300 家庭教師のお仕事(3)
更新遅くなりました┏︎○︎ペコッ
目的地もなく夏の盛りの王都をぶらつきながら、心の赴くままにカインの話を聞いてみる。
得意な科目や苦手な科目とその理解度など勉強に関する話もするにはしたが、俺が知りたかったのはカインが何に興味がありどんな事に心を動かされるのかといった、もっと根源的な事だ。
少しずつカインの人となりを理解していく過程で朧げながらも明らかになったカインの悩みは、実にありふれたものだ。
小さな頃から親に言われるがまま官経学院を目指してきた。だがある時、大事な試験で思ったよりも点数が取れず初めて躓いた。その時、この先に待ち構えている受験で自分の一生が決まると思うと急に怖くなった。
本当にこのままでいいのか。自分には向いていないんじゃないか。だが逃げ出す勇気もない。かといって割り切って受験に集中する事もできない。
そんな答えのない思考の袋小路に一度迷い込むと、悩みは勝手に大きくなっていった。
なぜ両親のようになりたいと思っていたのか。単なる思い込みなんじゃないか。尊敬する写真家のように生きる道もあるんじゃないか。それともやっぱり世の中そんなに甘くないのか。
そんな風に悩みが悩みを育て、自縄自縛に陥っているようだ。
ありがちではある。
だが簡単ではない。その事は、覚醒前に似たような事に悩んで、どうしてもやる気になれなかった俺が誰よりも分かっている。
「両親も塾の先生も、その歳で将来について決める必要はない、とりあえず今は受験に集中して、進学してからゆっくり考えればいいって……。先生も、やっぱり今は受験に集中すべきだと思いますか?」
俺はゆっくりと首を横に振った。
「自分がどう生きるかを考える事は、とても大切だ。断言するが、カインの人生でそれよりも大切な悩みはない」
その優先順位を蔑ろにして生きた結果、前世の俺は死に際にあれほど後悔したのだ。
仮にどれほど人が羨むようなエリート街道を歩もうとも、逆に学歴社会からドロップアウトして気ままに生きようとも、そこに自分の意思がなければ人は幸せにはなれない。
幸せかどうかを決めるのは自分自身だからだ。
「まずは悩んでいる自分を受け入れろ、カイン。さっきも言ったが、勉強に集中すべきと言われて集中できるなら誰も苦労しない。現に集中出来ていないのであれば、出来るように心を整えるしかない」
「心を、整える……?」
「そうだ。どう生きるのが自分にとっての正解か、なんて決まった答えはないし、簡単に結論はでない。俺だって受験の時は先送りしたし、今も悩み抜いている。だが俺は受験に集中できた。それは俺の心が整ったからだ」
カインの抱える恐怖心の正体。それはずばり、世の中に対する解像度の低さだろう。
理解できないものを本能的に恐れるのは、人として当然の事だ。
両親や塾講師に見えている世の中が、カインには見えていない。そこにギャップがある。
揺れる吊り橋で震えている子供に、安全だから渡れと必死に説得しているようなものだ。
まぁ口先で説明して簡単に解決できる問題ではないが、処方箋が無いわけではない。
「……心配するな。世界の広げ方は俺が教えてやる。明日は朝の七時に迎えに来るからな!」
「朝七時?! 契約は午後から夕方までのはずじゃ……?」
「単に遊びに行くだけなんだから、契約なんてみみっちい事は気にするな! じゃあな、早く寝て朝飯はちゃんと食えよ!」
◆
「……という訳で、アレン・ロヴェーヌ先生はこの四日間、毎日毎日朝から晩まで遊びに行くばかりで……。ロピックスの宿題も溜まるばかりですし……。トゥード先生は、普通に家で勉強を教えてくださいますわよね?!」
恐怖に顔を歪めながらフェリアがトゥードに詰め寄る。
週末とあって、父親のユバルも同席しているが、神経質そうな顔でにこりともせず座っているだけで、一言も口をきかない。
トゥードは僅かに苦笑してフェリアに向かって頷いた。
「ええ、私は普通に座学を教えるつもりです。アレンちゃんの真似はとても出来ませんので」
フェリアが安堵したのを確認して、そのまま両親の間に座るカインへと目を移す。
「アレンちゃんから引き継ぎは受けてるから、安心してね。カイン君の事をすごく褒めてたよ。あいつは伸び代があるって。素直だし、何より自分の頭で考える力があるって」
トゥードがそう言うと、フェリアとユバルは驚いたようにカインを見た。
褒められた当のカインも意外そうな顔をしているが、トゥードの目には、初日に立ち寄った際におどおどしていた人物とは別人のように見える。
「うん、やっぱり顔付きが変わったね。さすがアレンちゃんだ……。この四日間、勉強する事を禁止されてたんだって?」
「何ですって!?」
悲鳴をあげて立ち上がるフェリアを見て、トゥードは勉強面のアレンのフォローアップ計画について先に説明する事にした。
どう話をしようかと悩んでいたが、とにかく先にそこを説明しておかなくては話が進みそうにない。
一冊のテキストを鞄から取り出し、机上に置く。
その表紙には『絶対合格プロジェクトX!~カインの流儀~』などと、どこか浮かれた雰囲気の文字で記されている。
「……これはアレンちゃんが、カイン君のために作った受験対策テキストです。官経学院の過去問の傾向やカイン君の現在地を徹底的に分析して作られています。正直言って、僕も驚きました。ここまでやるのか……これがゾルド・バインフォース流かって」
「あ、アレン・ロヴェーヌさんが、この子の為に……?」
フェリアは恐る恐るテキストを手に取り、そしてパラパラとめくり瞠目した。
「……こ、これを……たった四日で……?」
それは過去の出題傾向やカインの得手不得手まで加味して作られた、一点物のテキストだ。
残りの期間でカインがいかに効率よく得点を上げるかに特化して作られており、理解すべき事や暗記すべき事に優先順位が付けられ、その戦略が整理されている。
さらにはなぜその学びが必要なのか、面白みはどこにあるのかなどについて、アレンの解釈が付されている。
日本の参考書の構成などもヒントに作成されたそれが、この世界のテキストの単なる寄せ集めではない事は、これまで二人三脚でカインの受験に向き合ってきたフェリアには手に取るように分かった。
「アレン先生が……? 勉強の話なんてそんなにしてないのに……いったいどうやって……?」
フェリアが持つテキストを横から覗き見て目を瞬いているカインに、トゥードは苦笑した。
「ゾルドの名に懸けて費用に見合う仕事をするのは当然だ、と言ってかなり本気になってたからね。もっとも、アレンちゃんは仕事を楽しんでたし、一人で作った訳でもないみたいだけどね」
「……ど……どういう、事でしょう?」
フェリアが問うと、トゥードはやや言いにくそうに答えた。
「その、プレッシャーになるかもしれないけど、後で中途半端に漏れ伝わるほうが混乱するだろうから伝えるね。……えーっと……アレンちゃんが本気で家庭教師をするって噂を聞いて、寮の皆や学園の先生達が仕事ぶりに関心を持っちゃったみたいで……」
トゥードが苦笑してそう言うと、フェリアは狼狽した。
それはつまり――
「二年Aクラス生が中心になって、どうすればカイン君がより合格に近づくか毎晩学園の寮で白熱した議論が交わされていたみたいです。『ライオの天才の意見は何の役にも立たなかったけど、ザイツィンガー家のノウハウは結構役に立った』、なんて言ってました」
アレンがゾルド・バインフォースの名に懸けて本気で取り組むと宣言し、家庭教師の仕事を引き受けた――
その噂はクソ忙しい王立学園生の夏のスケジュールを無理やり調整させるのに十分なインパクトがあった。
「な……何ですって……」
さらにトゥードが言うには、フェイルーン・フォン・ドラグーンやジュエリー・レベランスが有するノウハウやデータも統合され、ベスター・フォン・ストックロードやココニアル・カナルディアといった、ずば抜けて学力が高いメンバーが議論に加わり、王立学園の教師陣の意見をも反映させた代物、との事だ。
つまりフェリアが手に持つそれは、王国最高峰の受験ノウハウを、アレンがゾルド流に統合してカインの為にアレンジしたこの世に唯一つのテキスト、という事になる。
フェリアは手が震えて思わずテキストを取り落とし、慌てて拾い上げた。
一体どれほどの価値があるのか想像もつかない。というよりも、金を積んで手に入れられる代物ではない。
カインの受験に特化して作られた物とはいえ、入手したい人間は星の数ほどいるだろう。
「ま、ケイトちゃんなんかは、サルカンパ家にはよく官経学院入試の歴史問題の作成依頼が来るから念のため口出しするのは止めておくわ、なんて言って寂しそうに眺めていましたけどね」
「何で……僕なんかの為にそこまで……」
カインがテキストに手を伸ばそうとしたところで、トゥードは優しく付け加えた。
「……アレンちゃんからカイン君に伝言。『そのテキストは所詮ただの道具。使うも使わないもカイン次第だ。それよりも、本当に大切な事は何かを忘れるな。道はいつだって一つじゃない』、だって」
カインは伸ばしかけていた手を止めた。
「な、何を言って……カイン……?」
そんな様子を見て、フェリアが恐る恐るカインに声を掛ける。
だがカインは返事をせずに、思い詰めたように真剣な顔でテキストを見つめている。
「……このテキストを使えば、カイン君はきっと合格できる。でもアレンちゃんは、合格の先にあるものを考えているみたい」
トゥードは目を細めてカインをしばらく見ていたが、笑顔で一つ咳払いしてから、困ったように眉を下げた。
「……良かったらこの四日間、何をしてたか教えて貰えないかな。アレンちゃんはただ単に遊んでただけだって言うんだけど、皆もの凄く気になってて……」
カインはほんの少しの時間押し黙り、だが覚悟を決めたように口を開いた。
「えっと……本当は言いたくなければ言う必要は無いって言われてたんだけど……」
そうしてやや気まずそうに父親を見た。
「先生は……まず最初に、二番二条にある官庁街に連れて行ってくれました」
カインの言葉に、これまで神経質そうな顔で静かに話を聞いていた父親のユバルは初めて目元をぴくりと動かした。
二番二条の官庁街。
そこは内務や外務、商務、農務、運輸、警察などを司る行政機関が密集し、日々王国官吏達がこの国の政務を推進している王国の心臓部。
王立学園生はもちろん、官吏経済上級専門学院の卒業生が多数就職する事で知られ、高級官僚である父のユバルが毎日通っている職場だ。
「それで……たまたま見ちゃったんだ。お父さんが……感じの悪い貴族の人に、めちゃくちゃに怒鳴られているのを……」
お久しぶりです、西浦真魚です!
書籍六巻につきまして、沢山の購入報告や感想ありがとうございます!
中々更新する時間が取れないなか、大変嬉しく励みにさせていただいています!
9月10月もすでに厳しいスケジュールになっていますので中々ペースは上げられないかもしれませんが、少しずつでも更新したいと思います!
書きたいお話はその間に蓄積していますので、気長にお待ちいただけますと幸いです(›´A`‹ )
また、田辺先生のコミカライズ第18話が更新されています。
アレンがクラスメイトたちと武器屋へ行く話で、ルージュがめちゃくちゃいい感じです! ぜひチェックしてみてください!
よろしくお願いいたします!






