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お守りと幽霊

店内は淡い花の香りに包まれ、まるで鮮やかな色の絵画が壁一面に広がるような雰囲気だった。

一歩踏み入れれば、柔らかな光が調和のとれた家具や花々に優雅に舞い、客たちに穏やかなひとときを提供していた。

テーブルの上には、美しく彩られた花々が添えられ、まるで各卓が異なる花の庭園となっており、店内に流れる優雅な音楽が来る人々に穏やかな喜びを運んでいた。

そんなカフェ、『フラワーピア』の店員に近づく少年がいた。


「マナ兄〜!」


「ユウ、来てくれたんだね」


黒いエプロンを身に着けた、やさしさが漂うメガネの男性が優心に微笑みかける。

優心に尻尾があったなら、ぶんぶんと千切れんばかりに振っているであろう。

まるで大好きな飼い主に会えて喜んでいる子犬のようだと、笑みを一層深めるとぎゅっと優心が抱きついて来る。


「マナ兄!ちょっと相談のってくれよ!」


「いいよ。バイトが終わってからね」


ぽんぽんと幼い子供をあやすように頭を軽く叩く男性──餅月愛兎(もちづきまなと)は、製菓専門学校へ通う学生だ。

面倒見のいい、穏やかな性格から『マナ兄』と優心から呼ばれて慕われている。

将来はパティシエになり、自分の店を持つのが夢だ。

バイトが終わる時間まで待ってもらうよう伝えると、優心は素直に頷いた。

そして、愛兎はバイトをこなすため、仕事に戻った。





無事にバイトを終えた愛兎に連れられ、優心は彼の自宅へと招かれた。

部屋は白を基調とし、柔らかな間接照明が温かな光を放っている。

部屋のあちらこちらには花や観葉植物が置かれており、店とはまた違う雰囲気のインテリアとなっている。

勧められたソファーへと腰を下ろした優心は、愛兎の作ったケーキと紅茶に舌鼓を打った。


「マナ兄の作ったケーキ、相変わらずうめーな!」


「ふふ、ありがとう」


優心は幸せそうにケーキを頰張る。そんな姿に愛兎は笑みを深くした。


「それで、相談ってのはなんだい?」


「あー……その事なんだけど……」


優心は、自分の身に起きた全てのことを話した。

何者かに刺されて入院したこと、自殺願望を持つ者に近づくとノイズのような耳鳴りと頭痛がすること。

全てを聞き終えると、愛兎は顎に手を当てて考え込んだ。

それから、じーっと優心を見つめたかと思うとふわりと微笑む。


「なるほど。助けを求めている人の声が聞こえるようになったのか」


「助けって……死にたがってんだろ?」


「理由もなく、死にたがってる訳じゃない。きっと助けてほしくて、声にならない叫び声を上げているんだと思う」


「……そうは言っても、俺に出来ることなんてねーぞ」


優心は困ったように眉尻を下げた。

自分はただの一般人で、特別な力など持ってはいないのだから。

無論、正義のヒーローにもなるつもりはない。

親身になって悩みを聞いてやるなど、そんなボランティア精神もない。


「二人も助けたんだろう?」


「体が勝手に動いただけだっての。しかも、余計なことすんなってキレられたし」


「それでもすごい事だよ。ユウはいい子だね」


「にゃろ……ガキ扱いかよ」


くすくす笑う愛兎に、優心は不貞腐れたような表情を見せる。

そういうところが子供っぽいことに、本人は気づいていないらしい。


「それに君のことだから、自分を刺した犯人を探しているんだろうね」


「お見通しかよ」


「君のやることは大体察しがつく。やられっぱなしは癇に障るってとこかな」


「ったりめーだ!見つけ出してぶん殴ってやる!」


拳をグッと握りしめ、優心が憤る。

その勢いに愛兎は苦笑した。

優心は正義感が強く、真っ直ぐな心の持ち主だ。

自分が正しいと思ったことは、絶対に曲げない強さを持っている。

それが彼の美徳なのだろう。


「そういえば、失踪者が増えてるんだってさ。雨望から聞いたけど、黎明学院のマドンナが行方不明だとよ」


可愛川秀華(えのかわしゅうか)さんだね」


「知ってんの?」


「彼女は有名だからね。絶世の美女だと言われているよ」


「絶世の美女、ねぇ……」


黎明のマドンナだとか、絶世の美女だとか、とんだ高嶺の花だ。

自分のような平々凡々な男子高校生とは接点がないのだろう。

そういった美人には憧れなくもないが、声を掛けに行くだけの気概は自分にはない。


「耳鳴りと頭痛に関してはどうしてやる事もできないけど……ユウ、左腕出してくれるかい?」


「なんで?」


「いいから」


戸惑いながらも優心は左腕を差し出す。

愛兎は自分の右手首の革で出来たリストバンドを取り外すと、そっと優心の手首に巻いた。

そこには可愛らしい兎の絵が描かれており、端から伸びた糸に大きな鈴がぶら下がっている。


「これは……?」


「お守りだよ。君はすぐ無茶するから」


鈴を指で弾くと、チリンと可愛らしい音が鳴る。

その音を聞いた優心は、なんだかくすぐったい気持ちになった。


「マナ兄は心配性だな」


「ふふ、それだけ君が可愛いってことだよ。相談してくれたのに、何も力になってやれなくて悪いね」


「マナ兄は悪くねーよ。話を聞いてくれただけで十分だ」


優心はにっこりと微笑むと、ソファーから立ち上がる。

そろそろ帰らなければ、親が心配してしまうだろう。


「マナ兄、ケーキ美味かった!また作ってくれよ!」


「もちろんだよ」


優心を玄関まで見送り、愛兎は扉が閉まると同時に深い溜息を吐いた。

優心は、自分がどれだけ危ない橋を渡っているか自覚していない。

彼は困っている人を見捨てられないのだろう。それが例え、自分に関係のない相手でもだ。


『なあ、さっきのあいつ……』


脳内に直接声が流れた。

愛兎は驚いた様子もなく、ごく自然に答えた。


「ああ。物の怪に妖気を注がれたんだろう。霊能力者に目覚めてしまったらしい」


『いいのか?放っておいて』


「言ったところで、素直に聞く子じゃないから。よく知ってるだろ?」


脳内の声は、はぁ〜とため息をついた。

愛兎の脳内に語りかける者、それは物の怪と呼ばれる存在だ。

人の目には見えないが、愛兎は物の怪と心を通わせることができる。

物心つく前からの付き合いだ。

そして、もう一つ……愛兎には人ならざるモノを視る力があった。










「ただいまー」


優心が自宅に戻ると、バタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。


「こんな遅くまで、どこ行ってたの!?」


玄関まで出迎えた母親の絹代が、目を釣り上げて詰め寄ってくる。

その迫力に優心は思わず後退った。


「え……ダチん家でケーキ食ってただけ、だけど」


「こんなに遅くなるなら連絡の一つも入れなさい!心配かけるでしょ!」


絹代に正論をぶつけられ、優心は言い返すことなく黙り込む。

そんな息子の姿を見てか、彼女は説教を切り上げた。


「……まあ、無事ならいいけどね。お母さん心配で気が気じゃなかったんだから」


まだ8時半なのに……とは思ったが、腹を刺されて病院に運ばれた身としては、心配をかけてしまったことは悪いと思う。


「悪かったって」


「次からは気をつけるわよね?」


「わーってるよ!」


絹代の視線が外れると、優心はほっと胸を撫で下ろす。

母親と言うと優しくて穏やかなイメージが強いが、怒らせると厄介なタイプなのだ。

そんなこんなしていると、ぐーっと腹の虫が鳴った。

愛兎からケーキを貰ったとはいえ、成長期の男子高校生には物足りない。


「腹減った……」


「温めてあげるから、さっさと着替えてらっしゃい」


優心が重い足取りで階段を登るのを見ながら、絹代は溜息を吐いた。

リビングの隅へ目を向けると、そこにはポツンと置かれた仏壇があった。

まだ30半ばという若さでこの世を去った優心の父であり、我が夫を思い出す。

彼のように優しい子に育ってほしいと思う一方で、危ないことに首を突っ込まずに素直に育ってほしいとも思うのだ。

それは親のエゴと言われればそれまでだが、死んでからでは遅いのだから仕方ない。


「文句言っても仕方ないか……とりあえず、あの子の好物でも作ろうかしらね」







──その夜、優心は夢を見た。

不気味な森を彷徨い歩く夢だ。どこもかしこも闇が広がるような森で、空はどんよりと曇っている。

木々は枯れており、葉が落ちてしまっているため見通しが悪い。

加えて、視界の端をチラチラとノイズのようなものが横切るのだ。

まるで自分の行く手を塞ぐように……。


(なんだよ、ここ……)


不安に駆られながらも足を進めると、目の前に人影が現れた。

その人影は、まるで優心を導くように手招きをしている。

優心は戸惑いながらも、人影に従いゆっくりと足を進める。

すると、人影は優心の目の前で立ち止まり口を開いた。


「助けて……」


「え?」


突然の出来事に優心は驚きを隠せない。しかし、人影は構わず続けた。


「お願い、助けて……死にたくない」


優心の目が大きく見開かれた。

弱々しい女性の声だ。確かに優心の耳には助けてほしいと聞こえている。


「なんで、俺なんだ……?」


「あなたなら、助けてくれると思ったから……お願い、助けて……」


女性は縋るように優心に手を伸ばしてきた。

その手には痛々しい傷跡が無数に刻まれており、彼女がいかに苦しい思いをしてきたかを物語っている。

優心は考えるよりも先に彼女の手を掴んでいた。

彼女を助けなければならないという使命感に突き動かされたからだ。

彼女は嬉しそうに微笑み……そのまま消えてしまった。

残されたのは、虚空を掴む自身の手だけ。


(あいつは……)


呆然と立ち尽くす優心の耳に、再びノイズのような耳鳴りが響くと、意識が遠のいた。






「ん……朝か……」


カーテンの隙間から射し込む朝日で目が覚めた。時計を見ると、時刻は7時を指している。

いつもと変わらない起床時間だ。


(なんか変な夢見たような……)


寝ぼけた頭でぼんやりと考えるが、内容は思い出せない。

ただ、夢にしては妙にリアルで気味が悪かったのは覚えている。


(誰かに呼ばれたような……?)


必死に夢の記憶を辿ろうとするが、まったく思い出せない。

それどころか、頭の片隅に引っかかるものがあるだけで思考は霧散してしまうのだ。


「ねぇ、お兄ちゃん」


不意に声を掛けられ、ビクッと肩が跳ねる。

声のした方を見ると、そこには見知らぬ子供が立っていた。

歳は6〜8歳くらいだろうか?

可愛らしい猫耳ローブを着ており、両目を布で覆っている。

口元はにっこりと微笑んでいるが、どこか不気味な印象を与える子供だった。


「おまえ、誰?つーか、どっから入って来た?」


優心が恐る恐る尋ねる。

よくよく見てみると、子供の体は半透明だった。

それに、足元はうっすらと透けている。まるで幽霊のようだ。

優心は警戒しながら子供を見るが、相手は気にした様子もなく口を開いた。


「秀華お姉ちゃんを助けて」



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