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見えない腕に繋がれて

作者: 九榧むつき

 

 エレベーターに乗り込んで、いつもの階のボタンを押す。

 少し古びたエレベーターは、静かに扉を閉じ、音を立てて上階へ上がった。

 エレベーターの中は、大抵の場合、私一人だ。


 ふう、と軽く息を吐く。扉と反対側にある鏡を見ながら、軽く前髪を弄ったりして、身なりをチェックする。

 程なくエレベーターは階下についた。




 中古マンションに設置されている、使い古されたエレベーター。

 少し薄暗くて不気味な時もあるが、私にとっては毎日の通学の足。

 階段で昇降するには、時間がかかるし、体力面で私には無理。

 だから、いつもこのエレベーターを使っている。




 帰り、再びエレベーターに乗った。

 いつもと同じく、私一人だ。習慣で同じ階のボタンを押した。


 扉の閉まったエレベーターで、鏡の前に立つ。

 殆ど癖になっている、鏡の前での身なりチェックをしていると…

 鏡に映ったエレベーターの床に、人影が見える。


 私、以外の。


 驚いた勢いで振り返った瞬間、階に着いた。

 もう一度、鏡の中をくまなく見る。

 何処も変わった様子は無い。気のせい?


 首を傾げながらも、私はエレベーターを降りた。






 翌日。

 前日の怪しい件があるものの、階下へ向かう用事があった私は、やはり、エレベーターに乗った。

 ………。

 少し怖い。いつもなら、鏡の前に立つのだが、やはり、昨日の事が気になる。

 だからなるべく鏡に映らないように、私はボタンの前に立った。




 何事もなく、エレベーターは階下へと下がっていく。


 ふと覗いた鏡の中に、現実には無い階のボタンを見つけた。

 …………。

 思わず身体が震える。

 だか同時に興味を持ってしまった。

 もうすぐ階下に着く。


 …すぐに逃げれば大丈夫。


 何の根拠も無く、私は自分に言い聞かせて、好奇心のままに、そろりと手を伸ばした。


 この辺かな?


 私は鏡の中に有るボタンの、存在していそうな場所をそっと指で押した。

 ガクン、とエレベーターが止まった。着いたのかな、と階表示に眼をやったが、何故か消えている。

 私の中の血気が、音を立てて引くのがわかった。

 ……………。

 慌てて非常ボタンに手を伸ばそうとした途端、

 ガクン、

 再び動き始め、すぐに階下に着いた。


 扉が開くと同時に、私は振り返りもせず、走り出た。






 さすがに帰りは、歩いて階段を昇る。途中何度も休みながら。

 暫くはエレベーターを使わないでおこう。

 引きつる脚の筋肉に、眉を寄せつつ、それでも、固く胸に誓った。




 …筈なのに。

 朝になって、私は結局エレベーターの前にいた。

 階段ではもう間に合わない。

 いっそのこと、遅刻しようか。

 そういう訳にはいかないと、重々承知してはいるのだが…。ごくりと唾を飲む。


 大丈夫。何も無かったんだから。


 もし霊がいたのだとしても、直接的な被害は無かった筈。

 気のせいと、眼の錯覚、そして機械の不具合。

 今までの経験と噂話を総合して、もう一度自分に言い聞かせる。

 よし、と自分に気合いを入れて、私はエレベーターのボタンを押した。




 すぐに到着して、扉が開く。恐る恐る鏡を見て、映っているのが私だけだと確認したら、ほんの少し安心した。

 あまり躊躇してもいられないので、覚悟を決めると、私はエレベーターの中へ入った。


 昨日と同じく、鏡を意識してボタン側に立つ。

 1階のボタンを押すと、すぐにエレベーターは、下がり出した。

 何事もなくエレベーターは階下へ降りていく。


 チン


 扉が開いて外に出ようとした時、生暖かい空気が鏡に近い方の手に触れた。

 思わず振り返る。鏡には手が映っていた。


 私の手と、誰かの手。


 全身に鳥肌が立つ。

 悲鳴にならない声を上げて、一目散に私は逃げた。






 その日は一日中、憂鬱だった。

 朝っぱらから恐怖体験をし、帰りには、またエレベーターに乗らなくてはいけない。

 階段を歩いて上ればいいのだろうが、そんな余力は私に無かった。


 …結局、マンションの前まで来て、溜息を吐きながら、ちらとエレベーターの方を見る。

 と、そこには細身の眼鏡を掛けた男が立っていた。


 良かった、一人で乗らなくて済む。


 珍しく他人が居る事に私は安堵した。こっちに気付いたのか、男性がちらりとこちらを見る。

 私は軽く会釈をした。

 あまり見ない顔だな、と思いながらも隣に立ってエレベーターが着くのを待つ。

 程なくエレベーターの扉が開いた。


 私達はエレベーターに乗り込んだ。私がボタン側で、男性が中央に陣取り、扉が閉まる。

 そして、上昇し出した途端、男が豹変した。

 襲ってきたのだ。


「いやっ、やめてっ」


 誰か助けて、と思った瞬間、あの生暖かい空気に絡め取られ、余計に身動き出来なくなった。

 かわりに、襲ってきた男は跳ね飛ばされ、派手な音を立てて壁に激突する。

「このアマ、」

 再び掴み掛かろうとするが、今度は踏み付けられたように、倒れて床に這い付くばった。

 チン、

 と音がして、扉が開く。

 私はそのまま外に放り出され、男は追って来る間も無く、エレベーターに飲まれていった。

 閉じた扉の前で、へたり込んだままの私は、何が起こったのか理解できなかった。


 わかっているのは、あの生暖かい空気が、私を守ってくれた事。

 あの時、空気の壁に包まれて、なんだかギュッと抱き締められたみたい…な?




 あれから男がどうなったのか、私は知らない。

 誰かに話した方がいいのだろう。けれど、流石に怖くて誰にも言えなかった。

 幸い、噂話でこの辺りに出没していた痴漢が捕まったらしい、とかの話を聞いたので、安心したのもある。


 あれ以来、エレベーターに乗っても、変な事は起こらなかった。

 いつもの様に乗りながら、鏡の前で身なりをチェックする。

 ついでに他の手や人影が映っていないかも。

 残念ながら、私以外には誰も映らない。


 知りたいのに。あなたの気持ち。






 いつもの帰り。

 一人でエレベーターに乗った私は、床に一冊のメモ帳が落ちているのに気が付いた。

 誰かの落とし物だろうか。それとも…。

 遠慮がちに、手に取って 開いてみる。


 真っ白だった。

 パラパラと捲ってみたが、何も書かれてなさそうだ。

 だか、とあるページで私の手は止まり、眼が釘付けになった。


 ちゃんと書かれていたのだ。文字が。

 多分…いいやきっと、これはあの人からのメッセージ。

 一瞬、涙で瞳が潤んで、字が読めなくなる。私はもう一度、今度はちゃんと心を落ち着けて、改めて読んだ。




 初めにこう書かれていた。

『いつも見ていた』


 続いて、

『君の事』


 少し空いて、

『君を愛している』



 そして、長い空白の後、

『怖がらせて、ゴメン』


 メモに書かれていたのは、それだけだった。

 幾ら探しても、それ以上見つける事は出来なかった。






 後日。

 エレベーターを管理している会社から、メンテナンスの工事が入った。


 二日程で済んだ工事で、リニューアルされたエレベーター。室内も綺麗になり、新品同様に明るく生まれかわった。


 私はボタンを押し、以前の様に鏡の前に立ってみる。

 もう、誰かの人影は映らない。

 もう一度、無い筈のボタンを押す。

 でもそこには何も無かった。

 整えられた空調の内部で、私は額を鏡につけた。


 ゴメンね。


 俯いて眼を閉じたまま、呟く。


 そして、有難う。


 誰もいない空間に向けて。一人ごちに。


 ……………。


 最後の言葉は口にしなかった。何処かでまた会えることを、期待したから。




 私はエレベーターを降りて、いつも通り、歩き始めた。




 ─ 了 ─


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― 新着の感想 ―
[一言] ちょっとホラーな感じが伝わって少し怖かったですし、とてもよかったと思います。それにきちんとラブもあったので私は、こういう話は好きです。
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