿を出た。東の空から上る太陽を右手に、王都ドゥズィエムを歩く。
王城を目指して南大通りを北上しているわけだが、流石、王都だ。何度見ても、圧倒される。
石畳に窓の小さな背の高い建物、殆どの建物が二階建てで、中には三階まであるものまである。
先ほどからすれ違う牛車の中身も、リンゴ、梨、血抜きされた鳥なんかがあった。田舎じゃまず見られない高級品が、まるで一山幾らのジャガイモみたく山盛りになっている。
お、この匂いは、胡椒か。まさかあの荷台にある袋、全部香辛料なのか。妙に食欲を誘う、嗅いだ事のない匂いまで漂ってきた。
荷物持ちの一人としては、荷台を駆け寄って、色々話を聞きたいが、ここはぐっと我慢する。今は王城に行くのが先だ。
あの魔族、リシェルは昼頃来ると言った。その前に、聖女様護衛の話をつめておかなくては駄目だ。リシェルを脇に置いて、聖女様護衛参加のお願いに行ったら、何を言われるかわかったもんじゃない。
まだ、屋台の一つも出ていない大通りを抜け、南井戸のある広場に出る。左右をはさむ様に巨大な石造りの建物が広間を囲う。四階はありそうな建物にはそれぞれ、商人と職人のギルド支部を示す、天秤と金槌の看板が立てかけられている。
そろそろ二の鐘が鳴りそうな時間だ。
職人ギルド支部から、ワインとチーズの匂いが漂ってくる。仕事前の腹ごしらえをしているんだろう。
途端、俺の腹も寂しく感じられた。
ワインとパン位飲んでから来るべきだったか。いや駄目だ。仕事するわけでもないのに、飲むのは駄目人間だ。そんな不信人な事は出来ん。
口に溜まった涎を飲み込んだ俺は腹を撫でながら、広間を突っ切り、真っ直ぐ進む。
広間を抜けた先からは風景ががらりと変わった。長大な塀と、見事な意匠をあしらった鉄の門、金持ちの貴族が住んでいるお宅が立ち並んでいるのだ。
今はしがない荷物持ちだが、いつかはこう言う人たちの贔屓になりたいね。肉売り、野菜売り、はたまた安定した魚売りか、夢は大きく塩商人といこうか。
大量の銀貨を背に綺麗な奥さんと、可愛い子供に囲まれた自分を想像していると、崖の様にそびえ立つ石壁が目の前に現れた。
左右に伸びた石壁はその端が見えず、手前にはラパン河から引いた水が流れる堀がある。出口は東西南北にある分厚い鉄の門だけだ。今は開かれているが、一度閉じられたら、少々の力ではびくともしないだろう。
この堅固かつ、難攻不落に思える場所こそ、この国、ラルネの王城である。未だ旅立っていない勇者達は、ここに住んでいるはずだ。
俺は堀にかけられた橋を渡り、南門を守るいかつい顔の衛兵に近寄った。俺に気付いた衛兵のおっさんに、片手をあげて見せる。衛兵のおっさんは、槍を両手で持ち直して、俺を睨んできた。
こえぇぇ。おっさん、そんなに睨むなよ。ちょっと取次ぎをお願いしたいだけなんだ。怪しくなんかないだろう。
服も上等な皮の服を選んできたんだぜ。そりゃ、城に入る奴らに比べたらみすぼらしいけど、そんな殺気だった目で見なくてもいいじゃないか。
へっぴり腰でおっさんに用件を告げると、鬼の形相が感じのいいおっさんの笑顔に変わった。
流石、勇者の名前、その威力はとんでもない。
笑顔のおっさんに連れられて、俺は石壁の中に建てられた兵士が詰める小屋に案内された。小屋の中は閑散としていて、土の上に直接テーブルと十脚位の椅子だけが置かれていた。
え、王城の中じゃないのかって?
勇者の名前を出しただけの不審者をそんな重要なところまで誘うわけないじゃないですか。今も、ドアや窓の外は何人かの兵士に監視されてますよ。ちょっとでも可笑しな真似したら、兵士の皆さんが押しかけてきて、問答無用で惨殺です。
うん、元勇者候補と現勇者の格差が良く分かる。
大人しく手直にあった椅子に座って、勇者を待つ。
勇者試験では色々世話になったし、世話した奴だ。面倒見は良いから、こっちの願いも渋々ながら了解してくれるだろう。
リンゴーン、リンゴーン
遠くから鐘の音が二回聞こえた。二の鐘だ。
今頃は王都のあちこちで、店の戸が開き、出店が建てられているだろう。今日は梅雨の月の平日だ。きっと肉屋が繁盛するはずだ。
茹でて焼いた肉を分厚く切って、パンと一緒にスープに浸して食べたいぜ。
俺がすきっ腹を撫でていると、休憩室のドアが開いた。
振り向くと、男臭い笑みを浮かべてヒルデルカが入ってきた。高い身長、袖の外やスカートのスリットから見える筋肉質な四肢、獰猛な狼を思い起こさせる顔、男の俺より男らしい女だ。その癖、女性としてのしなやかさや繊細さが消えていないのは、ずるいの一言に尽きる。
「や、ヒルデルカ」
「や、カール」
俺が片手を上げると、ヒルデルカも片手を上げて答え、俺の隣りに座った。香の匂いが鼻につく。
ん、香なんてやってるのか。あのヒルデルカが?
「この匂い、どうしたんだ」
「あー、これかい。城の中じゃ香水がはやってるみたいでね。この服にも、無理矢理つけられたんだよ」
ヒルデルカが眉を寄せて、嫌そうに襟元を摘む。
勇者になっても変わらないヒルデルカに、俺は少しばかりほっとした。
「それより、待たせて悪かったね。ちょっと日課が長引いたんだよ」
「もう、訓練なんかしてるのか」
「休んでばかりじゃ、なまっちまうからね」
三日前、大怪我した奴の台詞じゃねぇ。いくら回復魔法をかけてもらったからって、体力は回復しないはずだろう。一体、どういう体の構造してるんだ、この女。
「なんだい、その目は」
「いや、なんでも」
睨みつけてくるヒルデルカから逃げる為、俺は顔を背ける。
「まぁ、いいよ。それより、あんたは大丈夫なのかい? 身体に違和感はないかい?」
ヒルデルカが心配そうな声色で尋ねてくる。その目は、酷く弱々しく見えた。
ゴーレムに吹っ飛ばされた所を、目の前の特等席で見られたからなぁ。心配もするか。
「大丈夫、身体はまだだるいけど、疲労だけだ。流石はポンタの回復魔法。しかも勇者になったおまけ付き。どこも悪い所はない」
「ああ、そりゃ良かった」
ヒルデルカがほっとした様にため息をつき、あさっての方を見ながら付け足した。
「あたいを庇った所為で後遺症が残ったら、酒がまずくなるからねぇ」
気にする必要ないんだが、そう言ったら逆効果だよなぁ。逆に、気にしろ、とは言えないし、なんと言ったら良いんだ。こう言う時、歯の根が浮くような台詞を言える男がもてるんだろうが、生憎、こちとら田舎の荷物持ちだ。気の利いた言葉なんて、言えやしない。
何も言えず、沈黙で返してしまった。
場を仕切りなおすようにヒルデルカは一つ咳をすると、話し出す。その口調は珍しく歯切れが悪い。
「……ん、まぁ、体調がいいならどうだい、あたいとパーティを組まないか?
カールは、勇者試験の時も色々世話になったし、その、なんだ……結構頼りになるからな」
ずっと姉御肌で皆を支えてきたヒルデルカにとって、誰かを頼るのは恥ずかしいんだろう、顔がトマトの様に真っ赤になっている。
しかし、これはラッキーだ。こっちからお願いするはずだった案件を、ヒルデルカから提案してくれた。これほど、やりやすい事はない。
「もちろんだ。俺もそのほうが助かるよ」
「そうかい、そうかい」
俺が頷くと、ヒルデルカの顔に花が咲いた。
こりゃ、荷物持ちがいない旅の危険性が良く分かったみたいだな。勇者試験前は、食料すら殆ど準備せずに街から出ていたヒルデルカが、ここまで成長するなんて。
俺は目頭が熱くなるのを止められない。
「どうしたんだい、いきなり目元を押さえて」
「いや、なんでもない。
それより、この先の展望は何か決まってるのか?」
「ああ、あの勇者任命式の後、あたいら勇者にそれぞれ命令が降りてきたんだよ。勇者は仲間を集めて、その命令をこなさなきゃならないんだ。
あのお触れにあった特例の条件だとさ」
なるほど、勇者試験の続きなんだろうな。ただ、魔王を倒せなんて命令をしたら、一直線に魔王に戦いを挑む馬鹿や、勇者の特権だけ使ってまったく戦わない奴が出るかもしれない。確実に魔王を倒せる実力と、魔王を倒さなきゃいけない状況を準備するつもりなんだ。
と、少し前の俺なら予想していたが、今は違う。きっと、停戦の為の準備を手伝わせているんだろう。リシェルの言葉が正しければ、人間側も魔族の全滅は求めていないはずだ。だったら、魔王を倒すなんて、魔族にとって致命傷になる事はしないだろう。
と、考えが逸れたな。今は、何とかして聖女様護衛にもぐりこむ必要がある。
まずは、ヒルデルカが受けた命令を聞かないとな。上手くやれば、聖女様護衛と命令を結び付けられるかもしれない。最悪、聖女様誘拐の件を話せば、何とかなるだろう。
その時は、恐らくリシェルと敵対する事になるけど……
考えたくねぇ。魔族から個人的に恨まれるなんて、暗殺者に四六時中狙われるより性質が悪いぞ。
どうかヒルデルカの命令が、聖女様護衛と結び付けられるものでありますように。
俺は聖神に祈りながら、尋ねる。
「ヒルデルカの命令は何だ?」
「あたいのは、聖女様の巡礼の護衛だよ」
なんだこれは?
都合が良すぎやしないだろうか?
「どうしたんだい、馬鹿みたいに大口を開けて」
「その話、本当か」
俺は破裂しそうなほど脈動する心臓を押さえて、ヒルデルカを見据えた。
「なんだい、いきなり意気込んで、そんなに聖女様が良いのかい?」
ヒルデルカが面白くなさそうに、唇を尖らせる。
どうやら、嘘じゃなさそうだ。それに、隠し事をしている様子もない。
だとすると、これはあの魔族の計画なんじゃないか。あの魔族リシェルは、ヒルデルカが聖女様護衛の命令を受けた事を知っていて、わざわざ、俺に話を振ってきた。
勇者試験でヒルデルカのパーティだった奴は、俺以外、王都にいない。ポンタは前線、アースターは故郷に帰っている。そして、ヒルデルカはパーティだった奴以外との協力を考えないだろう。元々、一匹狼な奴だ。リシェルが直接ヒルデルカに頼んでも、その場で一蹴される事は目に見えてる。
あの魔族、どこまで調べたんだ。
俺は背筋に冷たいものを感じ、小さく身を震わせた。
「カール、どうしたんだい? まさか、本当に聖女様が……」
おっと、やべ、ヒルデルカを忘れてた。
て、ヒルデルカさーん、何で怒れる狼のような目で睨んでるんですかー。
「そうじゃないけど、聖女様を護衛できるなんて名誉な事だから、驚いたんだ」
何がそうじゃないのかは分からないが、取りあえず否定しておけ。否定しなかったら、殺られる。俺の生存本能が大声で訴えていた。
「なんだ、そういう事かい。あたいがこの命令を受ける事にしたのと、同じ理由だね」
歯を見せて笑うヒルデルカ。俺は危機を回避できた事に胸を撫で下ろす。
「あ、そうだ」
何気ない風を装って、俺はリシェルをパーティに入れる件を切り出した。
「実は王都に村の知り合いが居たんだ。小さい頃遊んだダチなんだが、紋章持ちとして生計を立てているらしい。
そいつ、何か仕事がないか探してたんだが、連れてきても良いか?」
「知り合い? そりゃあんたの知り合いなら、まぁ、悪い奴じゃないだろうが、必要かね?」
俺のお願いに、ヒルデルカは難色を示す。
まぁ、これは予想通りだ。
「護衛任務なら、人手が多くて困る事はないさ。無理にパーティに入れろとは言わないけど、せめて聖女様護衛の雑用係位にしてやれないか?」
リシェルからは聖女様護衛に参加する様にして欲しいとしか頼まれていない。たとえ馬の下の世話でも恨むなよ。仕事内容を明言しなかったお前が悪いんだ。
「そうは言ってもねぇ。あんまり弱いと足手まといにしかならないよ。そいつの腕は確かなのかい?」
「腕は俺も見てないから、なんとも言えないけど、本人曰く、そこらの紋章持ちには負けないそうだ。俺の顔を立てると思って、頼む」
俺は膝に手を当てて、深々と頭を下げた。姉御肌のヒルデルカには、こう言うお願いが一番効くのだ。
「仕方ないねぇ。取りあえず、会うだけ会ってみるよ。ハァ……折角の二人パーティがねぇ」
「サンキュー、ヒルデルカ」
大きなため息を吐くヒルデルカに、俺は笑って礼を言う。
それにしても、二人パーティが良いって、そんなに大人数で居るのが嫌なのか。一度仲間になった奴に対しては面倒見が良いのに、仲間じゃないと一緒にいるのも嫌なんて、面倒くさい奴だ。