エピローグ
卒業パーティから数日。日々は日常へと戻りつつある。
台無しになったと思われたパーティーは王家とオルトマン侯爵家の迅速な動きで再開された。
おかしいと思う人もいたとは思うが、急遽参加した王太子の出現で有耶無耶となった。王太子の人気凄い。
あの後、倒れたジベルはオルトマン侯爵家へと運ばれ治療を施された。召還をしていないとは言え、何かしら障害は残るだろうと思われたジベル。体に障害はなかった、しかし精神に問題が残った。恐らくサレオスが壊したという理性が治らなかったのだと思う。
ジベルは今、自分が五歳だと思い込んでいる。
オルトマン家で目覚めた時、不安げな瞳で「お母様は?」と泣いた。最初こそ今までのショックで泣いているのかと思ったのだが、話をしてみると話が通じない。おかしいと思い、ミヒャエルと会わせても何の反応もなかった。見目は良いので頬は染めていたが、それだけ。
コジョー伯爵夫妻は最初こそ複雑そうにしていたが、幼児返りした娘を今は愛おしそうに見ている。何をするにも母親を呼び、甘えるジベルが可愛いらしい。
ジベルが継ぐ筈だった伯爵位も実弟の息子、つまり従兄弟が継ぐ事になったとか。まだまだやる事は沢山あるようだが、取り敢えずは少しづつ落ち着いてきているらしい。
そして私とミヒャエルの婚約だが……
今回の報告にお父様と共に王城へ行った帰り、ミヒャエルに捕まった。お父様の前で腕を掴まれ、連れてこられたのは彼の部屋に近い庭園。既にセットされていたガーデンテーブルが少し恐ろしい。
因みに此処までの道、彼は一言も話していない。いつもなら私に合わせてエスコートしてくれるのに彼の速度そのままで手を引かれた。すれ違う人には挨拶をする。だが止まりはしない。
顔には出ていないが態度には出ている不機嫌な様子に私はむにゅりと口元を動かした。
「変な顔しないで」
「じゃあ、怒らないで下さい」
「……怒ってない」
では落ち込んでいる?
周りに誰も居なくなり、ミヒャエルはようやく悔しげに顔を歪ませた。
「ごめん」
短い謝罪に苦笑する。
「何で謝るんです?」
「だって」
「婚約はこのまま続けられるんですよ。別に問題ないじゃないですか」
今回の事件は二人の、いやミヒャエルに対しての試練だった。これがうまく対処できなければ婚約解消となる試練。過去の教訓により定められた婚姻前最後の試練だ。
結果はお父様的には及第点。婚約解消はしなくて良いが、様子見期間が延びた形だ。オルトマン侯爵家の婿になるにはもっとスマートに事を運ばなければならないらしい。
オルトマン侯爵家は特殊な家系だ。その婿になるのであればそれ相応の力がなければならない。力、それは真実を見極める目と確かな判断力、そしてそれを他人に見破られないように遂行する能力。それが無ければあの戦争の二の舞になる。
お父様曰く、私が登校しなくなったのがミヒャエルへのマイナス点だったと。私も守りつつ、ジベルの様子も見れればベストだったと。何とも難しい事を言う。
本来だとミヒャエルの卒業を持っての結婚だったのだが、結局二年延びた。つまり一年後の結婚から三年後の結婚に変更となったのだ。しかもそれも確定ではない。お父様に揺るがない合格を貰わない限りは永遠に延期される恐れがある。
「婚約破棄も解消も絶対にしない。絶対あの狸親父を黙らせる」
人の親になんて事を言うのか。でもまあ事実なので、怒りはしないけど。
「早く結婚したい」
ミヒャエルは天を仰ぎ、両手で顔を覆った。大袈裟な態度にくすりと笑みが溢れる。
「そんなにですか?」
どうせ多分恐らく結局するのに。
「キアはしたくないの?」
「そんな訳ないですよ。10年ですよ? 10年一緒に居たのに今さら離れるなんて」
想像しようとしても想像出来ない。もう人生の半分以上一緒に居るのだから離れるなんてそもそも出来ないと思う。
「そう言って貰えるの嬉しい」
花が咲くような笑顔で言われ、少し怯む。動揺を誤魔化す為、カップに口を付けた。
私がお茶を飲む様子を楽しそうに見ていたミヒャエルは急にハッとするとテーブルに手を付き、ずいっと顔を近づけて来た。
「そういえばさ、文句ある?」
真面目な顔が正面に来た為、目を丸くする。黒目を上にし考えたがこれと言って浮かばない。
「文句? 無いですよ」
そもそも制約の指輪までされて、頑張ったのだ文句なんてある筈も無い。
あるとすればずっとにやにやしていたコンラートにだけ。
ミヒャエルは私の答えが不服だったのか、眉を顰めた。
「本当に?」
「本当にないです」
嘘なんかついていない。これっぽっちもついていない。
あ、でも。
「しいて言えば……」
学校内で女生徒に、ジベルに触られていた姿を思い出す。じりりと胸が痛んだ事も。
「女の子に囲まれてたのは見てて嫌だったかもしれないです」
こういう事を言うのは少し恥ずかしい。素直に言えば、やはり顔に熱が上がってきた。手で仰いで冷ましたいが、それをするのもあからさま過ぎて恥ずかしい。苦し紛れにまたお茶を飲んだ。
カップ越しに前を見るとにやけた顔が目に入る。いやらしいくらい目を三日月形にし、美形形無しだ。
目を細め、睨み付けながらカップをソーサーに戻した。
「ごめん、嫉妬させて」
悪いなんて微塵も思っていないニヤニヤした顔のまま言われてもイラっとするだけだ。嫉妬させてごめん、なんて只でさえ言われたらイラっとするものなのに。
行儀は悪いがテーブルの下で膝を軽く蹴ってやった。
「いたっ」
じとりと睨んだままでいると、にやけ顔を戻しもう一度謝ってきた。
「本当にごめん」
「はい」
「もうそんな思いさせないから」
果たしてそれは出来るだろうか?群がる人が多いから難しい気もする。でもそういう気持ちが嬉しいと思った。
私はコクンと頷くと、ミヒャエルの銀色の三つ編みに手を伸ばす。張りのある髪は艶々で手触りも良い。でも幼い頃から伸ばし続けているこの髪は結婚と共に切るらしい。彼曰く願掛けのようなものだと。
「あと三年か。長いね」
ミヒャエルが自身の髪を見て呟いた。
「そうですか?」
いや、きっと三年なんてあっという間だ。
私はミヒャエルの髪の編み目をなぞり、過去に想いを馳せる。
髪が短いミヒャエルもかっこいいに違いない。
でも私は思う、今まで苦楽を共にしてきた長髪のミヒャエルがいなくなってしまうのは少し寂しいと。
だからといって結婚したくない訳では全くない。想いはミヒャエルと一緒だ。
あと三年、ミヒャエルの髪はどのくらい伸びるだろう。
私はミヒャエルの髪に唇を落とした。
これからも共に居れるよう、そう願いを込めて。
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