301 家庭教師のお仕事(4)
トゥードに促され、カインはここ数日アレンと過ごした日々を振り返った。
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二日目の朝七時に僕を迎えに来た先生が、二輪の魔導車でまず向かったのは、王宮の北西にある官庁街でした。
自分の進むべき進路はこの道でいいのか……なんて頭でいくら考えても分かりっこない。頭で考えて分からない時は行動するしかない。
今の僕にはもう少し具体的なビジョンが必要だって、先生はそう言っていました。
官庁街に着いた先生は、まず手始めにふらりと外務省の建物に入りました。特に目的があったようには見えなかったです。
入り口に警備の人はいましたが、先生が堂々と挨拶すると特に止められる事もなかった。
緊張している僕と違って、先生はなぜかとても楽しそうだった。
いつだって知らない世界に足を踏み入れるのが俺は楽しいって……そう言ってた。
先生はたまたま目に入った領事部渡航課の相談窓口で、やり手そうなおばさんといきなり話し始めた。
ベアレンツ群島国に行くにはどうすればいいのか……ロザムール帝国に滅ぼされ、属国となっている雪国キルナに行くには何が必要か、何て話題から話はどんどん広がっていった。
そのうち先生の熱量に引き寄せられるように、国外の事情に詳しい渡航課の職員さんたちが集まってきて、いろんな国の観光名所から文化や歴史にまで話が広がって……僕もいつの間にか凄くワクワクして皆の話に聞き入ってた。
そのうちにビオラさんっていう怖そうなおばさんが何の騒ぎだってやってきて、『……貴様、ここで何をしてるんだ』って先生に詰め寄って……。
先生が顔を引き攣らせながら『忙しそうですね、寝不足ですか?』って声をかけたら『だ、誰のせいだと――』って怒り始めたから慌てて逃げ出した。
すっごくドキドキしたけど……楽しかった。
その後は農務省に行って、そこでも先生は色んな話をしてくれた。
ここは植物がよく育つように肥料の改良をしたり害獣を避ける方法を研究したりしている所だ、ここは食品の安全を、ここは作物の供給の安定を担う所だから今はヘルロウキャスト災害の影響で忙しそうだ、みたいな感じ。
最後に王国中の特産品を扱っているっていう職員食堂で凄く美味しいお昼ご飯を食べて……それから……内務省に行ったんだ。
そしたらそこで……たまたま見ちゃった。
お父さん、都市開発部の下水道課って所で働いてるんだね。僕、お父さんがどんな仕事してるのか全然知らなかった。
お父さんを怒鳴りつけている貴族っぽい人たちが何を言ってるのかはよく分からなかったけど……もっときちんと補助金を出せとか、ならば貴殿が住民に説明をしてみろとか、最後にはそんなに庶民を苦しめるのが楽しいのかって……酷い言われようだった。
その場に居合わせたのは偶然だと思う。僕がお父さんって呟いたら先生驚いてたから。
恐る恐るお父さんは何か悪い事をしてるのって聞いたら、先生は少しの間様子を見て、ゆっくり首を振った。多分どちらも悪い事はしていないと思うって。
僕は、じゃあ何であんな風に一方的にお父さんが怒鳴られて、ぺこぺこ頭を下げているのって聞いたけど……先生は、その事をこの場で説明するのは難しいって……。
励ましの言葉をかけてくれないんだって……悲しい気持ちになったのを覚えてる。
あまり納得出来てなかったけど、先生は何か考え事をしてるような顔をしてて……それ以上聞けずにその日はそのまま家まで送ってもらった。
正直に言うね。その時、僕はお父さんの事をかっこ悪いって思った。本当は悪い事をしてるのかもしれないって。だって悪い事をしてないのに謝るなんて変だって。
その日の別れ際に言われたんだ。トゥーちゃんが戻ってくるまで勉強するのは止めておけって。多分何も得られないって。それよりも今日感じた事を忘れるなって。
……そして次の日、先生は夜明け前の朝四時に迎えに来た。いきなり二階の窓がノックされて本当にびっくりした。
朝飯前に一仕事するぞって。昔の人は皆、朝飯の前に一仕事をしてたんだって。今でも田舎の人たちは遅めの朝飯と早めの夕飯の二食で暮らして、晩飯を食わない人も多いって。
ご飯を一日三回食べる、なんて当たり前のことすら当たり前じゃない。それはとても不思議な事のような気がした。
連れていかれたのは汚水を流す側溝の掃除をする仕事現場だった。そう、本当に仕事をしたんだ。
街がまだ眠っている時間じゃないと掃除が大変になるから、その時間だったみたい。
そこには僕と同い年くらいの子供たちが何人も働きに来てた。その子たちは、先生に色んな仕事を教えてくれた、先生の先生だって。
びっくりした。自分が仕事するなんて考えた事も無かったし、幼年学校の友達にもそんな子は誰も居なかった。ましてや王立学園に通う有名人の先生に、何かを教えるだなんて。
酷い匂いの中、皆でヘドロまみれになりながらスコップで側溝に溜まったごみや土砂を掃除した。へっぴり腰だって笑われたけど……学校の友達に揶揄われるのとは違って、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
掃除が終わった後は……怒られるかもしれないけど、近づいちゃいけないって学校で言われてる下町の先にあるスラムに行ったんだ。
そこにある孤児院で、ほらカインの分け前だって、この十リアル銅貨を渡された。
これは僕が初めて自分で稼いだお金。お小遣いでよく貰う銅貨と同じなのに、全く別のものに感じる。使う気にはなれないかな。
それから孤児院の井戸で体を洗ってから朝ごはんを食べた。
ぱさぱさのパンに、具がほとんど入ってないスープだけだったけど……おなかがペコペコで、今まで食べた事がないくらい美味しかった。
遅い朝ごはんの後は、ポー君っていう掃除のときに揶揄ってきた男の子が、カインは頭いいんだろ、勉強を教えてくれって言ってきて、一緒に勉強したんだ。
正直めちゃくちゃ簡単な内容だったけど、皆が凄い凄いって言うから照れ臭かった。先生は特に口出しせずに、そんな僕たちの事を黙って見てた。
それから、ポー君達は午後もスラムで汚物を集めて売りに行くからって別れた。
知ってた? うんちって売れるんだって。
前の日に見た農務省の農業資材課って所が、色んな所と連携してうまく社会が回るように仕組みを作ってるって先生が教えてくれた。
孤児院を出た僕と先生はそれから王立図書館に向かった。
道すがら、あの子たちが暮らしてるスラムには下水道がないって先生が教えてくれた。だから不衛生で、それが原因で病気になって死んじゃう子もいるって。
そんな事、考えてもみなかった。下水道を一生懸命掃除してる子供たちが、下水道を使えなくて死んじゃうなんておかしいと思った。
僕がそう言うと、先生はこの広い王国にはまだまだ同じような場所が沢山あるって。
カインの父ちゃんの仕事は、少しでもそんな人達を減らすためにこの国に下水道を整備する事だって。
もちろんお金も時間もかかる。工事の為に住んでいる場所を追い出される人もいるって。そんな人たちが怒るのも仕方がない。
けど少しずつでも誰かが前に進めないと、いつまで経っても変わらない。
別に国王陛下がやると決めた事業なんだから、カインの父ちゃんが頭を下げる必要なんてないんだ。
もっと高圧的に指示を出す役人も、紙切れ一枚送ってあとは知らん顔の役人も沢山いるだろうって。
でもカインの父ちゃんは下げる必要もない頭を下げて、本気で事業を進めるために戦ってたって。
立場的にも知識的にも決して負けるはずはないけど、真っ直ぐに頭を下げてたって。信念が無ければあれは出来ないって……先生はそう言った。
ごめんねお父さん、かっこ悪いなんて思って。今は思ってないよ。
その後、王立図書館で下水道について先生と調べたんだ。
下水道の歴史から仕組み。国ごとの普及率とか。
先生は調べてる途中に何度も僕に質問してきた。
何で国によってこんなに違いがあると思う? とか、どこまで田舎に普及させればいいと思う? とか。とっても難しい質問ばっかり。
分からないから教えて欲しいっていうと、先生はあっさり俺にも分からないって言うんだ。だから一緒に考えようって。そんな先生、今までいなかった。
僕がびっくりしてると、先生は何が正解か分からない事はいくらでもあるって。答えのない事に自分なりの答えを出すのが仕事だって。それはうどん屋でも大工でも探索者でも、どんな仕事でも変わらないって。だから仕事は楽しいんだって。
じゃあテスト勉強に意味はないのって聞くと先生は首を振って、新しい物を生み出すには色んな武器が必要だって言った。だから知識をつける事も大切だって。
その日はクタクタに疲れてるはずなのに、何故か中々寝付けなかった。上手く言えないけど……朝起きた時と別の世界にいるみたいで。
……最終日の昨日、先生が来たのは朝の九時で少しゆっくりだった。
よく眠れたかって聞かれたから、僕が寝不足になるのを見透かしていたのかもしれない。
昨日は官経学院に行ったんだ。
見たからといってどうなるものでもないと思うかもしれないけど、まずはそこに通う自分をリアルにイメージできるかどうかが大切だって。
学校だけじゃなく、そこに至るまでの道、近所の食堂、通う生徒たちの雰囲気。
吹き抜ける風の匂いまで感じながら、自分が春からそこに通うかもしれないと想像してみろって。
一年後の夏にはこの図書館で彼女と勉強しているかもしれない。
あの古い校舎は、もしかしたらお前の父ちゃんと母ちゃんが一緒に学んだ校舎かもしれない。
そんな風に想像を広げながら学院の敷地内を歩いた。
夏休み期間だから人は少なかったけど、先輩たちは落ち着いた、大人びた雰囲気の人が多くて、僕はここで勉強してみたいって……素直に思えた。
でも……僕がそう言うと先生はなぜか顔を顰めた。
そんなに急いで結論を出す必要はないだろうって。もっと色々見て回りたいよなカイン、そうだよなって。
◆
「それからは大変だったよ……。官学に時間を使いすぎたって焦る先生と、結局は一日で貴官騎魔全部と総学と最後には探索者養成学校まで見に行って……連日動きっぱなしだし、もうクタクタ」
カインはそう苦笑いして話を終えた。
「わ、私……どうしましょう……。昨日だって、口先だけのお礼しか……」
フェリアは真っ青になった。
アレンは破天荒な人物だという先入観が強すぎて、年下の子供を導くのは無理だろうと考えていた。
家庭教師にやってきて、毎日朝から晩まで外に遊びに行くのを見て、その考えは確信に変わった。
せめてカインに悪影響だけは与えないで欲しいと……今更断れないが、早く引き離したいとまで願っていたのだ。
だが……今の話を聞いてみると、カインの未来を憂い、その心に深く寄り添おうとするアレンの気持ちがありありと伝わってくる。
最終日の昨夜、目も合わせずに、形ばかりの礼を述べた自分をフェリアは深く恥じた。
「……手紙を書こう。謝罪と感謝の手紙を。届けていただけますか?」
父親のユバルがテーブルの上に置いた拳をギュッと握り、トゥードに問いかける。
「ええもちろん。でも…… 気に病む必要はないと思います。きっと、俺は自分がやりたい事をやっただけだって言います。褒められたり感謝されたりするのが苦手なんです。アレンちゃん、照れ屋だから。で、カイン君は、進むべき道は見つかった?」
トゥードが尋ねると、カインは目の前のテキストに手を伸ばした。
そして世界に一点しかないそのテキストをしっかりと胸に抱いて、首を振った。
「いいえ……むしろ余計に分からなくなりました。でも……この世界は僕が考えているよりも遥かに広くて、複雑で、楽しい事も悲しい事も沢山ありそうだって事は分かった。だから……まずは一歩踏み出す事にします。きっとアレン先生が僕に伝えたかった事は、そういう事だと思うから」
トゥードはそう言ったカインの目の光をみて、つい苦笑した。アレンといると、誰もがそのエネルギーにあてられる。かつての自分がそうだったように。
「いつだって道は一つじゃない。でも今は官経学院を目指して頑張る。僕はそう決めました」
カインがそう宣言すると、トゥードはにっこりと笑った。
「今日からよろしくね、カイン君。僕はアレンちゃんと違って普通に勉強を教えることしか出来ないけど……」
トゥードがそう言うと、カインも笑顔になった。
「アレン先生から、トゥード先生は好きな事にのめり込む天才だって聞いてます。勉強に飽きたら魔導車の話を振ってみろって。気がついたら一日が終わってるぞって」
カインのセリフに、フェリアが再び顔を青くする。
「カインが興味あるならトゥーちゃんも課外学習の方もばっちり教えてくれるって。僕、アレン先生に魔導二輪車に乗せてもらって感動したんだ! 吹き抜ける風と……動力機関の鼓動がとっても心地良くって……」
「ええっ! ど、動力機関の……鼓動?!」
トゥードがうっかり身を乗り出すと、フェリアは再び目眩を覚えたようにして額に手をやった。
「……トゥード先生は、このダイニングで勉強を教えてくださいませ。いいですね」
ピシャリとそう言われ、トゥードがこくこくと頷き、失敗したとばかりにカインが舌を出す。
そんな様子を静かに見ていた父親のユバルは、やはりアレンに手紙を書こうと思った。
心からの感謝の手紙を――
いつもありがとうございます!
田辺先生のコミカライズが更新されてます!
ルージュとルンドの何気ないやり取りの描き方がワクワクできて大好きです(^^)
ぜひチェックしてみてください!
よろしくお願いします!