04.ミヒャエルの訪問
卒業が近くなったからか家業の引き継ぎが多くなった。これまでも程々にやっていたつもりだったが、どうやら氷山の一角だったらしい。
卒業後、直ぐに爵位を継ぐ訳ではないのだが長い歴史があるオルトマン侯爵家には継承すべき事が多々ある。もしかしたら王家よりも多いかもしれない。とても面倒、いや複雑な家系なのだ。
コジョー伯爵令嬢と接触したあの日から私は学校へは行っていない。卒業が近い事もあり、自主登校期間だったのだがそれでも行っていたのは引き継ぎ引き継ぎで息が詰まりそうだったから。
でも婚約破棄の話が広がった結果、もういいやと行くのをやめた。ストレス発散で登校しているのにストレスが溜まるなんて本末転倒だと思ったから。
陰口悲鳴でじわりじわりと溜まっていたストレスがコジョー伯爵令嬢の突撃で弾けた形だ。
あんな空間より家の方が断然快適。覚える事が何さ、覚えるだけなんてなんて楽ちん。
自分に与えられた執務室で仕事をしているとノックの音と共にコンラートが顔を出した。返事よりも先に開けては駄目だと何度言ってもやめてくれない。
事務仕事用の眼鏡越しに睨んだが、ニッコリと躱された。
「ミヒャエル殿下がいらっしゃいました」
「ミヒャエルが?」
ミヒャエルと話をするのは裏庭ぶりだ。もう暫くは話をする機会がないと思っていたので少し驚く。
掛けていた眼鏡を机に置き、私はミヒャエルが待つ応接室へと急いだ。
「お久しぶりです」
「ああ、本当に久しぶりだね」
用意された紅茶も飲まず、ミヒャエルは定位置のソファーに腰掛けていた。銀色の三つ編みはいつもと同じように綺麗に結われている。ただその顔には疲れが見えており、心なしか背が曲がっているように見えた。
恐らく疲れている原因は「婚約破棄」に伴うあれこれだろう。女生徒に囲まれている事もそうだけど、コジョー伯爵令嬢を遠ざけられない原因が最も大きそうだ。もしかしたら原因よりもコジョー伯爵令嬢に参っているのかもしれないけど。
「元婚約者の家に何の用です?」
ミヒャエルの向かいに腰掛けながら侍女に目配せをすると流れるような動きで琥珀色の紅茶が注がれる。カップに砂糖を自分で一つ入れ、ティースプーンでくるりと回した。砂糖はカップの底でじわじわと靄のように溶けていく。温まったカップを口元へ運び、そっと唇をつけた。飲む前からフラワリーな香りがしたが、口に含むとそれは一層強まる。だが香りの割に渋みは少なく、どちらかというと柔らかい飲み心地にうっとりする。
カップ越しにミヒャエルを見るとムッとした表情で此方を見ていた。だけど本当見ているだけ。何も発しない。それはそうだろう。こういう事態を招いたのは彼自身だ。何も言える筈がない。
カップをソーサーに戻し、私は意地悪く口角を上げた。
「婚約破棄したのですよね?」
「それは……」
「そういう話、でしたよね」
「いや、だから」
「あんなところで話されるから凄い噂になりましたよ?」
「あーもう! だから!」
前のめりになったミヒャエルは身振り手振りで言葉を続けようとした。だが、彼の意思と反して声は出ず、空気のみが吐き出される。つまり音はなく、はくりと動いているだけ。その事実に気付き、くしゃりとミヒャエルは顔を歪ませ両手で顔を覆った。深く体をソファーへ沈め、肩を大きく落とす。その指には私の髪と同じ色の石が輝いた指輪がはめられていた。
「ふふ」
彼の可哀想な様子に思わず笑みが漏れる。我ながら性格が悪い。でもまあ、治す気もない。ミヒャエルは指の間から私を見ると溜息を吐き、顔から手を離した。そして自らの膝に置いた手を見ると指輪をなぞった。
「本当、何なんだもう」
ミヒャエルが僅かに睫毛を伏せる。髪色と同じ銀色の睫毛が翠眼に陰を落とした。
もうこれ以上言うのはやめてあげよう。本気で落ち込んでいそうだ。
「今日はどうされました?」
きっと卒業パーティの事だとは思うが、念の為聞いてみる。ミヒャエルは力なく数度頭を動かした。
「卒業パーティの件で来たんだ」
「エスコートですか?」
「そう。あとドレスも。でもドレスはちょっと相談したくて」
良かった。これでコンラートにエスコートを頼まなくて良い。大丈夫だろうとは思っていたが、実は少し心配してたのだ。
しかしドレスの件は少し気になる。
「相談、ですか?」
「そう、相談。あのさ、今回のドレスなんだけど」
そう言ってミヒャエルは自身の横に置いてあった紙をテーブルに置いた。
「見て」
その紙は手のひらサイズのメモのようだった。そこに書かれた悪筆に眉を顰める。
「これは」
慣れていない人は読めないだろう文字には馴染みがあった。私はメモを手に取り、ミミズの這う墨の跡に目を動かす。
読みづらいのは文字だけで、内容的には普通の内容だった。特に問題が無いので了承するとミヒャエルは見るからに胸を撫で下ろした。
漸く気が抜けたのだろう。何も纏わない顔でゆるりと頬を上げた。
「お疲れですね」
部屋に入った時に思った事を言えば、ミヒャエルは首を横に振る。
「こればかりはしょうがない」
確かにしょうがない。それは私もわかっている。でもあまりに疲れている姿を見ると手を出したくなってしまう。彼は拒否するだろうが。
私はソファーから立ち上がり、ミヒャエルの横に腰掛けた。そして膝の上にある私よりも大きい手に自分の手を重ねる。幼い頃は私の方が大きかった筈なのに、いつの間にやらミヒャエルの方が大きい。片手ではみ出る大きさの手に10年の年月を感じた。
例え婚約破棄だとしても私達には積み重ねてきた年月がある。だから手だって握っても良い。
ミヒャエルは握られた手を暫くジッと見ていた。
(もしかして嫌だった?)
そう思い始めたところで私の肩に銀色の頭がコテンと落ちてくる。長い三つ編みも腕を撫でるように落ちた。私はミヒャエルの頭頂部と高い鼻梁を見下ろす。
(そういえばこの角度久しぶり)
まじまじと見ていたが、突然「疲れたな」と私にしか聞こえない声が聞こえた。ポツリと呟かれた言葉にグッと胸が詰まる。だが励ましの言葉を今言ってはいけない。今言うとミヒャエルは甘えて潰れるだろうから。
だから私は乗せた手でポンポンと叩く。直接は言えないが、行為で示す事は大丈夫な筈。このポンポンには「頑張れ」という気持ちをしっかり入れてやる。
ミヒャエルは肩の上で細かく小さく頷いた。
「……文句は後で聞く」
「文句という文句は無いですよ」
いや、ある。でも決して言いはしない。あ、でもコンラートの愚痴は聞いてもらおうかな。中々とてもうざいから。
疑いの眼差しを感じ、見下ろせば吸い込まれそうな翠眼と目が合った。私は苦笑し、また手をポンポンと叩く。
「あと少しです。もうひと踏ん張り」
そう言えば、ミヒャエルは眉根を寄せ、口をぎゅっと結んだ。そして長めの瞬きをし、力強く頷く。
「そうだ、そうだね」
開いた目には強い意志が輝いていた。
そう、運命の卒業の日はもう直ぐだ。
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