目醒め
「うっ……ん……?」
目を開けると、そこは見知らぬ古びた家屋。
周囲は薄暗く、天井の梁からは裸電球がぶら下がっている。
埃っぽい畳の上に敷かれた布団に寝かされていたようだ。
何故こんな場所で寝ているのか思いだそうとするが、どうにも頭がぼんやりしてはっきりしない。ここはどこだろう?
自分はなぜこんなところに居るんだろう…………。
「あらァ、もう目が覚めたのね」
「……え?」
後ろを振り向いても誰もいない。
首を傾げてキョロキョロと辺りを見渡すも、声の主が見つからない。
気のせいなのかと思い始めた時、頭上から声がした。
「ドこ見てんのよォ〜?ここヨ、こコ」
「──ひっ!!?」
視線を上に向けると、そこに居たのは下半身が巨大な蜘蛛の胴体だった。
その身体から何本もの節足が伸びていて、先端は全て人の手の形をしていた。
上半身は女性の姿をしており、髪の長い妖艶な美女。しかし肌の色は血の通っていないように白く、口元には鋭い牙が覗いている。
「な、何……!?」
「おいシそうな子ネぇ〜〜無能どもモたまニは役に立つジゃな〜イ!」
突然現れた異形の存在に腰を抜かしそうになるも、なんとか持ち堪える。
だが目の前のソレに言葉を失くしてしまっている間に、その巨大で長い腕に捕らわれてしまう。
ギリギリと締め上げられ息苦しさを感じながらも必死に抵抗するが、まるで歯が立たない。
一体これはどういう事なんだ。この化け物はなんなんだ。なんで自分がこんな目に遭わなければいけないんだ。どうして自分がこんな所に居るんだ。
思考は恐怖に支配され、次第に何も考えられなくなる。抵抗する力も無くなってきた。
「スぐ殺しチャうのは、モったイないわねェ」
死を覚悟した刹那、締め上げられていた首を解放されて床に倒れ込む。
げほげほと苦しげに咳き込んでいる彼女を化け物は見下ろす。
なんとか異形の化け物から距離を取ろうとするも、足首を掴まれて引きずり戻される。
怖がる彼女を尻目に、怪物はクスリと笑い、彼女を抱き寄せるようにして背中へと手を回した。
そのままゆっくりと撫で回すと彼女の背筋に悪寒が走る。それはとても優しい動きだったが、どこか嫌らしさを感じたのだ。
そして彼女の服に手をかけると──ビリビリっと音を立てて引き裂いた。
「い、いやぁぁああ!!」
露出度の高い黒い下着姿となった彼女を眺めながら、舌舐めずりをする女郎蜘蛛。
恐怖心しか感じていないはずなのに身体は妙に反応してしまい、頬が熱くなるのを感じる。
「ふふっ、ウぶナ反応ねェ」
恥ずかしさに耐えられず手で身体を隠すも、それすら許されず両手は押さえつけられる。
ガタガタと震えて身動きが取れなくなった彼女に覆いかぶさるように四つん這いとなった女郎蜘蛛は、牙を剥き出しにして彼女の肩に噛みついた。
鋭い牙が深く突き刺さり、傷口から血が流れ出す。痛みに悶える間もなくそのままゆっくりと牙を刺し進められた。
「ぁああ!」
肉を切り裂き、骨に到達した所でようやく解放される。女郎蜘蛛は肩をひと舐めして血を口に含むと、恍惚とした表情を浮かべて微笑んだ。
「甘いニンゲンの味だわネェ」
そんな感想を口にされつつ肩を舐められると激痛が走る。
「ぅ……っ」
傷口を押さえようとしても、手首は糸のようなものでグルグル巻きにされており動かせない。
それでもどうにか逃れようと身体を動かそうとするも無駄に終わってしまう。
そんな必死な姿を見て楽しそうに微笑む女郎蜘蛛は、鋭い爪先で彼女の胸の谷間をなぞり始める。
「ひぁ……」
その細い指先には血が滴っていた。それを見てうっとりと目を細めた女郎蜘蛛は、血の付着した指で自分の唇に紅をさした。
そして今度はゆっくりと舌先を出し舐め取るような仕草をする。それはまるで愛撫されているような感覚に陥りそうな程妖艶に映り少女に官能を刺激するのだった……それから再び舌なめずりをした女郎蜘蛛は、彼女の顎を捕えて引き寄せながら言う。
「イイ生き餌を手ニ入れタわぁ……逃げタラ許さナいからネ」
そんな言葉を投げかけられた少女の顔は真っ青に染まり、怯えるような目で見つめてくる。その瞳からはポロポロと涙が流れて頬を伝っていた。
そして頭の中では既に絶望の二文字が浮かんでいた。
恐怖心に打ちひしがれながらもなんとか逃げ出そうとするのだが、女郎蜘蛛によって雁字搦めにされた手足は動く筈もなかった。
それでも必死に藻掻くその姿はまさに滑稽であっただろう。そんな姿を見て女郎蜘蛛はクスリと笑みをこぼした。
「うわぁぁあああぁあ!!!?」
絶叫しながら、ガバッと勢いよく起き上がる。
少年は荒い呼吸を繰り返しながら、辺りを見渡す。
白いカーテンが微かな光を遮りながら、静まり返った個室。微かな匂いが漂い、機械のざわめきだけが部屋を満たしている。
目が覚めたばかりの彼は、自分がどこにいるのかをまだ理解していない。
まるで夢の中に迷い込んだような、穏やかな沈黙が広がっていた。
「ここは……?」
そう呟いた瞬間だった。
ガララッ! 扉が開かれる音がして、一人の女性が姿を現したのだ。
彼女はベッドの上で上体を起こしている少年を見つけるなり、目を丸くしていた。
「えっ?あれっ?起きたんですね!」
女性は驚きの声を上げると共に、嬉しそうな表情を浮かべていた。
「あの、大丈夫ですか?どこか痛むところとかありませんか?」
心配そうに見つめる女性に対して、少年は戸惑っている様子だ。
「自分の名前は、わかりますか?」
「……言咲優心」
女性の問いかけに答えると、優心は自分の身体を見下ろしてみた。
すると、着衣している服が変わっている事に気が付いたようだ。
白を基調とした病人用の寝間着を身につけており、腕には点滴が施されている。
そして、その点滴から伸びるチューブが自分の左腕へと繋がっている事にも気が付き、不思議そうな顔で見つめていた。
「えっと、これは……い"っ!」
「ああ、あまり動かれない方が……」
立ち上がろうとした途端、激痛に襲われてしまう。
慌てて駆け寄ってきた女性が、優しく肩を押さえつけてきた。
「無理しない方がいいですよ」
「俺……なんで怪我してんだ?」
痛みに耐えながらも記憶を呼び起こそうとするも、何も思い出せない。
「覚えていませんか?」
「ああ、全く」
「そうですか。では、お医者様をお呼びしますね」
女性は、微笑みながら部屋を出て行った。
(ここって病院なのか?)
優心の疑問に応える者は誰もいない。
一人残された優心は、ただ呆然と天井を見上げていた。
一体どのくらい寝ていたのだろう。
窓の外には夕日が見えることから、少なくとも一日以上経っていることは間違いない。
しかし、自分が何故こんな所にいるのか分からないのだ。
(あの時俺は……)
必死になって思い出そうとしていたその時だった。
部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。
優心が返事をする間もなく扉が開かれ、
一人の男が入ってきた。
「やあ、目が覚めたみたいだね」
男は笑顔を見せながら近づいてくると、近くの椅子に腰掛けた。
年齢は20代後半といったところで、背が高く痩せている。
黒縁メガネをかけており、髪は短めだが癖毛なため少し跳ね気味になっている。
服装は白衣を着ており、胸ポケットからは聴診器が見え隠れしている。
「きみ、お腹を刺されて倒れたんだよ。覚えてる?」
「さ、刺されたぁぁ〜〜!!??」
「その様子だと覚えてないみたいだね」
医者の言葉に驚きつつも自分の腹部を確認する。すると確かに傷口があったようで、包帯で覆われた腹部を見て納得した。
だが、なぜ刺されたのかという記憶だけが無く、何が起こったのかが全く分からないのだ。
困惑する優心の顔色が悪くなっていくことに気付いた医師は優しい笑みを浮かべたまま彼を安心させるような言葉をかけた。
「大丈夫だよ。すぐに良くなるさ」
その言葉に安心感を覚えた優心はようやく落ち着きを取り戻したようだ。未だに動揺が残っているものの、次第に冷静さを取り戻し始めた。
医師はゆっくりと説明を始める。
「傷口自体は浅く、ほとんどは自然と治癒するだろう。でも暫くは安静にしててね」
医師の言葉を聞いてホッと胸を撫で下ろす優心だったが、どうしても疑問が消えることはなかった。
「俺を刺しやがった犯人は?」
「まだ捕まってないよ」
「人に恨まれる覚えは………かなりあっけど、命狙われるほどじゃねーぞ」
「今警察が捜査中だから、絶対に自分で捕まえようなんて思わないようにね」
医師の言葉に、優心は無言で頷いた。
それから数日後。退院した優心は自宅に戻り、再び日常生活を送っていた。
結局犯人は捕まらず、優心を刺した動機もわからぬまま、時間だけが過ぎていった。
「ねえ、ゆうちゃん。ここ最近、失踪者が増えてるんだって」
「失踪者?」
そんなある日の下校途中、臥龍岡雨望が深刻な顔をして話を持ち出してきた。
雨望は小さい頃から付き合いがある女友達だ。いわゆる幼馴染である。
彼女は明るい性格をしており、誰とでも仲良くなれるという才能を持っている。
そんな彼女がいつになく真剣な表情を浮かべていることに違和感を覚えながらも話を聞くことにする。
「噂によると、人身売買だとか。怖いよね〜」
「へえ〜……」
「気をつけた方がいいよ〜。ゆうちゃん結構トラブルに巻き込まれやすいんだから」
「うっせーな。ほっとけ」
不機嫌そうな顔をしながらも、優心は忠告を聞き入れるつもりは無いようだ。
そんな様子を見ていた雨望はやれやれといった表情を浮かべていた。
「……ん?」
「どうしたの?」
いきなりピタッと立ち止まった優心を不審げに見る雨望。
そんな彼女を他所に、優心は目を凝らし何かを探し始めていた。
(なんだ……この音……)
ザーーとテレビの砂嵐のようなノイズがどこからか聞こえてくる。
ここは、それなりに人通りの多い歩道だ。もちろん、テレビなんて物はない。
「ちょっと、どうしたの?」
「変な音、聞こえねーか?」
「変な音?」
どうやら彼女には聞こえていないようだ。
自分だけに聞こえている事に違和感を抱きつつも、優心はその音の発信源を探し始めることにした。
(この音……どこからだ!?)
辺りを見渡すも、特に変わったものは無いように思えるが……。
それでもどこからか聞こえるノイズ音は消えることはない。
気持ち悪くなってその場に蹲ると、何故か頭を抱え込んでしまうほどになっていた。
まるで音が聞こえてきてはならないと言わんばかりであった。
そんな時、すぐ隣を女性が通るのが見えた。そして何故か妙に気になってしまい視線が釘付けになってしまう。
前髪に隠れて目はよく見えなかったが、その口元が小さく笑ったのを見た瞬間ゾクリと悪寒が走った。
「うっ……!」
「ゆ、ゆうちゃん!大丈夫!?」
途端にノイズが大きくなって、頭が割れそうなくらいガンガンと痛みが走った。
苦しむ彼を見て心配になったのか、雨望が顔を覗き込んでくる。しかしそこで優心は、ある一つの結論に辿り着いたのだ。
(あいつだ……あの女だ!)
根拠は無いが女を見た瞬間そう思ってしまった。今この頭痛の原因と耳鳴りはあいつにあるのだと直感で感じ取った優心は立ち上がる。
しばらく女を目で追うと、よろよろとおぼつかない足取りで、赤信号にも関わらず渡ろうとしていた。
「あぶねぇ!!!!」
気が付いた時には、雨望を置き去りにして横断歩道へ駆け出していたのだ。
驚いた雨望が制止するも間に合わず、女はそのまま車に向かっていきそうになったので慌てて抱き抱えるようにして引っ張ることに成功した。
間一髪のところで女を助け出すことができたが、優心の心臓はバクバクと大きな音を立てており、額からは冷や汗を流していた。
(危なかった……)
もし自分が助けに行っていなかったらと思うとゾッとする。
助けられた女はというと、何が起こったのかわからないといった様子で呆然としていた。そして次第に状況が飲み込めてきたのかハッとした表情を浮かべる。
「なんで、邪魔するのよ!!」
「は?」
「あともう少しだったのに!!」
女はそう叫ぶと彼の腕を振り払って、走り去ってしまった。
残された優心は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「何よ、あれ。死にたいなら、樹海にでも行けばいいのに」
「………」
「ゆうちゃんは何も悪くないよ。でもよくわかったね。あの人が死にたがってるって」
雨望は優心の行動を不思議に思ったのか、首を傾げていた。
しかし、彼は何も言わずに去っていく女の背中を見つめることしかできなかった。
タイトル思いつかなかったので適当です。のちに変える可能性あり。




