285 聖地・ルナザルート(2)
「おめぇら、その歳で普通に馬にも乗れるんだな……」
警察から借り受けた魔馬に跨った俺とココに向かって、おやっさんは呆れたようにそう言った。
「そりゃ乗れますよ。俺はど田舎出身で、馬や牛の家畜は普通に生活の一部として身近にありましたし……。騎士の嗜みなので、母上も俺が乗馬の練習をするのは反対しませんでしたしね」
俺は覚醒前から遊び感覚で乗馬の練習をするのが好きだった。小さな頃からフィールドワークを叩きこまれているココもお手の物だ。
ちなみに、王立学園には当然の如く乗馬施設も完備されている。
一度一年Aクラスの皆で乗馬の腕を競った事があるが、ずば抜けて上手いのはピスだった。なんでもじいちゃんに習ったそうだが、今は魔導二輪車の道に邁進していて乗馬をしている姿を見たのはそれ一度きりだ。
皆に褒められても何やら酸っぱいものでも噛んだような顔をしていたので、何やら思うところでもあるのかもしれない。
「おやっさんこそ流石ですね!」
俺は逆に、軽快に馬を駆るおやっさんに驚いた。公共交通手段の発達した王都で庶民として生まれ育ち、ここまで軽快に馬を操れる人間は珍しいだろう。田舎と違い、王都では馬を維持するのも大変だろうし。
「……そりゃ長らく探索者をしてりゃぁな。……おめぇに褒められてもちっとも嬉しくねぇがな……」
俺がおやっさんを称賛しながら流鏑馬の要領で馬を駆りつつ弓で魔物を串刺しにすると、おやっさんは白けた顔でそんな事を言った。
風魔法で威嚇すると基本的には魔物は逃げ散っていくが、たまに好戦的な魔物を引き寄せてしまうのがこの魔法の難点だ。
そんな風にして馬を駆ること丸一日。
「……見えた。あそこがルナザルートへ続く裏参道の入り口がある村。……のはず」
山中を走る狭い街道から遥かに見下ろすと、谷間に小さな村が見える。
いくら山間部にある村とはいえ、大陸中に信者を抱える新ステライト教会の聖地へ続く参道がある村なら、もう少し発展していても良さそうなものだが……。
谷間に見える村は活気を感じず、気のせいかどこか沈鬱な雰囲気を湛えている気さえする。
「……どうする? あの規模の村に余所者が入ると目立ちそう。監視がいた場合、魔鳥で連絡が飛ぶ可能性もある」
ココの警告に、俺は少しだけ考えて決断を下した。
「……一度、村に入って休もう。どうせロサリオにいる奴らの仲間から俺たちが馬で発った事は連絡がいっているだろうから、今更だ。矢やその他の物資も補給したいし、この先は仮眠も難しくなる。であればここで小休止を取ってこの先で全力で時間を詰めた方が、相手の意表を突ける可能性は高い」
ロサリオの酒場に集まっていた野次馬に、何人か怪しげな奴らが紛れている事には気が付いていた。だが締め上げて押し問答をする時間が惜しかったので、そのまま捨て置いてきている。
どうせ奴らの仲間全員を探し出して拘束するのは不可能だしな。
俺たちはその村で必要な物資を買い集め、宿で仮眠をとってから聖地へと続く裏参道へと入った。
◆
「裏参道って事は、表参道もあるのか……?」
俺が道中そんな事を聞くと、ココは頷いた。ちなみに、馬は邪魔になりそうだったので参道の入り口がある村に預けてきた。
「うん。表参道は新ステライト教会から正式に修行の為に派遣される神職者がきちんと聖騎士を護衛につけて聖地を訪れる時に通る道。対して裏参道は、特に許可とかは必要ない。参道といっても表と違って全く整備されていないし、魔物も危険で、力の無いものが無事辿り着くのはよほど運に恵まれないと不可能と言われてる」
ふむ、道理でな。
確かにあの陰気な村から裏参道に入ってからというもの、どんどん空気が重くなっているような感覚がある。
嫌な予感がする、とも言い換えられるだろう。
潜在的なリスクが高いゆえに、本能的に忌避感を覚えるという事か。
「けっ! つまり教会に属さない俗人どもは、聖地に辿り着く前にヴァニッシュの審判を受けろってぇ訳か。権威ってやつは、どいつもこいつも……」
ぶつぶつと文句を言うおやっさんに、俺とココは苦笑を漏らした。
まぁおやっさんが文句を言いたくなる気持ちも分かる。
教会に忠誠を誓った者が、教会の維持整備している参道を優先的に利用するならまだ理解できなくも無い。
だが、どうせ金持ちとか家柄のいい奴とかが、その比較的安全な表参道を通る利権を貪っているに決まっている。
教会の権威と各国権力の癒着っぷりは、あの荘厳な王都の大聖堂を見れば一目瞭然だ。
「……その代わり、表裏を問わず参道を自分の足で踏破さえすれば、聖地は誰でも受け入れるみたい」
それは、裏を返せばジュエやリーナも、裏参道を踏破すれば正式に聖地内部へと招き入れられるという事だ。
これは中に入られると益々厄介な事になりそうだ。
少しペースを上げようかと体に力を込めた時、俺は道を少し外れた場所にある、その存在に気がついた。
それは白骨化した大人と子供の遺体だった。
着衣はところどころ破れているが、それほど風化している様子はなく、白骨化した骨とのバランスが明らかに不自然だ。
つまりここで力尽きた何者かが、魔物によって文字通り骨の髄までしゃぶり尽くされたのだろう。
リーナのものではないが、ごくありふれた、探索者の装備ですらない平服を着たこの誰かたちは、一体何を想って聖地を目指していたのか。
「……向こうにはジュエが付いている。まず大丈夫だとは思うが……急ごう」
俺はおやっさんとココの様子を見ながら、さらにペースを上げた。
◆
そこから先は、いちいち足を止める気にもならないほどの頻度で人骨を見た。
ココ曰く、おやっさんと俺とココのパーティなら対処不能な魔物と遭遇する可能性は低いだろう、との事だ。
実際何度か魔物と戦闘になったが、俺たちは危なげなく対処した。
だが道端に打ち捨てられた骨の中にはまだ子供のものと思われる物も少なくなく、とてもハイキング気分という訳ではない。
それに加えて、サン・アンゴル山脈に生息するとされる伝説級の魔物……例えば『灰色の死神』と呼ばれる鹿の魔物アーシェンパピーやら、『蝿の王』ベルゼバブルやらに遭遇すれば、たとえ俺たち三人でも命の保証はないとの事だ。
「止まって。はぁ、はぁ、あれは……!」
最大限の注意を払いながら裏参道を半日ほど進んだところで、ココが不意に足を止めた。
地に転がっているサッカーボールほどの大きさの蠅の死骸を見て、ココは
「……初めて見るけど……間違いない。ベルゼバブルの働き蝿の死骸だ。まだ亜成体だけど、死んでからそれほど時間は経っていない」
息を整えてから顔色を悪くし、断言する。
「こ、これが伝説の、蝿の王の眷属……?」
俺が不用意に近づこうとすると、ココは右手を挙げて俺の動きを制した。
「触らないで。蝿の王の眷属の体液は死んでから一定の時間が経つと特殊な臭いで仲間を引き寄せる。そしてその死臭のついた相手、つまり王の敵は必ず報いを受けさせられると言われてる」
ココの切迫感のある声に、俺は慌てて風魔法による視野拡張を停止して、周囲に視線を走らせた。
闇狼やレールゲーターの例からも分かる通り、風魔法による視野拡張は相性の悪い魔物を強く刺激する。
手強い魔物に敵認定されたら自分を追い詰める、諸刃の剣なのだ。
魔力の循環を停止した分、耳に全神経を集中して慎重に周辺の音を拾ってみるが、特に飛翔音は聞こえない。
「はぁ~、はぁ~……だからこんな山奥に、はぁ~、死骸が無造作に転がってるって訳か」
おやっさんが苦しそうに呼吸を整えながら、膝に手を置いてそう言った。
戦闘面はまだまだ第一線で活躍できる探索者だろうが、流石に毎日基礎鍛錬をする時間はないだろうから、これは仕方がない。
そしておやっさんが指摘する通り、多種多様な魔物が多数生息するこの世界の森では死骸はあっという間に分解輪廻される。
つまりこの辺りに生息する魔物や魔虫すらも、この死骸に触れられないという事だろう。
ココが慎重に死骸とその周辺の状況を調べる。
「……右翅を切り飛ばした後、成人のブーツで何度も踏みつけられてる……レベランス家出身のジュエちゃんが、サン・アンゴル山脈に生息する蝿の王の特性を知らないはずがない。つまりこれは――」
……恐ろしい女だな、ジュエ。貞節のチョーカーを嵌められた状態でリーナを守りながらこの裏参道を進み、敵を始末するための布石を打っている。
そして、恐らくは俺たちに状況を推察させる為のメッセージでもある。
「……急ごう。眷属が集まってくるまでの時間を逆算して敢えて手を出させたのだとしたら、目的地は近いのかもしれない」
状況を整理していたのか、こめかみに手をやって何事かを考えていたココは顔を上げてそう言った。
「……大丈夫ですか、おやっさん?」
「当たりめぇだ! ……と言いたいところだが、俺の事は気にせず全力で追いかけろ。死んでも追いつく」
「……僕の事も気にしないで、アレンはここからは本気でいって。まだかなり余裕があるんでしょ?」
「……分かった、一旦ここで別れよう。また後で」
俺はおやっさんとココと別れて、裏参道を全力で駆け上った。
◆
「お久しゅう御座いますな、ドゥリトル殿。聖都より連絡は受けております。この度は『終の行』への挑戦、誠におめでとうございます」
聖騎士に守られた恭しい行列で表参道を進みルナザルートへと到着したドゥリトル一行を、この聖地の管理を任されている高僧、コルナール・ハイドランジが入り口で腰を折って出迎えた。
現教皇、カーネリウスの実兄で、教会最高幹部の一角、助祭枢機卿の要職を務める人物だ。
もっとも、現教皇との出世争いに敗れた結果、閑職に追いやられているという見方も出来なくはない。
一行の中ほどにいたドゥリトルが、恐縮したような顔で慌ててコルナールへと近づく。
「こ、これはこれは、コルナール様。貴方様ほどのお方にそのように丁重なお出迎えをされますと、私の立場が御座いません。ささ、どうぞ昔のように、気兼ねなくドゥリトルと呼び捨ててくださいませ」
コルナールはゆっくりと首を振り、声のボリュームを絞った。
「そちは変わらんのう、ドゥリトルや。だがここには聖魔法の極意を学ばんと高潔な志を持って訪れた多くの同志がおる。そちはたかがいち大司教とはいえ、『終の行』に挑まんとするそなたを下に置いたのでは、助祭司を束ねる者として示しがつかぬ。そうじゃろう?」
ドゥリトルは反対に声のボリュームを上げ、周囲の人間にアピールするように答えた。
「何を仰いますか。私のような若輩者が終の行に挑めるのは、すべてはコルナール様を始めとした助祭司の皆様のお導きのおかげ。万が一私にヴァニッシュの加護があり終の行を無事完遂出来ました暁にも、決してコルナール様を下に置くような事は致しませぬ」
と、そこまで言ってから、ドゥリトルはコルナールの耳元で声を絞った。
「……そうそう、後ろの荷は現世で苦しむ多くの人々を救っておられる皆様への、ほんの気持ちに御座います。どうかお役立て下さいませ」
コルナールは目をきらりと光らせ後ろの荷へと視線を走らせた後、ドスの利いた声で呟いた。
「ほう? これは殊勝な心掛けじゃのう。じゃが……籠が二段六基とは、この王国で随分と活躍しておったそちにしては随分と控え目な事だ。……あの世に金は持って行けぬぞ?」
「……なにぶん急な出立でして、整理が間に合いませなんだ。追って順次、届けさせる手筈で御座います」
ドゥリトルが如才ない笑顔でそう言うと、コルナールは鼻を鳴らした。
「ふんっ。相変わらず抜け目のない奴じゃ。……そちが送り込んできた『荷物』は届いておる。分かっておると思うが――」
コルナールが片眉を上げ促すと、ドゥリトルはその続きを述べた。
「承知しております。コルナール様は荷物の中身を一切ご存じない。もちろん玉以外は生かして外には出しませぬ。……手筈通りネズミがこの聖地に忍び込んで来ましたら、その処分はお任せ致します」
コルナールは再度、鼻を鳴らした。
「ふんっ。……躾は抜かりなくせよ。時間をかけて、徹底的にな」
「はっ!」
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