出会いと救出
「……え?」
なんて言われたのか、数秒の間理解出来なかった。
──『秀華お姉ちゃんを助けて』
そう、目の前の幽霊みたいな子供が言ったのだ。
優心は呆然としていると、猫耳ローブを被った子供が口を開いた。
「このままじゃ保たない。秀華お姉ちゃんが、殺される!」
「こ、殺され……って何が起きてんだ!?」
「話は後!ついて来て!!」
「ちょ、おい!待てって!!」
バタバタと忙しなく着替えて、家を飛び出す。
目の前の子供はふよふよと浮いており、やはりこの世の者ではないと確信する。
今まで幽霊なんて見えたことなかったのに、何故急に見えるようになったのか疑問だったが、今はそれどころではない。
「秀華って、もしかして可愛川秀華か!?」
「そうだよ!女郎蜘蛛に捕まってるんだ!このままじゃ殺されちゃう!」
行方不明になっている黎明学院のマドンナ、可愛川秀華。まだ生きていたのか。
その事実に安堵するも、今はそんな場合じゃない。
「女郎蜘蛛ってなんだよ!?」
「上半身が女、下半身が蜘蛛の妖怪だよ!」
「そうじゃねー!妖怪ってどういうことだ!?そんなバケモンいるわけ……」
「いいから、早く来て!!」
子供は優心の言葉を遮り、腕を掴んで引っ張った。
優心はされるがまま、子供の後を追う。
一体どこに連れていかれるのか分からないが、とりあえず付いて行くしかなかった。
そして着いた先は、廃墟の神社。
「ここは……」
暗く静かな森の中に位置する廃墟の神社は、忘れ去られた過去の重みを背負っているようだった。
太陽の光が枝葉の隙間から差し込み、神聖な空間に微かな光を投げかける中、その神社は孤独な存在としてそびえ立っていた。
かつては信仰の対象であったであろう神社の建物は、今や荒廃し、悲しげな姿を晒している。蔦に覆われた石灯篭が、風に揺れるたびに不気味な音を響かせる。
境内には古代の祭壇があり、そこには昔の祭りの面影が残っているかのような幻想を醸し出している。
夜になると、その神社は更なる不気味さを放ち、影が踊るかのような幻想的な光景が広がるのだろう。
「この奥に秀華お姉ちゃんが……」
「おい、その前にお前誰だ?」
「僕は、白桜」
「白桜な。俺は、言咲優心」
「よろしくね、ユウ兄ちゃん」
先程まで泣きそうな顔で焦っていた白桜が、少しだけ落ち着いた様子を見せた。
そんな様子を見ながら、廃墟の奥へと進んでいく。
神社の建物の中に入っていくと、外とは違って埃っぽい匂いが充満していた。
白桜の後を追いながら階段を登っていると、あることに気づく。
──人の気配がない。
まるで廃神社のように寂れており、生きているものの気配を感じられなかった。
白桜はその違和感に気付いた様子もなく、奥へ奥へと進んでいく。
がたんっ
音がした方へ素早く身構えると、男が一人立っていた。
しかし、目は白く濁っていて生気を感じない。
「な、なんだこいつ……」
「多分、女郎蜘蛛に操られてるんだ!」
白桜が叫ぶと、男が襲いかかってきた。
優心は素早く避けると、男の鳩尾に拳をめり込ませた。
男は呻き声をあげながら倒れるが、再び立ち上がろうとする。
「なっ……」
奥からぞろぞろと、虚ろな目をした男たちが優心に近づいて来た。
よく見ると、男達の体には糸が巻き付いている。
あまりの異様な光景に鳥肌が立つが、取り敢えず男たちを何とか気絶させて進んでいくしかないと思い、再び拳を振りかざした。
「雑魚は引っ込んでろ!!」
次々と襲いかかる男達。
殴り、蹴飛ばし、叩き付け。順調に敵を倒していく。だが、息つく暇もなく次から次へと男達が襲いかかってくる為、中々先に進むことが出来ない。
次第に優心も息を切らし始めており、いつ敵に見つかって攻撃されるか分からない中、ひたすら攻撃を避けていく。
男たちが倒れても次の男がやってくるため一向に進む事が出来ない。
(これじゃ体力が先に尽きちまう!!)
焦りだした頃、少しずつ数に押され始めた。
腕が、脚が、疲れで悲鳴を上げている。
目の前にいる敵に集中すると背後から拳が襲ってくる。油断するとすぐに囲まれる状況だ。
優心は全身に冷たい汗を滲ませた。
「ユウ兄ちゃん、こっち!」
白桜の声が聞こえる。声の方へ顔を上げると、敵の背後を横切る形で薄汚れた廊下が見えた。
優心は急いで廊下に滑り込むと、扉を閉めて近くの棚を倒し、バリケードを作る。
「……ふぅ……これでひとまずは大丈夫か……?」
少しだけ安心して気を抜くが、この扉を開けられたら一巻の終わりだと再度気を引き締める。
扉の外では激しい足音が響き、今にも扉が破かれそうだ。
「早く離れた方がよさそうだな」
優心が呟くと白桜が頷く。
彼らは、音を立てないように慎重に廊下を進んでいく。
長い廊下は薄暗く、所々蜘蛛の巣が張っているため慎重に歩かなければならなかった。
廊下の突き当たりまで来ると、白桜が立ち止まった。
優心は不思議に思いながらも足を止めて白桜を見つめる。
「どうした?」
「……いる」
「え?」
閉まった襖の奥からガタンっと物音がした。
また何かいるのかと警戒しながら、白桜を下がらせて襖を開ける。が、そこには誰もいない。
「誰もいねーぞ」
優心が周りを見渡すが、やはり何もない。
不思議に思いながらも、部屋の中へと入って行った。
中は薄暗く、埃っぽい空気が漂っている。
畳が敷き詰められた広い和室の中央には大きな祭壇があり、そこには何かが置かれていた形跡があるものの今は何も置かれていない。
「そこにいるのは……だれ?」
押し入れが恐る恐る開かれた。
ひょっこり顔を覗かせたのは、高校生くらいの少女だった。
「えっ」
「えっ」
優心と彼女の声が重なった。
お互い見つめ合ったまま、動かない。
まるで時間が止まったかのようだった。
(顔面偏差値たっっっっか!!!!)
天上の蓮の花か、月光に煌めく玉の露か、それとも春の現し身か──どんな美辞麗句でも表せないほど美しい女が目の前で、優心を見つめている。
優心は声も出せずに硬直していた。
「い、生きてる人……?」
少女は恐怖からか掠れた声を喉から絞り出して優心に尋ねる。
その声を聞いて我に返った。見惚れていた事を隠すかのように視線を逸らす。
「俺は言咲優心……あー、えっと……」
何を喋ったらいいか分からないと悩んでいると、突然彼女が優心の胸に飛び込んできた。
何故か、彼女は全裸だった。
「えっ、あ、はっ!?」
「やっとまともな人に会えた!!こ、怖かった……」
むにゅ、と豊満な胸が押し付けられ、優心は目を白黒させる。
(可愛い子が、全裸で……この俺に抱きついている!?何のご褒美イベントだよこれは……!!)
思春期真っ只中の少年。艶やかな裸体が今自分の手の中に……。
しかし、そんな美しい裸体には無数の傷跡が刻まれているのが痛々しい。
「秀華お姉ちゃん!」
「え……白桜、くん?」
白桜の声に反応して彼女は顔を上げた。
どうやらこの美少女が秀華というらしい。彼女は優心にしがみつく力を少し緩めて、驚いた表情で白桜を見つめた。
「どうして……」
「話は後。早く逃げよう!」
白桜の言葉に頷く。
いくら美しかろうが初対面で裸体を見てしまったのだから、流石の優心も直視することは出来ない。思わず目を逸らす。
「これ、着てろ」
そう言って脱いだ上着を彼女の肩にかけると、急いで襖を開けた。
廊下を出るが、相変わらず不気味な空気に包まれており、さらに至る所に男たちの亡骸が転がっている。その異様な光景に鳥肌が立った。
(マジでなんなんだ、ここは──)
「ユウ兄ちゃん、危ない!!」
白桜の声が聞こえ、咄嗟に振り返ると目の前には蜘蛛の足。
避けきれないと判断した優心は、咄嗟に彼女を突き飛ばし、腕で防御する。
鋭い痛みと共に鮮血が舞った。
「くっ……!」
「ソの子ヲどこに連レて行ク気よォ!?」
天井から落ちて来た女郎蜘蛛が怒号を上げ、優心の腕から流れる血を見てニヤリと笑った。
そして再び足を振り下ろす。
それを間一髪で避けると、女郎蜘蛛は怒り狂ったように次々と攻撃を仕掛けてくる。
「こいつが女郎蜘蛛かよ!くそ、このバケモンが!!」
白桜から聞いていた通り、上半身が女、下半身が巨大な蜘蛛の胴体。
大きさは二メートル近くあり、長い蜘蛛の足を使って攻撃してくる。
「あノ子ハ、私の餌ナの!!誰にモ渡サないワ!!」
「餌だぁ!?ふざけんな!」
女郎蜘蛛の攻撃を避けながら、隙を見て蹴り技を繰り出すが中々当たらない。
それどころか攻撃の速度は増していき、次第に追い詰められていく。
「くそ!このままじゃ埒が明かねえ!!」
優心は覚悟を決めて女郎蜘蛛に向かって走り出すと、拳を強く握り込んだ。そして一気に間合いを詰めると拳を突き出す。だが、それは空を切り、避けられてしまう。
(避けられた!!)
そう思った瞬間だった──背後から物凄い衝撃を受けると同時に壁に叩きつけられ、息が詰まった。背中に痛みが走る。どうやら背中を切り裂かれたらしい。
「ユウ兄ちゃん!!」
白桜の声が聞こえたが、返事をする余裕もない。
女郎蜘蛛は優心の血で濡れた足をぺろぺろと舐めながら、ゆっくりと近づいてくる。そして今度は確実に仕留めるかのように鋭い爪を振り下ろしてきた。
(まずい……!)
思わず目を瞑った瞬間だった──突然、愛兎から貰ったリストバンドの鈴がちりんと鳴り、眩い光を放った。
「うわっ!?」
あまりの眩しさに女郎蜘蛛は怯み、攻撃の手が止まる。その隙に急いで距離を取った。
光が収まると、リストバンドはいつの間にか変形しており、手甲になっていた。
「な、なんだこれ!?」
驚いて声を上げるが、今はそれどころじゃない。優心は女郎蜘蛛に向き直ると、再び拳を強く握り込んだ。
そして大きく振りかぶって渾身の一撃を放つと、それは見事に命中した。
女郎蜘蛛の体は吹っ飛び、壁に叩きつけられた。
「………へ?」
思わず、素っ頓狂な声を上げた。
二メートル近くある巨体をたった一撃で、糸も簡単に吹っ飛ばしてしまったのだ。
「す、すげえ……」
優心は自分の手を見つめ、呆然と呟いた。
白桜はほっと胸を撫で下ろすと、優心に駆け寄った。
「ユウ兄ちゃん!大丈夫?」
「ああ……なんとかな」
切り裂かれた腕と背中が痛むが、死んでいてもおかしくなかったのだ。
この程度の傷で済んでよかったと思うべきだろう。
「す、すごい……」
秀華がぎゅっと肩からかけた上着を握る。
白い翼の刺繍がついた綺麗なデザインの上着で、サイズが大きくだぼっとしている。男物の服であるためサイズが合わず少し不格好に見えるが、その姿はどこか可愛らしくもあった。
彼女の肌はとても白く透き通っており、まるで天使のようだ。
(可愛い……)
優心は彼女の美貌に見惚れていた。
が、すぐにハッとして顔を赤らめながら頭を振る。
「大丈夫か?怪我は?」
「平気です。私より貴方の方が酷い。すぐに手当てしないと」
「このくらいなんでもねーよ」
優心はほぼ意味を成していない服をちぎって腕に巻きつけた。止血はしたが、血が止まらないためあまり意味がないように感じた。
「これでも、ないよりマシだな」
「ユウ兄ちゃん、早くここから出よう」
「ああ」
白桜の言葉に頷いて、秀華の手を引きながら廃神社から出ようと背中を向けた時、音もなく女郎蜘蛛が起き上がった。
「ソの子ハ……私ノ餌なのヨ!!」
女郎蜘蛛が叫ぶと同時に、優心は秀華を庇うように前に出た。
そして拳を強く握り込むと、再び攻撃する。
しかし、女郎蜘蛛の長い足に防がれてしまい、逆に弾き飛ばされてしまった。壁に叩きつけられる。
「ぐあっ!!」
背中を強く打ちつけてしまい、一瞬呼吸が止まったような感覚に陥った。
痛みで顔を歪める優心に向かって女郎蜘蛛がゆっくりと近づいてくる。
「ユウ兄ちゃん逃げて!!」
白桜の声が聞こえたが、返事をする余裕もない。
女郎蜘蛛は確実に仕留めるため、鋭い爪を振り下ろしてきた。
覚悟を決めて目を強く瞑った──が、いつまで経っても衝撃は来ない。
恐る恐る目を開ければ、女郎蜘蛛が目を見開いて、そのまま埃臭い床に倒れ込むところだった。
「ダメじゃないか。きちんとトドメを刺さなければ」
女郎蜘蛛の背後に立っていた青年……その人物は、優心がよく知っている男だった。
「マナ兄!?」
優心は驚きの声を上げた。
愛兎はにっこり微笑むと、女郎蜘蛛の胸に刺さっている短剣を引き抜いた。
大量の血が噴き出し、床一面に血溜まりができた。
その光景を目の当たりにして優心は吐き気を覚えたが、何とか堪えた。
愛兎は短剣についた血を振り払うと、鞘に収める。
「君はどんな武器に変化するのかと楽しみだったけど……なるほど、防具なのは予想外だ。しかも肉体強化の付与もついているのか」
「……へ?」
愛兎の言葉に、優心は目を丸くした。
愛兎は優心に歩み寄ると、手を差し出した。
優心は戸惑いながらもその手を掴む。すると、彼はぐいっと引っ張り上げた。
その力強さに驚きつつも立ち上がることができたことに安堵する。
「大丈夫かい?酷い怪我だね」
「こんなもん怪我の内に入んねーよ。それより、これどうなって……何か知ってんのか?」
「説明は後だ。……秀華さん」
愛兎は秀華に視線を移すと、優しく声をかけた。
彼女はびくりと肩を震わせると、怯えたように柱の後ろに隠れてしまう。
「貴女も災難だったね。まさか霊力タンクにされるなんて」
「れいりょ……なんて??」
「霊力タンク。物の怪は霊力の高い者を食らって、傷を癒したり、自分の力を高めたりするんだ。彼女をすぐ殺さなかったのは、腹を満たすためだと思うけどね」
そういえば、蜘蛛は獲物の血を吸う生き物だったなと思い出す。
優心は女郎蜘蛛の亡骸を見下ろしながら、小さく舌打ちをした。
「『生き餌』として飼っていたとは、虫唾が走るぜ。虫だけに」
「…………」
優心のつまらないギャグに、愛兎は冷たい視線を向け、白桜は苦笑いを浮かべている。
秀華は相変わらず柱の陰からこちらの様子を窺っていた。
「……君も、お疲れ様。ユウに頼んだのは正解だったね」
「不良を二人もボッコボコにしてたの見て、この人なら秀華お姉ちゃんを助けてくれるかもって思ったんだ」
「そうなのか。でも……すまない。君を助けることは出来なかった」
「きみが悪いんじゃないし……気にしないで」
白桜は首を横に振りながら、悲しげに微笑んだ。
愛兎は秀華に視線を向ける。
彼女はまだ警戒しているようで、柱の陰から出てこない。
だが、愛兎が一歩近づくとビクッと肩を震わせた。
その様子を見て、愛兎は困ったように微笑む。
そして優心の方に向き直り、口を開いた。
「とりあえず、場所を移動しようか。みんなついて来てくれるかな?」
愛兎の言葉に三人は、顔を見合わせて無言で頷いた。
秀華はまだ怯えているらしく、表情が強張っている。
「う……」
彼女が一歩進んだ途端、くらりと目眩がした。
心臓の鼓動がバクバクと鳴り響き、息遣いが荒くなる。秀華はぐっと己の身体を引き摺りながら優心の元へ向かった。
「おい、大丈夫か?」
優心が肩を貸すと、彼女は申し訳なさそうに身を縮めた。彼女が顔を上げるも顔色は悪かった。
「ごめんなさい……目眩がして……」
彼女は囁くように言うと辛そうに目を伏せた。彼女の身体は小刻みに震えており、とても大丈夫そうには見えない。
「血を吸われてたんだもんな……そりゃ貧血になるよな」
彼女の肩や鎖骨に散らばる痛々しい赤い痕を見て、優心は思わず顔を顰める。
彼女の腰を引き寄せ、自分に寄りかかせる。その体は小柄で、今にも折れてしまいそうだ。
「歩くの辛いなら、背負うぞ」
「だ、大丈夫です……ありがとうございます」
優心の言葉に、秀華は弱々しい笑みを浮かべた。だが、強がりなのは明らかだ。
優心は彼女を心配そうな目で見つめている。
その視線に気付いたのか、彼女が顔を上げた。視線が絡み合い、互いに見つめ合う。互いの顔には汗が浮かんでおり、顔色が悪く見えた。
「ほら、もっと寄りかかれって。倒れちまうぞ」
「でもあまり近いと、逆に歩きにくいです……」
ぐいっとさらに腰を引き寄せれば、密着する形になる。
秀華は抵抗したが、力が入らないようで結局されるがままになっている。彼女の頬はますます赤くなり、耳まで真っ赤に染まっていった。
「……さっきも思ったけど、上等なもん持ってるよな」
「え?」
「腰は細いのに、胸はデカくて、ヒップラインとかめちゃくちゃ綺麗だし」
そう言いながら、彼女の身体のラインに沿って指を滑らせた。その手つきは明らかに何か意図があるもので、秀華は思わず身を捩った。
「〜〜ッ、さいっってーーーー!!!!」
ばっちーーーーん!!!!
「いっっってぇえええぇえ!!!!」
「……ユウ。気持ちはわかるけど、それはセクハラだからね」
「ユウ兄ちゃん、さいてー」
愛兎が呆れたような表情を浮かべ、白桜も軽蔑した眼差しを向けている。
優心は赤く腫れた頬を押さえて蹲っていた。
そんな優心を尻目に、彼らはさっさと廃神社を後にするのだった。
実はこの時、二人同時に一目惚れしています。




