血咲き虫
今回は愛兎が主役です。流血表現注意。
「ここが奴らの本拠地か」
「随分と汚らしいところにいるんだね」
品睿の呟きに、愛兎が答えた。二人は、廃工場の前にいた。
その廃工場は、時の流れに飲まれた静寂の中に佇んでいた。かつては機械の唸り声と労働者たちの喧騒で満ちていた場所が、今ではただ風のささやきが支配するのみだ。
錆びた鉄骨が空に向かって無言の叫びを上げ、窓ガラスは割れ、外の世界との境界線をぼんやりと映している。
床には割れたタイルや朽ちた木片が散らばり、踏み入れる者の足音だけがその空虚さをさらに際立たせる。
巨大な煙突は空に向かって沈黙のままそびえ立ち、かつて吐き出していた黒煙はもうない。
その姿は、役目を終えた老兵のようでありながら、どこか誇り高く見える。壁に残された古びたポスターや看板は色あせ、かつての栄光や希望を遠い記憶へと押しやっている。
それでも、この場所には過去の記憶が染み付いていた。風に乗ってかすかに聞こえるのは、かつての機械音か、あるいはそこで働いていた人々の笑い声や疲れたため息かもしれない。
誰もいなくなったこの場所が、今もなお何かを語ろうとしているようだった。
「まったく……手間をかけさせやがって」
「こっちも仕事が立て込んでる。早く済ませてしまおう」
白桜の死体を探す役目もあるが、指名手配犯が潜んでいる可能性があるならば、こちらが優先だ。
指名手配中の妖怪は、二人だ。
一人は、通り魔事件を起こして逃走中の鬼。もう一人は、連続殺人事件の容疑者。
その鬼どもが、この廃工場にいる。
「……ずっとこの中に隠れてたのか? さすがに気味が悪いな」
廃工場の中は、どこまでも静寂に満ちていた。ここでは、物音を立てればそれは反響し、その残響がさらに静けさを増す。
愛兎の耳をもってしても、この静けさの中では自分の呼吸音や心臓の音しか聞こえてこなかった。まるで、世界そのものが息をひそめているかのようだった。
(いや、違うな)
愛兎は悟った。妖怪どもが気づいたのだ。愛兎と品睿が来たことに。
「愛兎、気をつけろ」
品睿の囁きに、小さく頷く。
「いるな」
愛兎が静かに短剣を構える。品睿もそれに倣い、双節棍を構えた。
どこからか、わずかな足音が聞こえる。何者かが、二人の潜む場所へと迫ってくる。
その足取りは重々しく、どこか老朽化した機械の駆動音にも似ていた。
「静かに」
愛兎が小さく呟くと、二人は息を潜めた。足音が迫るたびに心臓の鼓動が早まり、息遣いは浅くなる。静寂を破るものだけに意識を集中させる。
そしてついに、それは現れた。
「っ!」
思わず声を上げそうになる品睿を、愛兎の手が制する。
そこにいたのは鬼だった。
頭から生えた二本の角に、口元から覗く牙。その姿は禍々しくも美しい。
その鬼は上半身は裸で、鍛え上げられた肉体が露出している。その体は小柄だが引き締まっており、背中には大きな甲羅を背負っている。
腰からは二本の蛇のような尻尾が生えており、それはゆらゆらと揺れて獲物を求める肉食獣のように鋭い眼光を放っている。
この鬼こそ、二人が追っていた指名手配の犯人だ。
「貴様、一人か?もう一人はどうした?」
品睿が尋ねると、鬼は無言のまま背を向ける。そしてそのまま工場の奥へと向かっていく。
「待て!」
品睿と愛兎は慌ててその後を追うため、足を踏み出した瞬間、二人の頭上に影が差した。
「!?」
見上げると、そこにはもう一人の鬼の姿があった。二人が振り返った瞬間、その姿は巨岩の如く飛来し、彼らを踏み潰さんとする勢いで落下してきた。
「くっ!」
品睿は横へ大きく跳躍した。同時に愛兎も走り出し、敵の着地地点から離れるように回り込んだ。
その数秒後に地面に激突した敵は、地面にクレーター状の穴を穿ちつつ再び飛び上がる。
その巨体からは想像もできないような軽やかな動きで空中を舞い、再びこちらに向かって飛びかかりながら鋭い鉤爪を振り下ろす。
「うわっ!?」
間一髪のところで回避したものの、地面に叩き付けられた衝撃で砂埃が巻き起こり視界が遮られた。その間にも敵は次々と攻撃を繰り出し、そのたびに地面は揺れる。
愛兎はその隙を突いて敵の懐に潜り込み、短剣で切りつけた。
しかし、刃は通らず逆に弾き返されてしまう。
(硬い……!)
愛兎は素早く後退し、距離を保とうとする。
「こいつ、強いぞ!」
品睿が双節棍を振り回しながら叫ぶと、愛兎もそれに呼応するように再び短剣を構えた。
「こいつは私が相手する。君は奥の奴を追ってくれ!」
愛兎の言葉に、品睿は一瞬躊躇うような表情を浮かべたがすぐに覚悟を決めたのか小さく頷き返した。そしてそのまま敵に背を向けて走り出した。
「逃がすかァ!!!!」
鬼はそう叫び、品睿の後を追いかけようとする。それを黙って見逃すほど愛兎も甘くはない。
「おっと、お前の相手は私だよ」
愛兎は短剣を構え直し、鬼の行く手を遮った。
「ふん……邪魔をするな、人間風情が」
鬼は鋭い牙を剥き、愛兎を睨み付ける。その眼光の鋭さは、まるで猛禽類のように鋭い。
「悪いが、ここで足止めさせてもらうよ」
愛兎も負けじと睨み返す。そして同時に地面を蹴り出し、互いに距離を詰める。
先に攻撃を仕掛けたのは愛兎だった。素早く踏み込みつつ短剣を振り下ろす。しかしそれは空を切り、逆に鬼の鉤爪によるカウンターが愛兎を襲った。
間一髪で回避したものの、その一撃は愛兎の体を大きく吹き飛ばした。地面に叩き付けられた衝撃で肺の中の空気が全て押し出され、一瞬呼吸困難に陥る。しかしすぐに体勢を立て直し、再び鬼と対峙する。
(なんて馬鹿力だ……!)
愛兎は自分の身体能力に自信を持っていたが、目の前の鬼はそれを遥かに上回る力を持っているようだ。
「人間如きが……邪魔をするな!」
鬼は怒りの咆哮を上げながら突進してきた。その巨体からは想像も出来ないような俊敏さで距離を詰めると、そのまま鉤爪を振り下ろす。
愛兎はその一撃を短剣で受け止めるが、あまりの衝撃に体が浮き上がりそうになる。しかしなんとか踏みとどまり、逆に押し返すようにして弾き返した。
その隙を狙って愛兎は短剣で鬼の目を突き刺した。
「ぐああぁあ!!!!」
鬼は苦悶の叫びを上げつつ後方へ飛び退く。その隙を逃すまいと、愛兎は大きく踏み込み、懐に飛び込んだ。そのまま切り裂かんと短剣を振るう。
だが、その一撃は空を斬った。鬼は一瞬早く態勢を立て直すと愛兎の脇腹を蹴り上げたのだ。
「がっ……!」
愛兎の体が吹き飛び、壁に激突する。
肺の中の空気が一気に押し出される感覚と共に視界が霞むが、すぐに立ち上がり戦闘態勢を整える。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を整えつつ、冷静に相手の動きを観察する。
「キサマ……よくも……」
鬼が怒りの声を上げる。だが、愛兎の方だって既に余裕などない。額からは汗が流れ落ちており、肩で息をしている状態だ。
「ふん。息も絶え絶えのようだが、これ以上は無駄だ。キサマに勝ち目はない」
「確かにお前は強いが、こちらとしても引けなくてね」
「そうじゃない。キサマのこと、何も知らないとでも思ったか?」
「…………何?」
鬼の言葉の意味が分からず、愛兎は眉を顰めた。
「俺はこう見えて小心者でね。何かあった時のために、自分を追って来る追跡者を調べておいたのさ」
「それで?何かわかったのかい?」
「弟のように可愛がっているガキがいるんだってなァ?」
「………っ!?」
その一言に、愛兎の表情が変わったのを見て鬼はニヤリと笑う。
「俺の使い魔がいつでもガキを襲えるように見張っている。あのガキを殺したら……キサマはどんな顔をするかなぁ?」
「…………」
「おっと、動くなよ。俺がテレパシーを送れば、使い魔どもはガキを殺す」
鬼は余裕たっぷりに言い放つ。その言葉とは裏腹に、その目は怒りに満ちていた。
「武器を捨てて、腕を後ろで組め」
愛兎はゆっくりと短剣を地面に落とす。小さく息を吐いた後、腕を後ろに組んだ。
鬼は満足そうに笑いながら近づく。
「賢明だな」
鬼の手が愛兎の頬に触れる。冷たくザラついた感触に鳥肌が立つ。そのまま顎を掴まれ上を向かされた。
「案外、綺麗な顔してるんだな」
「……それはどうも」
愛兎は嫌悪感を隠すことなく吐き捨てるように言った。
その反応が気に入らなかったのか、鬼は乱暴に愛兎を殴り飛ばした。愛兎の眼鏡が吹っ飛び、カシャンと音を立てて、地面に落ちた。
倒れ込みそうになったところで髪を掴まれ、強引に立たされる。
そして再び拳が振るわれる。何度も、何度も。
愛兎は歯を食いしばり耐えるしかなかった。口の中に血の味が広がる。
やがて満足したのか、鬼の手がようやく離された時には既に意識は朦朧としていた。
だがそれでもなお、その目には強い意志の光が宿っていた。
「いいねぇ、その表情。もっと歪ませてやりたいぜ」
鬼は愛兎の体を軽々と持ち上げると、壁に叩きつけた。
その衝撃で壁が崩れ、瓦礫が降り注ぐ。
「ぐっ……」
全身に走る痛みに意識が飛びそうになるが、それでも愛兎は立ち上がろうとした。しかし力が入らず、その場に崩れ落ちてしまう。
鬼はそんな愛兎の体を足で踏み付け、グリグリと体重をかける。その痛みに耐えるように歯を食いしばる。
「たかが人間如きが妖怪様に勝てるわきゃねーだろが!!身の程を知れクズが!!あーっははははははは!!!!」
鬼は高笑いしながら愛兎を罵倒する。
その様は狂気に満ちており、もはや正気ではないように思えた。
「じゃあなクソガキ」
そう言って鬼が鉤爪を振り上げた瞬間だった。
「……っ!?」
突然、鬼の動きが止まる。
目を大きく見開いて、体をガタガタ震わせている。
鬼の豹変に驚くことなく、愛兎はふぅと小さく息を吐いた。
「ようやくか。案外時間がかかったな」
「ぁ……が………ッ!」
鬼は言葉にならない声を発して悶え苦しむ。
その様子を見て、愛兎はニヤリと笑みを浮かべた。
鬼の体が大きく痙攣し始めた。まるで雷にでも打たれたかのように激しく震え出し、口からは声にならない悲鳴が上がる。
「この前、不法滞在者を捕まえたときに面白い物を持っていてね。幻妖界に存在する寄生虫──『血咲き虫』は、人間や妖怪、動物などの生き物の体内に入り込むと、血管や臓器に張り付く。そして幼虫は宿主の血液を栄養源にして急速に成長し、しばらくの間宿主に自覚症状をほとんど与えない」
「う……ぐ、あ、ぁあ……」
「血咲き虫は宿主の血液に含まれる栄養やエネルギーを吸収し続け、徐々に体内で腫瘍のように成長する。この段階になると、宿主はだんだんと体力の低下や貧血の症状を感じることがあるが、病気や疲労と誤認されることが多い。虫が成虫に近づくにつれ、宿主の体内では異常な血管の拡張や膨らみが見られ、それが『血咲き』の前兆となるんだ」
「ぁぐ……っ!?うぅ、が、あっ……キサ、マ……!!」
「血咲き虫が完全に成虫になると、宿主の体内で血管や臓器が膨張し、体の内側から急激な圧力をかける。この圧力が限界に達すると、血液は花が咲き誇るように体外へ飛び散り、成虫が腹部や胸部を突き破って出て来る。この時、破裂した宿主の血は花びらみたいに舞い散り、その光景が『血咲き虫』の名の由来だ」
「ひっ……!?」
「短剣に幼虫を張り付かせておいて、正解だった。さて……私は今、宿主に取り付いた虫を駆除する薬を持っているけれど──どうする?」
愛兎は妖しい微笑みを湛えながら、懐から小瓶を取り出して目の前に掲げた。
鬼のその目には恐怖の色が滲んでおり、先程までの狂気に満ちた表情は完全に消え失せている。
「た、たのむ……たす、けてくれ……!死にたく、ないぃぃ……!!」
鬼は涙を流しながら命乞いをし始めた。その無様な姿を見て、愛兎はますます笑みを深くした。そしてゆっくりと歩み寄り、彼に小瓶を差し出した。
鬼は安堵の表情を浮かべ、それを見た愛兎は満足げに微笑み、優しい声音で囁いた。
「死ね」
まるで子供を諭す口調で語りかけるその声はとても優しい響きだったが、その言葉の内容はあまりに残酷だった。
次の瞬間、彼の腹部に鋭い痛みが走った。
「あ……ッ、があああああぁぁぁあぁああぁあ!!!!!!!」
鬼は絶叫を上げ、地面に倒れ込む。その腹部からは血飛沫が飛び散り、辺り一面に赤い水溜りを作っていく。そして次の瞬間には、彼の口からも大量の血液が流れ出した。
血咲き虫が成虫となり、彼の腹を突き破って出てきたのだ。その血飛沫は愛兎の服や顔を赤く染め上げ、辺り一帯を血の海へと変えていく。
愛兎はその光景を見て満足げに微笑んだ。
「やあ、待っていたよ。悪党から生まれた方が綺麗になるものだね」
血咲き虫が腹を突き破り、宿主から現れる瞬間はまさに死と狂気の花が咲くかのようだった。
鮮やかな血の霧が空中に舞い上がると同時に、その中から姿を現した成虫は、赤黒く光る外殻を持っていた。
細長く滑らかな体は血液に濡れて、まるでまだ新鮮な傷口から滲み出る血のように輝いている。
体表は無数の細かい節に覆われ、その節目ごとに毒々しい緋色の輝きが浮かび上がっていた。
だが何より目を奪うのは、その羽だった。
成虫の背中から開かれた六枚の羽は、血染めの花弁そのものだ。薄く透けた膜状の羽には、宿主の血が紋様のように染み渡り、まるで不気味な赤い花が空に舞うような光景を作り出していた。
その羽が一度広がると、妖艶な香りさえ漂うような錯覚に囚われ、ただ見る者の心を震わせた。
触覚はさながら蔓のように長く、螺旋を描きながら動き、先端にはかすかに光る血の雫が宿っている。
鋭く細い脚は、宿主の肉片をかすかに引きずりながら動き、その動きは軽やかでありながら死の影を感じさせるものだった。
顔は人間の表情を模倣しているかのような奇怪な形をしており、大きな黒い眼が無感情に周囲を見回す。その眼には、何も感じない冷たい知性が宿っているかのようだった。
口元には鋭い牙が並び、血肉を食い尽くすための強靭な顎を持っている。
成虫は美しき死の花を咲かせた後の余韻を楽しむかのようにゆっくりと動き、周囲に漂う血の霧の中で微睡むように羽ばたいた。
血咲き虫は、死の中にある一瞬の美しさを体現するかのような存在であり、その姿は美しさと恐怖が同居する究極の悪夢そのものだった。
「美しい……なんて綺麗なんだろう」
愛兎は、血咲き虫の羽に付着した宿主の血飛沫を拭いながら呟いた。その口元は、どこか恍惚としているようにも見える。
彼の目は、成虫となった血咲き虫から離せない。その存在感、美しさ、恐ろしさは筆舌に尽くし難く、見ているだけで鳥肌が立つほどだった。
『……おい』
そんな彼に、うんざりしたみたいな低い男の声が脳内から伝わってくる。
『なんだ、あの様は。いいようにヤられてんじゃねーぞ』
「黙れ。勝手に人の身体に入って来た分際でほざくな」
『困るなぁ。身体は大事にしてもらわないと』
「チッ……お前も寄生虫とたいして変わらないな」
愛兎は舌打ちをすると、吐き捨てるように言った。
それ以降、愛兎に話しかけていた頭の中の声は聞こえなくなった。
「あ……っと、いけない。念のため確認しておかないと」
彼はポケットからスマホを取り出すと、電話を繋ぐ。
相手は、人質になっていた優心だ。最も、本人はそんなこと知る由もないが。
しばらくして相手が出ると、愛兎は明るい声で話しかける。
「ユウ、元気かい?」
『え?元気だけど……』
「そうか。何か変わったことはなかったか?」
『いんや、別に。俺も秀華もいつも通りだよ』
「ああ、秀華さんも一緒なんだね」
愛兎は電話越しに聞こえてくる声に、思わず笑みがこぼれた。その声からは、本当に普段通りの様子が伝わってくる。
ホッと胸を撫で下ろす。
「何事もないなら、構わないんだ。悪かったね、デート中に」
『なっ……!別にデートなんかじゃ……!』
「それじゃ、また。秀華さんにもよろしく伝えておいてくれ」
愛兎は一方的に電話を切り、スマホを仕舞う。
そして血咲き虫を腕に乗せると、何事もなかったかのように眼鏡を拾って、その場を後にしたのだった。
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