9.再訪
次の日。
いつものように出勤すると、先に来ていた雫が立ち上がって、会釈してきた。
「お早うございます! 樺主任。──昨日はありがとうございました…」
後半は声を潜めて口にする。雫の他にもチラホラ職員が出勤してきていた。周囲に知られないよう気を使ったのだろう。バレればなにかと突っ込まれ面倒だ。雫の気遣いに感謝した。
「おはよう。こっちこそ、色々悪かったな」
「悪いなんて…。お邪魔したのはこっちなんで。せっかくのお休みなのに、すみませんでした」
「いいや。楽しく過ごせたさ。たまにはああいうのもいい」
気を遣わせないため、言った言葉に過ぎないが、雫の顔はぱっと明るくなって。
「俺、邪魔じゃなかったですか?」
「…いいや。そんなことは──」
邪魔ではなかった。去った後に、寂しさを覚えたのを否定はしない。
「よかったぁ…。結構、騒がしいって言われること多くて。つい、好きな人といるとテンション上がっちゃうんですよねぇ。別れた彼女にも鬱陶しいって、もっと大人っぽい人かと思ったって…」
好きな人。
それは尊敬する人としての意味だと理解するが。同性を好意の対象とする玲司にはドキリとする言葉だ。
「お前が大人っぽい? どう見たってガキだろう」
豪と比べれば、まるで子どもだ。しかし、異性から見ればそうは見えないと言う事か。
「あ! ヒドイ。これでも黙っていればモテるんですって。だから、騙されたって皆逃げちゃうんですけど…」
「ほら。余談はそれぐらいにして置け。今日はそんな余裕はないだろ?」
「あ、はい…。色々、回るんでした。資料はばっちりですよ。今日もよろしくお願いします!」
「ああ。フォローはするから、しっかりやれよ?」
「はい!」
ミーティングが終われば、あちこち企業を回る予定だった。売り込みもあるが、それぞれの様子を伺うのも仕事の一つ。
普段から顔を出しておけば、その後の仕事も上手く運ぶことが多い。
雫はいいパートナーだった。最近は企業担当者への説明も任せている。そつなくこなし、質問にも的確に答えるため、受けも良かった。少なからず、爽やかな容姿も影響しているのだろう。
もちろん、ここに玲司が加わることでそれが更にパワーアップしているのだが、当人は気付いていない。
「あー、早く休みが来ないかなぁ」
デスクで腕をぐんと伸ばして見せる。
「お前…。始まったばかりだぞ?」
「だって、週末はまた玲司さんち、お邪魔できるんですもん」
「は?」
「シャコバサボテン、忘れたとは言わせませんよ? 手に余るんで引き取ってもらないと」
嬉しそうに話す雫の背後には、まるで音符描いてあるよう。玲司は額に手をあてると深々と息を吐き出し。
「受け取ると言った覚えはないが…」
「いいじゃないですか。植物ひとつくらい。緑は大切ですよ? 手入れなんて、楽ちんですって」
「そう言って、毎週来る気じゃないだろうな?」
「ふふふ。どうでしょうか。玲司さ──っと主任の家、居心地よかったんですよねぇ」
にやっと笑う雫が、腹黒悪徳代官の様に見えた。
「ふざけるな。無駄話はもうここまででおしまいだ」
「はーい」
それでも口許に笑みを浮かべたまま、雫は仕事に戻った。
+++
そして。無事その週の仕事が終わり、ようやく週末となって。
「まったく。本当に来るとはな…」
玲司は自宅マンションの玄関先で雫と相対しながら、垂れてきた前髪を鬱陶し気にかきあげた。
「えー、だって約束ですもん」
雫は当然と胸を張る。
金曜日。仕事終わりに雫は同期らと帰って行った。これから飲むのだという。
雫に誘われたが、後輩の飲み会に上司が参加しては言いたいことも言えないだろう。それに、この歳になるとワイワイと騒ぐのは少々疲れる。玲司は都合がつかないと適当に断り、雫を見送った。
帰り際、雫は週の初めに口にしていたことは一言も言わなかった。明日は来ないだろうと、そう思って眠りにつこうとした矢先、端末がメッセージの通知を知らせる。
まさか。
見れば予想した通り、雫の名が表示されていた。
『遅くにすみません! なかなか抜けられなくて。寝てましたか?』
玲司は端末をかかげ、メッセージを入力する。照明を落とした室内に青白い光がこぼれた。
『これから寝ようとしていた所だ』
送ると直ぐに返事が返ってくる。
『明日、十時くらいにお邪魔してもいいですか?』
「……」
懲りもせず来ようとするのだから、気が知れない。適当な理由をつけて断ろうかと思ったが、居心地がいいだの、植物は必要だの、必死に言い募っていた顔が頭をよぎり。
『大丈夫だ』
それだけの短い返信をした。するとすぐに既読が付き。
『よかったです! じゃあ、明日十時に顔出します!』
犬が目を輝かせて感謝しているスタンプが送られてきた。
まったく。
ふうと息をつくと、端末をベッドの傍らに放った。頭が痛くなる。
大事な休日を、上司との時間に費やしてしまうことに抵抗はないのか。逆に懐かれてしまっている気がする。
それは、妙に気が合ってしまったことが原因に他ならないのだが、それにしても、毎週はあり得ないだろう。
どうせ植物を置いたら帰るだろうが。
流石に先週のようにいつくことはないだろう。玲司は無理やり眠りを決め込んだ。
+++
「玲司さん、来ました!」
インターフォン越しに元気な声が響く。
「今開ける…」
眉間にしわが寄りそうになったのを、急いでもとに戻すと、玄関ドアをあける。
すると、緑のシャコバサボテンを両腕に抱えた雫が立っていた。腕に抱えられたそれは、決して小さくはない。しかも、ふたつ手にしていた。
これで、冒頭に戻る。
「ふたつとは聞いてなかったが…」
「一個のつもりだったんですけど、こいつも寂しいだろうなって。小さいのも追加です」
「言っておくが、今まで植物の世話はしたことは一度もない。小学校の自由研究の朝顔も枯らしたくらいだ」
すると、雫は大丈夫と笑って。
「簡単ですって。一個、持ってもらってもいいですか?」
「あ? ああ──」
言う間に一つを押し付けられ、否応なく持たされる。小ぶりな方だ。
雫は失礼しまーすと言って部屋に上がり込むと、勝手知ったる様にリビングへ向かい、そのベランダの窓際、出入りに邪魔にならない方へ置いた。
「もう一個もとりあえず隣で。あとで好きな所に置いたらいいですよ? 寝室に一個あってもいいと思います!」
「そうか…」
言われるまま、手にした小ぶりな鉢を先に置かれた鉢の傍らにおく。濃い緑の葉がつやつやと光って見えた。まるで親子のようなそれに目を落としながら。
「せっかくだ。コーヒーくらい飲んでいくか?」
「あ…っと、その、今日はちょっと──」
雫が済まなそうな顔をする。
そこではたと気がついた。それはそうだ。せっかくの休日、予定があって当たり前。
当然飲んで行くものと決め込んでいた自分に、内心苦笑する。
「…いやいい。わざわざ寄ってくれたんだろう? 済まなかったな」
「いいえ…」
「また来週、職場でな」
玄関先で見送れば、雫はドアノブに手を掛けた所で、思い立ったように顔を上げ振り返った。
「あ、あのっ! 今日は──何か予定あるんですか?」
僅かに頬を上気させ緊張した面持ちで尋ねてくる。
「いや?」
玲司は何事かと首を傾げる思いで答えた。
今日は一日、部屋でゆっくりするつもりでいた。それを聞いた雫は、ふんと意を決したようにこちらを見つめ。
「なら、ランチ行きませんか? コーヒーの美味しい喫茶店があるんです! 値段もお手頃で──って、嫌ですよね? 二週続けて、職場の後輩と過ごすなんて…」
遠慮がちに上目づかいで尋ねてくる。
「……」
玲司の誘いを断ったのはランチに誘う為だったらしい。一度、固まった心がフワリと溶ける。
「…別にいいが。お前こそ、他に誰か誘う相手がいるんじゃないのか?」
「いないですよぅ。てか、昨日からそのつもりでいて…。でも、前もって言うと断られそうで。一か八か、今日誘ってみようって決めてたんです。良かったぁ! じゃあ、さっそく、行きましょ!」
あからさまにホッとして見せる。よほど緊張していたらしい。玲司は室内の時計に目をやり、
「まだ十時半だが…」
「せっかく天気もいいですし。ゆっくり散歩がてら。お店はここからそう遠くないんです。この近くに大きな公園があったでしょう? あそこを通り抜けてすぐの店なんです。さ、行きましょ、行きましょ!」
「支度ぐらいさせろ。流石にこのままじゃあな」
部屋着のスウェットのままだ。
「あ! ですね。緊張してて気づきませんでした…。待ちます! いくらでも待ちます!」
「化粧するわけじゃない。五分もあればすむ…」
雫を待たせ、部屋に戻った玲司はクローゼットから適当な濃紺のコットンセーターを取り出し身に着け、ジーンズを履き、財布と端末をポケットに突っ込むと、玄関先で待つ雫石の元へ向かった。
「じゃ、行きましょ!」
どこか眩しそうにこちらを見つめた雫の顔を不思議に思った。