14.露天風呂
「あー、やっぱり温泉っていいっすねぇ」
「ああ…」
岩の淵に腕をかけて夜空を見上げる雫。
その背後、同じく岩に背を預けた玲司も、つられるように夜空を見上げた。
星がまたたく。時折、雲が通り過ぎその姿を隠した。上空は風が強いのかもしれない。
コーヒーを飲みひと息ついたあと、二人で露天風呂へと向かった。
温泉はオーナーが自ら作ったもので、ログハウスの外に設置されていた。一つしかない為、他に宿泊客がいれば、入れ替え制になるらしい。四人も入ればいっぱいになる広さだったが、二人ならちょうどいい広さだった。
「温泉、いいですねぇ。しかも露天。日本人最高!」
「調子がいいな…」
玲司は湯につかった手で髪をかき上げる。眼鏡を外してきたせいで、雫の姿はぼんやりしてよく見えない。それで丁度良かった。
雫はこちらへ振り返ると。
「眼鏡なくても見えてるんですか?」
「そこまで近視が強い訳じゃない。運転はできないが、無くとも生活に支障はないな。だが、かけていた方が安全だ」
「ですね。てか、かけていた方が絶対いいです」
「なんでだ?」
言い切る雫に問い返す。すると雫は少し口ごもった後、視線を彷徨わせるようにしながら。
「いや…。その、玲司さん。眼鏡外すとほんっと、綺麗なのバレますから。てか、みんな知ってはいるんですけど、外すと更に眩しく光って見えちゃって、仕事にならないですよ」
「…からかっているのか? そこまでじゃないだろう?」
「いいえ! 玲司さん、自覚本当に薄いですけど、綺麗なんですって。前にも言いましたけど、俺、見惚れましたもん。てか、一瞬、惚れました」
「……」
固まった玲司を見て、雫は慌てる。
「あ、あの! 惚れたってのは、こう、マジな奴じゃなくて、いや、マジではあったんですけど、綺麗なものは素直に綺麗だって思っただけで──って、伝わってます?」
「ああ…。男女間の好意とは違うと言いたいんだろう?」
「そ、そうです…! こんな綺麗なひと見たことないなぁって。だから、こうして一緒に温泉入っているのが夢みたいで…」
「…俺はお前の上司だ。俳優やモデルじゃない。ただのサラリーマンだ。機会があれば風呂だろうがプールだろうが一緒に入るさ」
「そうなんですけど…。なんでしょうね。前にも言いましたけど、憧れの人っていうか…。兎に角、雲の上の存在に思えたんですよう」
「買い被りすぎだ」
実際を知れば、その評価も地に落ちるだろう。
「早く彼女を作って、その子を大切にしろ。その方が有意義だ」
「そう言いますけど。人生はそれだけじゃないですよ。彼女や奥さんがいなくたって、そう言う人生だってあるんです。生き方は人それぞれだって、俺は思うんですよね…。って、友だちや同期に言ったことないですけど。言えば変な奴扱いだろうし。皆が皆、同じ生き方しなくたって…。そう思いません?」
「…だから、レストランを継いでも可笑しくはないと?」
「あ、そうです! それが、そう思うようになったきっかけでもあるんです…。だって、俺の人生ですもん。どんなに大変だって、苦労したって失敗したって。俺が責任を追えば、どんな生き方でもいいのかなって。苦労も失敗も、糧になる──そう思うんです。確かに見てる方はハラハラするんでしょうけど、俺は好きでそうしているわけで。無難な生き方をしたいわけじゃないんです」
玲司は口元に笑みを浮かべると。
「ふん。知ったような口を利くな?」
「もうー、笑わないでくださいよう。確かにまだ若いですけど、これでもいろいろ考えてるんです」
「分かってる。──俺もそう思うからな」
「玲司さんも?」
「ああ。人それぞれ、生き方は自由だと思っている」
すると雫はふふっと笑って、
「やっぱり。俺と玲司さんは合いますね? どうせなら、このまま一緒に住みません?」
「──」
思わず言葉につまった。
話しの流れ、冗談なのだ。まともに受けてどうする。
「玲司さんとだったら、きっと楽しく過ごせそうなのになぁー」
「…彼女が出来れば、そんな考えも吹っ飛ぶさ。早く誰かと付き合え」
動揺を隠すようにそう告げた。
「あーもー、またそれですかぁ。俺、そんなに飢えてるわけじゃないんですよ?」
「いいから、それがお前の為だ」
「ちぇー。でも、何かあった時の保険にしといてくださいよ。玲司さんも。今後誰かと結婚しないんだったら、シェアハウスでもして、老後をのんびりと──って、もう出るんですか?」
「ああ。長湯は苦手だ」
上がると同時にザッと湯が音を立てる。これ以上、一緒に入ったはいられなかった。
「もうちょっと、話したかったのにー」
「お前はゆっくりしてこい」
「はぁ~い」
呑気な返事が返ってきた。
+++
何が一緒に、だ。
ノンケ相手と過ごせるはずもない。気楽なものだと思う。こちらの気など知りようもないのだから、仕方ないと言えばそれまでなのだが。
身体を拭き終え、下着を履いた所で雫が風呂から上がってきた。からりと音がして、ガラスの引き戸が開く。
「あー、いいお湯だったぁ」
言いながら、マットの上で身体を拭いていた雫だが。
「にしても、玲司さん。いい身体してますね? 何か運動しているんですか?」
身体を拭く手を止め、髪を拭き出した玲司の身体を見つめてきた。ある意味、セクハラに近い行動だが、知らないのだから注意しようもない。
「…いや。仕事終わり、時間があればジムで少し走るくらいだ」
さりげなくタオルで上半身を隠しつつ、スウェットの下を履いた。
「へぇ。ジムかぁ。俺も行きたいなぁとは思うんですけど…」
「お前は何かやっているのか? …思ったより筋肉がついてる」
こちらもセクハラにあたるのだろうか。
思案しながらも、会話の流れなのだから仕方ないと割り切った。
確かに雫も身体が締まっていた。まだ腹が出る年齢ではないだろうが、目に見える範囲で筋肉のついているのが分かる。
豪のような力強さはないが、腕も足もしなやかで適度な日焼けも好ましい。
だが、じっとは見て居られない。すぐに視線を外すと、濡れたタオルをたたんだ。
雫は少し照れくさそうにしながら、そうかなぁと腕を伸ばして見せながら。
「朝、走ってるんです。大会目指してるとかじゃなく、身体を動かすのに単にそれが一番手っ取り早くて。お金もかからないし、すぐにできるんで」
「確かにそうだな。だからお前は早起きなのか」
「はい! 朝早いのは苦になりません」
すっかり着替え終えた玲司は、脱衣所に置かれた椅子に座り、持ってきたペットボトルの水に口をつけると。
「お前くらいの年齢だと、大抵朝遅くまで寝て居そうなイメージがあったんだが、そうでもないんだな」
「偏見ですよう。俺、朝型なんです。夜、九時過ぎると眠くなってきて…」
「そう言えば寝つきも早いな。気が付けば寝ている…」
泊まった時は、五分もしないうちに寝息が隣から聞こえてくることもしばしば。
「もともと寝つきはいいんですけど、特に玲司さん所行くと、すぐ寝ちゃうんですよね。あれ、不思議で。リラックスしている証拠なんでしょうか。隣に玲司さんがいると思うと安心しちゃって…」
「わからんな」
「あ、快適安眠枕って感があります!」
「俺は寝具扱いか…」
「違いますって! もう。冗談に決まってるじゃないですかぁ。って、玲司さんの腕枕ならきっと、即爆睡できそうですね!」
「……」
明るく言い放つ雫に沈黙する。
腕枕。自分の腕の中ですやすやと眠る雫を想像し、それをすぐに打ち消した。
いったい、何を考えている。
あり得ない状況だ。この雫とそんな事になるなど。こんな想像をするのは、雫に対しても失礼だろう。
「俺の腕枕なんて寝心地悪いに決まっている。彼女にでもしてやれ」
玲司はそれもで平静を装い、軽く受け流すともう一口水を含んだ。
「うーん、そんな風になれるのかなぁ」
「今までだって誰かにしたことはあるだろう?」
「えー? ないですよ。終わった後もべたべたとかないですもん。お互いシャワー浴びてさっさと寝る! みたいな。一度くらい、甘ーい感じでべたべたしたいんですけど」
「それは災難だな」
「うー…。玲司さんはあるんですか?」
「…まあな」
豪とはほぼそれだ。向こうが甘やかしたいらしく、事後もべたべたと鬱陶しいくらい触れてくる。腕の中でなど毎回眠っていた。
もともとノンケだったくせに、良くここまでできるものだと思うが、それが玲司だからということに気付いてはいない。
「いいなぁ。俺もそうなってみたい…」
「なれるさ」
じとりと雫は見返してくる。
「簡単にいいますけどぉ。そこまでたどり着くのに、結構大変なんですから。美味しいもの食べさせて、欲しいもの買ってあげて、行きたい処へ連れて行ってあげて。なんとか機嫌を良くさせて、ようやく──って、その後も大変で…。してくれて当たり前って感じで。ああ、俺の幸せはどこにあるんだろう?」
「もっと付き合う相手を選べばいい。顔と身体ばかりで選ぶからダメなんだ」
「うっ…。で、でも、まずはそこ、大事でしょう? 好みのタイプじゃないとそんな気も起きないし…。ああ、本当。玲司さんが女性だったら良かったのに。まさに理想のタイプです」
こいつは。
「俺は男で、お前も男だ。ないものねだりをしても仕方ない。先のある関係を見つけろ」
「えー、そんな、キツイ。夢くらい見させてくださいよ」
「夢は現実にならない。まともな幸せを掴みたかったらそうしろ」
「はぁーい…」
ようやく雫は着替え終わる。
「支度が出来たら行くぞ。いいか?」
「あ、はーい」
手早く荷物を集めると、雫は急ぎ足で玲司の元へ駆けてきた。
出入口で靴を履くと室外へと出る。それでも夜になると空気は冷えていた。市街地より高所だからだろう。
星はやはり瞬いていた。冷えた空気はお湯から出たばかりの身体には心地いい。
「星、綺麗にみえますね?」
「ああ…」
同じく傍らに立つ雫も空を見上げてそう呟く。
濡れたままの髪はふわふわと至る方向に跳ねていた。早くロッジに戻って、ストーブの熱で乾かした方が良さそうだ。
「のんびりしていると湯冷めするな。行こう」
「あ、はい!」
先に歩き出すと、ととっと後をついてくる。暗い中に一人にされるのが怖いのだろう。
横に並んだ雫をそっと観察する。
雫は並ぶと少し玲司よりは高いくらいだが、身体つきは細かった。手足がひょろりと長いのだ。普段はスーツを着ているからぴしっとして見えるが、普段着になるとそれが良く分かる。
ジャージに着替えた雫は首をすくめながらついて来た。やはり寒いのだろう。ロッジまではまだ距離がある。
「雫、ちょっと止まれ」
「はい?」
そうして立ちどまった雫の首へ、手にしていたバスタオルをぐるりと回してかけた。このバスタオルは、持っていったが結局、ハンドタオルを使ったため未使用だったのだ。手荷物が減って楽にもなる。
「あ、ありがとう、ございます…」
不意の事に驚いたのか、雫の声がどもった。照れたのだろう。
「風邪でも引かれたら困るからな? 寒そうだ」
「へへ…。嬉しいです。なんか、こうしてると、付き合ってるカップルみたいですね?」
「…言ってろ。ほら、置いてくぞ」
「あわわ! 置いてかないでくださいってば!」
速足で行く玲司に慌てて雫はついてきた。
もこもことタオルに埋もれた雫は普段より幼く見えた。いや、可愛いく見えたが正しい。そこで、はたと気がつく。
かわいい──?
いったい、どういう気持ちでそう思ったのか。単に小動物を見て思う気持ちと同じなのか。
玲司は今までにない感情に混乱した。