283 ロサリオ(2)
薄暗い地下室へと入り石階段を降りると、そこには西部劇の酒場でよく見る両手が塞がっていても体で押して開けられる両開きのドア……いわゆるスイングドアがあった。
セラーに必要とは思えないので、もしかしたら昔は地下室も客席として利用していたか、あるいは賭博場でも開帳していたのかもしれない。
スイングドアを軋ませて中へと入ると、囚われていた女の子二人と男の子一人の計三名は俺を人買いの客か何かと勘違いしたのか、びくりと反応して怯えた目でこちらを見た。
かび臭く、薄暗い地下室内は中央が通路になっており、左右に狭い牢獄が四つずつ。そして突き当たりに広い牢獄が一つある。
予想していた事だが、やはりジュエとリーナは居なかった。
「王国騎士団です。助けに来ました。もう大丈夫ですよ」
俺はなるべく明るいトーンで声を掛けてから、牢獄にゆっくりと近づいた。
◆
壁に掛けられていた鍵で子供達を解放して上階へと上がると、入り口付近にチンピラが数人転がっていた。
先ほど俺がマスターを詰めている時に立ち上がっていた三人組だ。
どうやらココが守っている出入り口なら強引に突破できると踏んで挑み、返り討ちに遭ったようだ。
「馬鹿な奴らだな……」
官吏コースとはいえ、あの学園のしかもAクラスに所属するココをその辺りのチンピラがどうにかできるはずがない。
ココはよくクラスで一番弱いと自虐気味に言うが、フィールドワークの経験値で言えばおそらく質、量共にクラスでも随一だろうしな。
「……鞘は抜かずに対応したけど、いっぺんに来たから加減が出来なかった。しばらく起きないかも……」
ココは涼しい顔でそう言った。
俺と違って喧嘩をするような事は無いだろうが、普段から授業で対人戦についてもあのゴドルフェンに鍛え上げられているのだから、まぁ当然と言えるだろう。
「これはいったい何の騒ぎだ!! こ、これは王国騎士団の……私はこの街で警官をしておりますヤグスと申します」
と、そこでこの街の警察官と思われる人間が五人ほど酒場へと入ってきて、代表して一人が声を掛けてきた。
酒場の周辺はすでに野次馬が集まりざわざわと騒がしい。誰かが警察に通報したのだろう。
警官全員が俺の羽織っている騎士団のマントを見て目を見開いている。
「こんにちは、ヤグスさん。私は王国騎士団第三軍団に所属しております仮団員、アレン・ロヴェーヌと申します」
俺が名乗ると、警察官はそろって目を剥いてその辺の野次馬から悲鳴のような声が上がる。……いちいち苦情を言うのもあほらしくなるな……。
「……この酒場の地下で、誘拐された子供の人身売買が行われているとの情報が入りました。先ほど確認したところ、被害者と思われる子女を三名発見、保護しています。とりあえず酒場の店主と、そこに転がっている三名は違法行為に関わっていたと思われます。捜査に協力願います」
俺がそのように端的に依頼すると、ヤグスさんは『な、なんですと。もちろんです』と答え、部下の一人に素早く応援を呼んでくるよう依頼してくれた。
そこでおやっさんがはぁとため息をついた後、窓の警備を代わるよう警官に頼み、茫然自失している酒場のマスターの胸倉を掴んでカウンターから引っ張り出した。
どうやら、下手に出るのは止めたらしい。
「知ってる事を全部話せ…………さっさと答えろ!!」
おやっさんがそう割れ鐘のような声で怒鳴りつけると、酒場のマスターは血の気の無い顔で首をぶんぶんと振った。
「し、知らねぇ! 俺は本当にそんな女の事は知らねぇんだ! 本当だ!」
俺はまだやや怯えの色を残している子供たちに膝を折って目線を合わせ、優しく尋ねた。
「数日前に、ここに金髪で身分の高そうな十三歳くらいの女の子が連れてこられたのを見た子はいませんか? 多分シスターの服を着ていて、十歳くらいの孤児の女の子と一緒だったと思う」
すると三人は顔を見合わせて、こくりと頷いた。代表して一番年上っぽい女の子が答える。
「……私ら全員、たぶん見たよ。金髪のシスターと、もう一人女の子がいた。何か揉めてたし、それ以来新しい子が入ってくる事も、客が品定めに来る事もなくなったから、余計に覚えてる」
おやっさんはマスターの顔面を左手で引っ掴んで、高々と掲げた。
「てめぇ……りんごのリンドを舐め腐りやがって……知ってんじゃねぇか!! ぶっ殺されてぇのか!!!」
おやっさんが顔面を掴んでいる左手にみしみしと力を込めると、マスターは呻き声を漏らした。
「ぐぁぁぁああ! ほ、本当に俺は関わってねぇんだ! 確かにちょっと前に常連客に頼まれて一時的に知らねぇ二人組に場所を貸したけど、予定が変わったとかですぐに出て行った! 俺はその『荷物』の中身を見てもねぇし、どこへ行ったかも分からねぇ! 本当だ、信じてくれ!!」
「常連客だぁ? その糞野郎は、一体どこのどいつでぇ!?」
「わ、分からねぇよ! 客は客の紹介でしか入れねぇし、もちろん名前や正体を馬鹿正直に名乗る奴なんている訳ねぇ! あんただってそれが分かってるから、ワルダの伝手を頼って来たんだろ! そいつは異常に金払いのいい上客で、今回も大金積まれて頼まれたから渋々受けたんだ!」
俺は囚われていた女の子たちに向かって首を傾げ、言葉に嘘が無いかを問いかけた。
「……確かに小一時間くらいですぐに出て行った。大きな木箱に入れられて運び屋っぽいのが運んでたから、そいつは見てないかもしれない」
俺は一つ頷いて、さらに尋ねた。
「さっき何か揉めてたって言ってたよね? どういう風に揉めてたか覚えている事はある?」
すると女の子たちは暫く考え込んで、ぽつりぽつりと答えてくれた。
「えぇっと確か……最初はよく聞いてなかったんだけど、チョーカーがどうのこうのって普通の調子で話していたと思ったらいきなり男が気が狂ったように怒りだして、小さな女の子に酷い暴力を振るい始めて……」
「そう……。それでシスターの子が女の子から男を力ずくで引き剝がして、次にこの子に手を出したら私は誓いを破って死ぬって。私は死ぬ権利を与えられているって……」
思わずその場面を想像して、俺は胸が潰れそうになった。
ジュエは何の力も持たないリーナを、文字通り命がけで守ろうとしてくれている。
……何としても、あの二人を助け出す。
そしてやはり、ジュエに『貞節のチョーカー』が嵌められているのは間違いなさそうだ。
「……他に……何か覚えている事はありますか?」
「ええっと。そうだ、そこでもう一人の、目の細い狐みたいな奴が止めたんだ。俺たちの狙いは別だろって。何とかを始末するために、あの場所におびき出すんだって。そのためにシスターの子をあそこに届けて、あの人に協力してもらわなければならないって」
俺とりんごの関係を知っている、狐みたいな目をした奴、か。
……おそらく、お前が絡んでいるだろうと予想はしていた。
あの時、中途半端な警告で事を済まそうと思った俺が間違っていたようだな。
なぁレッドよ。
……お前は、越えてはいけない一線を、越えた。
「その『あそこ』っていうのがどこか、何か言ってなかった?」
「……多分、何も言ってなかったと思う」
子供達は揃って首を振った。
「チョーカー……あの場所。……協力が必要。…………ま……さか」
それまでこめかみに指を当てて黙りこくっていたココが顔を上げた。
その顔はこれまで見たことも無いほどに、苦渋に満ちている。
「ココ? ……何か分かったのか?」
唇を噛んでいたココはゆっくりと頷いた。
「ジュエちゃんは……誓いに抵触しない範囲ぎりぎりで相手を挑発して、僕たちにヒントを残してくれたんだと思う」
それは俺もそう思う。
いたずらに相手を怒らせて意味もなく自分とリーナを危険に晒すような真似を、あのジュエがするはずがない。
俺が頷いて同意すると、ココは続けた。
「多分そのやり取りには重要なヒントが隠されている。その事と、このロサリオの立地とを合わせて考えると……答えは多分、レベランス地方のあの場所、しかないと思う」
「れ、レベランス地方だと?」
俺は耳を疑った。それはジュエの生家であるレベランス侯爵家が統括して治めている地方だ。
現在、ジュエの父親を始めレベランス地方では総力を挙げてジュエの行方を捜索しているはずで、犯人としては絶対に近づきたくない場所のはずだ。
そういう意味では意表を突いていると言えなくもないが……それを差し引いてもリスクが高すぎるだろう。ジュエの顔を知っている奴も多いだろうし。
俺が困惑して思わずそう呟くと、ココははっきりと頷いた。
「あそこは……レベランス地方にあってレベランス地方じゃない。ううん、一度中に入ってしまいさえすれば、王国の法すら及ばない。王国騎士団にすら捜査権のない、完全な治外法権が認められている場所……」
王国にあって、王国の法が及ばない場所だと……?
ココははっきりと頷いてその場所を口にした。
「あそこは……新ステライト教徒以外は足を踏み入れてはいけない『聖地』。……サン・アンゴル山脈の奥地にあるその山の名は――」
聖地・ルナザルート。