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06.貴方とダンスを、あなたはだあれ?


 ミヒャエルの言葉にホールはシンと静まり返った。広いホールにたくさんの人。身じろぎもしていないのか衣擦れの音さえしない。

 扇子の隙間から周りを観察すれば、誰が噂を真実としていたのか、上辺だけ合わせていたのかよくわかった。青褪めている女生徒は間違いなく「真実としていた」側だろう。ただ驚いているだけの人は噂半分で聞いていた人。人間関係を円滑にする為に話題に乗っていただけ。まあ、こっちの方がタチが悪い。


 コジョー伯爵令嬢は大きく目を見開き、信じられないとばかりに口を半開きにしていた。唾液が溜まったのかゴクリと喉が上下する。口を開き、また閉じる。その瞬間、私を見たコジョー伯爵令嬢の瞳が怒りによって醜く歪んだ。空色の瞳は赤く染まって見えた。きっと怒りのせいだろう。


 何て恐ろしい顔。私は扇子で額まで顔を隠した。その行為が彼女の癇に障ったのか大股で近寄って来る。でも近寄れるわけがない。こちらには護衛のコンラートがいる。それにミヒャエルにだって。

 コンラートが私達とコジョー伯爵令嬢の間に入った。コンラートが気配なく目の前に現れた事によりコジョー伯爵令嬢は声を出し驚き、直ぐに険しい顔をした。


コンラートの様子は背中を向けられている為わからない。だが険しい顔をしたコジョー伯爵令嬢が一瞬で顔を青褪めさせたので大体を把握。

 恐らく金色の瞳で威圧しているのだろう。金色の瞳は普通にしていても迫力がある。それに冷え冷えとした迫力を足しているに違いない。きっと口元には笑みを湛えたまま。


「もう少しお下がり下さい」


 怯えた顔をコンラートに向けたままコジョー伯爵令嬢は後退る。素直に下がった彼女を見てミヒャエルは小さく笑った。


「そういえば君はなんで此処に居るの? 誰かの婚約者になったのかな? じゃないと卒業生でもない人が此処に入れるわけないもんね。だとしたら婚約おめでとう」


 意地悪、とても性格の悪い言葉に私は横目でミヒャエルを見た。いつの間にこんなに性格が悪くなったのか。昔はもっと天使のようだった気がするのに。でも変わらず相貌は天使。嫌味を言っていても笑顔は輝いている。顔だけ見れば性格の悪さは微塵も感じさせない。


「違う、私に婚約者なんていない……!」

「いないの?」

「いないわ! それはミヒャエルが一番知っている事でしょう?」


 何故僕が?とミヒャエルが首を傾げる。またも前へ出ようとするコジョー伯爵令嬢をコンラートが片手で制止した。

 溢れる感情を吐き出す姿は痛々しい。どうして伝わらないのかとその場で何度も足を細かく床に打ち付け、もどかし気に体を動かしている。腕もそう、震えているというよりも意味もなく動かしていた。


 私は遠目からミヒャエルとコジョー伯爵令嬢を見ていただけだから実際彼らが何を話していたかは分からない。もしかしたらそういう発言をミヒャエルがしたのかも知れない。確率は低いけども。

 でもそれならそれで別に良い。この幕を綺麗に閉じる事が出来るのであれば、それくらい許容範囲だ。


 コジョー伯爵令嬢を相手にしているミヒャエルは悪い意味で至極楽しそうに言葉を続けた。


「意味が分からないな」

「何で? だってミヒャエルは私の事が好きだって」

「僕が言ったの? 君に? そんな訳ないでしょう」


 コンラートの制止した腕にしがみつきながらコジョー伯爵令嬢は発狂にも似た声を出した。

 

「違う! 違う違う違う!! 違うっ!!!…………違うの……?」


 だが、叫びは急にストンと終わる。呆然とした声で呟いた同じ言葉は何処か空虚な響きを持っていた。信じていたものが覆った、それは彼女にとって何を意味するのだろう。


 しがみついていたコンラートの腕から手を離し、コジョー伯爵令嬢は自身の手首を摩った。何度も何度も激しく摩り、ボソボソとこちらには聞こえない声で呟く。コンラートには聞こえているのだろうか。


 私はコンラートの背中をジッと見つめる。軽く振り返ったコンラートが頷いた。


 ――途端、鳴り響いたのはバイオリンの音。

 まるで問いかけるような静かな旋律にミヒャエルが「始まった」と私の手を握った。


「では僕はキアと踊りに行くから」


 三つ編みを後ろへ流し、ミヒャエルは立ち上がる。コジョー伯爵令嬢に背を向け、私には微笑みを向けホールへと誘う。私は扇子をパチンと閉じ、それに応じた。


 ホールの真ん中へ付けばバイオリンに続けて様々な楽器の音が綺麗に調和し、ホールに音を響かせていた。奏でられる優雅な音は体の奥に響く。やはりオープニングを飾る曲はこのような華やかさが無くてはならない。この静まり返った空気を吹き飛ばす感じもとても良い。


「キアと踊るのは久しぶり」

「確かにそうかもしれません」


 状況を把握出来ていない人を放置し踊り出した。クルクルと軽やかにステップも踏む。ミヒャエルは調子に乗っているのかホールドがいつもよりきつかった。透き通る翠眼も興奮しているのか潤んでいる。

 きっとそういう私も同じ状態に違いない。絶対そう、だって胸がいつもよりドキドキしている。


 速いステップ、お互いの足の間を縫うようにホールを縦横無尽に踊る。こんな状況だからしょうがないのか、私達以外誰一人としてダンスホールに出てきてはいない。

 

 しかし曲も中盤に差し掛かる頃、コジョー伯爵令嬢が転げるように飛び出してきた。


「待って、待って! 待って!」


 ピンク色の髪を振り乱し、踊る私達に触れようとする。だが彼女が触れる瞬間、足を引き、くるりと身を翻す。ドレスの裾がふわりと大きく円を描いた。

 コジョー伯爵令嬢の手は空を掴み、前へとよろける。それでも転ばなかったのは彼女の意地だろう。


「ミヒャエルは私の事が好きですよね? 私の事愛してますよね?」


 直ぐに体勢を整えたコジョー伯爵令嬢は小走りで付いてくる。何度も何度も「愛してますよね」と問い掛け、手を伸ばす。

 

「だって! 見て! こんな黒い人あなたの婚約者なんて相応しく無い!」


 手を伸ばしても届く寸前で私達が身を翻すから届きようもない。湿り気を帯び始めた必死な声は楽団の音をかき消すほどの声量だった。

 涼しい顔でミヒャエルは私をエスコートする。彼の動きは完璧だ。急な軌道の変更でも足がもつれる事はない。流れるような動きで足を動かせばクルクルと変わる視界。コジョー伯爵令嬢が正面に見えたり、見えなかったり。


「聞いて! 止まって! 私を見て!!!」


 掴む事が出来ないもどかしさにコジョー伯爵令嬢はその場で叫んだ。立ち止まり、両手を胸に置いて。どうか聞いてと、叫ぶ。その声に反応してブレスレットがキラリと光った。


 肩で息をしているコジョー伯爵令嬢を確認した後、私はミヒャエルと目を合わした。音楽は終盤に差し掛かり、穏やかな音を奏でる。音楽に合わせ、緩慢な動きで足を動かせば最後の一音が響いた。

 反響する音楽、棚びく雲のように音は消え、ホールが静寂に包まれた。


  1秒、2秒、3秒、止まっていた体を動かし、ミヒャエルから体を離そうとした。だが、腰から手が離れない。がっちりと掴まれている。

 ミヒャエルは指揮者を制止するように手を上げた。指揮棒が楽譜台に置かれたのを確認するとゆっくりとコジョー伯爵令嬢へと近付く。


「まだ居たんだね」


 待ち望んでいたミヒャエルからの声なのに、コジョー伯爵令嬢は涙声で答えた。

 

「だって私はミヒャエルが」

「もう一度言うよ。なんで此処に居るの? おかしいよね、参加資格無いんだから」

「それはミヒャエルが来てるって聞いたから! だっておかしいじゃない! 私が居るのに!」

「婚約者をエスコートしない方がおかしいと僕は思うけど」


 その言葉にコジョー伯爵令嬢は息を呑んだ。


「君は何故そんなに自分が僕に愛されてると思っているの?」


 冷たく目を細め、ミヒャエルは一つ一つ確認した。


「二人っきりで話した事はあった? 出かけた事は? 僕は君に贈り物をあげた事がある?」

「それは」


 言い淀むと言う事はどれも無いという事。何処かホッとした自分がいた。

 

「ないよね。僕はキアとしかそういう事をした事がない」


 はっきりとミヒャエルが答えを言うと、コジョー伯爵令嬢は視線を左右に泳がした。でもまだ何処か納得していない顔もしている。


 ミヒャエルの腰を持つ手に力が入った。微かな笑い声が鼓膜を掠る。


「ねえ、もう一度聞くよ。何でそんなに自信があるの?」


 ぎゅっと寄せられる体。ミヒャエルは細く息を吸った。目に力を込め、薄い唇を開く。


「大人しかった君がどうして、他人を虐げるようになったの?」


 空色の瞳が揺れた。ぐらぐらと芯が無くなったように。視線はミヒャエルを向いているのだろう。だがその実、何も見えていないようにも見える。


 そう、ジベル・コジョー伯爵令嬢は元来大人しい淑女だった。教室の自分の机や図書室で静かに本を読んでいるような。そんなに友人は多くなかったようだが、それでも気を許せる友人が何人かいる、何処にでもいる普通の貴族の娘だった。


 だが、去年の夏頃なら彼女は変わった。大きな声を出し、男子に媚びる、小さな声でかつての友人らを蔑める、そんな子へ変わってしまったのだ。


 鈴蘭のように可憐だったジベル・コジョー。もうコジョー伯爵は彼女のはにかんだ笑顔を随分見ていないという。

 鈴蘭の名の通り、毒が全身を回り悪女となったのか、それとも……

 

「あ、ああ……」


 ジベルは呻くと隠す様にブレスレットに触れた。

 隠していても分かる仄かな明かり。私はミヒャエルの力強い手に触れ、腰の拘束を外した。何か言いたげな視線が頭部に刺さった為、ポンポンと手を軽く叩く。名残惜しそうな手をするりと流し、カツンとヒールを響かせた。


 何の音もないホールに響いた音にジベルがこちらを見る。途端、険しくなる顔にしょうがないと笑みが浮かんだ。


「なんであなたなんですか……」


 だが声は冷静そう。

 

「王命ですので」

「あなたがそうさせたのではないの……」

「この婚約に当人の意思はないので」

「だったら……!」


 だったら何だと言うのだろう?婚約破棄しろと?

 そうすればミヒャエルと婚約、いや結婚出来るから?


 私達の10年を知らない他人が何を言う。


 私はヒールを響かせながらジベルの眼前まで近付き、口元に緩やかな弧を作った。


「でも、ミーシャは私の事が大好きなんです」


 怒りに震える大きな空色の瞳の中に私が見える。瞳の中の私はとても優雅に笑っていた。そう、とても悪い顔で。


 ふっと笑い、少し離れる。噛み付かんばかりの表情に少し戯けてみせた。唸るように名前を呼ばれ、口元を隠す。


「いえ、違いますね。そう、ミーシャは私の事を、愛してるそうです」


 彼が私を愛している、その言葉はジベルの心を抉るだろう。だがそれで良い。彼女の心を抉らねば真実は暴かれない。

 無理矢理引き摺り出さなければ、彼女は救われない。


「だから婚約破棄はしません」


 ジベルは大きく口を開いた。わなわなと口を動かし、何かを言おうとしているが目が吊り上がるばかり。

 私は視界に小さく入るコンラートへ目配せし、分家の者への指示を依頼する。コンラートは有能だ、直ぐに行動をした。


「だって!!! だって!! おかしいじゃない!!!」


 頭を抱え、ジベルが発狂をする。

 これから起こる事への対処として誘導されている生徒達が思わず立ち止まった。しかし、それを許す時間はもうあまり無い。直ぐに足を動かすよう言われる。


 発狂するジベルを間近で表情も変えず眺める。


「何故おかしいんですか?」


 静かに問う。


「だって叶うって!!」

「叶う?」

「そう! 何でも願いを叶えてやるって!!!」

「誰が?」


 ゴクリと喉が鳴った。


「サレオスが……っ!!!!」


 サレオス、その言葉が聞きたかった。

 ジベルがサレオスの名を出した直後、ジベルのブレスレットがバチンッと弾け飛ぶ。転がった紫色の石を爪先で弾く。転がった先にはミヒャエルが居る。

 ミヒャエルはそれを素早く瓶に入れ、我が家の者へと渡した。


 震えるばかりのジベルは譫言のように「ごめんなさいごめんなさい」と謝っていた。それはミヒャエルに言っているのか、私に言っているのか、それとも()()()()になのか。

 分かりようも無い事を今考えている暇は無い。


 私は編み込まれたリボンを摘み、引き抜いた。ストンと落ちた髪はきっと何の癖も付いていない。


「そう、あなたが契約したのはサレオスというのですね」


 私が近付く度に後退るジベルの腕を掴み、引き寄せる。ドレスにヒールの私、制服姿のジベル、ただでさえ彼女より大きいのにより大きく見えるだろう。


 怯える瞳を覗きながら私はサレオスの名について考えた。


「サレオス、サレオス……聞いた事ない」


 でも全く聞き覚えがない。知らない()()だ。

 しょうがないと私は小さな顎を鷲掴み、口をこじ開けた。苦しそうに歪む顔に罪悪感が浮かぶ。


「ごめんなさいね」


 そう言ってリボンを口に捩じ込む。喉の奥、体に染み込む様に深く深く手を入れた。嘔吐反射で戻されそうになるが無理矢理捩じ込み、口を強引に手で閉じる。


 あのリボンの素材、銀糸はただの糸では無い。太陽の光を一か月間浴びせ、十字架を沈ませた聖水に二か月浸けたもの。魔のものには良く効く毒薬だ。

 それをジベルの体に入れる。つまり、彼女に巣食うものが嫌がり出てくるという事。


 もがくジベルの頭と顎を押さえつける。これが染み込むまで吐き出させてはならない。この糸が無駄になる。

 獣のような呻き声を上げ、暴れているジベルを足で払い床へと倒れ込ませる。体に馬乗りとなり全身で押さえ付けた。


 元は可愛い容貌が可哀想な程歪んでいる。でもこれは自業自得とも言える。きっかけは何か分からないが、悪魔に願った事はジベルの罪だ。甘言に乗せられてはならない。


 どのくらい押さえていたのか、四肢の力が段々と弱まってきた。私は押さえていた手を離し、だらりと弛緩した体から離れる。


 すると途端にジベルの体がグンッと大きく波打った。胸から腹、足もバタンバタンと何度も落ちる。それを何度か繰り返した後、ジベルが目を見開いた。


 ジベルの空色の瞳が上からじわりじわりと赤く染まる。不自然にぐるりと眼球が動くと白目が真っ黒に染まった。にんまりとした開けられた口内には牙が見える。


 ジベルは鋭い爪がついた指で口内からリボンを抜き取ると床にポトリと落とす。


「不味いもん口に突っ込むなや」


 ジベル、いや、サレオスは可憐な少女の見た目にそぐわぬ低い声を出しクツクツと笑った。


 漸く出てきた悪魔を一瞥した後、私は銀糸が溶けたドロドロなリボンを摘む。


「だって出てきて下さらないから」


 そしてリボンを投げつけた。とても良い笑顔を浮かべながら。





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