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ラジックの相談所

ラジックの相談所 第三話

第三話



 何気ない平日の昼下がり。


「はあー、うまかったぜ」


 俺はちょうど昼食のサンドイッチを部屋の中で食べ終わったところだ。今日の天気は晴れ。雲一つない青空がこの相談所の上には広がっている。できれば外に出てラジック神殿の床にマットを広げて昼寝でもしていたい気分だな。さぞかし気持ちの良いことだろう。もちろん仕事があるのでそんなことは許されないのだが。


「昼食休みも短いんだよなぁ。もっとゆっくりしたいぜ」


 昼食をとったばかりの俺はせめて食後のコーヒーをゆっくりと楽しむ……ぐらいの幸せは享受したかったのだが、運悪くこの時間はラジック相談所に訪れてきたお客さんの対応をしなければならなかった。


「あのう、すまんがのう……」


 男性の老人が一人、部屋の中に遠慮がちに入ってくる。


「ラジックとかいうもんの相談はここでええんかのう?」


 おそらく年齢は八十を超えているだろう。髪はほとんどなくなっているし顔も深いしわが刻まれている。だが、足腰はしっかりしているようだ。ゆっくりだが危なげない足取りで歩いてくる。


「はい、どうぞ。ラジックに関するご相談ですね。ひとまずここの椅子にお座りください」


 俺は部屋の真ん中の大きな長机にその人を座らせる。


「ふう。この年になるとこんな小さな山を登るだけでも大変じゃな」

「ご足労かけてすみません。俺も毎日、この職場まで来るのは大変です。ここに神殿を建てたやつを恨みながら朝な朝な階段を上っていますよ」

「ははは、そうかおぬしも大変じゃな」


 自分も席に着く前に尋ねる。


「コーヒーでも淹れましょうか?」

「いや、けっこうじゃ。ご丁寧にどうも」


 ご老人はすぐに話を始めた。


「わしはコルネオ・マンスーリという者じゃがの。昨日の晩、ついに噂に聞いておったラジックとかなんとかを授けられたようなんじゃ。夜、寝ておると何か声が聞こえてきたような気がしてのう」

「夢の中で声が聞こえてきて、効力の説明があったんですね?」

「そうじゃ、そうじゃ」


 俺は微笑んで言う。


「それならほぼ間違いなくラジックだと思っていいでしょう。おめでとうございます、マンスーリさん。ラジックを授けられるのは幸運なことですよ」


 ラジックの力を与えられるのは一生に一度あるかないかの特別な体験だ。基本的には喜んでおいていいだろう。


「ああ、ありがとう。だがなぁ……」


 マンスーリさんはいまいち晴れない表情だ。


「そのラジックというものが、わしにはいまいちよくわからなくての。そもそもラジックとはなんなのじゃ?」

「そう、ですね。ラジックとは……」


 この質問をされると俺はいつも困る。ラジックとはなんなのか? はっきり言ってこっちが訊きたいぐらいだ。ラジックほど訳のわからないものはこの世にないのではないだろうか。でも仕事上、俺は説明しないわけにはいかない。仕方ないので俺はこう答える。


「ラジックとは、ちょっとした幸運のしるし。神様の気まぐれ、です。魔法のような効力があるのですが、それは本当に些細なものです。あまり過度な期待はしないほうがいいでしょうね」


 マンスーリさんはわかったようなわからないような感じでつぶやく。


「……はあ、そういうもんか」


 無理もない。この説明でわかる人間など存在しないだろう。とは言っても俺の方もこれ以上の説明は不可能だ。許してほしい。こちらはうまく説明できないし、むこうもうまく理解できない。なのでこの話題はその辺にうっちゃておくのが一番だ。俺は話を進める。


「それで、どういった効力のラジックを与えられたのですか?」


 俺の質問にマンスーリさんは眉間にしわを寄せる。


「ふうむ。それがの、どうもはっきりせんのじゃ」

「ラジックの効力は本人にとって直感的にわかるもののはずです。よーく、思い出してみてください」


 ラジックを与えられたこととその効力は基本的には夢の中で教えてもらえる。頭の中に変な声が響いてきてラジックの内容を伝えてくるんだ。しかも、その声が言ったことはラジックが消えるまで忘れてしまうということはない。ラジックの内容はまるで生まれたときから知っていたかのようにわかるものなんだ。だから、この人もラジックの内容が思い出せないということはないはずだ。


「ふうむ、それは確か……」

「はい」

「Dなんちゃらの画質が良くなる、とかなんとか……」

「ディ、Dなんちゃら?」

「ああ。Dなんちゃら、だ。わしにはまったく聞いたこともないもんだったな」

「……はあ。Dなんちゃら、ですか」


 なんともアバウトな説明だ。もっとはっきりと自分のラジックについてはわかりそうなものだ。だが、聞いたことがない言葉なら理解できないこともあるかもしれない。まあ、この人の場合は年も年だしなぁ。


「ほかに何か言っていたことはないですか?」

「いや、これっきりじゃ。それは間違いない」

「そうですか」


 となると、Dなんちゃらの画質が良くなる、ヒントはこれだけか。これだけの言葉からラジックの効力を推理しないといけないとは。


「……なかなかの難問ですね」


 とはいえ初めからあきらめるわけにはいかない。じっと考えを巡らせる俺。


「……画質が良くなる、ですか」


 画質、といえば自然と関係してくるのはテレビやパソコンやカメラなどだろうか。その中でDなんちゃらという名前が付くものは……。


「もしかして!」


 俺はピンと来た。マンスーリさんに訊く。


「そのDなんちゃらっていうのは、DVD、のことじゃないですか?」


 俺の言葉を聞いてマンスーリさんははっとした表情で尋ね返してきた。


「おっ、なんだって? もう一度、頼む」


 俺はゆっくりと大きな声で言う。


「DVD、です!」

「おお、それじゃ。それじゃよ!」


 良かった、ビンゴだ。マンスーリさんは嬉しそうに話す。


「その、DVなんちゃらが良くなるんじゃ、わしのラジックは」

「なるほど。わかりました、わかりました」


 俺は理解した。つまり、マンスーリさんのラジックはDVDの画質が良くなる、つまりDVDをテレビやパソコンで見たときに普通の人よりきれいな画質で見ることができる、ということなんだな。


「はあ、これまたレアな感じのラジックですね」


 俺は独り言のように言う。ただ、マンスーリさんの方はまだ自分のラジックのことを理解できない様子だ。またも俺に質問をぶつけてくる。


「それで、そのDVなんちゃらとはいったいなんなのじゃ?」

「えっと、それはですね……」


 これまた説明が難しい質問だ。俺は電気屋さんじゃないんだよ。DVDのわかりやすい説明なんて真面目に考えたことはない。しかし、俺としては頑張るよりない。


「そうですねぇ。なら、ブルーレイディスクはわかりますか?」

「ブルー……なんじゃと?」

「……いや、なんでもないです」


 気を取り直して、


「じゃあ、ビデオテープ、VHSとかはわかりますか?」

「ビデオテープ……聞いたことのある響きだ。昔、うちの息子がよく言っとった気がするのう。ビデオテープ、ビデオテープ……」


 マンスーリさんはややあって訊いた。


「なんかスケベなものか?」

「は?」


 なんでだよ! なんでビデオテープがスケベなんだよ! 俺はいちおう説明する。


「い、いや、特別スケベなものじゃないです。スケベなものもないわけではないですが、それは中身の問題ですから。ビデオテープ自体はスケベとかそういうことじゃないです」


「むう、そうか。うちの息子はものすごくスケベじゃったからのう。何か関係があるのかと思った。うちの息子はそりゃあもうスケベでスケベで。まったく誰に似たのやらのう」

「そ、そうですか」


 そろそろ頭が痛くなってきたんだが、俺は頑張って話を続ける。


「DVDというのは、まあ、簡単に言えばうちのテレビで好きな映画とかを見ることができるもの、ですかね」


 マンスーリさんは今度の話ははっきりと理解してくれたようだ。


「なるほど、そういうもんか。好きな映画が見られる、これは素晴らしい。わしも若いときは映画もよう見とったわい。なんだ、ラジックとはいいものじゃないか」


 喜ぶマンスーリさん。だが、それはかえってこの先のことが話しづらくなってしまった。


「ええと、しかし、ですね……」

「ん、なんじゃ。まだあるのか?」


 喜びに水を差すみたいで言いにくいことなんだが。


「映画を見るにはDVD専用のプレーヤーが必要なんですよ。お持ち……じゃないですよね?」

「プレーヤーじゃと? テレビなら古いのがあるがの。ほかはわしにはさっぱりじゃ」

「……ですよね」


 しょうがない、話すか。


「つまりですね、マンスーリさんのラジックはDVDとそれ専用のプレーヤーを持っていないとまったく意味のないものなんですよ。テレビだけでは駄目なんです」

「はあ? なんじゃと?」

「残念ですが、今のままではラジックは使えません。ディスクとプレーヤーを買うなり借りるなりしないと」

「…………」


 無言のマンスーリさん。それから急に怒った様子になって、


「おまえさん、わしにそのDVなんちゃらを買えと言うのか」

「い、いえ、決してそういうわけではないです」


 マンスーリさんはさらに語気を強めて言う。


「そうか、わかったぞ。さてはおまえさん、電気屋の回し者だな。ラジックとか言いつつわしにものを売りつけるのが目的なんだな! とんでもないやつだ!」

「お、俺はただの町役場の職員ですよ。落ち着いてください、マンスーリさん」

「うるさい! だまされるものか!」


 マンスーリさんは立ち上がって怒鳴る。


「こんなところ二度と来るものか。まったく何がラジックだ!」


 部屋から早足で出て行く。


「とんだ時間の無駄じゃったわい!」


 マンスーリさんは怒って帰ってしまった。


「……あーあ、行っちゃった」


 俺は開いたままキィキィと鳴り続けるドアの音を聞きながら呆然とするよりほかなかったのだった。


「なんなんだ、いったい」


 少しして俺はコーヒーでも淹れようと隣の部屋に向かう。


「でも、マンスーリさんが怒るのも無理はないか。せっかくのラジックが全然意味のないもの、いやそれどころか余計な手間をかけさせるだけのものだったんだからな」


 いつものことながら俺はその巻き添えをくらう格好になったわけだ。


「だいたいなんだよ、DVDの画質が良くなる、って。そんなラジックを年寄りに与えてどうするんだよ」


 俺はうんざりしてつぶやく。


「ここの神様は本当に変な神様だなぁ」


 俺は作ったコーヒーを持って自分の机に座る。


「さて、さっそく今の話を報告書にまとめるか」


 俺の仕事はラジックの相談だけでは終わらない。そのほかの雑用が山のようにあって、相談の内容や経緯をまとめたものを作って上司に提出しなければいけないのもその一つだ。


「ラジックの相談なんて変な仕事だが、役所の仕事には変わりないんだからその辺はきちんとしないといけないようだ。報告書をまとめるなんて激しく面倒くさいからやりたくないのは当然なんだがな」


 俺はパソコンを起動させて渋々と作業に取りかかる。

 そんな折りだった。


「おっはよー!」


 おそろしく元気な声とともに入り口のドアが開いた。


「ユトー君、やってるかぁー?」


 現れたのは一人の女性だった。短めのプラチナブロンドを揺らして颯爽と部屋の中に入ってくる。彼女は俺の姿を見つけるなり大きな声で言う。


「よしよし、ちゃんと仕事しているわね。えらいえらい」


 年は二十代半ばぐらいだろう、俺より少し年上だな。でも見た感じはもっと若く見える。ぱっちりとした目元、それにアヒル口って言うんだっけ、やや横に広い唇のせいだろう。Tシャツにジーンズというカジュアルな服装も良く似合っている。


「たまにはここに来て現場の様子でもチェックしとかないとね」


 俺は作業の手を止めて彼女の方に体を向ける。


「おっはよー、じゃないですよ、クラナさん。もう昼過ぎですよ、昼過ぎ!」


 この女性の名前はクラナ・オーフォード。町役場の職員で俺の直接の上司だ。本来なら勤務時間中はずっとこのラジック相談所にいなければいけないはずの人だ。なんで平気でこんな時間に遅刻してくるんだ。


「いや、それ以前にだな」


 俺は強い口調で言う。


「なんであんたは毎日きちんとここへ仕事しに来ないんだ!」


 この人、遅刻どころか現実にはここに姿を現さない日も多い。いったいどういうことなんだ、これは。


「こんなこと、役場のほかの人たちにばれたら大変ですよ。ちゃんとしてください」

「あら、ユトー君。いまさらそんな固いこと言わなくてもいいじゃない。実際、君一人でここの仕事はうまくこなせてるんだから。あたしがいたっていなくたって同じじゃない?」

「んなわけないでしょうが。あんたの分の仕事まで俺がやってんだ。こっちはもう死にそうだよ!」


 俺は悲痛な叫びをあげるもクラナさんは平然と、


「いいのかなー、そんな偉そうなこと言っちゃって。君にはあたしの車を一つ、安く売ってあげたでしょ?」

「うっ。それはそうですけど……」


 以前の話の中に出てきた俺が持っているイタリア製の車、あれは実はこのクラナさんから売ってもらったものなんだ。しかも新品同様のものを。給料の安い俺にとってはこの上なくありがたいお話だった。


「なに? 君は人から受けた恩をもう忘れてしまったの?」

「いや、もちろん覚えてますけど……」

「なら文句言わないの。それで納得しなさい!」

「……はい」


 あの車は特別に格安で譲ってもらったという事情もあり、今の俺はクラナさんにまったく頭が上がらない状態なのだ。簡単に言えば俺は車と引き替えに仕事の公平さを失ったというわけだ。うーん、いいのか悪いのか。ただ、向こうはと言うと確実に俺を思い通りに操っているわけだよな。そう考えると向こうの方が一枚上手というわけか。くそっ、見かけによらず恐ろしい女だな、この人。

 そのクラナさんはさっきまでマンスーリさんがいた長机の椅子に座りながら言った。


「でも、ユトー君、今日のところはそんなデスクワークは放っておいてもいいわよ。つまらない仕事なんて無視無視」

「えっ。そんなわけには……」


 クラナさんはやたらと機嫌が良さそうに話す。


「いいから、いいから。これは上司命令よ」

「はあ」

「その代わり、今日君はあたしの研究に付き合いなさい」

「クラナさんの研究?」

「そう。あたしの研究のことは君には前に話したわよね?」

「ええ、いちおう……」


 このクラナさん、普段は町役場のラジック課の職員として働いているのだが、趣味としてラジックの研究もやっているんだとか。なんでも古い書物を調べたり外国の似たような話のあるところに行ったりしているらしい。クラナさんの家はものすごい金持ちらしくて個人的な研究資金にも困らないようだ。相談所の仕事をさぼるのもおそらくラジックの研究にかまけているからだろう。俺としてはそのあたり公私の混同はやめていただきたいものなんだが。


「それで、俺は何をすればいいんですか?」

「うん。それはね……」


 こちらにニコニコとした笑顔を向けてくる。な、何か嫌な予感がするなぁ。


「あたしのラジックを客観的に観察しておいてほしいのよ」

「クラナさんのラジック?」

「そうそう」

「クラナさんもラジックを使えるんですか?」

「うん。そうなの」


 クラナさんはこぼれんばかりの笑みを浮かべて話す。


「昨晩、ついにあたしもラジックを授けてもらったのよ!」


 あ、なるほど。それで今日はこんなに機嫌がいいのか。


「今まで何年もラジックを研究してきてあたし自身がラジックをもらったのはこれが初めてのことなのよ。それでもう嬉しくて嬉しくて」


 たしかにそれは嬉しいだろうな。おめでとう、クラナさん。俺は拍手する。


「ありがとう。でも、喜んでばかりはいられないわ。ラジックの研究者としてはこの絶好の機会になんとしてでも研究を進めないとね」

「まあ、そうですよね」

「ただ、自分で自分のことを観察するにはやっぱり限界があるわ。そこでユトー君、君に手伝ってもらいたいわけなのよ」


 そういうことか。話は理解した。というか安心した。実は俺はまたなにか大変な仕事でも押しつけられすのかと思って俺は内心ではびくびくしていたんだ。だが、ラジックの観察ぐらいのことなら特に面倒なこともないだろう。相談員として仕事で普段からやっていることの一つだ。クラナさんがいつもここへ来るお客さんの一人だと思えば今回の話を断る理由は特にないだろう。俺はうなずく。


「いいですよ、クラナさん。そのぐらいのことなら引き受けましょう」

「ほんと? 助かるわ、ユトー君。君には今度おいしいディナーでもごちそうするわね」

「ははは、どうも」


 そして、俺は今回の話についての当然の疑問を口にする。


「それで、クラナさんのラジックはいったいどういう効力なんです?」

「えっとね、それはね……うーん、なんていうか……」


 あれ? 何か話しづらそうなクラナさん。なかなかはっきりとしたことを言わない。さっきのマンスーリさんじゃあるまいし、自分のラジックのことがわからないはずはないだろう。


「なんか、話すのが恥ずかしいのよね。このラジック……」


 そんなことをぶつぶつと言っているクラナさん。

 そこへ。

 ガチャリ。不意に入り口のドアが開く。


「やあ、ユトー。いるか?」


 部屋の中に入って来たのはイエスタだった。いつものように眠そうな顔をして、ぶかぶかの白い神官服を着ている。


「あっ!」


 さっきまで普通に座っていたクラナさんはイエスタの姿を見るなり立ち上がって、


「きゃー、イエスタちゃん!」


 いきなりその体に飛びついていった。


「ようこそ。いらっしゃい!」

「うっ、クラナか。おまえもいたのか」


 自分の飛びついてくるクラナさんを見てすぐに逃げようとするイエスタ。


「く、来るなー。わたしに近寄るなー!」


 だが、その甲斐もなく一瞬で、


「はい、捕まえたっ」

「うぐう」

「今日もかわいいわね、イエスタちゃん。ああもう、うちに持って帰りたいぐらいだわ!」


 イエスタに抱きついて頭をなでまわすクラナさん。


「よしよしよしよし」


 当然、イエスタは嫌がる。


「うにゃー、抱きつくなっ、頭をなでるなっ」


 俺はあきれつつその二人の様子を見る。


「あー、また始まったよ」


 この人はイエスタを見るといつもこうなんだ。どうもイエスタの見た目と性格が愛らしくてたまらないらしい。まるでペットの相手でもするかのようにべたべたとイエスタを触りまくる。対して身をよじるイエスタ。


「こらっ、クラナ。やめろっ、離せっ」

「ふふふ。イエスタちゃん、ほっぺたもぷにぷにね」


 きつく両腕をからませてイエスタの顔に自分の頬を寄せるクラナさん。イエスタは必死に彼女を付き離そうとする。


「おまえはいつもいつもうっとうしいぞ。とにかくわたしから離れろ!」


 だが、クラナさんも慣れたもんだ。イエスタの抵抗をものともしない。


「駄目よ、あと五分はこうしてかわいがっていたいもの。よしよしよしよし」

「うにゃ〜。や、やめろぉ、ク、クラナ〜!」

「か、かわいすぎる! 嫌がる姿もかわいすぎる。あと十分に延長よ!」

「うぎゃあ!」


 結局、イエスタは抵抗もむなしくクラナさんにされるがままとなる。ぐったりとしたイエスタをぬいぐるみのように抱えるクラナさん。その顔はものすごく満足そうだ。


「うふふ、しあわせぇ〜」


 やがて、俺は言った。


「もういいですか、クラナさん。そんなことより早く先ほどの話の続きをお願いしますよ」


 イエスタが来たせいでぐだぐだになっていたがクラナさんは俺にラジックの効力を説明している途中だったはずだ。


「ああ、そうだったわね。ごめんごめん。すっかり忘れてたわ」


 クラナさんはイエスタを床に下ろす。


「ふへぇ〜。やっと解放されたぁ〜」


 イエスタはふらふらと歩いて長机の椅子に座る。それからクラナさんは言った。


「イエスタちゃんにも話しておかないとね。あたし、昨晩、ついに神様からラジックを授けてもらったののよ」


 イエスタもそれを聞いて明るい表情を見せる。


「ほう、本当か。それは良かったな、クラナ。ラジック神殿の神官としてわたしも嬉しいぞ」

「ありがとう、イエスタちゃん。今からちょうど使ってみようと思っていたところなの。ユトー君に研究を手伝ってもらってね。良かったらイエスタちゃんも見ていてくれる?」

「うむ、もちろんだ」


 クラナさんは次は俺に顔を向けて、


「ええと、さっきは効力の説明の続きだったわね」

「ええ、そうです。何かクラナさん、話しにくそうだったんですけど……」

「うん。なんか妙な感じのラジックでね。ちょっとあたしにもよくわかんないの」

「まあ、とりあえず夢の中で言われたことをそのまま教えてください」

「わかったわ。確かね……」


 クラナさんはゆっくりはっきりと言った。


「『ラジックを使うと一回だけ黄色い蝶が現れる。その蝶を頑張って追いかけろ』ですって」


 思わず無言になる俺。


「…………」


 少し考える時間をいただきたい。これはクラナさんが話しにくそうにしていたのもわかる気がする。なんだって? 蝶を追いかけろ? 正直、意味がわからない。その辺の子猫じゃないんだ。いい大人がそんなことをしても何も面白くはない。もしかして馬鹿にされているのだろうか。神様の考えることは本当にわからないな。

 みんな黙っている中、先に口を開いたのはクラナさんだった。


「変なラジックよね。研究者であるあたしでも聞いたことがないようなものだわ。でも、特に悪いことになりそうなラジックではないと思うわ。あたしとしては言うとおりにしてみようと思うんだけど」


 確かに意味はないかもしれないが何か迷惑になるようなラジックではなさそうだな。せっかくクラナさんが与えてもらったラジックだ。それを使うことに俺は異論はない。


「それと、もしかしたら……」


 クラナさんは意味ありげな表情を浮かべる。


「言うとおりに蝶を追いかけていくと、何かすごくいいことが待っているかもしれないわよ」

「え、どういうことですか?」


 クラナさんに意外そうな顔を向ける俺とイエスタ。


「あたしがラジックの研究で調べてきた外国の神話の中にはね、神様の使い、例えば鳥なんかの動物の導きに沿ってついていくと何かが手に入る、って話がたくさんあるのよ。このラジックもそういうたぐいのものかもしれないわよ」

「何か、って具体的にはどういうものなんですか?」

「そうねぇ。宝物とか」

「た、宝物だと!」


 一斉に叫ぶ俺とイエスタ。


「そ、その蝶を追いかけていくと宝物にありつけるのかっ?」

「宝物って、あの金銀財宝の宝物かっ?」


 目の色を変えてクラナさんに問い詰める俺とイエスタ。クラナさんはその俺たちの突然の変貌に驚きながら、


「い、いや、もしかしたらの話よ、もしかしたら。あたしのたいして根拠のない憶測に過ぎないわよ」


 次には、なんか余計なことを言ってしまったようだ、と後悔の表情を見せる。だが、言ってしまったからにはもう遅い。俺は興奮を抑えきれない。


「宝物……いや充分にありえますよ。なんたってこれほどめずらしいラジックですから。何かきっとすごいものがあるはずです」


 イエスタも、


「ラジックの神様は偉大だ。宝物ぐらい簡単に用意することができるだろう!」


 クラナさんは苦笑いで言う。


「ま、まあ、ない話ではないわよねぇ」

「うおおお、宝物だ、宝物だ、宝物だあああ!」


 もはや理性を保てずにいる俺とイエスタ。なんたって宝物だ。一攫千金に違いない。そんなものが手に入ればこんな仕事とはおさらばだ。一生働かないで楽に暮らすことができるぞ。庭付きプール付きの豪邸だ、高級車だ、なんだって手に入るぞ。宝物……ああ、なんて夢が広がる言葉なんだ。


「宝物! ラジックの神様の宝物!」


 この言葉に魅了されているのはイエスタも一緒のようだ。


「今まで神官として決して裕福でない生活を強いられてきたわたしたち一家。これはそんなわたしたちに対する神様のご褒美に違いない。なんて慈悲深いんだ、ラジックの神様は。うう、これで毎日、お肉が食べられるぞ。神様ばんざ〜い! ラジックばんざ〜い!」


 一気にやる気が出た様子のイエスタ。そういやこいつのうちは貧乏だったな。これはイエスタにとっても願ってもないチャンスだろう。


「クラナさん、その宝物、見つけたらもちろん三人で山分けですよねっ?」


 俺の必死の形相での確認にクラナさんは、


「え、ええ。あたしは別にかまわないけど……」


 ややたじろぎながら答える。


「よし。そうと決まればだ!」


 イエスタはクラナさんに詰め寄る。


「クラナ、早くラジックを使え! 一秒でも早く宝物を探しに行くぞ!」


 イエスタの勢いに気圧されるようにうなずくクラナさん。


「わ、わかったわ」


 一度、深く深呼吸をしてから言う。


「じゃあ、使うわよ。あたしのラジック」

「よし、頼む!」


 何か念じるような仕草を見せるクラナさん。


「えいっ」


 すると。目の前に鮮やかな黄色の羽を持った蝶が一匹現れたのだった。


「おおっ、ほんとに出たぞ!」


 興奮して叫ぶ俺。


「良かった。あなたたちにもきちんと見えるようね」


 冷静に言うクラナさん。確かに考えてみれば蝶はクラナさん本人にしか見えない可能性もあったな。


「えいっ、えいっ」


 いきなりその蝶を手で捕まえようとするイエスタ。だが、イエスタの手は蝶の体を通り抜けるばかりだった。この蝶、まるでホログラムのようだ。実体のようなものはないようだな。さすがはラジックだ。


「むむ、捕まえるのは無理そうだな」


 あきらめるイエスタ。すぐに、その蝶はひらひらと辺りを飛び始める。


「お、動き出したぞ」


 ゆっくりと部屋の中を飛び回る蝶。バレリーナのような優雅さで宙を舞っている。クラナさんは熱心にその様子を見つめている。


「きれいな蝶ね。動きも本物の蝶そっくりだわ」

「ほんとですね。これがラジックとは信じられない」


 俺たちが見とれる中、突然、その蝶は部屋の入り口のドアを幽霊のようにすり抜けていった。


「なんだとっ? 外に出たのか?」

「追いかけましょう!」


 慌てて外に出る俺たち三人。蝶の姿はまだ相談所のそばにあった。明るい日差しの中、入り口付近の道の上をひらひらと舞っている。俺たちが近づいていくと蝶は逃げるように先に飛んでいった。イエスタは小走りで追っていく。


「あっ。チョウチョが逃げた。こら、待てー」


 俺とクラナさんもイエスタに続く。


「ラジックの説明にあった『頑張って追いかけろ』っていうのはこういうことなのね。つまり蝶と追いかけっこをしろと」

「そのようですね」


 俺は気合いを入れる。


「宝物に案内してくれるんだ。絶対に見失わないようにしないと」


 ただ、蝶の飛ぶスピードはそんなに速くはない。これならすぐに見失うということはないだろう。蝶は道に沿って相談所の横にある神殿の方へと向かっていった。

 それから、


「神殿の中に入っていったぞ」


 俺たち三人もすぐに神殿の中へと入る。歩くとカツンカツンと靴の音が響く。大きな石で敷き詰められた床が一般の民家ぐらいの面積に広がっている。その上に規則正しく立ち並ぶ石柱の間を縫うように飛んでいく蝶。


「どこだ、どこだ?」


 中は少し暗いので小さな蝶の姿は見えづらい。


「いたぞ。祭壇の方だ」


 蝶は床が一段高くなっている場所にある祭壇の近くを飛んでいた。祭壇は白い石で出来ていて立方体の形をした台座のようなものだ。その上を蝶は一回りするように飛ぶと、また奥の方へと向かっていった。クラナさんは眼をその動きを追いながら俺に、


「あの蝶、なかなかじっとしていないわね。追いかけ続けるのもちょっと大変ね」

「ですね。でも、宝物がかかっているんですから。大変なのは当然かもしれませんよ」

「で、でも、まだ宝物があるって決まったわけじゃ……」

「いいえ、絶対あります!」


 俺はまばゆいばかりの希望を胸にそう断言する。


「わたしの神官としての勘も絶対に宝物があると言っているぞ」


 イエスタも断言する。おお、イエスタのやつ、たまにはいいことを言うじゃないか。


「そ、そう、だといいわね」


 あきれたような眼で俺とイエスタを見るクラナさん。まあいいさ、宝物さえ手に入るなら俺はどんな恥辱だって甘んじて受けよう。叫びながら進む俺とイエスタ。


「うおお、待てぇー、宝物おおおおお!」


 蝶はそのまま祭壇の奥へと進んでいき、ちょうど神殿の裏側に当たる場所に出て行った。


「おい、ユトー、クラナ。今度はまた外に出たぞ」


 イエスタはしっかりと蝶の後をついていく。神殿の裏にはもう建物は何もない。ここの山、神殿山と呼ばれているんだが、ここには神殿と相談所以外の建物はない。だから、この先にあるのはひまわりが自然に生えている小さな野原と山の木々がうっそうと生い茂る森だけだ。


「やっかいだな。ひまわり畑のほうに飛んでいったぞ」


 蝶はそろそろ花の開きかけたひまわりの中を飛んでいく。ひまわりの葉の緑色の中に黄色い蝶が鮮やかに映える。とは言っても蝶の色や姿はひまわりの花とも良く似ているので気を抜いたらすぐにでも見失ってしまいそうだ。


「しっかり見てなくちゃな」


 俺の肩のあたりまで高さがあるひまわりをかき分けるように進んでいく俺たち。イエスタなんてほとんど全身がひまわりの群れの中に埋まってしまっている。


「ぶへぇ〜、ぶへぇ〜」


 まるで水中でおぼれているかのようだ。クラナさんはイエスタが離れないように声をかける。


「イエスタちゃん、大丈夫? ちゃんと付いて来てる?」

「お、おおう、ぶへあっ」


 イエスタの姿は見えないがどこかから声は聞こえてくる。どうにか付いては来ているようだな、よかった。


「ぶはあっ、ぶはあっ」


 もがきながら進むイエスタ。かわいそうだがあと少しだ、がんばれ。


「よし、畑を出たぞ。蝶もいるぞ」


 ひまわり畑の広さはそれほどでもない。すぐに畑を通り抜けてただの草むらへと出る。そして、俺とクラナさんの目の前には様々な種類の木がまばらに生える森が姿を現した。


「ふえ〜、大変だった。死ぬかと思った」


 ひまわりの間からひょっこりと出てきたイエスタ。


「ひまわりの大きな葉っぱが顔にまとわりついてくるんだ。息が苦しかった。細ネギが鼻の奥に挟まったときぐらい苦しかった。本当に死にそうだった。もう少しで死因『ひまわり』とかになるところだったぞ。あぶなかった」


 白い神官服や頭についたたくさんの葉っぱを払うイエスタ。見たところイエスタも大丈夫そうだな。まだ三人とも元気だし蝶も見失っていない。今のところは順調だな。


「このチョウチョめ、変なところを通りやがって。次はどこに行くつもりだ?」


 恨めしそうに蝶を見るイエスタ。すると蝶はふらふらと先にある森の中へと入っていった。


「げっ。神殿山の森の中に入っていったわよ、あの蝶」


 足が止まるクラナさん。


「あたし、ここ、嫌いなのよね。暗いしじめじめしてるし。できれば入りたくないんだけど」

 俺とイエスタは森の中に入るのをためらっているクラナさんをよそに蝶を追って中に進もうとする。

「なに言ってんですか、クラナさん。このくらいのことであきらめてどうするんですか」

「クラナよ、来ないなら宝物はわたしとユトー、二人だけのものだぞ。それでもいいのか?」

「……はあ〜、仕方ないわね」


 クラナさんは大きなため息をつきつつ森の中に足を踏み入れる。


「宝物はともかくとして、ラジックの研究が直接できる機会を簡単に見逃すのも嫌だものね。あたしも行くわ」


 俺たち三人は蝶を追って神殿山の森の中へと入っていった。


「よし、この先は何があるか俺もよくわからない。気をつけて行こう」


 俺を先頭に三人は木々の間を歩いていく。

 神殿山の森、ここは俺もあまり入ったことはないし滅多に人が来ることもないところだ。いちおうこの山は町の所有地になっているから勝手に入ってはいけないことになっているしな。そんなに大きな森ではないので遭難するようなことはないだろうが何の頼りもない森の中だ。中に入るとなると不安なのは確かだ。危険な動物でもいなければいいのだが。


「思ったより木が多いな。道らしい道もないし」


 森を形作る大小様々な木々の間はかなりせまく、人が一人か二人ぐらい通れる隙間があるのがやっとだ。足下にはびっしりと草が生えていたり枝が転がっていたりして足場もあまり良くはない。滑らないように注意しながら進む。


「だが、なんとか蝶に付いていくことはできそうだな」


 幸いなことに目の前を飛んでいく蝶のスピードは先ほどよりも遅くなってようだ。蝶のほうも慎重に進む方向を選んでいるようにも見える。木漏れ日の中を黄色い蝶がゆっくりと飛んでいく。


「それにしてもこの森の中、やけに蒸し暑いわね。湿気がすごいわ。なんか南米とかのジャングルにいるみたい」


 クラナさんの言うとおり確かに蒸し暑い。一瞬で服は汗まみれになってしまった。気温も湿度もかなり高い。この森、ここだけエベストルの気候ではないみたいなところだな。


「うおっ、なんか今、聞いたこともないような動物の声が聞こえたぞ!」


 慌ててきょろきょろと辺りを見回すイエスタ。


「ん、声だって?」


 俺は耳をすませてみると、


「キェエエエキョキョキョオオオオオォォォォォ……」


 な、なんだ、この鳥のような猿のような甲高くて鋭い声は! こんな声の動物、俺も知らないぞ。何が住んでいるんだ、この森には。相談所の裏に変な生き物が住み着いているなんて考えたくもないぜ。


「……まあ、ここは聞かなかったことにしておこう」


 俺たちは先を急ぐ。


「な、なんだこりゃ?」


 少し行くと俺たちの斜め前ぐらいの位置に、なにか馬鹿にでかい植物のようなものが生えていた。俺の身長ぐらいありそうな背丈で、頭の位置には両腕を広げたほどの大きさの花が咲いていた。


「き、気持ちの悪い植物だな……」


 毒々しいほどに赤い色をした花だ。さらに、その大きな花の下にはいくつもの長くとげの付いた蔓のようなものが伸びていた。見るからに何かありそうでできれば近づきたくはない植物だが蝶がその植物を飛び越えて進んで行くので俺たちも付いて行かざるをえない。


「仕方ないな。そっと通り過ぎよう」


 俺たちがその植物の近くに来たそのときだ。


「シャアアアアア! シャアアアアア! シャアアアアア!」


 その長い蔓が突然、俺たちに向かって襲いかかってきた。触手のように俺たちの体を巻き取ろうとしなって伸びてくる。


「ぎゃあああああ!」


 その蔓を振り切って、蝶を追い越すように走る俺たち。


「逃げろおおおおお!」


 しばらくして。


「はあっ、はあっ、みんな無事か?」


 うなずくイエスタとクラナさん。なんとか無事に逃げ切ったようだな。あぶなかったぜ。それにしてもなんだありゃ? 食虫植物ならぬ食人植物か? あんな恐ろしい植物が生えているなんてな。いったいここはどういう生態系をしているんだ。この森、普通に危険じゃないか。誰も人が足を踏み入れない理由がわかった気がする。

 その後も。


「うわー、ぐにゃっ、てするもの踏んだ! キモい!」

「なんか垂れてきた。うっ、くせえ! めちゃくちゃくせえええ!」

「ちょっと誰よ、あたしの服を引っぱったのは? えっ、誰も引っぱってない? えええええっ?」


 なんかもう、いろいろ起こって大変だ。なんなんだここは、未開のエリアすぎるぞ。仮にも文明的な町の中にある場所ではないな。


「……神殿山、恐ろしいところだな」


 だが、めげずに俺たちは蝶を追って森の中に深く入っていく。そんな様子でおよそ三十分ぐらい森の中を歩いていったときだった。


「あっ……!」


 急に目の前の視界が開けた。


「な、なんだここは?」


 雑多な木々で埋め尽くされたうっそうとした森の中を歩いていたはずの俺たち。だが、目の前に現れた場所はまったく木の姿はなく短い芝生だけが生えた、まるで公園の一角のような場所だった。


「なぜ、ここだけ木が生えていないんだ?」


 広さは十メートル四方ぐらいだろうか、それほど広いわけではないがこの場所は周りの森とは線で区切ったかのように背の高い植物が生えていない。明らかに不自然であり妙な気分にさせる場所だ。ここにいると俺たちが森の中にいることをすっかり忘れてしまいそうになる、そんな空間だった。


「神殿山の森の中にこんな場所があるとは……」


 イエスタも驚きを隠せない。


「神殿の神官であるわたしもご先祖さまからこんな場所があることはまったく聞かされていない。おそらく誰も知らない場所だろう」


 クラナさんも木々に囲まれた四方を見渡しながら言う。


「この辺の航空写真は前に見たことがあるけど、こんな場所は記憶にないわね。きっと写ってなかったはずよ。不思議なところね……」


 一歩二歩と芝生の上を歩いていく俺たち。肝心の蝶はというとなぜかもう逃げはしないようだった。この場所の中央あたりの位置でひらひらと舞っているだけだった。


「蝶は逃げないな。ということは、ここがゴールなのか?」


 俺がそう言ったときだった。目の前の蝶が急に大きな光を放ち始めた。光はあっという間に強くなり、まばゆいばかりの光に俺たちは完全に視界が奪われる。


「うっ、なんだっ? 何も見えんっ!」


 だが、その光はすぐに消えていった。ほんの数秒の間に大きな光がふくれあがってしぼんだ、という感じだ。俺たちの目も回復する。そして、その俺たちの目に映ったものは、


「だ、誰だ、おまえはっ?」


 光の中心、今まで蝶がいたところにはすでに蝶の姿はなく、その代わりにいたのは一人の男性の姿だった。


「きゃあっ! なにこいつっ!」


 彼の姿を見て叫ぶクラナさんとイエスタ。無理もない。


「変質者よっ、変態よっ!」


 その男、年は中年ぐらい、格好は上半身は素っ裸で下は黄色いぴっちりとしたパンツとシューズだけ、というものだったからだ。


「ち、違うぞっ。俺は変質者でも変態でもない!」


 そのおっさんは慌てて弁明するが、


「うるさい、この変態! わたしたちに近寄るな!」


 イエスタとクラナさんはその辺に落ちている石や小枝を投げつけたりする。そのおっさんは筋骨が隆々とたくましい体つきでまるでプロレスラーのような風貌だ。もしくはやはり変態か。とにかく森の中でこんな男が突然現れたら誰だって驚いて警戒することは間違いないだろう。


「痛っ、痛い。ち、違うんだっ。ちょっと落ち着いて俺の話を聞いてくれっ」


 石や小枝を体に浴びながら叫ぶおっさん。


「お、俺はラジックの神様の使いだ。さっきまで君たちが追いかけていた蝶の本当の姿、それが俺なんだ」


 その言葉を聞いてものを投げるのをやめる二人。


「ラジックの神様の使い? 蝶の本当の姿?」

「そう、そうなんだ。信じてくれ。あっ、そうだ、証拠を見せよう。もう一回、蝶の姿に変身してみせるから」


 そう言うとすぐにおっさんの体がぼわっ、と淡い光に包まれる。そして、おっさんは消えてまた見慣れた黄色い蝶の姿がそこに現れた。


「おおー。本当だ、あの蝶だ」


 驚きの声を上げる俺たち。蝶の姿はまたすぐに光とともにおっさんの姿に戻った。


「どうだ。これで信じてもらえただろうか」

「……うん、まあ」


 いちおう納得する俺たち。蝶がおっさんに変身する、考えられないシチュエーションだが目の前で実際に起こったのだから信じるよりない。ああ、まったくラジックとは変なものだな。もう少し現実というものを尊重してほしいものだ。


「それで、おっさん……」


 俺は尋ねる。


「なんでプロレスラーみたいな格好をしているんだ?」


 おっさんは答える。


「それは俺がプロレスラーだからだ」


 もう一度、尋ねる。


「なんで神様の使いがプロレスラーなんだ?」

「なんで神様の使いがプロレスラーじゃいけないんだ?」

「……もういいです」


 なんかまともな答えが返ってくる気配を感じなかった俺はすぐにこの会話をやめる。いいさ、別に。プロレスラーでもなんでも。どうぞ好きにやってくれ。


「さて、諸君」


 太い腕を組んで仁王立ちで話し始めるおっさん。


「よく俺を追ってここまでやって来たな。誉めてやろう、よくやった。はっはっは!」

 なぜか高笑いを上げるおっさん。それから、


「まずは最初の勝負、追いかけっこは君たちの勝ちというわけだ。おめでとう」


 今度はパチパチと拍手を送ってくる。クラナさんは訊く。


「最初の勝負? まだ何かあるの?」

「ああ、もちろんだ。おまえたちは三人でここまで来た。ということはあと二つの勝負をおれとしてもらうことになるな」

「……あと二つ」


 イエスタも訊く。


「その勝負に勝つとどうなるんだ? 宝物をくれるのか?」

「ん? おまえたちは宝物が欲しいのか?」

「ああ、そうだ! すごく欲しい!」


 おっさんはにやりと笑って答えた。


「そうか。いいだろう。もし俺との勝負に勝ったら宝物をくれてやろう!」

「ほ、本当かっ!」


 思わず叫び声を上げる俺とイエスタ。


「いやっほおおおおお!」


 まさか本当に宝物がもらえるとは。すごいな、ラジックは。今まで関わってきた甲斐があったってもんだ。


「たっからものっ! たっからものっ!」


 俺もイエスタもこの展開にテンションは最高潮だ。宝物はついに手の届くものとなった。ここまで来たらなんとしてでも手に入れなければな。


「やるぞ、イエスタ!」

「おう、ユトー!」


 だが、おっさんはそんな俺たちに不敵な笑みを見せる。


「おいおい、喜ぶのはまだ早いんじゃないか。俺に勝つのは簡単じゃないぞ」


 俺とイエスタもおっさんを見る。


「……そうだな」


 確かに相手はラジックの神様の使いだ。楽に勝たしてはくれないだろう。喜ぶのは勝負とやらに勝ってからだな。


「それで、勝負とはいったいどういうものなの?」


 クラナさんの質問におっさんは、


「うむ。勝負は一対一で行う。そして、おまえたちは三人いるから三本勝負で先に二本を取った方の勝ちだ。ラジックの使用者であるおまえ、クラナとかいったな、おまえは俺との追いかけっこに勝ったからまずそちらの一勝だ」


 おっさんは俺とイエスタを見て、


「あとはおまえたち二人のうち、どちらか一人が俺に勝つことができれば宝物はおまえたちのものだ」


 俺はおっさんに鋭い視線を送る。


「わかった。勝負の内容はなんだ?」

「男よ、おまえは俺とプロレスで勝負してもらう」

「な、なんだってえええええ!」

「何を驚いている。俺はプロレスラーだ。プロレスをするのは当たり前じゃないか」

「いや、そんなこと言われても……」


 こんなマッチョなおっさん、しかも自称プロレスラーとプロレスで戦って勝てるわけないじゃないか。


「くそっ、宝物をくれてやるとか言っても、これじゃあ詐欺みたいなものじゃないかよ」


 がっくりと肩を落とす。おっさんはそんな俺に言う。


「安心しろ。その代わり、もう一人のおまえ」


 おっさんはイエスタの方を見て、


「おまえは自分の好きなことで俺に勝負を挑んでもいいぞ」

「わたしの好きなこと? なんでもいいのか?」

「ああ、この場所でできることならなんでもいい。おまえの得意なことで俺に挑戦してくるがいい。ま、俺はどんなことでも負けることはないがな。はっはっは!」


 イエスタはじっとうつむいて考える。


「……わたしの得意なこと、か」


 なるほど。これならまだ俺たちにも勝機はあるな。俺がこのおっさんに勝つのは絶対に無理だろう。ここはイエスタに頑張ってもらうしかないな。


「これで説明は終わりだ。理解したか?」

「……ああ、わかった」


 うなずく俺たち。おっさんは肩をぐるぐると回しながら俺を見る。


「なら、さっそく始めよう。イッツ・ア・ショータイムだ」


 おっさんは指をパチン、と鳴らす。するとだ。俺たちのいる場所が再び大きな光に包まれる。


「うっ、今度はなんだ?」


 光が消えたあと、俺たちの前に現れたのは一段高い正方形の土台の上にロープで四方が囲まれていて床にマットが敷いてあるもの、いわゆるリングだった。


「さあ、男よ。早くこのリングの上にのぼってこい」


 いつの間にか奥の赤コーナーの付近に立ったおっさんは俺を手招きする。


「し、しょうがない。行くしかないな」


 俺はロープをくぐってリングに立つ。おっさんとは反対側の青コーナーだ。そして、そのリングの上にはどこから現れたのかまた別のおっさんが二人いた。一人は白いシャツ姿でリングに上がった俺のボディチェックを素早く行う。おそらくレフリーだろう。


「ただいまよりLWGP無差別級のタイトルマッチを行います」


 もう一人はタキシード姿でマイクを手にやたらといい声で話し始める。どうやらリングアナウンサーのようだ。


「青コーナー、挑戦者……」


 俺の方を向いて続ける。


「175センチ65キロ。どうして俺はいつも大変な目に遭わされるんだ? 『ラジック相談所の迷えるファイター』ユトー・モンドペリイイイイイ!」


 いきなりコールされる俺。なんか変な二つ名も一緒に付けられているが気にしないでおこうか。


「ユトー君、怪我しないようにね」

「ユトー、がんばれ! 宝物のためだ、死ぬ気でやれ!」


 リングサイドで声をかけてくるクラナさんとイエスタ。まあ、宝物は欲しいが相手が相手だ。適当に頑張るよ。


「続きまして赤コーナー、チャンピオン……」


 アナウンサーはさらに大きな声でコールする。


「190センチ125キロ。偉大なるラジックの神様の使いでありプロレスマスター『イエロー・タイフーン』ミスター・バタフライイイイイイ!」

「うおおおおおお!」


 両腕を上げて雄叫びを上げるおっさん。


「ユトーとやら、覚悟はいいな?」


 いいわけないだろ! だが、そんな俺の気持ちにもかかわらず試合は始まろうとしていた。アナウンサーがリングから降りてレフリーが叫ぶ。


「ファイト!」


 カーン、と打ち鳴らされるゴング。ついに始まってしまった。


「はあああ!」


 いきなり俺に走り寄ってくるおっさん。


「うわわっ」


 当然、逃げる。


「待ていっ!」


 だが、あっけなく腕を捕まれる俺。おっさんはそのまま俺の体をロープに振る。


「ふんっ!」

「わわわわっ」


 ロープに当たって跳ね返ってくる俺に対しておっさんはラリアットをかましてくる。


「ふべしっ!」


 俺は首筋にラリアットをくらって派手に反転してマットに倒れる。


「……う、うげえええ」


 マットの上で苦痛にうめく俺。な、な、なんだ、今のはっ? い、痛いなんてもんじゃない。意識が吹っ飛びそうになったぞ。このおっさん、俺を殺す気かっ。


「まだ始まったばかりだぞ。さあ、立て」


 おっさんは理矢理に俺を立たせる。すでにふらふらになった俺に対しておっさんはさらに技を掛けてくる。


「くらえ、卍固めだ!」


 立ったまま俺の首に片足をかけて腕を上に締め上げてくる。


「うぎゃあああ痛い痛い痛い痛い痛いっ!」


 肩とか首とかがすごく痛い。あまりの痛さに意識が遠のきそうになる俺。するとおっさんは技を解いて、


「はあ、はあ……た、助かった……」


 安堵する俺に


「次は、コブラツイストだ!」

「へ?」


 今度は別の技を掛けてくる。俺の首と腕と足を固定して、体をねじ切るようにひねってくる。


「痛い痛いまた痛いもっと痛いものすごく痛いいいいい!」


 背中とか腰とかがすごく痛い。呼吸も苦しい。このままじゃ死んでしまう。間違いない、死んでしまう。


「はっ、そうだ!」


 俺は思いついた。そうだ、ギブアップしてしまおう。もう宝物とかどうでもいいや。死ぬよりはましだ。


「ギ、ギブア……」


 俺はなんとか降参の声を出そうとするが。


「このミスター・バタフライの連続攻撃はまだまだ終わらんぞ!」


 おっさんはそのままの体勢でバタンと俺の体を自分の体ごとマットに倒してから、また新たな技を掛けてきた。


「ここでローリングクレイドルだ!」


 俺の首と片足を極めたままマットの上をゴロゴロと転がる。


「へひいいいぃぃぃいいいぃぃぃ」


 足は痛いし目はクルクル回って気持ち悪いし、もうなにがなんだかわからない。ギブアップの声すらまともに出すことができない。


「ギ、ギ、ギブ……」


 そんな俺におっさんは矢継ぎ早に寝技や間接技を掛けてくる。うつぶせに倒れた俺の背中に馬乗りになると顎を掴んで顔を上に持ち上げる。


「キャメルクラッチだ!」


 足首の関節を極めて俺をエビ反りに締め上げる。


「サソリ固めだ!」


 足の関節を極めながら、さらに顔も締め付ける。


「STF(ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック )だ!」


 も、もう駄目……声も出ない……。もう、嫌だ……もう、こんなこと嫌だ。なんで俺はこんなひどい目に遭っているんだ? いつもながら俺は自分の運命を呪う。


「よし……」


 立ち上がったおっさんは俺を見下ろしながら言った。


「そろそろトドメを刺すとしよう」


 そして、おっさんは倒れた俺を仰向けにすると両足の間から俺の体をがっちりと掴んだ。な、何をする気だっ? なんの抵抗もできない俺に恐怖が走る。


「わが最高の必殺技!」


 そのままおっさんは俺の体を高く持ち上げる。


「イエロー・ラジック・パワーボムだあああああ!」


 グルグルと体を回されながら思いっきりマットに背中を叩きつけられる俺。


「ッッッッッ!」


 今までの人生で味わったことのないような衝撃が俺の体を貫く。痛い? いや、そんなもんじゃない。激痛の渦に巻き込まれてなんかすべてが吹っ飛ばされたような感覚だ。


「…………」


 し、死んだのか、俺? ぼんやりとした意識の中で自問自答をする。い、いや、なんとか生きているようだ。意識はかろうじて残っている。しかし今は全身の痛みや疲労で指一本動かすことができない。仰向けに倒れた体はピクピクと痙攣している。


「試合終了!」


 そんな俺の耳にレフリーの声、カンカンカーンと試合を終えるゴングの音、アナウンサーの声などが入ってくる。


「勝者、ミスター・バタフライイイイイイ!」

「うおおおおお! アイ・アム・チャンピオーン!」


 両腕を高く上げて勝利の雄叫びを上げるおっさん。俺みたいなのが相手でも勝ったのは嬉しいんだろうな。いちおう宝物を守っているわけだし。対して俺の方も試合が終わって非常に嬉しい。というか心底からほっとした。俺としては勝負なんてどうでもいい。とにかく生きていられた、それだけで儲けものだった。


「……や、やっと終わった」


 多少体が回復した俺はどうにかこうにかリングサイドへと戻っていく。もう二度とプロレスなんかするもんか。俺は固く固くそう誓ったのだった。

 おっさんは勝利パフォーマンスに一段落をつけると、


「さて、これで一勝一敗の五分だな」


 今度はリングサイドのイエスタの方を見る。


「次はおまえだ、小娘。今こそ決着をつけようではないか!」


 イエスタは無言のままリングに上がってくる。そして、口を開いた。


「……いいだろう、おっちゃん。わたしが相手になってやる。死んでいったユトーの仇、わたしが取る!」


 いやいや、俺は死んでないぞ。まあ、その心意気は頼もしいが。


「あくまで宝物を手に入れるついでだがな!」


 ついでかよ! しかも、いちいち言う必要のない台詞じゃないか、それは。


「そいつは威勢がいいな。さあ、教えてもらおう……」


 おっさんはイエスタにびしっと指を突きつける。


「勝負のお題はなんだ!」


 この三本目の勝負、たしか内容はイエスタが好きに決めてよかったんだっけ。イエスタにだけ有利な内容の勝負を仕掛けることができればやつに勝つチャンスは大きく広がるはずだ。ここはイエスタの選択に注目だな。


「……ごくり」


 俺もクラナさんもイエスタの言葉を固唾を飲んで待つ。


「勝負のお題は……」

「勝負のお題は?」


 そして、イエスタは言った。


「しりとり、だ!」


 は? しりとり? 俺はその言葉を聞いてあっけに取られる。な、なんだか宝物を賭けた戦いにふさわしくないお題だな。確かにイエスタの得意なことなんて俺は知らないが、しかし、しりとりとは……。


「し、しりとりぃ?」


 おっさんも意表を突かれたようだ。


「しりとり、ってあの言葉遊びのしりとりのことか?」

「ああ、そうだ。ほかにどのしりとりがあるって言うんだ」

「わ、わかった。しりとりで勝負だな。了解した」


 おっさんは一瞬失いかけた落ち着きを取り戻す。


「どんな勝負だろうとラジックの神様の使いである俺は負けるわけにはいかないのだ。俺は絶対にしりとりでおまえに勝つ!」


 イエスタも負けじと言い返す。


「わたしに勝つだと? 望むところだ!」


 望むなよっ! 


「……イエスタちゃん、その返しは変よ」


 クラナさんもツッコむ。イエスタのやつ、こんな国語力でしりとりなんかの勝負をして本当に大丈夫なのか? 俺はいきなり不安になってきたぞ。


「と、とにかく頑張ってね、イエスタちゃん」

「おう、クラナ。まかせておけ」


 自信満々の表情を見せるイエスタ。頃合いを見てアナウンサーがリングの上にあがってマイクで話す。


「ただいまよりLWGP無差別級のタイトルマッチ最終戦を行います」


 アナウンサーは先ほどと同じよう二人を紹介するとリングを降りていく。リングの中央で睨み合うイエスタとおっさん。その間でレフリーがルールの説明をする。


「お題はしりとり。制限時間は一回につき三秒未満。先攻は挑戦者イエスタ・レン。いいですね?」


 うなずく二人。


「イエスタちゃん、いよいよ最後の戦いね」


 リング上をイエスタの姿を見守るクラナさん。レフリーの声とゴングの音が緊張感みなぎる二人の間を切り裂いた。


「ファイト!」


 まずイエスタが叫んだ。


「ラジック!」


 おっさんも大きな声で言う。


「く、首固め!」


 イエスタはすぐさま返す。


「飯抜き!」

「飯抜き? き、木戸クラッチ!」

「ちり紙!」

「ミドルキック!」

「苦肉の策!」

「クロスヒールホールド!」

「どつぼ!」

「どつぼ? ボディプレス!」

「空きっ腹!」

「ランニングネックブリーカー!」

「開店大売り出し!」

「し、し、シャイニングウィザード!」


 リング上で繰り広げられるイエスタとおっさんのしりとりバトル。一秒や二秒といった短い時間の中で次々と言葉が飛び交う。


「百円均一!」

「ツームストンパイルドライバー!」

「バーゲンセール!」

「る、る……ルー・テーズ!」


 お互いにすさまじい気迫と緊張感だ。見ているだけの俺たちですら息をのむ。


「しりとり……なかなか馬鹿にできないわね。これは一瞬でも気を抜いたら負けてしまうわ」

「そうですね。イエスタもなかなか良くやっている」


 今のところ二人とも互角か、それともイエスタが少し押しているぐらいだろうか。さすがに自ら選んだお題だけあってイエスタはしりとりが得意なようだな。まだ始まったばかりだがこれなら行けるかもしれない。がんばれ、イエスタ!


「ブレーンバスター!」


 おっさんはまるでプロレスしているかのような構えをとったままでしりとりを続ける。


「ただ飯!」


 イエスタも見よう見まねで格闘技っぽい体勢をとっている。


「掌底アッパー!」

「パンくず!」

「頭突き!」

「金銭トラブル!」


 白熱する二人のしりとり。どうやらおっさんの方はプロレス関係の言葉が多いようだな。やはりとっさに出てくる言葉というのは普段から頭に染みついているものなのだろう。


「バックドロップ!」

「プアーライフ!」


 対してイエスタの方は……。


「な、なんだかイエスタちゃんの言うことって、なんていうか、その……」


 クラナさんも俺と同じ感想をもっているようだ。そうイエスタの言葉はものすごく、


「……貧乏くさい、ですよね」

「……やっぱりそうよね」


 イエスタのやつ、しりとりに強いのは素晴らしいことなのだが、いちいち言うことが貧乏くさいのが気になるな。やはりイエスタも普段の貧しい生活が出てくる言葉に大きく影響しているのだろう。


「な、なにか悲しくなるわね」

「そうですね、貧乏って嫌ですね」


 本当にがんばれ、イエスタ。宝物は、貧乏生活の出口はもうすぐそこだぞ!

 イエスタは気迫のこもった表情で続ける。


「無料サンプル!」

「ルチャリブレ!」

「レディース割引!」

「キーロック!」

「苦しまぎれ!」

「レッグブリーカー!」

「金拾い!」

「イズナ落とし!」


 やがて額に大粒の汗をにじませるイエスタ。すんなりと言葉が出なくなる。


「し、し、試食めぐり」

「リストクラッチ!」

「ち、ち、ちくわぶ?」

「ブリザードスープレックス!」

「す、す、す……素パスタ」


 ここに来て言いよどむことが多くなってきたイエスタ。レフリーの眼も光る。


「タイガースープレックス!」

「す? 素うど……い、いやなんでもない! 素カレー!」


 勝負の形勢はおっさんの方に傾いてきたかもしれない。やはり、大人と子供ではボキャブラリーに差があるのは仕方のないことか。


「持ちこたえろ、イエスタ!」

「イエスタちゃん、あなたなら勝てるわ。自分を信じて!」


 俺たちも必死に応援する。しかし。


「レッグロックスープレックス!」

「えっ? また、す? えっと、す、す、す、す……」

「まずい! イエスタの言葉が出てこない!」


 ついに勝負あったか。俺たちがあきらめかけたそのときだった。


「……もういい」


 イエスタの番で口を開くおっさん。レフリーがおっさんを鋭く見る。そして。


「俺の負けだ、少女よ」


 突然、ギブアップの宣言をしたのはおっさんの方だった。


「ええっ! 相手の方がギブアップ?」

「なっ、ど、どういうことだっ?」


 あまりのことに混乱する俺たち。イエスタも呆然としている。そんな中、おっさんは静かに話し出した。


「……おまえの口から次々と出てくる貧乏くさい言葉の数々。俺にはもう耐えきれない」


 おっさんの眼からは涙が流れ落ちていた。


「おまえみたいな子供がこれほど貧乏が染みついた生活を強いられているとは……。なんて悲しいことなんだ。俺にはこれ以上しりとりを続けることはできない。おまえみたいな不幸な少女から勝利を奪うなんてことは到底できない」


 おっさんは涙ながらに言った。


「少女よ、イエスタと言ったな……この勝負、おまえの勝ちだ」


 今まできょとんとしていたイエスタはその言葉を聞いてはっとした顔を見せる。


「わたしの勝ち? そ、それは本当かっ?」

「もちろん本当だ」

「じゃあ、宝物は……」

「うむ。おまえたちのものだ」


 一瞬の間をおいて、俺たちの喜びは爆発する。なんだかよくわからないがイエスタはおっさんとの勝負に勝ったらしい。


「やったあああああ!」

「たっからものっ! たっからものっ!」

「イエスタちゃん、やったわね! すごいわ!」


 歓喜の声とともに腕を振り上げる俺。飛び跳ねるイエスタ。そのイエスタに抱きつくクラナさん。ついに、ついにだ。宝物が手に入るわけだ。こんなに嬉しいことはない。人生で一番嬉しいことだと言っても過言ではないだろう。本当によくやったぞ、イエスタ。今日のおまえは英雄だ。間違いない。


「ばんざ〜い! ばんざ〜い!」


 ひとしきりみんなでこの喜びを味わう。


「ラジックの神様、ばんざ〜い!」


 それから、イエスタはおっさんのもとに駆け寄っていった。


「さあ、おっちゃん。宝物をくれっ!」

「よし、いいだろう。今、出してやる」

「おおっ!」


 何が出てくるか眼を輝かすイエスタ。ラジックの神様の宝物だ。それはすごいものが出てくるのだろう。俺も期待せずにはいられないな。


「さあ、宝物を出すぞ」


 パチン。おっさんは例のごとく指を鳴らす。おっさんの両腕の中が光に満たされる。そして、その中から現れたものは……。


「へっ?」


 おっさんの持っているもの見て頭に疑問符の浮かぶ俺たち。


「……なにそれ?」


「これが俺から君たちに送る最高の宝物……」


 おっさんは高らかに言った。


「チャンピオンベルトだ!」


 ……なんだって? 思考が止まる俺たち。


「チャンピオンベルト?」

「そうだ。これで今から君たちがLWGPのチャンピオンだ。そしてこれがその名誉ある証、チャンピオンベルトだ! おめでとう、受け取りたまえ!」


 口をぽっかりと開けたまま立ちすくむイエスタにそのベルトを渡すおっさん。


「…………」


 ベルトを手に相変わらず立ち尽くしたままのイエスタ。


「…………」


 誰も何も言わない。なので、


「もしかして……」


 仕方なく俺が気の進まない、本当に気の進まない確認をしなければいけなかった。


「宝物ってそれのこと?」


 俺はイエスタの持っているベルトを見る。しかも、そのチャンピオンベルトとかいうもの、大きめのベルトにプラスティックの飾りがついただけというかなりしょぼいものだ。


「ああ、もちろんだ」


 おっさんはなぜか誇らしげに言う。


「プロレスラーにとってチャンピオンベルトは何よりもの宝物だからな」


 ……なんてこった。つまりこのおっさんの言っていた宝物っていうのは金銀でも財宝でもなんでもなく、このただの安っぽいちゃちなベルトだったってことか。


「あ、あのさぁ……」


 俺はわずかな望みを持ってもう一度おっさんに訊く。


「ほ、ほかになんかないの? せめて賞金とかさぁ?」

「……そう言われてもな」


 おっさんはしれっと言う。


「俺はほかのものなんて何も持っていない。俺は神様の使いと言ってもただのレスラーにすぎないんだからな。チャンピオンベルト以外のものは特に持ってはいないな」

「……そ、そう」


 やっぱり。訊くだけ無駄だったか。ああ、なんてこった。今まで心の中にあった夢ががらがらと音を立てて崩れていく。


「こ、こ、こ、こ……」


 ぷるぷるとベルトを持った手を震わすイエスタ。


「こんなもん、いるかああああああああああ!」


 イエスタの怒りの叫びは神殿山の森に大きく響き渡ったのだった。  

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