01.黒い私と婚約者
「そういう事だからさ」
そう言って私の婚約者は去って行った。ひらりと手を振り、何でもないような顔をして。私は銀糸のように煌めく長い髪を目で追いながら心の中で悪態をついた。
そういう事だからさ、ではない。何を言っているのか。そんな軽さで言う事じゃない。そもそも今じゃない。
それにこの場所、此処は人目が多い学校の裏庭だ。自分達以外の生徒もわんさか居る。皆一応は見ないようにしてくれたが会話は無かった。恐らく、いや絶対聞き耳を立てていたのだ。今日は風もない麗らかな天気。それはそれは良く聞こえたに違いない。
去っていく婚約者、ミヒャエルの姿を何人かが私と同じく目で追っていた。彼が背中を向けたからもう気にしていないフリをするのをやめたのだろう。私にはバレても良いと思っているのが丸わかりだ。
しかし、それは仕方がない事だとは思う。私の婚約者はとてもおモテになる。この国の第二王子という地位もあるのだろうが、それを取っ払っても余りある美形なのだ。
何の混じりもない緑色の瞳は髪色と同じ銀色の睫毛で囲まれている。瞳があり、睫毛があるのは誰だって一緒だろう。鼻があって、唇があるのもだ。だがそれが恐ろしく整っており、誰もが一目見て「あ、綺麗」と思うのはほんの一握りの人間に違いない。背中の中程まである銀髪も、それが編まれ輝く様も、指をただ曲げるだけの動作も何もかもが老若男女全ての人間を魅了する。それがまだ若干17歳だというのだから恐ろしいものだ。
「大丈夫です?」
小さくなるミヒャエルの背中を目で追っているとヒョコっと背後から顔が出てきた。自分と同じ瞳の色をした、目に鮮やかな赤髪の男。従兄弟であり護衛のコンラートである。ベンチに座っている私の横にドカリと座り、組んだ足の上に肘をつく。いつも見上げているので、逆に見上げられるのは違和感満載。にんまりと細い目は日向ぼっこ中の猫のようだ。見ようによってら悪徳商人にも見えるが。
大丈夫かと心配の言葉を掛けた割には上がりすぎな口角を見て自然と目が細まった。
「本当にそう思ってます?」
「ええ、ええ、心の底から思ってますよ。大丈夫ですか? キア」
「とても嘘っぽく聞こえますけど」
「それは俺の顔の作りのせいでは? ほら、普通にしてても笑い顔だから」
いや、八割そういう顔をしているだけで二割はこれよりも普通の顔をしている。目は開いているし、口角もこんなにも大袈裟に上がっていない。その二割を知っているからこそおかしいと思うのだが、今それを言ってもしょうがない。
僅かに見える金色の瞳から目を逸らし、ミヒャエルが去った方向へと視線を戻す。だがもう輝く銀髪は見えなかった。
「そういう事、って」
ぽつりと呟いた言葉にコンラートが反応する。
「多方面は既にご承知だと思いますよ、と言いますか」
「分かってますよ」
コンラートに言われなくても分かっている。ミヒャエルもそれが分かっているだろうと敢えて言葉少なに私に伝えたのだ。それにしたって短すぎだとは思うが。
本当は溜息をこれでもかと吐きたいのだが、グッと我慢する。吐いたら息と一緒に文句も出てしまいそうだから。
いや、でもやっぱりひとつだけ言いたい。此処で言うべき事だった?と。もう少し人が少ない場所でも良かったんじゃないかな、と。いや、確かに彼からしたら効果的だとは思うけども。
「キア、感じますか? 凄い視線ですよ」
わざとらしく耳元に顔を寄せコンラートが意地悪く囁く。さっきから痛い程感じる視線は悪意のものと好奇心からのもの半々。もしかしたら悪意の方が多いかもしれない。きっとコンラートとの距離感に物申したい人もいるのだと思う。コンラートもそれなりにモテるのだ。王家に覚えもめでたい伯爵家の次男、将来有望株の一人と言われているから。
私は距離感の近いコンラートから拳二個分よいしょと離れ、これ以上近寄らないよう手で制止した。
「近いですからね」
「わざとです」
「知ってます」
伊達に生まれてから従兄弟をしていないし、護衛もして貰ってない。知っているからこそ、ちゃんと言葉にした。
「そうですか」
こういうやり取りも他の人からすれば不快に感じるのかもしれない。ビシビシと刺さる視線は可視化すればきっと全身穴だらけだ。視線が物理じゃなくて良かった。
コンラートはニコリと笑い、ベンチの背もたれに体を預けた。程よい距離感に戻り、会話も無くせばヒソヒソと耳障りな女生徒達の声が聞こえてきた。
「ザスキア様と殿下が婚約破棄……」
「噂は本当だったって事ね」
「確かに殿下はジベルさんと一緒に見掛ける方が多いものね」
「それに、ねえ……」
こんなにも聞こえるのは私の聴覚が良いからか、はたまた聞こえてもいいと思われているからか。恐らく後者だろう。婚約破棄云々を抜きにしても本当に意地が悪い。ミヒャエルがよく一緒にいる女生徒の名前を出すところとか本当にどうかと思う。
そんなにも私がミヒャエルの婚約者という事が気に食わなかったのか。皆そんなに王子と結婚したいのか。結局は一人としか結婚出来ないのに。
「キア、苛ついてますか?」
コンラートの問いに「ふむ」と考える。確かにヒソヒソとされるのは煩わしいが、苛つく程ではない。まあ、何だこの人達感じ悪っとは思うけども。
婚約云々も自分達の意思のもと決められた訳でもない。外野がワーワー言っても正直どうでも良い、のだが……
「いくら血筋が良いからってあの見た目、陰気過ぎるわよね。殿下はよく我慢されたと思うわ」
親譲りの外見を貶されるのはちょっと違う気がする。
「キア、目が座ってますよ」
血筋が良いは褒め言葉だろう。だがしかし、それ以外は悪口だ。
陰気と言うが、ただ髪が黒いだけだし瞳は黒どころか金色。しかもこの瞳の色は我が家の家系しか現れない貴重なものなのに。
確かに腰まである黒髪は存在感があるかもしれない。だけど長さ的にはこれくらいの年頃だったら普通の長さだと思う。それとも重めな前髪のせいで陰気さが増している?金色の瞳が少しキツく見えるから幼く見えるように前髪を作ったのだけど。
いや、でも考えれば考える程、悪口だ。髪色以外は他と変わらない筈なのにこの言われようは無い。理不尽が過ぎる。
それに「殿下はよく我慢された」とはどういう事なのか。いや、分かる、そのままの意味だとは分かっている。でもそもそもの話、王家からの打診だったのだから本当に我慢していたのならさっさと破棄でも解消でもすれば良かった話だ。何たって婚約してから今年で10年。何度でも言う機会はあった筈。
「キア」
「何でしょう」
「ちょっと振り返って彼女達を見てみて下さいよ」
少し寄った眉間を揉みほぐし、コンラートに言われた通り振り返る。なるべく悪い噂がたたないように笑顔を作って。
「ヒッ!」
だが何故でしょう。ヒソヒソ話をしていた令嬢達は引き攣った顔で短い悲鳴を上げるではありませんか。
(笑顔なのに悲鳴…………)
しかもその悲鳴を聞いて、また悲鳴が上がると言う負の連鎖。隣のコンラートは前屈みでお腹を抱え震えている。きっと声もなく爆笑している。そうに違いない。絶対そうだ。
こんな事って無いと笑顔のまま固まっていると一人、また一人と裏庭から人が消えていく。
麗らかな天気、凍りついた空気、走り去る令嬢達。
その中で聞こえた見知らぬ平坦な声。
「さすが漆黒令嬢。暗黒微笑わら」
漆黒令嬢、それは私ザスキア・ジビーラ・オルトマンの通称、渾名、二つ名。
真っ黒が故に付けられた悲しき名である。
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