第4話 社交界デビュー(仮)
ミカエラから指輪を贈られたあと、僕達は《オーウェン家》の身分に相応しい高級料理店にやってきた。
この世界には主に、王族、貴族、商人、平民、奴隷の身分階級があり、この中で最も人口が多いのは平民で、人口の6割──多く見積もって7割ほどがそうであるため、次に多い奴隷ですら人口の1~2割程度しかいないことになる。……もっとも、その奴隷ですら大半が元平民であることを考えれば実質的な平民の数はもっと多いことになる。そのため、辺境伯の身分に相応しい高級料理店ともなると、今日のように特別な日でもない限り賑わったりはしない。
だが、今日は国中から5歳になる子供が集う洗礼の日。
当然ながら貴族もたくさんやってきているため、普段は静かな高級料理店も今日だけは繁盛している。
つまり何が言いたいかと言うと、貴族まみれだ。
みんながみんな上等な服を着ており、歩き方や佇まい、切り分けたステーキを口に運ぶ動作や身嗜みを整える細かな仕草など、立ち居振舞いが洗練されており、徹底して上品。
僕も礼儀や作法については学んでいる。
だから分かる。彼らは位の高い貴族だ。産まれた時から貴族をやっている、熟練の、歴戦の貴族だ。
「わぁ……」
高級料理店と貴族、その両方が醸し出すお金の雰囲気にあてられてミカエラが小さく声を漏らすと、それから間も無くしてやってきた、貴族に負けず劣らず礼儀を弁えた店員に案内され、見るからに高品質な席へと着く。
机上にメニュー表などはなく、店員が口頭でどんなコースがあるのかを説明し、父が希望のコースを告げると、かしこまりましたと頭を下げて店の奥へと去っていく。
さすがは貴族をメインターゲットとした高級料理店だ。
お腹を満たすことよりも娯楽として食事を楽しむ美食家が多い貴族を満足させるため、多種多様な美味しい料理を少量、複数回に分けて提供することで味に飽きさせずがっちりと胃袋を掴み、また来ようと思わせることで収益を安定させる……と、つまりはそういうことなのだろう。
手頃な価格で客入りが良い大衆向けの料理店はまだしも、ここのような客足が疎らな高級料理店はどうやって黒字にしているのか少し疑問だったから納得だ。
だが、そこでそれとは関係ない疑問を抱いた。
「……?」
ふと気になって辺りを見回してみる。
するとなんと、食事を終えた貴族達が席を立って、大きすぎず小さすぎない適度な声量で談笑しているではないか。あのマナーの塊のような貴族が、食事を済ませているとはいえ料理店で立ち歩き、談笑しているのだ。
そんな僕に気付いたのか、隣の席に掛けている母グウェンが説明してくれた。
ちなみに席順は僕の右隣に母グウェン、その隣に義母アナスタシア、その隣に義妹ミカエラ、その隣に父ブラッド、そしてその隣に僕がいて、それで1周。
家でも外でもこの席順は変わらない。
父と血の繋がる僕とミカエラがその隣で、それぞれの母親がその隣だ。
「あれは王城でのパーティーに先駆けた挨拶回りのようなものよ。なんと言ったって、今日は我が子が神から名前と加護を授かり、少なからず将来のことを考え出す、特別なおめでたい日なんですもの。だから私達のようなお金がある貴族はここみたいに高級なお店でちょっとしたお祝いをするの。だいたいの貴族がそうするから、必然的に知り合いと顔を会わせたりもするのよ。……アッシュにはまだよくわからないかもしれないけれど、貴族社会は縦も横も、とにかく人との繋がりが大切で、懇意にしている相手を見掛けたら取り敢えず挨拶をするものなの。それが発展したものがあれよ。祝福を受けた我が子の紹介と、世代が変わってもよろしくお願いしますって意味もある、子供同士の顔合わせ。要するに、ちょっとした社交の場ね」
なるほど。そういうことだったのか。
はじまりは本当に社交辞令としての単なる挨拶だったのだろうが、そうすることで子供同士のコネクションを作ることもできてしまうわけだから、いつしかそれが貴族社会に於ける洗礼の日の文化のようになっていったのだろう。
「ねえ、おにいちゃん?」
言葉を発したのは義母アナスタシア。
で、義母の言うおにいちゃんとは僕のことだ。
ミカエラが産まれる前はアッシュと普通に名前で呼ばれてはいたが、やはり血の繋がりはなく、家族という認識が稀薄だったからかどこか他人行儀だった。
ミカエラが産まれるまでは。
アナスタシアが何を考えて何を思ったのかは知らないが、きっと、「アッシュに私の血は流れていない。けれど、アッシュにもミカエラにも、私の愛する夫──ブラッドの血が流れている。ならば、私の血が流れていなかったとしてもアッシュはミカエラの兄で、私達の家族に違いない」などとでも認識を改めたのだろう。
それ以来、どこかいたずらっぽく親しげにおにいちゃんと呼ばれるようになり、僕に向ける眼差しも僕に対する接し方もミカエラと遜色ないものになった。
「なに? お義母さん」
「おにいちゃんは神様からどんな名前を貰ったのかな?」
「フェイト。アッシュ・フェイト・オーウェンになったよ」
アリスとブラッドのおかげで絶望も不安も解決していたため、僕はなんでもないことかのように新しい名を告げた。
「……っ」
「……フェイト。そう……フェイト……」
「……?」
あからさまにショックを受けた顔をする義母アナスタシアと、顎に手を当てて僕の新しい名前を呟く母グウェンは意外にも冷静そうで──そして、何も分かっていない様子のミカエラがこてんと首を傾げる。可愛い。
「……アッシュは、分かってるのよね?」
母グウェンがいつになく真剣な面持ちで僕に訊ねる。
フェイトの名前が何を意味しているのか理解しているのかと、そう訊いているのだろう。
「もちろん分かってるよ、お母さん」
「そう……ならいいのだけど……でも、もし自分だけで手に負えなくなったらすぐ私達に相談しなさい。誰にでもいいわ。私達みんな必ずあなたの力になる。だから決して1人で抱え込まないで。……いい? 分かった? 絶対よ? 約束できる?」
「お母さん……うん、分かった、約束する。ありがとう」
「ええ、ええ……そうねそうね、そうしましょう、それがいいわ。なんてったって私達は家族なんですもの、頼り合って助け合って、そうやって一緒に生きていきましょう。……ねっ?」
「うん……お義母さんも、ありがとう」
──と、僕は2人の母に感謝の気持ちを伝えた。
そして考えを改めた。
そう、そうだ。ミカエラだけじゃない。
みんな、みんな大切だ。
ブラッドも、グウェンも、アナスタシアも。プリモもユーノも、セバスチャンもサブリナもカタリナも、みんないい人で、家族同然で、だからとても大切だ。
ミカエラだけじゃない。みんな大切にしよう。
そうだ、そうしよう、僕はそうするべきなんだ──と。
その後は、おつまみ、前菜、汁物、魚料理、口直しのシャーベット、肉料理、サラダ、チーズ、デザート、フルーツ──と、順序立って運ばれてくる美味しい料理に舌鼓を打ち、締めの紅茶を飲み下して息を吐く。
やはりコース料理らしく一品の量は少ないが、その料理を食べきってから次の料理が運ばれてくるまでに空く僅かな間で結構お腹に溜まり、意外にも腹八分ぐらいにはなった。……とは言え、5歳児の胃袋でこれなのだから、とっくに成人している大人の父なんかにしてみればまだまだ物足りないだろう。
それから少し食休みをして、父と母と僕とで席を立つ。
正式な社交界デビューはこの後に控えている王城でのお披露目会だ。つまりここでの挨拶回りは事前の顔合わせが主目的の非公式なものであるため、必要以上に畏まらずとも良いが、最低限の礼を失するわけにはいかない。
「ふぅ……」
「緊張するか?」
訊ねてくる父に頷く。
「私もそれほど礼儀作法に明るいわけではないが、心配する必要はない。お前は賢い。こうするのだと1度教えればたったそれだけで何でも身に付けた。まだ5歳であることを考えれば十分過ぎるほどによくできている。それこそ、教会での王女殿下に匹敵するほどにな。だからお前はいつも通り普通にしていればそれでいい。大丈夫だ」
「……うん、分かった。頑張るよ」
とは言ったものの、この世界に生を受けてから家族や使用人以外の誰かと関わり合ったことなどない。まったくない。皆無だ。
いつもは、庭でミカエラと遊んだり、父が剣を振るう姿を窓から眺めていたり、母や義母に勉強を見てもらったり、ひとりで本を読んだり屋敷を探索したり──と、だいたいそんな感じで、他人との会話はアリスが初めてだった。
いくら身分による優先順位があるからって、そんな僕をいきなり王女様のところへ連れて行こうだなんて、流石に無理があるだろう。
僕はもう一度、大きく息を吐いた。
「平気よ、アッシュ。あなたなら大丈夫」
母が僕の背中を優しく撫でて勇気付けてくれる。
僕は少し気持ちが楽になって、自分の足で歩いた。
それから間も無くして、フロアとを隔てる間仕切りのカーテンのせいで個室のようになっている、王族専用の華やかな席へと辿り着いた。
左に90度倒したコの字のようになっているソファーの正面に座しているのは、この国の王──〝ウィリアム・スヴェル・テイルケルン〟で、髪の色は白銀、瞳の色は紫がかった黒。
年齢は今年で30になるはずだが、20代前半と言っても通じてしまうほどに若々しい容姿をしており、父に負けず劣らずの体格の良さを誇る威圧感のある人物だ。
その隣に腰掛けている、白金の髪に太陽のような赤い瞳を持つ、幼いと言っていいほどに若々しくもどこか妖艶な色の白い美女が、王妃〝エレオノーラ・アルバ・ノスフェラトゥ・テイルケルン〟だ。
年齢は今年で26になるはずだが、基人と吸血鬼の混血である彼女の肉体的成長は遅く、プリモやユーノのような10代の子供と大差ない、非常に幼い容姿をしている。……ちなみに、ノスフェラトゥというのは、日光などの弱点を克服した非常に強力な位の高い吸血鬼が冠する名前であり、吸血鬼として産まれ落ちた者が目指す到達点──成長、研鑽、或いは進化の証のようなものだ。
そして僕から見て左側には、ベースとなる白金の髪に白銀のメッシュが入った髪と、稀に黒く染まったりするらしい赤い瞳を──日暮れ色の特別な瞳を持つ、この国の第1王子──〝ルーク・アーベント・テイルケルン〟がいる。
今年で8歳を迎える美男子で、こちらはその父と母とは違って年齢の割に成熟しており身長が高く、見た感じでは10歳ぐらいに思えてしまう。また、精神的年齢も実年齢と不相応なようで、目付きや顔付きなどには10代半ばの物静かな文学少年のような知的な理性が垣間見える。
その反対──僕から見て右側には、ベースとなる白銀の髪に白金のメッシュが入った髪と、稀に赤く染まったりするらしい紫がかった黒い瞳──夜明け色の瞳を持つ、レティシア・テイルケルン改め、〝レティシア・コスモス・テイルケルン〟第1王女。
洗礼の儀式に出ていた通り年齢は僕と同じ5歳。髪と瞳の色から抱く、幻想的で触れたら消えてしまいそうな儚げな印象とは異なり、吊り目がちな猫目をはじめ、表情や仕草などから勝ち気で強かそうな印象を受ける。兄と同様に妹であるこちらも王宮での英才教育の賜物か5歳とは思えない知的さを感じるが、それと同時にどこか我が儘で生意気な、無邪気な子供らしさも感じられる。
基人である国王ウィリアムと、基人と吸血鬼のハーフである王妃エレオノーラ、その子供のルーク王子とレティシア王女はつまり基人と吸血鬼のクォーターということになるわけだ。
どうやらこの場にはいないようだが王家には他にも〝アルニメディス・エウロス・エルフェイム〟第2夫人とその娘〝リエル・ローズ・エウロス・エルフェイム〟、そして、〝レイチェル・メーア・フォースター〟第3夫人とその息子〝クロード・フォースター〟がいる。……テイルケルンの姓を名乗っていないのは彼女らが側室であるためだ。姓を名乗らせないことで王位継承権の発生を防ぎ無用な争いを避ける目的があるらしいが、身分的には王族で間違いない。
「陛下。ご挨拶に参りました、ブラッド・クレイトス・オーウェン辺境伯です」
父が相手を最大限に敬った紳士の礼をすると、母もそれに続いて淑女の礼をする。なので僕もそれに倣って礼をした。
「ブラッドとグウェンか。元気そうで何よりだ」
「陛下におかれましては──」
「良い良い、そう畏まるな、気持ち悪い。ここは非公式の場だ、いつも通りに親しくやろうではないか。なあ、ブラッド、グウェン?」
どうやら父と母は国王と旧知の仲であるらしい。
国防を担う辺境伯──後世で言うところの侯爵の地位に就かせるには相応の信頼が必要であることを考えれば、これぐらい仲が良いのにも納得がいくが、それにしても随分と親しげだ。
「ですが──」
「あなた」
食い下がる父を母が止める。
「……では──久し振りだなウィル。今日は学生時代に交わした約束の通り、お前に俺の息子を紹介しに来た」
父はそう言って僕に視線を送る。
僕は左膝を床に突いて右足を立て、右の手の平を胸に当て、左手を握って背中に回し、そして頭を下げ、声が籠らないようにハッキリと言葉を紡ぐ。
「お初にお目にかかります、国王陛下及び王妃陛下、並びに王子殿下及び王女殿下。オーウェン辺境伯家が長男、アッシュ・フェイト・オーウェンでございます」
「ふむ、面を上げよ」
「はっ」
「テイルケルン王国国王、ウィリアム・スヴェル・テイルケルンだ。ブラッド、グウェン、アナスタシアの3人とは学生時代からの付き合いでな、毎日のように──それこそ四六時中と言っていいほどに日々の行動を共にしていた。そんな、親友とも呼べる者達の間にできた子なのだから俺の子も同然だ。良好な関係を築き上げていこうではないか、アッシュよ」
「身に余るお言葉、恐悦至極にございます」
「ルーク、レティシア、仲良くするのだぞ」
謙遜の定型文を返す僕にフッと微笑んだウィリアム王は、そう言ってルーク王子とレティシア王女に話を振った。
「もちろんだよ父上。僕はルーク・アーベント・テイルケルン。よろしく頼むよ、アッシュくん」
「私はレティシア・コスモス・テイルケルンよ」
ソファーから立ち上がり、跪く僕に友好的に握手を求めてくるルーク王子に胸に当てていた右手で応え、足を組んでソファーに座り、腕組みしたまま様子を窺うようにこちらをジッと見つめるレティシア王女にはお辞儀で応えた。
「レティ?」
「ふんっ」
「んもう、レティったら。……レティ──レティシアがごめんなさいね、アッシュくん。私はエレオノーラ・アルバ・ノスフェラトゥ・テイルケルン。ルークとレティシアの母で、ウィリアムの妻──王妃をやらせてもらってるわ。ウィリアムは私を除け者にしたいみたいだけど、どうか私ともよろしくお願いするわね」
「……!」
不遜で無愛想な態度のレティシア王女を窘めたエレオノーラ妃は娘の無礼を謝りながら僕の元までやってくると、洗練された品のあるしなやかな所作で僕の手を取って立ち上がらせ、そして目線を合わせ、にこやかに微笑んだ。
僕がウィリアム王に述べたものと同じ言葉で謙遜しながらそれに応えると、エレノーラ妃はそっと手を離して、良くできました偉い偉いと言わんばかりに僕の頭を撫でて、ウィリアム王の隣へと戻っていった。
ウィリアム王はエレオノーラ妃に「決してお前を除け者にしようとしたわけでは──」などと飛び付くような勢いで必死に弁明をしている。
「夫婦仲は良好なようで安心したが、何だか挨拶どころではなくなってしまったようなので俺達はこの辺りで失礼する」
「それじゃあね」
「あ、ああ、また後でゆっくり話そう……!」
人前であるからか、にこやかな表情ながらも内心は穏やかでない様子のエレオノーラ妃にウィリアム王が掛かりっ切りになってしまったため、僕と父と母は空気を読んでその場をあとにした。