12.存在
次の日の朝、八時過ぎる頃にリビングへ向かえば、先週と同じ様にキッチンに立つ雫が笑顔で出迎えた。
「おはようございます!」
「おはよう…」
相変わらずの笑み。二泊目にしてすっかり馴染んだ感がある。手にしたフライパンからは甘い香りが漂った。
「今日はフレンチトーストです。牛乳の代わりに豆乳使って見ました。ヘルシーです、って言っても、バターは使ってるんですけどね」
ヘヘと笑い、席へ着いた玲司の皿の上に、フライパンから直接フレンチトーストを取り分けた。香ばしくキツネ色に焼けたトーストが食欲を誘う。
「…これも自分で作って食べているのか?」
「ハイ。焦げたところ、大好きで」
言いながら、ハチミツをかけ四等分に切り分けたそれを口へと運ぶ。がぶりと噛みつき咀嚼する姿は、某アニメーションに出てきそうな食べっぷりだ。
「うーん! 美味しい! さ、玲司さんも早く早く」
「ああ…」
フレンチトーストは今まで食べた記憶があまり無い。フォークで指し、ひと口大に切って口に運ぶ。パリッとした食感の後、とフワリと口の中でパンが溶けた。
雫は目をキラキラと輝かせながら、
「どうですか? お口に合います?」
身を乗り出す様にして覗き込んでくる。確かに美味しかった。
「ああ、美味しい。あまり食べたことがなくてな。こんな味だったんだな…」
「焼き立てですから余計に美味しく感じるはずです。冷めないうちに」
確かに冷めては美味しさが半減するだろう。
「分かった」
にこにこ顔の雫に勧められ、玲司は食べる事に集中した。
朝食を食べ終え、食器を洗い片付け終わると、前回と同様にマキネッタを使ってカフェオレを淹れ二人で飲む。
朝の淡い光の中で他愛ない話しをしながら飲んでいると、まるでカップルにでもなったかのようだったが。
バカげている…。
一瞬でもそんな想像をした自分を笑う。
相手は職場の後輩だ。しかも異性愛者。ただそんな相手と向き合ってカフェオレを飲んでいるだけ。それだけの事だ。
「あー、なんかいいっすね。休日の朝、のんびりとカフェオレ飲むのって。しかもひとりじゃない…。ひとりだって気楽でいいですけど、ずーっとってのも。やっぱり誰かと下らない話をしながら、飲むのって、いいなぁって思いますよ」
「早く相手を見つけろ」
「えー、ほんと簡単に言ってくれますね?」
「来週、同期の奴に頼んでやる。そこにいい相手がいるかはわからないが、きっかけにはなるだろう。顔の広い奴だから、いろいろ見つけて来てくれるはずだ」
「本当ですか? …でも、気の合わないような感じの子ばっかりだとなぁー」
「とにかく、端から話してみろ。会って話してみなければわからないだろう」
すると、雫はどこかムスッとした顔になる。
「そうですけど…」
「なんだ? 余り嬉しそうじゃないな?」
「だって…。玲司さん、俺を早く追い払いたいんだろうなぁと思って。そりゃあ、ひとりで快適に過ごしていた所に俺が入り込んできて、邪魔かとは思いますけど。あからさまに遠ざけようとしなくたって…」
「そうじゃない。お前の為を思って言ってるんだ。たまにならこうやってつるむのもいいが、やはり、先はない。早く可愛い気の合う子を探せ」
「…はーい」
どこか不服そうに返事をすると、淹れたカフェオレを啜った。
玲司だって、別に雫が邪魔なわけではない。邪魔じゃないと感じるからこそ遠ざけるのだ。
自身の志向を知って、雫がここにいるなら百歩譲ってよしとするが、そうではない。
早く遠ざけるに限ると、玲司は思った。
+++
結局その後も、雫は部屋に残った。
資格試験の勉強で、分からない所を教えて欲しいと言うのだ。そう言われて、教えない訳にはいかない。
それに元来、玲司は面倒みがいい。頼られてNOとは言えなかった。結局、マンツーマンで雫に指導する事となった。
気がつけば昼食の時間となり、お礼に雫がランチを作ると申し出て。
昼食を食べ終わり、しっかりコーヒーも飲んでようやく雫は帰って行った。
ちなみにランチはナポリタン。どこか懐かしい味がした。幼い頃、母と姉、三人で珍しく外食した際、食べたそれと似ている。とても美味しかった。
帰り際、見送りに出た玄関先で。
「毎週すまないな。だが、せっかくの休みだ。次は飲み会で可愛い彼女を見つけて、デートでもするんだな」
「いやだなぁ。すぐにデートなんてしませんよう。だいたい、見つかるか分からないし…」
「いい子ならすぐに気に入って、そうなるさ。じゃあな。気をつけて帰れよ?」
「はーい…。じゃあ、また職場で」
雫はどこか不服そうにして帰って行った。扉を閉ざし、深いため息を吐き出す。
結局、今日は昼すぎまでいた。ほぼ二日いたようなもので。やはり嵐が去った後の様だとも思うが、一抹の寂しさも感じる。
やれやれ、だな…。
リビングのベランダ側には、雫の置いていった緑のシャコバサボテンが、光を受けて緑の瑞々しい葉を輝かせていた。
+++
次の週。早速同期に連絡を取り、飲み会を開く段取りを進めた。
頼んだ相手は柴崎崇人。同い年の同期だ。
柴崎はもともと皆でワイワイするのが好きで、若い頃はしょっちゅう飲み会を開いていた。結婚してからもそれはかわらず、もっぱら盛り上げ役、仲介役に徹している。
「樺が頼んで来るなんて珍しいな? お前は参加しないんだろ?」
女性にモテるであろう、卒のない整った顔にニヤリとした笑みを浮かべて見せた。意地の悪い笑みだ。
ちなみにこの男は玲司の志向を知っている。
いつか飲み会の帰り道、余りにしつこくお気に入りの女性を勧めてきたので、それを断るため告白してやったのだ。自分が好きになるのは同性だけだと。
柴崎は一瞬、間を置いたものの、そうかとだけ言って、それからは女性を勧めてくる事はなかった。
その後も特別な目で見られる事はなく今に至る。周囲にそれを話した風もなく。一見ちゃらちゃらしているようだが、根は実直、真面目な人物らしい。
「当たり前だ。俺の下にいる若手に紹介して欲しい。高梁雫だ」
「へぇー。お前でもそんな世話を焼くんだな?」
「…まあな。彼女が出来れば仕事以外でも息抜きができるだろ?」
実際のところは、自分から引きはがしたいだけであるが。すると柴崎は、フーンと言った後。
「彼女の存在が息抜きになるとは思わないけどな? 相手によっては手がかかって、返って気を使うこともある」
「だから、気を使わなくていい相手を探してる。それなりに真面目な子も入れておいてくれ。外見がいいだけじゃなくな?」
玲司は睨みつける。
「はいはい。真面目でかわいい子も誘うようにするって。で、見返りは?」
詰め寄る柴崎に、
「この前、そっちの部署の仕事手伝っただろ? それをチャラにしてやる」
「はぁ? あれは緊急事態だったろ? ったく…。じゃあさ、今度飲みに行こうぜ! もちろん、二人っきりで」
そう言って肩をぶつけてくる。玲司は顔を背けると。
「愚痴くらいなら聞いてやる。じゃあ、頼んだぞ」
「了解、了解」
片手をあげてから玲司の元を去っていった。
柴崎はいい奴だった。当時、少し惹かれた時期もあったが、すぐにその思いは断ち切った。
同期相手にそれは面倒くさい。それに玲司の志向を知った後、飲み会の帰り際、奴が冗談で迫ってきた瞬間、少し本気が見えて──当時、同じ部署内に彼女がいた──身を引いたのもある。人のものを奪うことは正直したくない。
柴崎のような人間は、真っ直ぐな道を歩くのが似合っている。だいたい、一時の気の迷いで手を出されてはいい迷惑だ。
「うまく見つかるといいが」
去っていった方向を眺めながら、雫を思った。