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君が見た空  作者: マン太
18/30

18.誘い

 週末、久しぶりに豪と会ったその日。食事もそこそこにホテルへ直行した。

 とにかく、何かに縋りたくて、胸に空いた孤独を埋めたくて。豪との行為ですべてを忘れてしまいたかったのだ。


「なんだ、そんなに寂しかったのか?」


 豪は玲司を腕に抱いたまま、見下ろしてくる。いつになく執拗に迫ったのだ。流石に気づくだろう。言いながら、額や頬にキスが落とされた。

 豪には愛されているのだと思う。

 玲司もまた、豪を嫌いではなかった。ただ、豪には他にも相手が数人いる。

 それを知っているから素直に自分の思いをぶつけることはなかった。そこまで子どもではないのだ。若い頃の様に、誰かを独占したいなど思わない。気晴らしに適度に遊べれば、それで良かった。


「…別に。少し、ストレスが溜まってただけだ」


「おいおい。俺はストレスのはけ口か? まあ、俺も楽しめたからいいが…。お前も、そんなに溜め込むなよ?」


 唇に落ちてきたキスが、そのまま首筋にも落とされる。

 豪のキスは気持ちがいい。身を任せていれば、何も考えられなくなる。それが心地よかった。頭の中を空っぽにしたいのだ。


「お前、一緒に来ないか?」


「…どこに?」


 キスは止まない。首筋から胸元に落ちてきたそれに身体が震えた。


「ロサンゼルス。海外への出向が決まった。今度は長期だ。数年になる。もしかしたらずっとだ。──ついてこないか? その方が、お前も生きやすいだろ?」


「それは、プロポーズか?」


 あまりにバカげたフレーズに、玲司は苦笑しそう口にしたが。


「ああそうだ。来いよ。連れて行こうと思ったのはお前だけだ」


 豪の眼差しは真剣だ。


「ふん。どうだかな? 都合がいいんだろ? 子供も生まない、生産性のない俺だ。遊ぶなら何かと都合がいい。それに向こうで調達するより、こっちから連れて行った方が、楽──」


 すると、豪が両脇に手を付き見下ろしてきた。


「俺を怒らせたいのか? 真剣に言っているんだ」


「…いつからだ?」


「ここ最近のお前を見てて、放っておけないと思った。以前のお前なら置いて行っても、次を見つけただろうし、強く生きていくだろうと思えた。だが最近のお前はどこか危うくてな。…お前、自分を大事にしてないだろ?」


 この男は。


 ろくに顔も合わせていないのに、よく見ている。


「そんな風に見ていたのか? 心外だな。自暴自棄になどなってないさ。自分の事は自分で良く分かっている。そう見えても一時だ」


「前のお前だったらな。…何があった?」


「別に…」


 視線を逸らす。言うつもりはなかった。もう終わった事なのだ。

 一度こうと決めれば絶対話さない玲司の事を知っている豪は、それ以上追及はしなかったが。


「とにかく、そんなままのお前を置いてはいけない。お前だったら向こうでも十分働き口はある。悪い話じゃないはずだ。良く考えておいてくれ」


「……」


 玲司は返事をしなかった。


 その後、もう一度、どこか怒ったような顔をして豪は玲司を抱いた。そんな顔をして見せたのはそれが初めてだったかもしれない。

 行為はその表情に反して、酷く優しかったが。


 このまま、豪と共に行ってしまえばいいのだろうか。


 雫はすでに自分のもとを去ろうとしている。彼女も見つけ、新たな人生を進もうとしているのだ。玲司の出番はすでにない。

 けれど、何かが胸につかえて、玲司は豪の誘いに素直に応じれなかった。


+++


 すでに日付は翌日へと変わっている。

 その後、豪はマンションまで送ってくれた。部屋のある階までエスコートさえして。

 ここまでするのは珍しい。いつも、送り届けてもマンション前までだ。


「今日はやけに優しいな」


「今日も、だろ? だが、どことなく放っておけなくてな」


「そればかりだな? そこまで危うく見えるのか?」


「見える。明日、何も予定はないんだろ? 部屋に行ってもいいか?」


「おい。まだやるのか? 俺を壊す気か…」


「壊れたらちゃんと直してやるよ。最後まで面倒をみてやる」


「バカ言うな…。お前だっていつか──」


 豪の顔を見つめた。

 いつか、優しい妻を迎え、可愛い子どもを腕に抱き、幸せな家庭を築く。


 それが、まっとうな道だ。


「いつか、なんだ?」


「いいんだ…。さっきの話だが、やはり──」


 と、豪が玲司の顎を捉えキスを仕掛けてきた。

 あと少しで部屋に行きつく。角部屋の為、それ以上、人が通ることはなかったが、いつ見られてもおかしくはない。

 背中が壁に押し付けられ、もう一方の手が、手首を掴み拘束してくる。


「豪──」


「断るつもりなら、止めない──」


 キスが首筋に落ち、きつく吸ってくる。


 それだと跡がつく──。


「っ──」


 身体が跳ね上がった。先ほどまで腕の中にいたのだ。身体にはまだ熱がくすぶっている。僅かな刺激でもすぐに反応を示した。

 着ていたスーツのジャケットがはだけられ、シャツの下の肌さえいつの間にか露になっている。気が付けば、スラックスのベルトに手がかかり、落ちかかっていた。

 豪は本気だった。応じない限り、ここで最後までやるつもりだ。


 止め──!


 と、豪の胸を押しのけようとした矢先。


「玲司さん──っ!」


 その声に、さっと背筋に冷たいものが走る。上げた視線の先にドアの前でしゃがみこんでいた雫がいた。

 我に返ってすぐに豪を突き飛ばすと、胸もとのシャツを掻きよせる。


「お前、玲司さんになにを──!」


 何も知らない雫は豪に飛びかかるが。豪はそれをかわしながら、


「おいおい。誤解するなよ。これは合意の上だ。だろ? 玲司」


「…雫。大丈夫だ。襲われていたわけじゃない」


 厳密には、だが。襲われていたことは確かだが、関係性から見れば暴行ではない。そう言うシチュエーションを楽しんでいた、に近い。


「でもっ!」


「いいから落ち着け。遅い時間だ。騒ぐと迷惑になる。──豪、送ってくれてありがとう。また連絡する」


「…わかった。おい、お前」


 呼ばれて雫はびくりと肩を揺らし、豪を睨み返した。


「玲司を傷つけんじゃねぇぞ」


「あ、あんたの方が傷つけてたんだろ!」


「…かわいくねぇな。──玲司、いい返事を待ってる。じゃあな」


 それで豪は引き下がり、帰って行った。終始面白くなさそうな顔をしていたが。玲司は改めて雫へ向き直ると。


「兎に角中で話そう。ここでは迷惑になる」


「あ…はい」


 雫を中へと招き入れた。


+++


 雫を部屋に上げることは、二度とないと思っていたのだが。


 雫をリビングで待たせると、玲司は適当な部屋着に着替え戻ってくる。

 そのままキッチンへ向かい、マキネッタでエスプレッソを作り、カフェオレにすると、ソファに座る雫の元へ運んだ。

 雫は俯いたまま、ただ黙ってソファに座っている。

 ことりと音を立てそれを前に置く。コーヒーのいい香りが漂った。


「飲んで落ち着け。話はそれからだ」


「はい…」


 雫は言われた通り、黙ってそれを飲んだ。

 飲み終わるまで沈黙が続く。

 玲司はキッチンカウンターに腰を預け、同じくカフェオレを飲みながら、そんな雫を見るともなしに眺めていた。

 雫は普段着姿だ。ブルーグレーのパーカーにブルージーンズ。相変わらず学生の様だ。仕事終わり、一旦、帰宅した後、ここへ来たのだろう。

 リビングには雫が置いて行ったシャコバサボテンが瑞々しい葉を広げている。

 雫は飲み終えたあと、カップを目の前のテーブルに置き、小さく頭を下げて見せた。


「すみません…。騒いだりして」


「あんな様子を見れば、誰でも騒ぐだろう。あいつが悪い──が、今はその話じゃないな。見て分かったと思うが、俺の性的志向は同性だ。さっきの奴も付き合っている相手だ」


 その言葉に雫が顔を上げ、キッチンにいる玲司を見つめてくる。


「…同性」


「先に伝えておけば良かったな。だが、話す相手は見極めないと、後々面倒な事になる。お前がどんな人間か、まだ分かっていなかったから話せずにいた。それに、話さなくて済むならそれでもいいかと思っていてな。タイミングを逃した。今頃になって、済まなかった」


「いいえ…」


「それで、どうしてうちに来た?」


「色々あって…。でもその前に謝らせてください。俺…、知らないからって、今まで結構、失礼な事、言ったりやった気がします…」


 そう言ったあと、その場に唐突に立ち上がった雫はガバリと頭を下げ。


「すみませんでした!」


「雫?」


「俺…困らせてましたよね? 無理矢理引っ張り回して、気楽に泊まって…。告白まがいの事もして泣きついて。知らないとはいえ、相当、困らせました。すみませんでした!」


「お互い様だ。謝る必要はない。お前こそ、怒ってもいいんじゃないのか? 黙っていたのを責められてもおかしくない。知っていたら安易に近づこうとはしなかっただろう…」


 そうなのだ。初めから告白していれば、雫は近づいてこなかったはず。それが、普通だ。


「そ、れは…。でも、俺──ここに来たのには理由があって…」


「理由?」


 雫は軽く下唇を噛み締めたあと。


「この前、飲み会で知り合った子…。結局、付き合うのは止めたんです」


 玲司は流石に驚いて眉を跳ね上げる。


「どうしてだ? いい()だと柴崎も言っていたが…」


「無理だったんです」


「無理?」


「はい…。その、玲司さんとしたように、喫茶店行って、八百屋さん回って、公園散歩して…。そうやって過ごすのを想像した時、隣にいるのはその子じゃないなって。俺…やっぱり、隣にいるのは玲司さんがいいんです! それを、今日、言いに来て…」


 雫の告白に、胸が高鳴ったのは否定しない。

 雫は玲司がストレートと思った上で、勇気を出して告白しようとしてきたのだ。

 それは、単に友人として一緒にいたいと、それだけなのだろうが。

 なんの偏見も持たず、素直にそう伝えに来てくれたことが嬉しかった。

 しかし。


「雫。俺の対象が同性だと知っても、同じことが言えるのか?」


「……」


「言えないだろう? 俺にその気が無くとも、間違いがないとは限らない。俺はかまわなかったとしても、お前は構うだろう? お前は異性愛者だ。友人として付き合いたいなら俺は無理だ。何度も言うが、自分の将来を考えて、いい相手を見つけろ。もちろん、女性のな」


 すると雫は膝の上に乗せていた手をくっと握り締めた後、


「…俺とは、付き合えないですか?」


「雫?」


「さっきの人がタイプなら、俺、全然無理だってわかります。でも、俺といて玲司さんも楽しかったですよね? それだけじゃ、ダメですか?」


「雫…。お前、自分が何を言っているのか分かっているのか? お前は男と付き合えるのか? 楽しいだけで続けられると思うか? …よく考えてものを言え」


「考えました! 男だからとかじゃなく、玲司さんだからです。玲司さんだから付き合いたいんです!」


 雫は必死だ。

 玲司は飲み終えたカップに視線を落とした。

 雫の告白に胸が甘く痛む。

 今まで、こんなふうに思いを伝えてくれた者がいただろうか。素直に嬉しいと思う。

 それに、玲司は正直、雫を好いていた。一緒に過ごしても、違和感ないと思えるほど。


 本当は別れたくない。この先も、ずっと一緒にいられたなら。


 これは、最後のチャンスなのかも知れない。今度こそ、諦めずに幸せを掴めるかどうかの──。


 そう思い、玲司が手を伸ばし掛けた矢先、雫のジーンズの後ろポケットに突っ込んでいた端末が着信を知らせた。

 鳴り止まないそれを止めようと取り出した雫は、表示を見て表情を曇らせた。それでピンとくる。


「例の彼女からか?」


「さっきも、会って話したいって…。でも、その気はないんです」


 それで玲司は現実に引き戻される。


 やはり、雫には彼女と作る幸せな未来が似合っている。


 玲司はひとつため息をつくと。


「雫。彼女を振る必要はない。会って、もう一度、付き合いたいと言え」


「嫌です! 俺は──」


 玲司は雫のもとに歩み寄ると、言いかけた雫の腕を掴み、ソファの上に押し倒した。そのまま動けないよう、体重をかける。


「っ、何を──」


 玲司は何も答えず、そのまま腕を拘束し、雫の身に着けていたパーカーをたくし上げた。スルリと手を滑らせ、素肌に触れる。ビクリと雫が震えた。


「れ、玲司さんっ?! やめ──」


 玲司は更に雫の上へ伸し掛かると、顔を背けたその耳元へ、


「男と付き合うとはこう言う行為もすると言うことだ。お前は受け入れることが出来るか?」


「っ!?」


 そうして力を緩めれば、雫は飛び退く様にして玲司の傍から離れた。ドアの傍に立ち肩で息をしている。

 玲司はソファに片膝を乗せたまま雫を振り仰ぐと。


「…無理だろう? 大人しく今まで通り、異性と付き合え。それに、俺はさっきの奴にロス行きを誘われた。お前の思いには応えられない」


「…行くんですか?」


「ここにいるよりずっと生きやすい。お前も新しい彼女と、自分の道を歩むんだ」


「っ──」


 雫はそれだけ聞くと、部屋を飛び出していった。


+++


 馬鹿だな、俺も。


 玲司はソファにもたれると、乱れた前髪をかき上げる。


 あんな風に脅さなくても、もっと上手くやれただろうに。


 つい感情的になってしまった。

 だが、これで雫は自分に近寄ろうとはしないだろう。道を誤る事もない。

 休み明けの仕事が心配だった。

 だが、起こってしまった事は仕方ない。上手くやるしかなかった。雫も子どもではないのだ。仕事に支障をきたす事は無いとは思うが。


 豪の話し、考えた方がいいだろうか。


 先程は売り言葉に買い言葉で口にしてしまったが。行く気はなかったが、雫とこうなった以上、気まずくなるのは必至だ。

 今の仕事はあってはいたが、マンネリもしていた。そろそろ、別の道を考えても悪くはない。

 テーブルに置かれたままの、雫が飲み終えたカップに目を向ける。一番、望まない形での告白となった。


 あいつとは、いい上司のままで終わりたかったな…。


 雫が持ってきたシャコバサボテンに、雫の笑顔が重なる。前髪をかきあげた手を、力なく膝の上に落した。



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