第7話 穏やかな日常への罅隙
それから暫く、距離感を掴みかねながらもなんとか和やかにリエル王女と談笑していると、会場の空気が変わった。ざわざわとざわめいてはいるが、今までとは違う、統制のとれたざわめきだ。
みんな一点に視線を送っている。
釣られて視線を向ければ、そこはロイヤルボックスと呼ばれる、広間を一望できる豪華な2階席。そこに国王の姿があった。
ウィリアム王は自分に視線が集められていることを悟ると、スッと片手を上げてささやかなざわめきを制し、下ろした静寂の帳を破った。
「偉大なる祖先、唯一なる父母、崇高なる神々より授かりしその御名に、テイルケルン王国国王──ウィリアム・スヴェル・テイルケルンが祝福を」
先祖代々受け継がれる歴史ある姓、父と母により与えられた尊い名、そして洗礼の儀式で授かった運命の名前を国王として祝福し、ウィリアム王は誠意を込めて胸に手を当て、頭を下げる代わりに瞼を下ろした。
目を開き、手を下ろし、言葉を続ける。
「洗礼を受けた娘を持つ身として色々と語りたいことはあるが、しかし今日の主役は私ではなく洗礼を受けた君たちだ、それはまたの機会にさせてもらおう。……さあ、みんな今日は存分に楽しんでいってくれ! ようこそ、オルツォイユ城へ──おめでとう!」
王として祝辞を述べた時とは打って変わって人の好い笑みを浮かべ、ウィリアム王はロイヤルボックスの奥へと消えていった。その背中には敬意と信頼が込められた拍手が送られた。
「王としても人としても優れた、素晴らしい御方なのですね」
「ええ、父としても……」
そう言うリエル王女の瞳には、ウィリアム王に対する信頼と親愛の情が覗いていた。
「愛されているんですね」
「はい。いつも執務に追われ忙しくて仕方ないでしょうに、毎日きちんと私達との時間を作ってくださるんです。私の話をにこにこと聞いてくださって、些細なことでもお手伝いをすれば褒めてくれて……王として、人として、父として、私は陛下より優れた人を知りません」
誰にとっても父親というのはそうだと思いますと、リエル王女は続ける。
「父が大切に想うこの国を、私も大切にしたい。いつか父が王位を退いたあとも、ルークお兄様、レティシアお姉様、クロード、私──兄弟姉妹みんなでこの国をより良いものにしたい。国の人々が何一つ不自由なく笑顔で過ごせる、そんな理想郷を築ければいいなと……そう思います」
リエル王女はそう言ってえへへと笑った。
僕は「神に祝福され、奇跡を手繰り寄せる力を手にした殿下なら、きっとその夢を叶えられます」と、そう言おうとした。
そう、言おうとしたのだ。
バリィン──と、破砕音を立てて割れた窓ガラスの欠片が飛散する。きゃああああとあちらこちらで悲鳴が上がる。もちろん、僕の正面にいる少女からも。
リエル王女を背にバッと振り向けば、そこには黒い外套に身を包んだ何者かが5人いた。
頭の天辺から足の爪先までをきっちり黒装束で覆っているためどこにも肌色が見えず、中にプロテクターでも仕込んでいるのかシルエットは均一で、男なのか女なのか性別の見分けも付かない。
ドタバタガシャガシャと騒ぎを聞き付け鎧を纏った騎士達が数十名ほど駆け付け、僕達と襲撃者とを隔てる壁となるも、黒装束に動揺はない。
「何者だ!」
騎士の1人が誰何すると黒装束の1人が前に出た。
「我々の目的は文明の再建。魔素の淘汰及びこの星を蝕む害悪の駆逐。そのための礎として、ある子供を探している。破滅の運命を辿る災禍の子だ」
破滅の運命。
「(僕……か……?)」
心臓が強く脈を打つ。
「ふん、戯けたことを! ここはこの国の王が座すオルツォイユ城だ! このような真似、到底赦されることではないぞ! ……総員、戦闘体勢!」
黒装束の言葉を無視して隊長らしき騎士の1人が命じると、騎士達は既に抜いていた剣を構え、肌を刺すような鋭利な空気を醸し出す。
味方であるはずだが、その凄まじい気迫に思わず息を呑んでしまう。
「……はぁ……仕方ない。子供以外は皆殺しだ」
リーダーらしき黒装束が言うと、他の4人は速やかに武器を抜いた。剣でも槍でも斧でも鎚でもない。弓でも弩でもないが、あれはそれらに近しいもの。
──銃だ。
それは、科学と魔術があっても今のこの世界の文明レベルでは決して届き得ない、オーバーテクノロジーの産物。欠落し破綻した前世の知識の断片にあるものだった。
これが拳銃だったならまだしも、魔術で内部を拡張しているのであろう小さなポーチから取り出されたそれは、バヨネットナイフが装着された古びた自動小銃──いわゆる銃剣。
距離を取られれば一方的に蹂躙され、かといって距離を詰めようものならその凶刃に襲われる。故に活路は魔術による遠距離集中砲火にしかない。
しかし、そう伝える間も無く、乱射された。
──ズガガガガガガガガッ
耳を擘き腹の底を震わす轟音に、鋼鉄製の全身鎧は数秒と保たずに血飛沫を撒き散らし、数十人いた騎士はたった数十秒で七人にまでその数を減らした。
その残った騎士達も統率者を失い、すっかり慄いてしまっているし、それに被害はそこだけじゃない。鎧が逸らした弾丸を受け、非武装の保護者も数名が負傷している。
「む、弾切れか。少し足りなかったな」
圧倒的な火力による絶望的な蹂躙。
婦女子の悲鳴、子供達の泣き声、鼻腔を擽る硝煙の香り、斃れ臥す騎士の亡骸──華やかで和やかだったパーティー会場はこの一瞬で地獄と化していた。
「まあいい。我々の目的は人探しであって人殺しではない。災禍の子──不吉な宿命を背負う不幸な子供だ。封じられし神々に呪われた者よ、迎えに参った。我らと共にこの世界を正すのだ──」
そういう黒装束に、火の玉が炸裂した。
周囲に被害が及ばないよう威力を絞られた火球の軌道を遡れば、そこには母グウェン。そこから少し離れたところに、ミカエラを抱き寄せて庇う義母アナスタシアがいて──どこにも父の姿が見えない。
まさかと思い、今頃消し炭になっているであろう黒装束がいた場所に視線を戻せば、父ブラッドが剣を振るい、まさに黒煙を斬り払ったところだった。
「(いない……!?)」
火の玉に焼かれているはずの黒装束の姿がない。
苦々しく顔を顰めた父は、しかし冷静に背後から襲い掛かってきていた別の黒装束の銃剣を受け流し、隙だらけの胴体を蹴ってその場から距離を取った。
「……魔道に堕ちたヒトモドキめ」
聞こえてきた声に目を向ければ、そこはさきほどまでウィリアム王がいたロイヤルボックス。しかし今そこに立っているのはウィリアム王ではない。
皮膚を血塗れの真っ赤な包帯で覆った黒髪の男。
その声は母の火の玉で焼かれた黒装束と同じもの。
赤包帯の男は忌々しげにグウェンを睨んでいる。
憎悪に満ちたその眼差しに、ブラッドはグウェンの元へ駆け付けようとするが、4人の黒装束が行く手を阻む。
「──死ぬがいい」
赤包帯の男は跳躍し、壁を蹴り、流星の如くグウェンへと迫る──が、父とほぼ同時に母へと駆けていた僕は、既の所でなんとか母の前に立ちはだかった。
「──!!」
銃剣を床に突き立てて勢いを殺した赤包帯の男は、ハンドスプリングの要領で空中に身を投げ出して、軽やかに着地する。
目と鼻の先に、血腥い臭いを漂わせた男の顔。
血走った目と、目が合った。
体が動かない、足が震える。
破滅の運命を辿る災禍の子とやらを、どんな容姿なのか特徴すらも知らないまま探している赤包帯の男は、むやみやたらに子供を殺せない。
だからこそ、僕は無理にでも笑ってみせた。
照明の光を受け、赤包帯の男の背後で煌めく剣。
僕の瞳に反射したそれを見てからではもう遅い。
4人の黒装束の血で濡れた父の剣が、赤包帯の男の左腕を一刀両断した。容赦のない切り返しに続く鋭い一閃を腹部に喰らいながらも、赤包帯の男は剣もろとも父を蹴り飛ばしてその場を凌ぐ。
剣を蹴り折られて壁に叩き付けられながらも、父は血反吐を吐きながら立ち上がった。折れた剣を強く握り締めて。
「……そうか、お前が戦鬼か」
銃剣を引き抜き、赤包帯の男が言う。
左腕を失い腹部を切り裂かれ、だらだらどばどば血を流している──相手は放っておけば死ぬであろう重症を負っているというのに、グウェンを殺されそうになったブラッドは、その手で赤包帯の男の息の根を止めるまで止まりそうにない。
このままでは最悪の相討ちになってしまう。
「(なにか……僕にできることは……)」
僕は必死に頭を働かせた。
死に瀕している父はもちろん、母も義母も義妹も、僕をも死なせないため──目の前の敵を確実なる一撃のもとに葬るため、僕にはなにができるのかと。
「目の前の敵を殺し尽くすまで決して止まらない戦いの鬼……噂に違わない闘志──殺意だ」
赤い包帯がさらに赤黒く染まっていく。
「生き意地汚い死に損ないの俺がこの状況を打破する方法が、たったひとつだけある。──災禍の子だよ、ブラッド・クレイトス・オーウェン」
そう言う赤い包帯の男を、僕は黒い剣で貫いた。