兆候
愛兎に連れて来られた場所は、高層ビルの最上階だった。
灯りが微かに揺らめく中、異世界のような光景が広がっていた。
物の怪と幻獣、そして人間が奇妙な共存の舞台で働いている。その場所は、時間や空間の境界が曖昧な、現実と夢の狭間にあるかのようだった。
物の怪たちは、透明な姿をしたり、不気味な光を放ったりしながら、奇妙な仕事に没頭している。
幻獣たちは、羽を広げ、角を輝かせながら、空中を舞って仕事に取り組んでいる。
そしてその中には普通の人間も混じり合い、不思議な雰囲気に満ちた仕事場で、不思議なタスクに取り組んでいた。
風がビルの外を吹き抜ける音と共に、彼らは異世界的な忙しさの中で、共に働き、共に生きている。
時には、不可思議な会話が飛び交い、時には奇妙な音楽が流れる。
しかし、そのすべてがこの高層ビルの最上階に住む者たちにとっては、日常の一部であり、当たり前の光景なのだろう。
「ここは……」
「『橋渡り管理局』さ。簡単に言えば、空港みたいなものだ」
「空港って……まさか妖怪の?」
「ああ。幻妖界と人間界を繋ぐ橋がここなんだ」
愛兎に案内されるままに、フロアを歩く。
そこにたどり着くまでに目にした妖怪たちと人間の共同作業から感じるものは、決して幻想的とは言えない光景だ。
ただひたすらに現実味を帯びた世界で、目の前に広がる異界の光景。
まるで非現実的な夢の世界に迷い込んでしまったかのような気分になる。
「あの大きなテレビなにー?」
白桜が愛兎の服の裾を引っ張り、巨大なモニターを指差す。
「あれは、監視センターで、組織の心臓部だ。モニターで物の怪たちの居場所が瞬時にわかる。注意人物を監視しているんだ」
「……それなのに、女郎蜘蛛を見つけるのに手間取ったのか?」
「奴はここを通らず人間界に忍び込んだ、いわゆる密入国者だったんだ。だから発見が遅れてしまった」
「にゃろう……ハナっから人間を襲う気だったんだな」
「人間に友好的な妖怪もいるが、中には餌か道具のように見てる輩もいるんだ。それを始末するのが、私の仕事さ」
(妖怪の世界といっても様々か)
今まで見てきた世界とは違うことに驚きながらも、優心は辺りを見回す。すると一人の妖怪の姿が目に入った。
その顔は獰猛なるサルのようであり、胴体は不気味なタヌキのようなものだった。
しかし、その四肢は荒々しいトラの力強さを宿し、迫力満点で地面を踏みしめる。その尾は、身をひるがえるヘビのようにしなやかに舞う。
その姿は、恐怖と畏敬をもたらす、幻想的な存在として息づいていた。
『それ』は、優心の視線に気がつくと、大きな身体を揺らしながら近づいて来た。
「マナ、案内もいいが、そこの二人は怪我をしているようだ。治療が先だろう」
「あぁそうだね。私としたことが、悪かった」
「あの……この子も妖怪なんですか?」
恐る恐る秀華が問う。
「妖怪というより、幻獣だ。彼女は花鵺。ここで働く職員だ。見ての通り、鵺だ」
花鵺と呼ばれた妖怪は、牙を見せつけるように口を開くと笑い、秀華に鋭い眼光を向ける。
思わず身構えたくなるような威圧感を放つ彼女に、秀華は気圧されたように一歩後ずさりをした。
そんな秀華を庇うかのように、優心が立ちふさがると、花鵺に向かって言い放つ。
「こいつ、ついさっきまで妖怪に捕まってて怖い思いしてんだ。あんま脅かすなよ」
「脅かすつもりはなかったが……怖がらせてしまったなら、すまない」
そう言って頭を下げる花鵺を見て、秀華は慌てて首を横に振った。
「い、いえっ!私こそすみません……」
恐縮する秀華を見て、花鵺は優しく微笑む。その笑みは妖艶で美しく、そしてどこか妖しくもあった。
その笑みを受けて秀華も安堵した表情を見せると、優心の後ろから顔を出し、頭を下げる。
緊張気味の表情ではあったものの、彼女なりに勇気を出しての行為のようだった。
「マナ、ぼさっとするな。彼女に治療と新しい服をやれ」
「もちろんだよ」
愛兎は近くを通りかかった職員に医療班の手配を頼むと、彼女を職員と花鵺に任せた。
優心と白桜は愛兎に連れられ、別室へ移動する。
案内された部屋は、休憩室のようだった。
本棚と机、そして飲み物や菓子類が用意されており、休憩に向いた作りとなっている。
愛兎が優心と白桜をソファに座らせると、救急箱を持って戻ってきた。
「手当てをしよう。腕と背中を切り裂かれたみたいだね」
「こんなのどうってことねーよ」
「悪化するとまずい。いいから手当てするよ」
優心は観念したように、大人しく従った。
愛兎は慣れた手つきで、優心の傷口に消毒液をかける。そしてガーゼで傷を覆うと、包帯を巻き始めた。その手つきは優しく丁寧だ。
ガーゼを貼られた箇所がじんじんと熱を持つ。消毒液が傷に染みるのか、優心は顔をしかめた。
そんな痛みに歪む顔を眺めつつ、愛兎は揶揄う様に微笑む。
「秀華さん、とても可愛らしいね」
「……なんだよ、いきなり」
「ふふっ、きみが身を挺して守るのもわかる」
「なーにが言いたいんだよ?」
照れているのか、優心は苛立った様子で愛兎を睨みつける。
しかし、愛兎にはそんな威嚇など意味をなさなかった。彼は白桜に視線を移した。
子供らしく興味があちこちへ向いた白桜は、本棚に並んだ本を楽しそうに眺めている。
そんな彼を見ながら、愛兎は話を続けた。
「彼女、夜遅くまで出歩いてて、それで女郎蜘蛛に捕まったらしいんだ」
「……なんでマナ兄がそんなこと知ってんだ?」
「白桜から聞いたのさ。ぼくのせいで秀華お姉ちゃんが捕まった!ってね」
「あいつ俺だけじゃなくて、マナ兄にも助け求めてたのかよ!?俺が行った意味なんだったんだ!?」
「それは、きみの力を発現させるためだ」
優心は一瞬言葉を詰まらせながらも、愛兎の言いたいことを理解しようと努める。
つまり……愛兎はすべてを知っておきながら、優心を妖怪の住処へ行かせたということか。
そしてあの時点で、優心の能力の発現は予定に組み込まれていたのだ。
そのことを理解した優心は、茫然とし、頭を抱える。
「まじかよ……」
「白桜が窮地に陥ったときの行動パターンとユウの人柄を考慮した結果だよ」
そう言うと愛兎は手当てを終えた両腕をぽんっと軽く叩いてにっこりと微笑んだ。そして治療道具を片付けると椅子から立ち上がる。
すると、ノックする音が聞こえてきて、扉が開いた。そこには秀華が立っていた。彼女は愛兎に向かって頭を下げる。
その後ろから花鵺が顔を覗かせた。どうやら彼女も一緒らしい。
「秀華お姉ちゃん!」
白桜が嬉々として彼女に抱きつこうとしたが、幽体の彼は当然の如く彼女の体をすり抜けた。
もう触れることが出来ないと思い知らされて、白桜は目に涙を浮かべた。
「白桜くん」
秀華は床に膝をついて、白桜と目線を合わせる。
「言咲くんを呼んでくれてありがとう。おかげで助かったわ」
「秀華お姉ちゃん……でもぼくのせいで捕まって……」
「悪いのは全部女郎蜘蛛だよ。私はこうして助かったんだし、気にしないで。貴方を助けられなくてごめんなさい」
その言葉に白桜は首を振ると、小さく微笑んだ。
それでも堪えきれなかったのか、瞳に溜まった涙が溢れ落ちそうになるのを、秀華は優しく掌で拭おうとするものの、やはり触れることは出来なかった。
そんな光景を優心は何も言わずに見つめていたが、彼もまた安堵した様子で笑みを零した。そんな彼の表情に気がついた秀華がそちらに目を向ける。
目が合うと、彼女は恥ずかしそうに微笑み返した。
その笑みに見惚れていると、愛兎がこっそり優心に耳打ちしてきた。
「きみを試すようなことをしたのは悪いと思っているよ。でも、これでチャラにしてくれるだろう?」
「褒美が女と子供ってか?」
「言い方悪いな……。こうでもなければ、マドンナと名高い彼女と知り合うこともなかったんだ。それに……多分彼女もまんざらじゃない」
「え、それって……」
驚いて優心が聞き返すと、愛兎はウィンクしてみせる。優心は頰を赤らめつつ苦笑いした。
そんな二人のやり取りをよそに、秀華達は話し込んでいる。
(マドンナ、か……)
確かに、彼女は美しい。
彼女の赤い髪は太陽の光を受けて輝き、その緑色の瞳は静かな湖のように深く、澄んでいた。
彼女の容姿は、まるで自然界から抜け出したような美しさを持ち、優心を魅了し、心を奪っていった。
その容姿とは裏腹に、声は中性的で低めだ。
落ち着いたその雰囲気と優しい声色は、大人の魅力を宿していた。
豊満な胸は服越しでもはっきりわかるほど大きく、それでいてしなやかな体つきをしている。
そんな彼女は、優心にとって高嶺の花だ。
「なぁマナ兄、あいつ蜘蛛女に全裸にされてたんだけど……その、何もされてない、よな?」
「彼女を裸にしたのは、逃がさないためだと思うよ。神社のそこら中に糸が張り巡らされていて、彼女が逃げようとすれば皮膚がスパッと切れる仕組みになっていた。少なくとも君が考えているような目には遭っていないだろう」
「あの野郎……もっと痛めつけてやればよかったぜ」
愛兎からの回答に、優心はふつふつと怒りが込み上げてきた。
愛兎はそんな様子にやれやれと肩を竦める。
秀華は話が終わったようで、立ち上がり、こちらに歩み寄って来た。
「言咲くん。これ、ありがとうございます。洗って返しますね」
白い翼の刺繍が入った上着。優心が目のやり場に困る秀華に着せた物だ。
彼は、ふるふると軽く頭を振って言った。
「いらねーから、やるよ」
「え……でも」
「中学の入学祝いに貰った物なんだけどよ、小さくなってキツいんだわ。まぁお前にはデカすぎるけどよ」
「………」
「売るなり捨てるなり、好きにしてくれや」
「……わかりました。大事にしますね」
そう言って、秀華は上着を抱きしめながら嬉しそうに笑った。
その顔に優心は心臓が高鳴るのを感じた。その表情を目にした愛兎は、少し驚いた様子で優心を見つめた後、口笛を吹いて揶揄う。
秀華の笑顔に惹かれて鼻の下を伸ばしていた自分を見られていたことを察した優心は、誤魔化すかのように慌てて咳払いをした。
「ところで、お前と白桜は知り合いなのか?」
「白桜くんは近所に住んでいた子です。私によく懐いてくれて、弟がいたらこんな感じなのかな、と。行方不明になったと聞いて、捜しまわっていたら、あんな事に……」
秀華は申し訳なさそうに俯く。その様子に優心は、気にするなと声をかけた。
妖怪が絡む事件に巻き込まれたのは不運としか言いようがないし……何より、秀華が無事だったのだからそれで良いと思ったからだ。
「さて、秀華さん。色々と話したいことはあるが、とりあえず貴女はもう帰った方がいい。お母さんが心配するよ」
「……………そうですね」
ザーー。
(……ん?)
テレビの砂嵐のような、耳鳴り。
希死念慮を持つ者を知らせる、兆候。
驚いて秀華を凝視するも、彼女はにこやかに微笑んでいた。とても死にたがっているようには見えない。
「貴女にコレを渡しておくよ。貴女は霊力が強いから、またならず者に狙われるかもしれない」
優心に渡した物と同じ、革で出来たリストバンドを彼女の手首に巻く。
そこにはやはり兎の絵が描かれている。
「ありがとうございます……何から何までお世話になって」
「いいんだよ、貴女がこうなったのは私の責任でもあるから」
愛兎がそう言うと、秀華は首を横に振って否定した。
「それでは、失礼します」
「秀華」
優心は秀華の背中に向かって、声をかけると彼女は振り返り、首を傾げた。
その仕草は可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。
しかし、その笑顔もすぐに消え去り、真剣な表情で彼女の隣に立つ。
「送ってく」
「そこまで迷惑かける訳には……」
「迷惑じゃねーよ。貧血気味なんだし、また目眩起こすかもしれねーだろ」
「……ありがとうございます」
優心は秀華の手を引き、愛兎に目配せすると、彼はにこりと微笑んで頷いた。
二人は部屋を出ると、エレベーターに乗り込んで一階へと向かった。
優心はその間ずっと秀華の手を握っていたが、その手は少し冷たかった。




