291 聖地・ルナザルート(8)
王都を発つ際――
キアナさんは偶然会ったかのような雰囲気で姿を現し、今回の誘拐は罠で犯人の真のターゲットが俺の可能性がある事、心配した師匠の命令で俺を監視している事を伝えてくれた。
キアナさんに警告されるまでもなく、その可能性については考えていた。
リーナを利用したのが偶然ではなく俺を挑発するためだとすると、犯人は俺が騎士団を頼らず独力で助け出そうとする展開を望んでいるという事だろう。
であれば、俺が追跡チームから外れたり十分な戦力を伴って犯人を追いつめたりした場合、ジュエとリーナは始末されるリスクが高い。
こんな危ない仕事にわざわざレッドとトーモラという部外者を使っているのは、俺を捕らえるのは無理と判断したらすぐに切り捨てて黒幕の身を守るためだろう。
であれば罠だろうがなんだろうが、二人を無事に奪還するには敵の狙いである俺が相手の思惑に乗って虎口に飛び込むより他ない。
そしてうまく二人へと辿り着けたとしても、人質を盾にとられている以上、『武器を捨てろ』的な展開になる事は誰が考えても分かる。
それを打開するためのキアナさんによる二重尾行だ。
わざわざキアナさんがあんな言い回しをしたのはココが隣にいたからだろう。
いざという時に騎士団員のキアナさんが近くにいるとココが知っていたら、間違いなく言動に不自然な点が出る。
実際、それを把握するための監視が要所要所に配置されていた。
まぁ『師匠の命令で俺を監視している』とまで伝えてもらえたら、俺とキアナさんの間には十分な共通認識ができるからそこは問題ない。
あとは聖地に忍び込む前に周辺の状況をよく見て、キアナさんならどこに忍んでフォローの態勢を取るかという事を予想しておけば、いつそのトリガーを引くか、という判断になる。
さらに今、キアナさんの目は真っ直ぐに塔へと注がれている事だろう。カーテンが引かれているので誰も気が付いていないが、この塔の周りを飛び回っているそれを見落とす人じゃない。
「……ちゃんと感じていますよ、キアナさん! あなたならそこにいる!」
俺が窓を覆っていたカーテンを風魔法で一斉に捲りあげ、全ての窓から部屋に光が差し込んだ次の瞬間――
見覚えのある特徴的な矢羽のついた矢が、窓ガラスを粉々に突き破った。
間髪置かずに放たれた二の矢が風を切り裂きながら飛んできて、リーナを人質に取っていたレッドを貫く。
「ぐぁぁああっ!」
キアナさんの強弓により射抜かれたレッドが肩を押さえながら後ろにどうと倒れる。
続け様に先程の隣の窓が破られ、おやっさんに向けて斧を振り上げていた助祭司が射抜かれる。
……やはりジュエはキアナさんのあの位置からは死角になっていて見えないか。そっちはこっちで何とかするしかない。
「走れリーナ!」
皆が硬直する中、状況をただ一人正確に把握している俺がそう叫ぶと、リーナが声に反応して真っ直ぐに駆けてくる。
「ちぃっ! そうはさせるか!」
何が起こったか分からず硬直していた、先程まで散々俺を甚振ってくれていたおっさんが、リーナを捕らえようと視線を外した瞬間、俺は後ろからおっさんの後頭部に膝蹴りを見舞った。
「かはっ!」
「何をよそ見をしてるんだ?」
倒れたおっさんを踏み越えて走ってきたリーナを強く抱きしめ、大きく息を吸い込み精神を統一する。
「女にマンドラゴの毒針を打て、ドゥリトル!」
俺がジュエの方へと目を向けた瞬間、偉そうなじいさんが身を伏せたまま叫ぶ。
「なっ!!! そ、それでは下手したらジュエリーは――」
「分からんのかっ! 我々の力を借りねば聖女が助からん状況になれば、そやつはどうあっても我々に手出しできん!」
ドゥリトルとやらが意を決したようにジュエから離れサイドテーブルに近づいた瞬間、俺は右手を男に向け、それを発動した。
「――ウインドカッター」
差し向けた右手から、細い霜のトンネルがキラキラと輝きながらドゥリトルへと一直線に迸る。
「か、かはっ……?」
ぼこりと目が浮き出て、ドゥリトルは自身の首を押さえながら大口を開けて膝をついた。
「ぐぅぅぅぅぅっ!」
俺は一歩ずつゆっくりとドゥリトルへと近づきながら、思わずうめき声を漏らした。
ウインドカッターはまだ完成していない。
体から離れた場所にまで真空を生み出すこの魔法は、魔力の消費量が尋常ではない。
検証した結果、どうやら消費魔力量は距離の三乗に比例するようで、まさに爆発的に消費量が増大するのだ。
だが――
この魔力溜まりである聖地では、俺の魔力圧縮率もまた爆発的に高まる。
鼻血が吹き出し、血走った目の前がぐらりと揺れ、俺は思わず膝を突いた。
「ぁぁぁああああっ!」
意識を何とか繋ぎながら、未完成のウインドカッターもどきを維持する。
ドゥリトルは自身に聖魔法を掛けているのか、光り輝きながら何やら口をパクパクとしているが、声は出ていない。
時間にすると五秒にも満たないだろう。
酸欠と急激な体温低下で顔を青紫色に染めたドゥリトルは、その場で血を吐いて倒れた。
あるいは肺が潰れたのかもしれない。
真空中に曝されても別に即死するというわけではない。
だが、肺の中の空気が強引に吸い出される事で、例えば息をいっぱいに吸い込んで水に潜るのとは比べものにならない速度で酸欠に陥る。
ましてや、呼吸をしようと大口を開けるなど自殺行為だ。
朦朧とする意識を何とか繋ぎ止め、ぜぇ~ぜぇ~と呼吸を整えながら、膝を突いたまま魔力を溜め戻す。
そんな俺に代わってリーナがドゥリトルに走り寄り、腰に吊ってあった鍵を使ってジュエの拘束を解く。
合う鍵が無いのか魔封じの錠は外れていないが、取り敢えず吊るされていた鎖からの呪縛を解かれたジュエはほうと息をついた。
そして、ここ数日の極限状態などおくびにも感じさせない、凛とした姿勢で近づいてくる。
「はぁ、はぁ……。待たせた、な……ジュエ」
ジュエはゆっくりと首を振った。
「信じていました。アレンさんは、必ず助けに来てくれると。この程度の逆境など、必ず跳ね返してくれると。私は――」
ジュエは普段の気丈な顔のまま、一筋涙を流し優しく俺を抱きしめ続きの言葉を呑んだ。
嗚咽を漏らすジュエに、俺は素直に感謝の気持ちを述べた。
「ありがとう、ジュエ。リーナを守ってくれて……ありがとう」
◆
「くっ。ふひゃっ! あひゃひゃひゃひゃっ!」
俺がジュエに支えられて立ち上がると、トーモラが狂ったように笑い出した。
「素晴らしい……。風魔法とやらは魔封じの錠を嵌められていても行使できるのですか。そうこなくては面白くない。流石ですねぇ、マッドドッグ! ひゃひゃひゃっ!」
……何がそんなに面白いんだ……? その目つきからして薄々感じていたが、トーモラの精神状態はすでに正常ではなくなっているようだ。
「……今……何をした? この部屋で……ドゥリトル大司教の聖魔法による全身ガードを……易々と突き破っただと?」
先程、俺の膝蹴りで昏倒していた男がようやく体を起こして聞いてくる。
こちらは先程までの高圧的な態度はどこへやら、その目にははっきりと怯えの色を宿している。
「ふんっ。別に大した事はしていない。今のは風魔法の基本中の基本、ただのウインドカッターだ。……出来損ないだがな」
俺がそう言って薄く笑い、右手を差し向けると男は尻もちをついて後退った。
「ぐあぁ!」
……ところで俺がカーテンを一つ捲り上げると、キアナさんの容赦のない矢が飛んできて、男の左肩を貫いた。
……馬鹿なのか? 射線が通れば刺されるに決まっているだろう。
勿論、いくら聖地といえども今の俺が連発できるような技ではないので、右手を向けたのはただのはったりだ。
おやっさんがもぞもぞと芋虫のようにこちらへと近づいてきているのに気がつき、慌てて追いかけようとしていた助祭司は、それを見て足を止めた。
すると、手下の後ろでずっと黙りこくっていた指輪をじゃらじゃらと着けた何やら偉そうなじいさんが、ようやく口を開いた。
「……奥の手をここまで伏せておったか。だがこの厳戒態勢の聖地を攻撃したのじゃ。弓使いの仲間へはすでに聖騎士達が迫っておるじゃろう。そして、先程の様子からして風の力は無尽蔵に使えるわけではないの? こちらにはまだ聖騎士や助祭司が数百人からおる。無事逃げおおせることが出来ると思うか? ……その足手纏いを連れて!」
最後に語調を強めたじいさんの言葉に、リーナがびくりと肩を震わす。
俺はリーナの頭を優しく撫でた。
……馬鹿なのか?
別に、ここまでの絵は俺には突入直後から見えていた。
だが、敢えて拷問に耐えて、時間を稼いでいたのには理由がある。
どうやらココが時間を巻いてくれたようで、もう十分だ。
俺は、やれやれとため息をついて首を振った。
「なぜ俺が逃げなくてはならないんだ? 聖地だか何だか知らんが、俺の道を邪魔する奴は誰であろうと叩き潰すと、俺は決めている」
「ほう? 如何にして?」
まだ分かっていないようなので、俺は答えを口にした。
「……聞こえないのか? お前達を破滅へと導く、あの翅の音が――」
俺は後方にある窓へと近づいて、カーテンを引いた。