4.喫茶店
「ここです。俺のお気に入りベストファイブ!」
へへと得意顔で笑む雫に案内されたのは、外壁の下側がブルーのタイル張りになった、昔ながらの喫茶店だった。
ドアを押し開くと、キイッと軋んだ音と共に、つけられたベルがカラン、カランと鳴り来店を告げる。
「いらっしゃいませ」
カウンター内にいた店主が声をかけてきた。
目が慣れるまでは薄暗い店内だったが、一旦慣れると、中が良く見渡せた。
間接照明に照らされ、木製の壁に品の良い絵画が所々に飾られている。邪魔にならない程度に配置された観葉植物の間に見える客層は、やはり高めで皆静かに談笑していた。後は黙々とモーニングを食しているかだ。
「奥、いい席があるんです」
そう言うと、案内に出た店員にちらと目くばせした。すると、ふふっと笑んだ店員は。
「空けてありますよ。メニューが決まったらお呼びください」
簡素に髪を一つに束ねた女性店員だった。化粧っ気もなく、気さくで爽やかな印象だ。雫はどうやら常連らしい。
「わざわざ予約したのか?」
「だって、主任を呼び出すのに、満席だったら悲しいじゃないですか。仕事以外でもがっかりされたくないですから…」
「別に、がっかりなんて──」
言いながら奥へと向かえば、そこは庭に面した席だった。天気が良ければ窓も開けられるようになっている。朝の光が庭木の瑞々しい緑越しにテーブルに差し込んできていた。
「ちょっと眩しいですけど、ここ、好きな席なんです」
照れ臭そうに笑った雫は、そう言って奥の席をすすめた。玲司はすすめられるまま席に着く。雫も正面に座ると。
「ここ、コーヒー美味しいんです。俺は深入りが好きですけど、主任はとりあえず、ブレンドが無難ですかね?」
「そうだな」
「あと、朝、食べてないですよね?」
「ああ」
「ここモーニング、おすすめなんです! 手作りソーセージがついてておいしいんですよ! 焼目がついててパリッとしてて──あ、注文お願いします!」
雫はこちらの意見もろくに聞かずに、店員を呼んで注文を済ませてしまう。
まあ、いいんだが。もしかして──。
「お前、若干テンパってるか?」
途端に雫の目が丸くなり。
「あぁ! それ、気付いても言わないでくださいよぅ! テンパりますって。だって樺主任なんですもん。ホント、緊張したし、失敗したら嫌われるって思って…」
玲司は相好を崩すと。
「俺はそんな事で嫌わない。それに、そう緊張するような相手でもない」
「いや、しますって。自覚ないんですねぇ…。かなり緊張を強いてきますって。でも、嫌われなければ、これを機にもっとお近づきになれれば…。次もありますよね?」
「次もあるのか?」
思わず聞き返す。
「もちろん! だって、同じ趣味の人間、早々いないですから。ひとりでのんびり過ごすのもいいですけど、誰かと喫茶店談義をしながら過ごしてみたかったんですよぉ。こんなに近くにいたなんて、盲点でした…」
「俺だって、そこまで興味を持っているかと言われれば…。ただ落ち着くのはこういう店なだけで」
「いいんですって、それで十分です。理解があるだけで。会社の女の子連れてきても、なんかしっくりこないみたいで、次は止めてくれって」
「まあ、会社にいる女子連中は、こういった類の古い店に興味はないだろうな。あるのは今どきのキラキラした店だろうし、あとはフレンチかイタリアンか、スィーツの店だろうな。こういった店はうけないだろう」
「そうなんです…。だいたい、店に連れてきても浮いちゃって。ヘアケア用品の香りや香水の香りがきついし、着てくる服がふわふわしてて、なんかもう、時空が違うって言うか…」
「でも、それが可愛いんだろう?」
「ま、そうなんですけど…。ただ、そんなんだから深く付き合うまでは行かなくて──」
そうこうしていると、モーニングが運ばれてきた。コーヒーは食後にと頼んである。
厚切りのトーストの横に、かなり太めのソーセージが二つ切りになって添えられていた。所々、黒っぽい点々が見えるのは、ハーブが練りこまれているかららしい。
「じゃ、とりあえず食べますか。いただきます!」
きちっと手を合わせると、雫は食べだした。玲司はやや面食らいつつも、それに習って手を合わせ食べ始める。
もっとがつがつ食べるのかと思ったが、意外に器用にナイフとフォークを使い、食べていく。それでも、時々手を使うのが笑えた。
「あ、なに笑ってんすか」
「いや。お前が器用に手とナイフとフォークを使い分けてるから笑えてな」
「あ、だって、下手にフォークやナイフ刺して、どっかとんでっちゃっても怖いでしょ? そういう時は手です!」
手をわきわきと動かして見せた。それを見て、玲司はまた笑う。
「主任。そんなにツボでしたか?」
「いや…。お前と休日の早朝にこうしているもも可笑しいなと思ってな」
「確かに。はじめてですよね? まあ、これも第一歩で。徐々に慣れますって」
「徐々にって、本当に、また次も誘う気か?」
「はい。…いけませんか?」
「お前、彼女をさっさと作れ。俺とこうしていても、先はないんだぞ?」
「うーん…。俺としては、いつ機嫌を損ねるか分からない、気を使いながら付き合う彼女より、気心の知れた友人を望みますね。ちょっと懲りちゃって…」
「色々な娘と付き合うんじゃなかったのか?」
「今はいいかなって…。本当、酷くてですね。ここんとこ、同じ様な振られ方ばっかりで。少し休憩いれたいなと。──って、樺主任は誰かいるんですか?」
「…いや」
そこで、雫はしまったという顔をする。
「これ。セクハラ、ですか?」
玲司は苦笑する。
「いや、気にしない。それがセクハラなら、俺だってセクハラ発言しているだろう? だいたい、この年で独身だと良く言われるからな? 結婚はしないのか、いつまで独りなのか──。まあ、生き方はそれぞれだと思っている。俺は今が一番楽だ」
人生を託すような特定な相手はいない。要らないと思っていた。雫ではないが、深入りせず適当に付き合う方が楽だった。
だから、豪は都合がいい。つかず離れず。互いに干渉しあわないのが一番だ。
「そうですよね…。そっか、でも樺主任。いないんですね」
「他には言うなよ」
「勿論。知ったら知ったで、女子連中の積極行動が目に見えてますから!」
雫は鼻息荒くそう口にしたが、
「…知らないってのも、たいがいだな」
ポツリと漏らした。
「え?」
「いや、こっちの話だ」
その後、食後のコーヒーも美味しくいただいた。確かに美味しかった。酸味は控え目。かと言って後味も重くなく、朝にはちょうどいい。
「あー、いい休日の始まりです…」
満腹になった雫は腹を叩く勢いで、満足げに目を細める。玲司も最後のコーヒーを飲み干すと。
「じゃあ、ここは俺が払っとく。お前はまた次でいい」
「ええ!? この前ランチおごってくれたじゃないっすか! ここは俺が──」
「いい店を紹介してもらったんだ。ランチ分はもう貰ったようなものだ」
そう言って先にレジに向かう。
清算を済ませると、ドア付近で待っていた雫と外へ出た。
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雫はぐんと伸びをすると。
「樺主任は、これから何か予定があるんですか?」
「そうだな。午後に買出しに出ようとは思っていた。丁度いいから買って帰る。それくらいだ」
どうせ外へ出たのだ。ついでに済ませてしまおうと思っていた。家に帰れば出るのが億劫になる。すると雫が目をキラと輝かせ。
「なら、お勧めの八百屋さん、紹介しましょうか? 地元野菜売を多く置いていて、しかも有機栽培なんです。ちょっとお値段高めな所もあるんですけど、手間暇考えれば。それに、主任ならちょっとくらい出しても大丈夫でしょ?」
まるで口の上手い商人のようだ。手もみしている姿に見えてくる。
「…お前。一体どういう趣味しているんだ?」
「へっへっ。意外でしょ? 俺、そう言うの好きなんです。実は夢があって。いつか自分の店を持ちたいって──」
「は?」
思わず聞き返す。バリバリの銀行マン志望だと思っていたのだが。
「まあ、夢です、夢。母方の爺ちゃんがレストランやってて。皆に喜ばれるいい店で…。俺もいつかって…」
と、そこで表情が暗くなる。
「何かあるのか?」
「あー、いや。その…母親的には、店継ぐより、ちゃんとした会社に勤めろって。俺、片親で。俺が物心つく前に、父親とは離婚してもうそれっきり。だから結構、金銭面では苦労してて…。で、今の俺があるんですが」
「今の仕事は本意じゃない?」
「いや。その、やり甲斐あるなって、思います。大変ですけど、やればやっただけちゃんと返って来るし、成績良ければ評価も上がって給与も上がって。目に見えるっていいなと…」
しかし、言いながらも、表情に冴えがない。やはり、心からと言うわけではないらしい。
「ま、俺の話は置いといて。八百屋いきましょ! いやぁ、まさか樺主任に紹介する日が来ようとは。驚きです」
「俺もお前と休みに、買い出しに出ることになるとは、思っても見なかったな」
本当に。
こうして傍らを歩くことになろうとは。
「そうですよねぇ。ホント、まさかの展開です!」
雫は笑う。
今までを振り返っても、職場の連中と休日まで一緒に行動したことは、若い時分を除いてなかった。
若い頃は同期連中と集まって、やれ焼肉パーティーだ、やれサッカー観戦だと、その他諸々、呼び出され連れまわされたが、年を追うごとに機会は減った。
理由は結婚だ。一人、また一人と彼女を作って結婚して。そうなると、もう休日行動を共にする理由はなくなった。
みな、結婚相手を探していたんだろうな。
玲司にはまったく関係のない世界だったが、今後の付き合いも考えて、一応、参加していたのだ。
その中で、玲司にも好意を寄せてくれる異性が数名現れた。けれど気軽に話せる仲にはなっても、それ以上に発展することはなく。
積極的なアプローチもやんわり断るうち、相手から離れて行った。
それに反して、玲司は裏でかなり遊んだ。
好みのタイプは、豪のように長身でマッチョではない程度の筋肉質、渋い大人の雰囲気が漂う男性だ。
自分が受ける側であるせいか、女性的なタイプや、守って欲しいタイプには興味がわかず。雫の様なわんこ系タイプも苦手としていた。
とにかく、面倒なのが嫌いなのだ。
一を言えば十を知るような、いちいち言葉にしなくても、行動に移さなくとも、理解してくれる相手。そんな同性ばかりと付き合っていた。
今は豪だけだ。
けれど、奴は海外転勤もある。そんな話しが出ていると聞いていた。近い内にいなくなる可能性もある。
また見つけないとな──。
それなら、過去の付き合いを復活させてもいい。最近は一度に複数人と付き合うのが疲れるため、今は豪だけだが、時折連絡をくれる過去の男たちもいる。その中から選べばいいのだ。
とにかく、雫がタイプではないのは確かだ。
傍らを歩く、雫に目を向けた。
異性愛者。いつしか雫もごく当たり前のように、付き合った彼女の中から『運命的の相手』を見つけ、結婚するのだろう。そして、当たり前のように子どもをもうけて、家族を作っていく。
それも、人生の一つだ──が俺には無縁だな。
人生は人それぞれだと思っている。生き方は一つではないのだ。
皆の思う常識から外れたからと言ってそれがなんなのだ。生きている人の人数分、それぞれの人生があっていいと思っている。
誰かと比べ、誰かと同じ人生を歩む必要などないのだ。自分は自分だけの人生を生きればいい。その為に個人で生まれてきたのだから。
玲司も片親だった。母親ひとりで、三つ上の姉と自分を育て上げた。父親は病死だったらしい。幼い頃で記憶にも殆ど残っていなかった。
母も姉も自分の指向は知っている。
姉は初めから気づいていて、ある日、中学の頃だったか、向こうから尋ねてきた。以来、良き相談相手となる。
母親には高校生になってから。これ以上自分を偽れないと母に告白すると、そんな気がしてたと笑った。
まあ、大変なこともあるだろうけれど、どんな人生でも、自分の選択した人生なのだから頑張って生きなさいと、それだけだった。流石、女手一つで二人を育て上げただけはある。
家族は知っている。親しい友人は、そっち側の人間ばかり。わざわざカミングアウトなど、する必要はないと感じていた。
だいたい、異性愛者は『私は異性が好きなんです』とカミングアウトするのだろうか。──しないだろう。
同性を好いただけで、偏見の目で見られるのだ。
バカげている。
人が人を好きになっただけだ。人の押し付けた常識の範囲に収まらないからといって、認めない頭の固い連中など、相手にはしていられない。
このままでいい。
なにも犯罪を犯しているわけではないのだ。下手にカミングアウトなどして、人に後ろ指を指されて生きる必要はない。
もう少し、個人を認める風潮が根付いてくれば、生きやすくもなるのだろうが。
どうも、人と一緒は一番の考えから抜けられない連中が多すぎる。
人が人を好きになる、当たり前のことが認められるようになれば、生きやすくもなるだろうが。
この雫も、その一人だろうな。
明らかに人の理想とする常識の範囲内で生きている。玲司のような存在は認められない連中だろう。もし、玲司の性的指向を知れば、一気に距離を置くに決まっている。
それが、現状だ。
そうして、離れていく人間とは付き合わなければいい、それだけだ。
「樺主任、なんか、顔。怖いっす」
「あ? ああ、少し考えてた。一週間分の献立をな」
適当なことを言って、誤魔化す。雫はうへぇと驚いた声をあげ。
「流石主任! 献立まできっちり計画されるとは!」
「…会った時から思っていたが、今は休みだ。主任はやめろ。樺でいい」
玲司はため息交じりにそう返せば。
「じゃ、樺さん?…って、珍しいですよね? 樺って苗字。白樺の樺。動物の──」
「子どもの頃はそれでからかわれたな。ありがちだ。大人になって、それを言う奴はいなかったが…」
わざと少しムッとしてみせれば、雫が慌てだした。
「え? いや、ほら! 連想ゲームみたいな? そんな、動物のカバと一緒になんてしませんよ! 先に白樺思いついたくらいで──」
「冗談だ。で、目当ての店は?」
雫の慌てぶりに苦笑をもらす。
「ああ、そこの先です。てか、主──樺さん。いや、樺さんはやめましょ…。玲司さんでどうですか? てか、意地悪いっすね。玲司さん」
玲司はただ笑った。