03.次期婚約者候補?
「こんにちは」
終わる事のない陰口と悲鳴、そして意地悪いコンラートの笑みを浴びて過ごしていたある日の事。珍しく女生徒から挨拶をされた。一瞬戸惑ったが、挨拶されたなら返さなければ無礼だ。ひと瞬きの後、上りずらい口角を上げた。
「こんにちは」
ご機嫌ようと洒落た感じで言った方が良かっただろうか。でもそんな事言ったらコンラートが吹き出しそう。取り敢えず、鸚鵡返しをすれば女生徒は可憐に微笑んだ。
「私の事わかります?」
可憐さの中にほんの少し見える悪意。口元に人差し指を置き、コテンとその人は首を傾げた。
良く知っている。良く知っているとも。
肩につかない程度の髪はピンク色。まん丸で垂れ目な瞳は青空を写したような青。幼児のような瑞々しい唇に庇護欲を誘う華奢な体。
知っているとも。
そう彼女は今話題の人の一人、ミヒャエルの次の婚約者なのでは?と言われている人。
名はジベル・コジョー。伯爵家の一人娘だ。
「ええ」
だからこそ最初、声を掛けられた事に戸惑った。噂の次期婚約者が話しかけてきたから。よく色々と恐れもせず話しかけにきたな、と。
正直言うと面識はほぼ無い。名前と顔が一致する程度。だって学年すら違うのだから関わりようがない。
(去年からコンラートと一緒にいるから知ってるだけなのだけど)
コジョー伯爵令嬢は「まあ!」とわざとらしい声を出すとふふっと笑った。
「知ってるんですね、意外です。あんまり他人に興味ないと思ったから」
ほんのり感じる棘に軽く目に力が入る。するとトンと背中が軽く叩かれた。コンラートの手だ。相手のペースに呑まれるなと私の気を分散させてくれたようだ。
「婚約解消されちゃったんですよね? あ、婚約破棄か」
だがしかし、相手の方の攻めの方が早かった。にっこりと男受けする笑顔で楽しそうにそう言い放った。誰もが陰で言い、直接には絶対に聞いてこなかった事を。
此処は朝の正面玄関。つまり生徒大集合な場所である。ミヒャエルが呼び出した裏庭どころではなく人がこれでもかといる。
コンラートへ目配せするついでに周りを見れば誰も彼もが顔色悪く、はわわと口を開いていた。
ヒッ!と悲鳴も聞こえる。彼ら的にはコジョー伯爵令嬢やっちまいましたな!という状況だろう。
しかし中には噂の域を出ない婚約破棄が実際はどうなのか気になるのか目を爛々とさせている人もいる。
金色の瞳と軽く目を合わせ、私なりの笑顔で答えた。
「どっちだと思いますか」
「婚約破棄だと思います。あ、でもミヒャエルは優しいから解消なのかな」
間髪入れず答えられ、顔が固まる。いや、これは強い。笑顔も言葉も仕草も「THE 女の子」だ。この子が有力候補だと言われている意味が分かる。これは邪魔者は徹底的に蹴落とすタイプ。
爵位も伯爵とそこそこに高い。侯爵令嬢である私に対してもこうなのだから自分よりも低い爵位の人間にはもっと酷いに違いない。
固まった顔を動かす為に、鼻から空気を軽く吸い込み瞬きをする。
これはまともに相手にするもの疲れる相手だ。もう既に無視して教室へ行きたい。逃げたい気持ちを乗せてコンラートへチラリと視線を動かす。貼り付けた笑みのコンラートはこちらを見もせずコジョー伯爵令嬢を見ていた。
長年の付き合いだから分かる。相当苛ついている。
逃げられない事を悟り、私も口端を上げた。すると何を勘違いしたのかコジョー伯爵令嬢はコンラートへと近付き、春の花のように微笑む。細い手首を飾るブレスレットがしゃらりと鳴った。ゴールドには合わない紫色の石が揺れ、それに彩られる白い手がコンラートへと伸びる。だが、コジョー伯爵令嬢の手は何も掴む事はなかった。コンラートが触れられる直前に後ろ手を組んだからだ。弧を描いている金色の瞳が冷めた温度で桃色を見下ろす。
あからさまな拒否にコジョー伯爵令嬢は一瞬ムッとした。だが、すぐに表情を整え「可哀想に」と呟く。
「次の人身御供、ああごめんなさい。次の婚約者はサクセン伯爵子息ですか? 従兄弟なんでしたっけ。断りづらい分家に婚約を持ちかけるなんて可哀想」
何が可哀想なのかと思ったけどそういう意味でしたか。
眉を下げ、うるうるとした瞳で非難する姿に流石に力が抜けてくる。何が何でもこちらにケチをつけたいようだ。こんな事をされる理由がわからない……とは言わないけれどよくもまあ此処まで言えるものだ。
(ミヒャエルもよく遠ざけないですね)
私だったらすぐに遠ざける。人によって態度を変える人は信用ならないから。好きになる要素は無い。つまり自分の人生のゴミでしかない。そういう人に使う時間はとても無駄に思えてしまう。
(まあ、理由があっての事だとは知っていますが)
ミヒャエルの理由含め考えても今、私が関わる謂れはない。だってとてもストレスが溜まる。笑みを貼り付けるのも疲れる。腕を胸の前で組み、私は俯き目を閉じた。細く息を吐き、ゆらりと顔を上げる。
コジョー伯爵令嬢のブレスレットに反射した光が視界に入り、煩わしさから片方の口端が上がった。
「あなたが私を嫌いな事はよく分かりました」
「みんな、あなたの事が嫌いですよ。その黒い髪、悪魔じゃないですか」
「私にはあなたの方が悪魔に見えますよ」
コジョー伯爵令嬢はキョトンと目を丸くした後、口元に手をやった。
「私が? 目がおかしいですね」
嘲笑する姿も実に可愛い。だが、それを相殺出来る黒さを纏っている。
「目は良い方です」
ねえ、と私はコンラートに同意を求めた。コンラートは演劇のように大袈裟に頷く。
「ええ。ええ、とても良いですよ、わが主は。見えないものなんてないのでは?と思う程です」
そしてポンポンと眉間を人差し指で叩くと細めていた目を開いた。
「それに正確性もある」
コジョー伯爵令嬢はすんと表情を無くし、不意に周りを見渡した。時が止まったように動かない学友達を見ても特に思う事は無いのか、すぐに笑顔を作る。
「もう直ぐ卒業ですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
差し障りのない話題。定型文で答えて反応を見る。
彼女はクスクスと笑いながらブレスレットに触れた。
「卒業パーティ、楽しみですね」
その言葉の中には「ミヒャエルはエスコートしませんけど」という言葉が隠れている気がした。
だが、それがとうした。私は無表情でそれに答える。
「ええ、とても」
私の表情を見て震え上がる生徒が多数いる中、コジョー伯爵令嬢は「では」と優雅にお辞儀をし去っていった。重い空気が漂う中、私はコンラートを見る。
「疲れました」
「お察しします。でも今日は学校が終わったら仕事がありますので」
「知ってます……」
肩を落とし、教室へと向かう。私が動き出すと皆の時もハッと動き出したのか、パタパタと複数の足音が廊下に響いた。
読んで頂き、ありがとうございます。
面白かったら評価、いいねをお願い致します!