6.ドライブ
そうして雫の車に乗り込み帰途につく。
車はスポーツタイプのコンパクトカー。鮮やかなブルーの車体は雫によく似合っていた。
いい天気だからと、途中、少し遠回りして海沿いを走る。カーラジオからは、アップテンポの洋楽が流れていた。
車窓から見える景色は、橋脚と幹線道路と工場、そして海。良く晴れわたりドライブに持って来いの天気だった。
久しぶりに豪以外の運転で助手席に座ったな…。
いつも豪とは、会社から少し離れた場所で待ち合わせ、豪の車でホテルに向かう。ディナーを取る時もあったが、大抵は一直線にホテルヘ向かった。
こうして、ドライブ目的で乗るのも久しぶりだ。ぼんやりと過ぎる景色を眺めていれば、隣りの雫が小さく笑う。玲司は傍らを振り返った。
「なんだ?」
「──いや。なんか、デートっぽいなって。ランチしてドライブして、家まで送り届ける──デートコースですよね?」
その言葉に玲司は呆れつつ、
「同じにするな…。お前は買い物帰りの三十代男性上司を家に送ってるだけだ」
「あっ! つまんないなぁ。もうちょっと乗ってくださいよぉ」
「乗るか。俺はお前の上司であって、友達でも彼女でもない。ふざけたいならほかを当たれ」
もう、ホントつれないっすねぇと、雫はボヤくが、顔は楽しそうだ。どうやら玲司をからかって楽しんでいるらしい。
まったく。こんな馴れ合うつもりはなかったんだが…。
結局、一日の大半を雫と過ごす羽目になった。付き合った相手とは、デートなどろくにして来なかった玲司には、新鮮と言えば新鮮だったが、やはり慣れない。
「ナビに住所入れてますから、寝てってもいいですよ? 疲れたでしょ?」
「言われるまでもなく寝る。近くなったら起こせよ」
「了解ー!」
雫はまた笑った。
よく笑う奴だ…。
仕事中にこんな全開の笑みを見た事がない。当たり前と言えば当たり前だが、こんなに笑う奴だとは知らなかった。
エアコンはまだ必要ない季節。開けた窓からは潮風が緩やかに入ってくる。
気持ちいいな──。
かき上げられる前髪をそのままに、玲司は目を閉じた。同時に雫がカーラジオの音量を下げる。雫の気づかいに感謝しつつ、眠りに落ちて行った。
一時間もすると、自宅マンション近くに到着した。起こされるまでもなく自ら起きたが、いつになく心地よい目覚めだった。
「おはようございます──って、せっかく優しくキスで起こそうと思ったのに…。残念です」
「…冗談もたいがいにしろ。もう、近いな」
「はい。じきに到着です」
そう答えて、軽く首を回した。
久しぶりの運転なのだろうか。雫もせっかくの休日を上司の機嫌取りに使ったのだ。疲れただろう。玲司は逡巡したのち、
「…うちに寄ってお茶でも飲んでくか?」
迷った末での誘いだった。社交辞令だ。流石に残りの休日を上司と過ごしたくはないだろう。断ってくれてもまったく問題ないが、とりあえず気遣う態度は見せた。
すると、雫は予想に反してパッと表情を明るくし。
「いいんですか?」
「あ、ああ…。お茶かコーヒーくらいだが──」
「やった! 実はどんな部屋なのか見てみたかったんです。玲司さんがどんな生活してるのか…。生活臭がないって、前にも職場の娘らと話してたんです」
「生活臭…」
「寝癖がついてたり、シャツにしわが寄ってたり、やたら香る柔軟剤系の臭いがしたり、そう言うの、ないじゃないですか? どんな生活してるんだろうって…」
「普通の生活だ。お前の部屋より片付いてるな。なにもない」
「ええ! マジっすか? 俺だって友だちから、何にもないって言われてるのに…。益々興味が湧きます」
「期待するな。ただの三十代独身男の部屋だ」
「うわ! 言い方。でも、ただの三十才じゃないですから。期待します!」
「勝手にしろ…」
まったく。調子が良すぎるな。
内心ため息をつきつつ振り返った。部屋に人を上げるのはいつ振りか。考えてはたと気がつく。
いや──ここに引っ越してきてからはないな。
前に付き合っていた奴と別れた後、引っ越したのだ。それ以降、他人を上げていない。雫が初めてだ。
ちらかってはいないが。
なにか不味いものは置いていたかと振り返ってみたが、特に思い浮かばない。
「さ、到着! いざ、お宅拝見、ですね!」
わくわくした様子の雫に、玲司は何も言わず車を臨時スペースに案内した。
俺もどうかしてるな。付き合ってもいない相手を部屋に上げるとは。
無邪気に喜ぶ雫に、雫の部屋を訪れた時と同様の思いが過るが、とにかく、一度きりだと心に命じて部屋に上げた。
+++
なんてことはないマンションの一室だが、雫は、へぇーと感嘆の声をあげて見回していた。
「確かにものが少ないですねー。って言うか、《《ない》》ですね…」
趣味もないから部屋も散らからない。必要最低限のものしか置かれていなかった。
リビングにはテレビとソファとローテーブル。暖色系のラグにシンプルなルームランプ。
キッチンもパッと見、台の上に何も置かれていない。まな板も鍋もフライパンも、調味料の類も無かった。全て、キッチンの棚に収まっている。洗い物用のカゴはあったが、今は伏せられ空になっていた。
言われて見れば、確かに何も無い。
「うーん。まるでモデルルームですね…。この辺に植物、欲しくないですか? 良ければ今度持って来ます。シャコバサボテン、増えちゃって」
この辺、テレビ横のベランダ側を指す。
「植物は置かない事にしている。家を空ける時もあるしな。枯れるのをわかっていて置けない」
「いや、シャコバサボテンって、放って置いても大丈夫なんですよ。意外に強くって、週一に水だけでもうち、大丈夫なんです。今度持って来るんで貰ってください。ね?」
「……」
なにが、ね? なのだ。
何かとこのフレーズで上目遣いをしてくる。本人は無意識なのだろうが、やたら豆柴を連想させる素振りに、若干のかわいさを見てしまう自分が腹立たしかった。
「いや、面倒なのはわかりますよ? でも、こう部屋の中に緑がないのを見ると、ちょっと…。緑は人を癒します! 玲司さんには必要ですって」
「俺が癒されていないとでも?」
「そうですねー。いっつも隙がないし、いったいどこで息抜いてるのかなってのは気になります。ピンと張りつめてるって言うか…。家にいる時も、そうなんじゃないかって」
「だから部屋に上がりたかったのか?」
「それもあります…」
「勝手な思い込みだ。俺は十分この部屋で癒されている。そんな事より、何を飲む? 紅茶か煎茶か、コーヒーか…」
「コーヒーで!」
「好きだな?」
「いや。玲司さんがどんなの飲んでるのか気になるんですよ。お願いします!」
「…わかった。そこに座ってろ。テレビでもなんでも適当につけていいからな」
「はーい」
ソファに座った雫は、また部屋を見回していた。そこに人の気配があるのが、新鮮ではある。
癒しか。豪と会うことで癒されてはいるんだろうが。
雫の言う、癒しとは少し異なるだろう。
別にここにいて、癒されていないことはないのだが、確かに部屋に緑があってもいいとは思った。
豆を挽くと香りが立つ。この香りはいつ嗅いでも好きなものの一つだった。すると。
「あ…、いい薫り…。癒されますねぇ」
すぐに雫が反応を示す。くんくんと臭いをかぐ仕草はどう見ても、犬のそれだ。
「お前の飲んでいるのと、似ているはずだ。こっちの方がもう少し軽いが…」
沸かしたお湯を豆を入れ終えたドリッパーに注ぐ。お湯を注いだことで、挽きたての豆はこんもりと盛り上がった。
これも玲司の好きなものの一つだ。それを見ていた雫がソファの背越しに。
「それ。楽しいですよね? こんもりすると」
「ああ。だな…」
そこは素直に認めて頷く。自然と口元に笑みが浮かんだ。幾度かに分けて入れたあと、ドリッパーを素早く外し、温めてあったカップにコーヒーを移す。
「お前は砂糖もミルクも入れるんだな?」
「はい! とりあえず、ブラックで飲んだ後はそうしてます」
淹れたてのコーヒーを雫の前に置くと、続いて砂糖とミルクを持ってくる。ミルクは牛乳だった。
雫はコーヒーをブラックのままひと口飲むと、あ、っと小さく声を上げた。
「これ、好きな味です…。うーん、やっぱり、気が合いますね?」
にっと笑んで、ソファの傍らに座った玲司を見てくる。
「言ってろ」
玲司もコーヒーを飲みながら答えた。
しばらく雑談を交わしたあと、流れは自然と仕事の話しになり。入社して数年は取らねばならない資格が山程ある。
「前に使った参考書と問題集がある。まだ使えるはずだ。見るか? 書き込みがあるが──」
「いいんですか?」
「ああ。もう使わないからお前にやるよ。ちょっと探して来るから待ってろ」
「ありがとうございます」
雫はニコニコ満面の笑みでコーヒーを飲みながら答える。そんな笑顔に見送られ、玲司は書斎に使っている部屋に向かった。
+++
本棚の片隅に、仕事で要らなくなった本を重ねてあった。廃棄するくらいなら誰かに──そう思って取ってあったのだが、それが雫になるとは思っていなかった。
──いや。渡すなら雫しかいなかっただろうな。
自分の中で、雫は特別な存在になっている。今までの連中とは違う。そう感じていた。しかし 、その雫は自分の将来に思い悩んでいたのだ。
レストランか…。
考えもしなかった。雫がそんな思いを胸に秘めていたとは。
確かに仕事の話しばかりで、個人的な話はしたことがなかった。職場では悩んでいる素振りなど一つもなく。増して、日々の業務が忙しいのだ。仕事以外の事を聞く余裕もなかった。
上司失格だろうか。
目的の本を見つけ手に取る。数ページ捲っただけで、当時の記憶が蘇って来た。
毎日、必死に勉強し先輩のやり方を見て聞いて覚えた。いい所は吸収して、ここは違うなと思えば、知識として蓄えるだけにして。
学生時代とはまた違った忙しさだった。それが自分の評価に直結するのだ。手はぬけなかった。
書き込みがあるそれは、玲司の手垢のついたものだ。当時の自分を見られるようで気恥ずかしいが今更だ。雫は気にしないだろうし、奴に見られた所で、どうと言う事はない。評価が上がろうが下がろうが気にしなかった。
余計な事は書いていないと思うが。
それを手にリビングへ戻る。
「雫、使えるかどうかちょっと見てくれるか?」
そう声をかけながら、リビングのドアを開けるが返事がない。どうしたのかと見れば、ソファの背にもたれ、雫が眠っていた。
「──」
昼過ぎの日差しを身体に受け、心地良さそうだ。女性受けのする甘い容姿。色素の薄い髪がキラキラと光りを反射していた。
一瞬、その様に目を奪われた自分に、首を振って苦笑を漏らす。
何を見ているんだ…。
さて、どうしたものかと思うが、気持ちよく寝ている姿に起こすのはためらわれ。
そのうち目覚めるだろう。
玲司はしばらくそのままにしておく事にした。