05.婚約破棄なんて言ってない!
卒業パーティの二週間前、ミヒャエルからドレスが贈られてきた。ドレスを贈ると言われた時から既にそんな予感はしていたが、それはそれは凄いドレスが贈られてきた。ドレスに頓着していない私が「凄い」と思ってしまう程の。
まず箱から違った。普通は紙の箱なのだが、これは木箱に入って届けられた。エメラルド色の箱に装飾は金、きっと特注に違いない。
そして掛けられてた、どう結んだのかわからないリボンを解き現れたのは黒いドレス。
胸元が空いたそれは粉う事なき私の色、だがそれに銀糸の刺繍がびっしりとされていた。つまりミヒャエルの色だ。模様は何だろう、蔦にも花にも、星のようにも見える。とにかく繊細で上品な刺繍に侍女達も感嘆の息を漏らしていた。
首と肩、腕はレースで覆われ、そのレースもまた素晴らしく角度によって黒にも銀にも煌めく。星空、そう星空に似ている。このレースは何で出来ているのだろう。とても気になった。
そんな繊細なドレスを傷つけないよう、侍女三人がトルソーへ着せた。立体で見るとその美しさがよく分かる。
遠目で見ても、近くで見てもどの角度で見ても美しい。ただこれを着るのが自分だというのが少し残念だ。
「ドレスに負けそうな気が……」
ただでさえあのミヒャエルの隣に立つのだ。美形のミヒャエルに綺麗なドレス、存在が陰気な半笑いの私。どう見ても地獄、地獄以外何物でもない。コンラートが腹を抱えている姿が目に浮かぶ。
血の気か引いている私とドレスを交互に見ていた侍女は「うん!」と大きく頷いた後、親指を上げた。
「大丈夫ですよ、全然負けません。お嬢様が勝ちます!」
良い笑顔だ。こんな笑顔で慰めの言葉を言われたら嘘であっても嬉しい。当日はどうか頑張って私をこれでもかと別人のように仕上げて欲しい。そうすれば多少は見劣りせずにいられる。
これに何を付けようと宝飾品をあれでもない、これでもないとひっくり返す侍女を横目に私は空になった箱を何気なしに見ていた。蓋を開け、閉じ、また開ける。引っ掛かりなく音もなく動く箱は本当に良い作りだ。これは何かに使えそう。
(ん?)
私は箱の横に置いてあったリボンを手に取った。箱を彩っていたリボン、それをドレスと見比べる。
「一緒の生地……」
黒の中に光る銀糸は間違いようがない。ふつりと胸に感情が込み上げてきた。
「ねえ」
「何でしょう、お嬢様。あ、付けたいアクセサリーあります? 私はこれがオススメなんですけど、ルビーはこれの方が良いって。お嬢様はこっちの方が良いですよね! 私と一緒ですよね!」
グイグイと来る侍女に対して、私はリボンを掲げた。
「このリボンを髪に付けて欲しいのだけど、大丈夫?出来れば編み込んで欲しいのだけど」
私の申し出に三人は顔をキョトンとした。でも直ぐにニンマリと微笑む。
「喜んで!」
さあ、決戦は直ぐそこ。
運命の別れ目を前に胸が騒つく。私ははしゃぐ侍女達をよそにドレスを摘んだ。ただの布の筈なのに指先から熱を感じた。
◆◆◆◆◆◆◆
卒業式は恐ろしいくらいの快晴だった。雲一つない空は冬なのに目に眩しい。風はちょっぴり。だからとても寒かった。
久しぶりの学校はやっぱり居心地が悪いまま。いつもより髪も艶々と輝いているのに聞こえる声は「陰気」「真っ黒」。もう好きなだけ言ってくれれば良い。卒業後はもう関わりはないのだから。それにしても人間関係を全て捨てている私が卒業生代表で答辞をするなどちゃんちゃらおかしい。
でも頼まれたならやるしかない。
壇上に上がり、礼をする。その時、緊張した面持ちのミヒャエルが視界の中に掠った。
(凄い緊張してる)
でもそれはしょうがない事か、と私は手元の紙を広げた。
この式が終われば全ての片がつく。後少し、後少しで全ての結果が出る。スーッと息を吸い、壇上から全生徒を見下ろした。
そう、後少しだ。
卒業式が終わった後パーティまで時間がある為、皆一度家へ帰る。家でこれでもかと着飾られる為だ。卒業生にしてみたらパーティが本番、卒業式は前座みたいなもの。婚約者がいる者は仲睦まじい姿を見せ、まだ婚約者がいない者はそれを探したりするとか。卒業生以外にもエスコート役の兄や弟、親戚を狙ったりもするらしい。怖がられてしまう私には関係のない話だけど。
「お嬢様! これ、これ付けてください!」
「これも!」
「え、それよりもこっちじゃない?」
ドレスも着終わり、顔の塗装も完了したのに侍女達はアクセサリーを何にするか揉めているようだった。前日に聞いたら「もう全て決めました!」と言っていたのに何故何故どうしてまだ揉めているのか。
「もう決めてたんじゃないのですか?」
「だっていざ実際にお嬢様を着飾ってみたら、もう欲がどんどん出てきて」
「もっと綺麗になる筈、ポテンシャル高すぎって」
「そもそもお嬢様がやればやる程綺麗になるのが罪なんだわ!」
どういう事か分からないけど、きっと褒められているに違いない。でもこのまま揉めていても時間を食うだけ。
私はしょうがないと並べられたアクセサリーの前に立った。
「これにしましょう」
手に取ったのは瞳の色に近いゴールデンベリルの大ぶりのピアス。それを自分で付けると侍女三人組は「えー!」と落胆の声を出した。
「それだけですか!? もっと付けましょ!」
「これだけで大丈夫。あとはほら、指輪もしてますし」
「その指輪はいつもしてるやつじゃないですかー!?」
ワーキャーワーキャー喧しい。いや、姦しいというべき?
三人のパワーにタジタジとなっていると、コンコンとノックの音が響いた。
「どうぞ!」
三人を押し退け、扉まで避難する。ノックの主はコンラートだった。
「助かった! 助かりました!」
コンラートの存在にホッとする事があるなんて。
「どうしたんですか? 外まで声が聞こえてましたよ?」
そうでしょうとも。あの騒ぎが聞こえない筈ない。パーティ前にHPが0になるところだった。
コンラートの問いに三人はまだ何か言っていたが、コンラートの適当な相槌で勢いを削がれたのか段々と大人しくなった。
「そういえば、どうして此処へ? ミヒャエルが来たんですか?」
「ああ、そうでした。その通りです」
時計を見れば約束の時間15分前。部屋を出る前にもう一度、鏡の前で自分のチェックをした。
髪は崩れていないだろうか、ドレスに皺はない?マスカラは頬に落ちてない?
「大丈夫そう」
鏡の前で笑みを作り、コンラートへ向き直る。
「さて、行きましょうか」
「はい、キア」
コンラートに差し出された腕に自分の手を添える。
ミヒャエルが居る玄関へと向かう廊下を歩いていると前方からお父様が歩いてきた。お父様は私の姿を上から下まで舐めるように見ると乾いた声を出す。見事な苦笑である。
何が言いたいかは分かる。色々と凄いドレスだから。
「私も後で行く。コンラート、頼んだぞ」
「承知いたしました」
コンラートの返事の後、私はお父様にお辞儀をし、また廊下を進み始めた。ミヒャエルはこのドレス姿を見て、なんと言うだろう。私の色と自分の色を纏わせた姿を。
玄関前の大階段に私が姿を現すと、ミヒャエルは綺麗な翠眼を大きく見開いた。取り敢えずはその顔を見て満足。
ゆっくり、ゆっくり勿体ぶって降りていると一段飛ばしでミヒャエルが階段を登ってきた。思わず驚いて仰け反る。勢いが凄い。
コンラートの腕に置いていた私の手をサッと握るとミヒャエルは視線を合わせ、嬉しそうに微笑んだ。
「綺麗だ、本当に……。贈ってよかった」
心からそう思ってくれてそうな声色に頬が緩む。すると突然ミヒャエルが指先に口付けた。
「こら」
「ごめん、でも抑えきれなくて」
こんな人がいる場所でそんな事をするなんて。もっと責めようかとおもったが、あまりに真っ赤な顔だったから何も言えなくなってしまった。
「行こう」
真っ赤な顔のまま手を引かれ、馬車へと乗り込む。
正面に座ったミヒャエルは私から目を離さず、ずっと「良かった」「綺麗」と言い続けていた。流石に恥ずかしくなり、ポリポリとこめかみを掻いているとミヒャエルの視線が顔から逸れる。
「そのリボンてもしかして」
どうやら髪と共に編み込んであるリボンを見ていたらしい。私は綺麗に纏められている髪に触れ、頷いた。
「そう、箱に掛かってたリボン。綺麗だから編み込んで貰ったの」
ドレスと同じ生地だったので合うだろうと付けてみたのだけど、どうだろう。髪とはまた違う黒さなので良い感じに馴染んでいると思うのだけど。因みに手触りもとても良い。ちゅるちゅるしている。
「ミヒャエル?」
何も言葉を発さない事が不安になり名を呼んだ。ミヒャエルは私の声にハッとすると、赤くなった顔を両手で隠した。もう赤みは引いていた筈なのに何故色が戻っているのか。
「どうしたんです?」
「何でも無い」
どう見てもそんな事ないのだけども、ミヒャエルがそう言うならそっとしておこう。
「キア」
顔を隠したままミヒャエルは私の名前を読んだ。
「はい?」
「僕、頑張るから」
そう言って、ミヒャエルは顔から手を退かし、私の横へと移動する。翠眼の中に私の姿が見える。相変わらず黒いが、侍女達のお陰でそれ程陰気には見えない気がする。
ミヒャエルは私の手を握り、再度口を開いた。
「頑張るから」
強い決意を込めた声に目尻が緩む。私はコクンと頷いた。
「はい」
◆◆◆◆◆◆◆
馬車が止まり、御者が扉を開く。私の手を握っていたミヒャエルが名残惜しそうに馬車から出た。その途端、聞こえたのは驚愕の声。流石に悲鳴は聞こえないが、息を呑む声が複数重なって聞こえた。きっと馬車を見てその場に留まっていた人も多かったのだろう。私とミヒャエルが乗ってきた馬車は王族のもの。卒業生に王族はいない、もしや、まさか……と注目していたに違いない。
「コジョー伯爵令嬢ではないってこと?」
誰かの困惑の声が聞こえた。次期婚約者最有力候補の令嬢は一学年下で卒業パーティには参加しない。でもミヒャエルは居る。つまりは卒業生の誰かのエスコートをしているという事。
普通に考えれば私だと分かるだろうけど、それを考えられないのが大衆というもの。馬車の中からでも分かるミヒャエルに刺さる視線に私は薄く笑った。
会場前の視線を一身に浴びているミヒャエルは周りなど見えていないかのよう。いや、敢えてそう振る舞っているのだろう。そんな気がする。これから行う事の布石みたいだ。
まるで私しか見ていないかのような柔い笑みでミヒャエルは私へ手を伸ばした。黒いジャケットと手袋の間に見える手首が何とも魅惑的。すっきりとした手袋のシルエットからもう指輪は嵌っていない事が伺えた。
「キア、どうぞ」
差し出された手にゆっくりと自身の手を乗せる。高いヒールは久しぶり。でも苦手ではない。寧ろこの方が安定する。
「気を付けて」
「ありがとう」
一歩踏み出した外。感じる視線の感情に背中がぞわぞわとする。まさか、と思っているのだろう?何故私が?と。
あれ程までに陰口を叩いていた相手がミヒャエルにエスコートされている姿を見てどう思った?
「ふふ」
「どうしたの?」
「やっぱり私は性格が悪いなあと思って」
呆気に取られている人の間を通り会場へと入る。本来だと最後の方の入場だが、今回は受付順。早々にホールへと入る事が出来た。
中に入れば入ったでまた注目を浴びる。外よりも中の方がやはり人が多い。皆、どうしてこうなったのか知りたいのだろう。話しかけたくて仕方がないという顔をしている。だけど実際に話し掛ける人はいない。なんて面白い。
遠巻きに見られるのも慣れた頃、窓際のソファーに二人腰掛けながら私達はダンスの時間を待っていた。時折、ミヒャエルに挨拶に来る人の相手をし、それ以外はただ二人話すだけ。社交などほぼしない。
いつから居たのかコンラートもいつの間にやらソファーの背もたれの後ろにいた。
「いらっしゃいましたよ」
その声に前方を見る。特に不思議な事は無いと思っていたが、ふと何人もの人が道を譲っている事に気が付いた。ミヒャエルは答えが分かったのか口端を上げている。私もようやく何が起きているか理解し、口元をコンラートに手渡された扇子で覆った。
「どうしてミヒャエルがあなたをエスコートしてるんですか」
何故此処に居るのか。本来居る筈もない生徒が此処に居る。
可愛い顔ではなく、座った目でこちらを見るのはコジョー伯爵令嬢。ミヒャエルの次期婚約者候補と言われていた生徒である。
私はチラリと視線を横に向けた。
手引きをしたのは誰なのか、手引きの準備をしたのは誰なのか、手引きをするよう仕向けたのは誰なのか。
手のひらで転がしていたのは誰なのか。
「婚約破棄、したんですよね? ねぇミヒャエル、婚約破棄したんでしょ? あ、もしかしてその女が縋ってきたの? ミヒャエル優しいからほだされちゃったのかな? 駄目よ、こういう暗い女はすぐ勘違いしちゃうから」
コジョー伯爵令嬢の言葉にミヒャエルは目を細めた。
「婚約破棄?」
「そうよ、したんでしょう? みんな言ってたわ」
そう、確かに皆言っていた。だが果たしてそれが真実だと思い、噂していたのはどれ程の人数なのか。
その噂を最初に流したのは原色に近い髪色をした人達ではなかっただろうか。オルトマン侯爵家の分家が持つ色と似た髪の。
「ふふ、面白いよね」
ミヒャエルが笑うと何を勘違いしたのかコジョー伯爵令嬢はホッとした表情をした。ミヒャエルが私を侮辱したと思ったのだろう。私に向かい勝ち誇った顔をする。
「何でキアにそんな顔を向けてるの?」
「え、だって」
「僕がキアの事を面白いって言ったと思ったのかな。違うよ、面白いのは君だよ」
「え」
冷たい言葉にコジョー伯爵令嬢は目を見開き固まった。
ミヒャエルはその顔を見て、満足そうに微笑む。
「僕は婚約破棄なんて言ってないよ」
そう、一言もそんな事言っていない。ミヒャエルはあの場で「そういう事だから」としか言っていない。そのどうとでも取れる言葉に対して分家の人達が「婚約破棄」という噂をわざと流した。
そう、全て仕組まれた事。
最初の噂は三人からなされた。そこから噂は駆け巡り、それが真実のように語られた。
「婚約破棄なんて言ってない。する訳が無い」
会場に響くミヒャエルの声。声は全ての人の耳に入るよう巡っていく。
私はミヒャエルの横でゆったりと微笑んだ。
ああ、幕が上がった……と。
読んで頂き、ありがとうございます。
面白かったら評価、いいねをお願い致します!